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多摩丘陵にある日野市三井台、ここに住む高齢者のクラブ・三井台南窓会の会員が中心になって作っている団体ブログです。地元の季節毎の写真、南窓会の活動報告、会員の旅行記、俳句、地域の情報など、多様な記事が満載です。
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静岡・愛知・岐阜・滋賀 四県城跡巡り (4) (05/14) 明平暢男
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カッコソウ(2) (05/12)
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静岡・愛知・岐阜・滋賀 四県城跡巡り (7) [2019年05月20日(Mon)]
静岡・愛知・岐阜・滋賀 四県城跡巡り (7)

はままつフラワーパーク-1


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続く



文責 荒川


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静岡・愛知・岐阜・滋賀 四県城跡巡り (6) [2019年05月19日(Sun)]
静岡・愛知・岐阜・滋賀 四県城跡巡り (6)

浜松城址

浜松城の前身は15世紀頃築城された曳馬城で、元亀元年(1570) 城主となった徳川家康が大改修をして浜松城と改名しました。
高い位置に設けられた大手門と野面石積みの石垣が有名ですが、もう一つ出世城の別名をもつ城です。家康以後の浜松城主は9家22代に引き継がれ、それぞれ江戸幕府の重役に就任したことから出世城の名で呼ばれたのです。

徳川家康は浜松城主として元亀元年(1570) 29歳(駿府での人質から解放10年後)で入城して天正14年(1586) 45歳まで17年間、この城で辛酸を嘗め、三方ヶ原の武田軍との戦いで大敗北を喫し九死に一生を得るなど幾多の死線を超えてついに関ヶ原に勝利し天下人となりました。



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次は“はままつフラワーパーク”へ向かいます


文責 荒川

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静岡・愛知・岐阜・滋賀 四県城跡巡り (5) [2019年05月15日(Wed)]
静岡・愛知・岐阜・滋賀 四県城跡巡り (5)

鳥羽山城址-2


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次は浜松城へ向かいます


文責 荒川
Posted by wild river at 09:00
静岡・愛知・岐阜・滋賀 四県城跡巡り (4) [2019年05月14日(Tue)]
静岡・愛知・岐阜・滋賀 四県城跡巡り (4)


鳥羽山城址-1


鳥羽山城と直線距離500〜600m隔てた北に二俣城があります。この二つの城は歴史的にペアで構成されてきた感じで二股は天守閣をもつ戦闘用、鳥羽山は接見・外交用で天守は無く石垣と土塁の山城です。2城とも二俣川と天竜川の合流点にあり交通の要衝でした。
現在は2城址とも天竜川の左岸に位置していますが、戦国時代に天竜川は2城の間を流れていました。(二股城の天守閣は残っていません)

元亀3年(1572)三方ヶ原の戦いで家康は武田に敗れ二俣城を奪われました。以後家康は鳥羽山城に本陣を置き武田と激しい攻防を繰り広げ天正3年(1575)に奪い返したのです。
鳥羽山城の創建はいつ、誰によってかはかなり古い時代だということ以外詳細不明です。
城址を案内してくれた地元ボランティアの方が鳥羽山城址のみの見学で、二股城址を見学しないのをとても残念がっていたのが印象的でした。



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続く



文責 荒川
Posted by wild river at 09:00
静岡・愛知・岐阜・滋賀 四県城跡巡り (3) [2019年05月10日(Fri)]
静岡・愛知・岐阜・滋賀 四県城跡巡り (3)

駿府城-3


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次は浜松市の鳥羽山城にまいります


文責 荒川


Posted by wild river at 09:00
静岡・愛知・岐阜・滋賀 四県城跡巡り (2) [2019年05月09日(Thu)]
静岡・愛知・岐阜・滋賀 四県城跡巡り (2)

駿府城-2

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続く



文責 荒川



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静岡・愛知・岐阜・滋賀 四県城跡巡り (1) [2019年05月08日(Wed)]
静岡・愛知・岐阜・滋賀 四県城跡巡り (1)


表題四県は天下分け目の関ヶ原に至る戦国時代の主舞台ですから城跡の集中する宝庫といってよいのではないでしょうか。
今回見学したのは10城跡 (駿府城・鳥羽山城・浜松城・井伊谷城‥名古屋城・墨俣一夜城・彦根城・安土城・犬山城・岡崎城) です。

今年の桜開花宣言は東京が3月21日と例年に比べて早かったので、4月に入ってからの四県城巡りは葉桜を見るだけと覚悟して出かけたのですが、静岡滋賀は2〜3分咲き愛知岐阜は見頃で、特に岐阜県本巣市根尾谷の「淡墨桜」(国指定天然記念物)は満開の状態で見ることができました。薄墨桜は根尾谷に逃れていた“男大迹王(をほどのおおきみ)”が都に迎えられ第26代継体天皇として即位(507年)するに当たり、根尾谷にお手植えされた桜と伝えられています。
帰宅後調べたら継体天皇は邪馬台国女王卑弥呼の一族で。大和朝廷の実質初代の天皇と位置づけられる御方だそうです。

