今月の俳句(25年8月) [2013年08月15日(Thu)]
今月の俳句(二十五年八月) 「これまで経験したことのない」暑さが続いています。生きるのも大変なことです。 今日8月15日は「終戦(敗戦)記念日」です。 「ぼろぼろの父の赤紙敗戦日」(藤戸紘子) この猛暑の中、8月9日に俳句サークルの句会が開かれました。 この「句会」について、私たちの句会を例に説明します。 1.句会に、メンバーは四句ずつ俳句を作って持ち寄ります。事前に、「兼題」が与えられています。「兼題」は宿題のテーマのようなもので、その席で与えられるものを「席題」といいます。私たちの取り決めで、最低一句は兼題の季語を入れた句を作ります。 2.それらを、白紙短冊に書いて指導者に渡します(投句)。短冊から、作者の欄を空白として、用紙に書き写します(清記)。 3.その清記された用紙のコピーを全員に配り、その中から、良いと思った句(自分の句以外)を四句選びます(選句)。 4.選句が終わったら、選句用紙に書いて、全員の前で選んだ句を発表します。これを披講といいます。自分の句が読み上げられたら、自分の名前を言います。初歩のうちは、自分の句を誰も選句しないという状態が続きますが、落ち込まないで精進しなければいけません。 5.披講の後、指導者(藤戸さん)が一句ずつ講評をしてくれます。大きい句会では、選句されたものだけの講評ですが、俳句サークルでは、落選した句も含めて、どこが悪かったか、どこが良かったか指摘してくれます。これが大変勉強になります。また、こうしたらもっとよくなると添削してくれます。 6.最後にブログ用の俳句を一句選びます。これは「兼題」の俳句でなくてもかまいません。添削済みの俳句のこともあります。指導者や参加者の意見を聞いたりして、わいわいがやがやと決定します。 句会は二時間では足りないぐらいです。頭の体操になります。俳句に興味のある方は、ぜひ南窓会俳句サークルにご参加ください。 以下の句評は、指導者の藤戸さんに、ブログ用に書いていただきました。(皆川眞孝) 「子等帰り独り窓辺の遠花火」 小野 洋子 今月の兼題は花火(夏の季語)でした。副季語に遠花火、揚花火、打揚花火、庭花火、手花火、線香花火、仕掛花火、花火舟等沢山あります。 この句は子の家族が帰省し、やがて一斉に帰って行き、その夜たった独りで窓辺に立ち、遠くに揚がる花火を見た、という景を詠んでいます。そこには祭りの後のようなそこはかとない淋しさと、独り暮らしの日常がかえってきた安堵感のような気分の入り混じった複雑な気持ちが遠花火という季語で巧みに表現されています。 「手花火のふたたび闇のふたりかな」 渡辺 功 この句の景を皆さんはどのように描かれますか。私は思春期の、それも初恋のふたりを想像しました。手花火という季語から大人より子供に近い存在を、幼いふたりというより、もう少し成長した少年と少女。何も話さず手花火をしている、花火が消えても黙って座っているふたり、そんな初々しい恋を想像しました。句会では老夫婦で花火をしている景を想像した人もいました。いろいろ想像できる句というのは物語性があって楽しいですね。なかなか粋な佳句となりました。 「天守閣見上ぐる先や赤とんぼ」 宮ア 和子 天守閣というと反射的に真っ白な天守を私は想像してしまいます。(熊本城や松本城は黒い天守閣ですが)。高い天守閣を下から見上げていたら赤とんぼが視界を横切って飛んで行ったのでしょうか。天守の白と真っ赤な蜻蛉の配色が鮮やかです。とんぼは秋の季語ですから、天守の聳える空は澄んだ秋空が広がっていることも言外に表現されています。 「白き歯の球児の顔に光る汗」 皆川 瀧子 夏は高校野球の季節。勝っても負けても涙の試合です。大人の野球とは一味違う醍醐味があり、ファンも多いことでしょう。日焼けした黒い顔に滴る汗、その汗(夏の季語)さえ清々しく感じられます。黒い顔と白い歯、真珠のように光る汗、甲子園の歓声が聞こえるようです。 「雷の遠き響きや墨を磨る」 佐藤 朋子 近い雷は本当に怖いものですが、この句は遠雷ですから安心していられます。作者は書を趣味とされていますので、遠雷に心乱されることなく静かに墨を磨られているところでしょう。静かに暮らされている日常が感じられます。遠雷(夏の季語)で音は聞こえている筈なのに静寂の感じられる句となりました。 「道沿いに白の交ざりて百日紅」 皆川 眞孝 百日紅(さるすべり)は夏の季語。つるつるした木肌で、猿もすべるのではないかと、この名がついたそうです。百日紅(ひゃくじつこう)は漢名。花が百日は咲き続けることから名付けられたそうです。 花色は紅や淡紫色をよく見かけますが白もあります。寄り集まった小花は淡い優しい感じです。昔は寺で多く見かけられましたが、今では庭木として見られる位です。その百日紅が街路樹として植えられているのに出会って作者は驚いたそうです。また、紅に交って白い百日紅がとても印象的だったそうです。百日紅の街路樹、圧巻でしょうね。私も見たいと思います。 「かなかなや独りとなりし友を訪ひ」 藤戸紘子 「かなかな」は蜩(ひぐらし)のことです。日暮れにカナカナと高く美しい声で鳴きます。夏の終わりから秋にかけて鳴くので、(蝉や蝉しぐれは夏の季語ですが)「かなかな(蜩)」は秋の季語となっています。 この句は、最近連れ合いを亡くされた友人を訪ねていったら、庭先で「かなかな」が鳴いていたというわかりやすい景を詠んだものです。私には、鎌倉あたりのひっそりとした家の玄関脇の大きな木に蜩がないている景が目に浮かびます。「かなかな」の哀調を帯びた鳴き声と、最近連れ合いを亡くされた友人の心情が重なって、しみじみとした句になっています。 蟬は幼虫の期間は数年と長いですが、成虫になったら一週間しか生きないといわれています。私には、「かなかな」という言葉により、残された私たちの命も決して長くはないのだという悟りに近い死生観を象徴させているように思えますが、深読み過ぎますか?(コメントー皆川) |
Posted by
皆川眞孝
at 08:00