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多摩丘陵にある日野市三井台、ここに住む高齢者のクラブ・三井台南窓会の会員が中心になって作っている団体ブログです。地元の季節毎の写真、南窓会の活動報告、会員の旅行記、俳句、地域の情報など、多様な記事が満載です。
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外交官 堀口九萬一 [2015年08月03日(Mon)]
外交官 堀口九萬一

7月11日付け朝日新聞に以下の記事が載りましたので紹介します。

メキシコ大統領家族守った外交官
堀口九萬一氏へ1世紀超しの感謝

クマイチさん、あなたの勇気は外交官の模範です━。メキシコで一世紀前、クーデターで追われた大統領の家族を公使館でかくまった堀口九萬一氏をたたえるプレートが10日、在日メキシコ大使館(東京都千代田区)で披露された。
堀口氏は明治・大正期の外交官。

メキシコのほか、スペイン、ブラジルなどで公使を務めた。長男は詩人の堀口大学だ。
堀口氏がメキシコ臨時代理公使を務めた1913年、同国のマデロ大統領はクーデターで殺害された。

当時、身の危険を感じた大統領夫人ら親族20人あまりは、親交があった堀口氏に助けを求めた。公使館が攻撃される危険もあったが、堀口氏は事態が収まるまで彼らを保護した。
クーデターの指導者に対しても、「窮鳥懐に入れば猟師も殺さず」とのことわざを引き、「危急の場合に公使館に逃げてきたなら、いかなるメキシコ国民でも皆保護する」と人道的対応を説いたという。

堀口氏の孫で詩人の堀口すみれ子さん(70)=神奈川県葉山町在住=は父・大学から思い出を聞かされて育った。公使館の玄関に日の丸を敷き、「ここは日本だ。彼らを捕らえるというなら国旗を踏んで館内に入るがいい」と一喝し、追ってを阻んだとの逸話だ。
式典であいさつしたすみれ子さんは「歴史の大海原から祖父の勇気ある行動をすくい上げ、忘れずにいてくださったメキシコに感謝します」。
今回披露されたプレートと同じものが、今年4月、メキシコ上院にも飾られた。(石田博士)

sk.jpg

プレート除幕式
写真左 バルボサ上院議長
  右 堀口すみれ子さん
千代田区メキシコ大使館
<荒川>
Posted by wild river at 09:00
1964年 東京五輪物語 [2015年07月18日(Sat)]

朝日新聞2015年6月20日掲載記事より抜粋



東京五輪物語   
                     
1964-2015-2020     公式計時 任される時計を


    世界初 精度100分の1秒


「日本の時計は安かろう、悪かろうだった」服部時計店「(現セイコーホールディングス)の製造部門、第二精工舎の設計者だった小牧昭一郎さん(81)は当時を振り返る。
アジアで初の1964年東京五輪は、日本の技術力を磨く好機になった。
ずっとスイスなどが担当してきた公式計時を、初めて日本に任せてもらえるかの挑戦だ。

当時、ゼンマイで動く機械式時計は100分の1秒の精度がなかった。
世界中で誰も達成していない難題。
それを、ハート形の1ミリほどの部品を挟むことで解決してみせた。
ベオグラードで国際陸上競技連盟がテストをした。
係員が両手に持って同時にスイッチを押した時計は、数秒、数分、1時間後、どれも同じ時間だった。

「テストをクリヤーできなかったら、今のセイコーはなかった」
もっとも東京五輪の主力は、その苦心作でなく、セイコーが世界で初めて腕時計として実用化するクオーツ時計になった。
水晶に電圧をかけた振動から正確な時を得る。
高さ約2メートルの装置を、五輪までの数年で置時計サイズまで縮小させた。


東京五輪は史上初めて計時へのクレームがなかったという。
ときを経て同社は男子100メートルでボルト選手の世界記録9秒58を測定。技術は1万分の1秒を計測できるまで進化した。
今春、日本人初の9秒台をめざす山県亮太選手を社員に迎えた。
「人生をかけて記録を出したい」と言う山県選手に、服部真二会長は「100分の1、千分の1にかける熱い思いをサポートしたい」
困難への挑戦。
その気風は今も変わらない。(増田創至)


かつて設計した機械式ストップウオッチを手にする小牧昭一郎さん
blog-seiko.jpg



1963年(昭和39年)東京五輪で使用されるウオッチの組み立て工場
seiko.jpg


文責 荒川
Posted by wild river at 09:00
惜別 車谷長吉 [2015年07月12日(Sun)]
惜別 車谷長吉


2015年6月20日(土曜日)朝日新聞夕刊からの抜粋です

慶応大独文卒の車谷長吉(本名車谷嘉彦)が68才の若さで本年5月17日(日曜日)に亡くなりました。死因は誤嚥性窒息 です。
「反時代的毒虫としての私小説作家を標榜」し、1998年「赤目四十八瀧心中未遂」で直木賞受賞、同年「伊藤整文学賞」にも選ばれたが伊藤整と文学感の違いから受賞を拒否しました。
2009年(平成21年)に朝日新聞の人生相談を担当し、その記事は多大な反響を呼びました。
以下は朝日の抜粋です。


惜別


こっ、これは新聞に載せられる のだろうか。土曜別刷りbeの新連載、人生相談「悩みのるつぼ」の 回答者になってもらった2 0 0 9 年春、ファクスで流れてきた最初の原稿に目を通して、ぴぴった。 「教え子の女生徒が恋しく、情動を抑えきれない」という40代の高校教師の相談に対し、「彼女と 出来てしまえばいい。破綻して、 職業も名誉も家庭も失いなさい」 と答える。「生が破綻したときに 初めて人間とは何かが見え、人生 が始まる」と説いていた。
それは、職を失って31歳で「無 一 物」になり、関西の料理場の下働きをして漂流 40歳前に再び上 京し、貧窮の中で文学を求めた作家の「真実」だったのだろう。
掲載後、苦情も届いた。だが回を重ねるに連れ、救いがない人生 に、救いを求めて生きるのが人の 一生なのだという「車谷ワールド」の苦みが、多くの読者の心を ひきつけていったように思う。


けったいな人」と呼ばれた。
ズボンの「社会の窓」は常に開け っ放しで、家ではトイレの戸を閉 めることもなかった。50代で強迫 神経症を患った。最近は仕事から 離れて家にこもり、外出するのは 缶ビ-ルを買いに行くときくらい だったという。


妻の詩人、高橋順子さん(70)は
「ナイー ブで、狂気の人。結婚生活約20年のうち、最初の5 年と最後の 5年は大変だった」と振り返える。そのあいだの10年は、「世界 一周の旅行に行ったり、四国のお遍路を歩たりして、私には幸福 な日々でした」。 高橋さんが火葬場で般若心経を 読み、見送った。

「自分の骨はゴミ袋に入れて捨ててくれ」という、かって書いた望みはかなうことがなかった。(中島鉄郎)

2015年5月17日死去(誤嚥性窒息)69歳

車谷長吉.jpg


写真は2012年(平成24年)5月、夫婦で出向いた旅先の九州で=妻高橋順子さん提供
Posted by wild river at 09:00
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