駿府城は掘削調査五年計画の今年は4年目で68m×60mの日本最大の天守台を家康が築いていたことが判明したということでした。
安土城は比高より実質キツイ登りを強いられました。城域内、本丸の西に築城に際し信長が他所から移築して自らの菩提寺にしたというハ見寺跡(臨済宗妙心寺派)や三重塔(甲賀市石部町の長寿寺から移築)、二王門がみられ、世に言われるほど信長は神仏無信仰の人ではなかったのではと思いました。


「駿府城」-1

駿河遠江の守護・今川氏第9代義元の全盛期に徳川家康は青春時代を今川氏の人質として
駿府で暮らしました。
時期は天文18年(1549)〜永禄3年(1560)の12年間、家康8歳〜19歳で人間形成に重要な時期ですが、このとき臨済寺住職太原雪斎から様々な教えを受けました。
その後、頭角を現した家康は駿府を居城と定め天正13年(1585)〜天正17年(1589) 4年間の歳月を費やして築城をしました。
関ヶ原の戦いに勝利した家康は慶長10年(1605)、将軍職を2代目秀忠に譲り、再び駿府城に戻りました。人質から解放されて45年後のことです。



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続く



文責 荒川





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与論島紀行(19) [2019年05月01日(Wed)]
与論島紀行(19)

識名園-3


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THE END




文責 荒川
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与論島紀行(18) [2019年04月30日(Tue)]
与論島紀行(18)

識名園-2


識名園は木の種類の多いことに驚きます



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続く




文責 荒川



Posted by wild river at 09:00
与論島紀行(17) [2019年04月29日(Mon)]
与論島紀行(17)


「識名園とは」

識名園(俗にシチナウドゥン)は琉球王家最大の別邸で、国王一家の保養や外国使臣の接待などに利用されました。18世紀の終わりごろに造られ、1800年に尚温王冊封のため訪れた正使趙文楷、福使李鼎元を招いています。
王家の別邸は、17世紀の後半、首里の崎山村(現在の崎山町)に御茶屋御殿がつくられました。首里城の東に位置したので、「東苑」とも呼ばれ、識名園は首里城の南にあるので「南苑」と呼ばれました。

識名園の造園形式は、池のまわりを歩きながら景色の移り変わりを楽しむことを目的とした「回遊式庭園」になっています。「回遊式庭園」は、近世日本の諸大名が競ってつくるようになった造園形式ですが、識名園の池に浮かぶ島には、中国風あずまやの六角堂や大小のアーチ橋が配され、池の周囲を琉球石灰岩で積みまわすなど、琉球独特の工夫が見られます。
識名園は、かつて春は池の東の梅林に花が咲いてその香りが漂い、夏には中島や泉のほとりの藤、秋には桔梗が美しい花を咲かせ、「常夏」の沖縄にあって四季の移ろいも楽しめるよう、巧みな気配りがなされていました。
指定面積は約41997u(約12726坪)で、そのうち御殿をはじめとするすべての建物の面積は、合計643u(約195坪)となっています。

1941年(昭和16年)国の名勝に指定されましたが、太平洋戦争により壊滅的な破壊をうけました。1975(昭和50年)から復旧工事が進められ、約20年の歳月と約8億円に上る費用を費やして今日の姿を取り戻しました。2000年(平成12年)3月30日に特別名勝に指定、同年12月2日ユネスコ世界遺産に登録されました。


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続く




文責 荒川

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与論島紀行(16) [2019年04月23日(Tue)]
与論島紀行(16)


津梁館に至る道路は椰子の木、ハイビスカスなどの亜熱帯の木や花で彩られています


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次は世界遺産に登録された「識名園」にまいります


文責 荒川
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与論島紀行(15) [2019年04月22日(Mon)]
与論島紀行(15)

津梁館-1

津梁館は東シナ海に面する部瀬名岬の突端にあり、第26回先進国九州沖縄サミットの開催された場所です。今でも先進国首脳会議の行われた建物の内部は当時のまま保存されていて無料開放で見学できます。
メーン会議場の近くに当時の内閣総理大臣小渕恵三氏の銅像が立っていて、そこに「九州沖縄サミットメモリアル碑」がありますが、碑文を読んで小渕恵三氏がいかに沖縄県民に感謝され愛されたかを知りました。
部瀬名岬は風光明媚な場所で、確かに国際会議場に相応しい場所だとおもいました。


