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多摩丘陵にある日野市三井台、ここに住む高齢者のクラブ・三井台南窓会の会員が中心になって作っている団体ブログです。地元の季節毎の写真、南窓会の活動報告、会員の旅行記、俳句、地域の情報など、多様な記事が満載です。
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藤田嗣治のyoutube [2017年02月20日(Mon)]
藤田嗣治画伯の映像です。
ぜひ、ご覧ください。


Posted by 明平暢男 at 09:00
山への回帰(終)――万葉びとの求めた山中他界(五) [2011年02月11日(Fri)]
山への回帰――万葉びとの求めた山中他界(五)(終)

伊藤 道子


(写真:伊藤道子 野尻湖)

万葉集では山中他界の信仰に立ったうたが圧倒的に多く見られるが、やがて六世紀前半に大陸から仏教が移入されると、死後における魂の旅路にも変貌が生ずる。山中だけに限らず森や野原や湖や島や空や地下など、魂のゆくえは一定していない。柳田國男の民俗学の立場では山中他界をとる。

さて、話は現在に飛ぶ。先述したように山国日本には美しい山々が各地に存在している。私たちはその恩恵をどれほど蒙っていることだろう。
山の風景はその時々でいろいろな顔を見せてくれる。季節によって、天候によって、時間によって、人の気配のあるなしによって、違った顔を見せてくれるのがたまらなくおもしろい。私は両親のふるさとが新潟県の奥深い山村だったので、子供時代の疎開の体験も含めてごく自然に山に馴染んでいった。逆に海とは縁遠かった。山に心惹かれるあまり、人生の中年期に北軽井沢の浅間山麓に小さな山荘を造った。1979年(昭和五十四年)、私が四十代半ばのことである。そのことは前号にも書いた。亡き夫も山の好きな人だった。長野と群馬の県境にそびえる浅間山は荒ぶる活火山であるが、1783年(天明三)の大噴火を最後に、その後は静かに眠っている。

(浅間山)
火山の作った大地の上に人間は住まわせてもらっているわけである。山荘はしっとりとした林に囲まれ、たゆまず雑草を抜いたお陰で地面には杉苔が緑の絨毯よろしく柔らかに敷かれた風情である。春はしゃくなげが大輪の花を咲かせ、秋は木々が鮮やかな紅葉に彩られる。夫の植えた萩が小さな花をつけるのを今年も見届けた。夫と共にここで生活したのは二〇年間であった。都会での喧騒と煩雑な生活を忘れて別次元のシンプルな時間を体験することが出来たのであった。特にシーズンが去って人気のなくなった時にここへ来て、鳥の声や風のそよぎに耳をすませ、まれに木の枝を渡る小動物を見たりしながら時を過ごすと、不思議な感覚になる。こういう気分の時に、現世と異なった他界を認識できるように思う。そして今は他界に住む人の恩寵をわが身に受けていると感ずることができるのである。(終わり)

(付記)伊藤さんは、この「山への回帰」をブログに載せるにあたって、「死」というものを取り上げているだけに、南窓会のブログにあまり合わないのではないかと心配されました。それを、私が強引に説得して、載せたものです。
最近は、お葬式や埋葬についても、いままでの形にとらわれないものがでてきました。海への散骨とか、樹木葬というのも増えてきました。「私はお墓の中に眠っていません」という「千の風になって」の詩は、多くの人の共感を得ています。仏教が日本に到来する以前の万葉集時代には、死者の霊魂は山中他界に移って、私達も見守っているという、この考えは現代にも通じるような気がして紹介しました。(皆川)

Posted by 皆川眞孝 at 15:17
山への回帰――万葉びとの求めた山中他界(四) [2011年02月05日(Sat)]
山への回帰――万葉びとの求めた山中他界(四)
伊藤 道子


(写真:伊藤道子  妙高山)

秋津野に 朝居る雲の 失せゆけば 昨日も今日も なき人思ほゆ)(巻七・一四〇六)

(秋津野に朝方から出ている雲がだんだんと消えてゆくので、昨日も今日も亡くなった人のことがあれこれと思い出される)

巻七の挽歌の中の歌。朝、同じところにじっと動かずにいる雲を見て、火葬の煙を連想し、亡き人を偲んでいる。

こもりくの 泊瀬の山に 霞立ち たなびく雲は 妹にかもあらむ(巻七・一四〇七)

(初瀬の山に霞がかかったようにたなびく雲は、あのいとしい妻であろうか)

(泊瀬の山 インターネットより)


これも雲を見て火葬の煙を連想している。ついでに言えば、当時の人びとは、山のみを霊魂の安住する場所として求めていたわけではない。高みにある雲や霞や霧もその対象になったのである。

それでは、山中他界という発想にどのような定義づけをしたらよいのだろうか、考えてみたい。わずかな万葉歌しか挙げられなかったが、それらを踏まえて考えると、古代人は死によって肉体は滅びても、肉体から遊離した魂は永遠に生き続けると考えていたようだ。そしてその霊魂は高い所に昇っていって、そこに留まって子孫を見守ってくれると思っていたのではないだろうか。山の頂でもいい、あるいは自分たちの住んでいるところの裏山でもいい、生きている人間と隔絶して別世界に行ってまうのではなく、姿は見えなくても心が通い合うところにいると考えていた。現実の山の中に霊魂が集まる他界があると信じていたようだ。海や空や地中ではなく、生きている人間にもっとも近いところに他界を想定したのである。

(写真:皆川  尖石遺跡―八ヶ岳)


世界のどの国よりも日本は山の多い国である。国土の八割までが山であってみれば、生活上、山とのかかわりは非常に大きい。そこは狩猟の場であり、食料採取の場であり、採鉱、採木の場であり、ふもとの平地で農業が営まれれば、その水源は山に依存した。人間の生活にとって山は全能であった。山に依存してこそ生活が成り立ったのである。従って古代の人びとは、山に対する畏怖と同時に大きな感謝の念を持っていたにちがいない。祖先の霊が山に籠もって、生きている自分たちを守ってくれると考えていた。里に近い山に祖先の葬地を作り、時節ごとの祭りを怠りなく行う。死者との心のつながりを確実に求めていた。(続く)
Posted by 皆川眞孝 at 18:32
山への回帰――万葉びとの求めた山中他界(二) [2011年02月01日(Tue)]
山への回帰――万葉びとの求めた山中他界(三)

伊藤 道子


写真:伊藤道子 妙高 5月


山への回帰(二)はこちらをクリックしてください。

これ(注:前回の柿本人麻呂の歌)と似た発想の歌に、巻七挽歌の中に左のような歌もある。作者は未詳。

秋山の 黄葉(もみち)あはれと うらぶれて 入りにし妹は 待てど来まさず(巻七・一四〇九)

(秋山のもみじに心惹かれて、しおしおと入って行った妻は、いくら待っても帰って来ない)

写真:皆川(蓼科11月)


妻の死を異郷への旅、と受けとめ、心中でその帰りを待ちわびる形で詠んでいる。異郷への旅は美しいもみじに心惹かれて、つまり魔性に魅せられたためと考えている。

山吹の 立ちよそひたる 山清水 汲みに行かめど 道の知らなく(巻二・一五八)

(黄色い山吹が咲き匂っている山の清水、汲みに行きたいがどう行っていいのかまったく道がわからないことだ)

八重山吹の花(インターネット)


高市皇子(たけちのみこ)の作。十市皇女(とをちのひめみこ)が亡くなったときに詠まれた挽歌である。二人は天武天皇所生の異母兄妹であり、この歌からも愛し合っていたことがわかる。高市皇子は万葉集に、十市皇女を思って詠んだこの歌を含む三首の歌を残すのみである。一方、十市皇女ほど時代に翻弄されて悲劇的な人生を送った人はいない。壬申の乱の折、夫側と父側が熾烈な戦いを繰りひろげた末に、夫である大友皇子は自刃した。勝利を収めたのは父天武天皇側で、その時天武側の総指揮をとったのが若き高市皇子であった。父と夫が戦うというような状況のなか、十市皇女にとっては決して心穏やかでいられるはずはない。壬申の乱に勝利した天武天皇は飛鳥浄(きよ)御原(みはら)宮に新都を造り、十市皇女もそこに引き取られたが、どんなにか複雑な思いであったろう。それから間もなく十市皇女は死ぬのだが、若い皇女の突然の死を自殺と見る向きも多い。

(十市皇女)

ともあれ愛する十市皇女を失った高市皇子の悲しみは深く、山吹の花が美しく咲いている山の清水のあたりにその面影を探そうととする。山中に死者のゆくえを求めているのだ。(続く
Posted by 皆川眞孝 at 08:29
山への回帰――万葉びとの求めた山中他界(二) [2011年01月24日(Mon)]
山への回帰――万葉びとの求めた山中他界(二)
伊藤 道子


伊藤道子さん撮影 (野反湖、11月)

(まず万葉びとは、死後の世界をどのようにとらえていたか、ということを手がかりに考えてみたいと思う。古代人は、肉体は滅びても肉体から遊離した魂は永遠に生き続けると考えていたようだ。そして死後の魂のゆくえを山中に求めていたふしがある。思いつくままに、いくつかの万葉歌を挙げて見ていきたいと思う。ー前回の続き)

山の際(ま)ゆ 出雲の子らは 霧なれや 吉野の山の 嶺(みね)にたなびく(巻三・四二九)