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「九州・沖縄サミットメモリアル碑文」

小渕恵三内閣総理大臣のご英断により、西暦2000年7月 我が国で初めての地方開催となる「九州・沖縄サミット首脳会合」が、ここ万国津梁館において成功裡に終了し、世界の人々に沖縄が広く紹介されるとともに県民に大きな誇りと自信を与えました。
小渕総理はその真摯な人柄を以て国民から庶民宰相と慕われてきました。とりわけ沖縄を第二のふるさととしてこよなく愛し、沖縄の振興発展や21世紀に向けて貴重なご提言を行うなど、県民のため多大なご尽力を賜りました。
ここに今は亡き小渕恵三内閣総理大臣ご英断とご功績に対し感謝の意をこめて「小渕恵三/九州沖縄サミットメモリアル」を建立し後世にその偉業を語り継いでまいります。


西暦2001年4月29日
「小渕恵三/九州・沖縄サミットメモリアル建立委員会」



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続く




文責 荒川
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与論島紀行(14) [2019年04月17日(Wed)]
与論島紀行(14)


ブセナテラス

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次は2000年開催の沖縄サミット会場、津梁館へ続きます


文責 荒川
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与論島紀行(13) [2019年04月16日(Tue)]
与論島紀行(13)



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次は再びフェリーで沖縄本島へ戻りプセナテラス(名護市喜瀬)へ向かいます



文責 荒川
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与論島紀行(12) [2019年04月12日(Fri)]
与論島紀行(12)

与論駅-1

与論駅は与論港に近い西海岸のパラダイスビーチを見下ろす景勝地の崖上にあり、プラットホームに掲出しているように、“天の川銀河鉄道本線 ヨロン駅”と名付けた観光用の架空の駅です。与論島の宣伝資料には島の星空の美しさの紹介は見当たりませんが、多分素晴らしい星空が見られると想像します。現地に滞在中は夜の景など頭になく、帰ってからしまったと思いました。


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続く




文責 荒川
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与論島紀行(11) [2019年04月11日(Thu)]
与論島紀行(11)

大金久海岸-2

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次は与論駅へと続きます




文責 荒川
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与論島紀行(10) [2019年04月10日(Wed)]
与論島紀行(10)

大金久海岸-1
大金久海岸(おおがねくかいがん)は地元の言葉ではウプガニク、ウフガニク、またはナーガニクと言ってるようです。
眩いばかりの白砂の浜が続き、英人作家ジェームズ・ヒルトンが小説「失われた地平線」で描いたシャングリラ(桃源郷)を彷彿させる風景です。
海岸は深さ2〜3mのサンゴ礁が遥か沖合まで続き、干潮時には海中から広い砂浜「百合ヶ浜」が白い姿を見せるのです。
私たちは百合ヶ浜の現れる沖合まで強風の中、グラスボートで行って見ました。
船底に大きな海亀が悠々と泳いでいるのがみえました。



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続く



文責 荒川
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与論島紀行(9) [2019年04月09日(Tue)]
与論島紀行(9)

与論民俗村-2

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次はサンゴ礁の沖合浅瀬に現れるという百合ヶ浜へと向かいます


文責 荒川


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与論島紀行(8) [2019年04月08日(Mon)]
与論島紀行(8)

与論民俗村-1

与論民俗村は与論島東区の麥屋にあり近くに赤崎鍾乳洞があります。
平成28年(2016) 10年ぶりに与論島の文化を伝える雑誌「ヨロンの今昔」が再刊されました。
それによると、民俗村は当時米寿をお迎えになった島育ちの“菊千代”婆ちゃんが、島に遊びにきた学生の言葉に触発され、ユンヌ(与論のもとになった古語)の文化を後世に伝えなければと思い立って古民家などを自作の資料館敷地内に集めたのが始まりということです。
菊千代とは黒澤明“七人の侍”に登場する三船敏郎演ずる侍と同名で微笑ましく思いましたが、今は菊千代さんの息子と思われるよく似た中年の男性が丁寧に村の案内をしてくれます。
与論島で最も大切なものは「水」、水道ができたのは昭和39年(1964) 55年前のことです。
それまでは干ばつの年など水不足のときは少々泥水でも飲み、病に罹って死者がでたり、皮膚病など流行することが屡々だったそうです。

島には医者がいないため、薬草が頼りで島民の人たちは薬草には詳しい人が多いようです。
圧巻は島の人たちが日常必要とする、あらゆる道具器具が手づくりで自給自足の生活を確保していることです。その様子を民俗村で見ることができます。
牛の助けを借りてサトウキビを絞る大型の機械(歯車のみ鉄製)を見た後、硬く重い木を見ましたが、長さ60〜70cmの木材ですが60kgは有るかと思う重さにビックリ、名前を訪ねたら“イスの木”と教えられました。
民俗村には売店もあり、何も買わないのに与論島の黒糖焼酎「島有泉」20度を飲ませていただきました。


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続く




文責 荒川
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与論島紀行(7) [2019年04月07日(Sun)]
与論島紀行(7)

アプリシア・リゾートホテル

大金久海岸(おおがねくかいがん)の1.5km沖に干潮時現出する百合ヶ浜

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次は与論民俗村へ続きます



文責 荒川

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