(出雲乙女は、まあ、あのはかない霧なのだろうか、霧でないのに吉野の山の嶺一帯に霧となってたなびいている)  

同じく人麻呂の歌。出雲出身の采女(うねめ)である「出雲娘子(いづもをとめ)」が持統天皇の吉野行幸に従った時、どこぞの川で溺れ死んで、吉野山に火葬されたのだろう。その煙を霧と重ねてみている。「山の際ゆ」は枕詞。

吉野山の霧(写真:インターネットより)

泊瀬の山や吉野の山は冨士山のような円錐形の秀麗な山ではないが、神霊の天下る神さびた山であり、死霊の籠もる葬地であった。山国の日本列島には各地に山や丘が点在しているので、死者はその山懐に抱かれて眠っていると人々は考えた。山は、肉体を離れた魂の安住する所だったのだ。

秋山の 黄葉(もみち)を茂み まどひぬる 妹(いも)を求めむ 山道(やまち)知らずも(巻二・二〇八)

(秋山いっぱいに色づいた草木が茂っているので、その中に迷い込んでしまった妻を、捜し求めようにもその山道さえわからない)

これも人麻呂の歌。「妻死にし後に、泣血哀慟(きゅうけつあいどう)して作る」と題詞にある通り、血の涙が出るほど泣き悲しんだ人麻呂は、妻を探し求めて山へ入る。秋の山は黄葉(もみじ)が繁茂しているので妻は道を見失ってしまったのだろう、と忍び妻の死に対する嘆きを、妻が黄葉の山へ迷い込んでしまったと歌っている。妻がこの世から姿を消したのは紅葉の美しさに引き寄せられて山へ入り、道に迷ってしまったためという。古代の人は、人は落花とか落葉の美しさの魔性に魅せられて現し身を消してしまうと考えたふしがある。それは妻の死を認めたくないという思いでもある。(続く)
Posted by 皆川眞孝 at 20:46
山への回帰――万葉びとの求めた山中他界 [2011年01月23日(Sun)]
山への回帰――万葉びとの求めた山中他界

南窓会会員の伊藤道子さん(三沢4丁目)は、同人誌「花筐」(はながたみ)を編集・発行しています。その雑誌第3号に発表した「額田王の歌の表記について」と第10号に発表した「碓氷峠今昔」を以前ブログに連載しました。

額田王の歌の表記(最終回) http://blog.canpan.info/nsk/archive/605
碓氷峠今昔(最終回) http://blog.canpan.info/nsk/archive/676


昨年12月に発行した第11号に「山への回帰――万葉びとの求めた山中他界」を発表されました。万葉時代の人の死生観について書いた格調の高い論文ですので、伊藤さんのご了解を得て、何回かにわけて、ブログに転載いたします。(皆川)

山への回帰――万葉びとの求めた山中他界(一)

伊藤 道子


 一年前『花筺』(はながたみ)十号に「碓氷峠今昔」という一文を書いた。発行後、拙文を読んでくださった年若い友人から早速メールが届いた。その一節に「実人生と研究と情景が美しい三重奏を奏でているうえに、ご本人はそれに酔いしれることなく書いていらっしゃる絶妙な距離感に感銘を受けました。生者と死者が出会う境界(峠や国境)には私も心を惹かれますが、たまさかの死者との再会は、この世に生き延びんとする縁とも読み取れて、清々しい読後感でした」という過大な褒め言葉をいただき、いたく恐縮するとともに感激したことを思い出す。私が考えようとしていたことの真意を代弁してくださっただけでなく、更にその先への方向づけを暗示していただいたのである。死後の魂のゆくえ、死者との再会、死者の復活ということを日本人はどう考えてきたのだろうか、また現代にどう受け継がれてきたのだろうかなどを考えるきっかけを与えられた。でもあまりに大きなテーマなので到底私の手に負えることではないが、自分なりのレベルで考えてみることにした。

 まず万葉びとは、死後の世界をどのようにとらえていたか、ということを手がかりに考えてみたいと思う。古代人は、肉体は滅びても肉体から遊離した魂は永遠に生き続けると考えていたようだ。そして死後の魂のゆくえを山中に求めていたふしがある。思いつくままに、いくつかの万葉歌を挙げて見ていきたいと思う。

こもりくの 泊瀬(はつせ)の山の 山の際(ま)に いさよふ雲は 妹(いも)にかもあらむ(巻三・四二八)

(泊瀬の山の山あいに、去りもやらず たゆとう白雲は、あれこそは我が妻おとめではないだろうか)

 この歌は柿本人麻呂の歌。「土方娘子(ひじかたのをとめ)」が泊瀬山で火葬に付されたとき、その火葬の煙と山にただよう雲とを重ねている。愛する人の魂がずっと消えずに山の間に残っていることを詠んでいる。(続く)
Posted by 皆川眞孝 at 11:33
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