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多摩丘陵にある日野市三井台、ここに住む高齢者のクラブ・三井台南窓会の会員が中心になって作っている団体ブログです。地元の季節毎の写真、南窓会の活動報告、会員の旅行記、俳句、地域の情報など、多様な記事が満載です。
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「赤い鳥」掲載の詩(10) [2009年04月22日(Wed)]
「赤い鳥」掲載の詩(10)


               
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兵隊(佳作)

川尻小学校高等科一年
                山下 あさ



兵隊のとまった晩よ

電気がつかないで

まっくらだった

兵隊のぬれた外套が

くぎにかかっている

兵隊はうれしさうな顔をして

何かを食べている

次の朝 靴の音を高くして

自動車にのっていった




(大正15年12月号、17巻第6号)

******

石塚美代さんが、お母さん(あさ・さん)に聞いた話では、この詩が書かれた頃、家の近くで軍隊の大演習があり、兵隊が村の各家に泊まったそうで、その時の様子だそうです。
停電も当時は、日常たびたびあったのでしょう。兵隊が自動車にのったことが書かれていますが、当時は自動車がまだ珍しかった時代だからと思われます。

なお、雑誌の表紙は、インターネット上で「赤い鳥表紙画ギャラリー」が見つかりましたので、そこから借りてきました。
詩のでている号の表紙をできるだけ載せるようにしました。以前の詩についても、それぞれの号の表紙に変更しましたので、さかのぼってご覧ください。カテゴリー「児童詩」

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詩とは関係ありませんが、春爛漫の今、藤の花がきれいなお宅が三井台にあります。御許可を得て、写真をとらせてもらいましたので、ご紹介します。(皆川)


Posted by 皆川眞孝 at 14:51
「赤い鳥」掲載の詩(9) [2009年04月16日(Thu)]
「赤い鳥」掲載の詩(9)


               

(17巻5号)

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ももの實(み)


川尻小学校高等科一年
                山下 あさ


畠の中のももの實

緑の葉がゆれる

ざるをもった人

畠の中をしづかに歩いている

ももの木で見えなくなった

ももの實が赤く光る




(大正15年11月号、17巻第5号)

******

この詩を小学生の時に書いた、山下あさ・さんは現在95歳で、お元気です。長女の石塚美代さん(南窓会会員)に、あささんが、まだ若いお母さん時のことを書いてもらいました。

昭和20年2月、神田で空襲に遭い(3月10日の東京大空襲の前にあったそうです。)
私たち家族は田無(現西東京市)に移り住みましたが、田無には中島飛行機の工場があったため、戦争が終るまで、ここでも何度か空襲があったそうです。

何もかも焼けてしまい、戦後食糧難の時、唯一疎開してあった母の着物は、大方食べ物に消えたようです。しつけのかかったままの物がたくさんあったと言っていました。

その後次女、次男が生まれ、からだの不自由な舅の世話などでしばらくは和裁どころではなかったようですが、25年頃から本格的に和裁の仕事を始めました。
世の中も少しずつ落ち着いてきたのでしょうか。着物を新調する人も出てきたようです。

その頃父は勤めていましたので、家にいる夜や休日には母と一緒に仕立ての仕事をしていました。時には夕方、呉服屋の番頭さんが反物を持ってきて、明日の朝までと言う注文に、子供たちは早々と夕食を済ませ、父と母は板盤に向かい仕事にかかります。
翌朝にはきちんとたたまれた着物や羽織があり、母はいつものように朝食支度をしています。子供心に母はいつ寝たのだろうか?と不思議に思ったものです。(続く)


(ももの花の写真:皆川)
Posted by 皆川眞孝 at 18:43
「赤い鳥」掲載の詩(8) [2009年04月02日(Thu)]
「赤い鳥」掲載の詩(8)


        
(17巻第4号)
       
*******


つばめの影(佳作)

川尻小学校高等科一年
                山下 あさ



青桐の葉に

つばめの影が

ななめにうつるよ

つばめの影

日の光をあびてる

ふんわりした羽

影まで

やはらかさうだ


(「赤い鳥」大正15年10月号、17巻第4号)


******

この詩の書かれた当時は、「つばめ」は各家の軒に巣を作っていて、飛び回っていて、とてもポピュラーな鳥だったようです。その燕も最近ではあまり見かけなくなりました。

山下あさ・さん(95歳)に、小学校当時の楽しかったことは何ですかとお聞きしました。意外にも「雨の日です」との答え。家が学校に近かったので、昼食は休み時間に家に戻ってきて食べたそうです。それが、雨の日になると、お母さんが「お弁当」を作ってくれるので、それを持っていって、みんなと一緒に食べられたから、それが楽しかったとのことです。今では考えられない、ささやかな楽しみです。(皆川)



石川昭一氏の鳥の写真
Posted by 皆川眞孝 at 08:17
「赤い鳥」掲載の詩(7) [2009年03月23日(Mon)]
「赤い鳥」掲載の詩(7)


(17巻第1号)

              
 川尻小学校尋常六年
                山下 あさ
*******

夕日


妹のかたに夕日が光る

かすかに遠い山の影がうごく

夕日をあびながら

湯入りにいった



(「赤い鳥」大正15年7月号、17巻第1号に掲載)
******
山下あささんは、小学校高等科卒業後、学校で裁縫を勉強し、それから本格的に和服仕立を修業して、東京神田で和裁のお店を開いていたご主人と結婚されました。

あささんの得意技は、「男仕立」です。「男仕立」はあぐらをかいて足の親指で布を引っ張り、それが「くけ台」の代わりになります。その流儀を学んだ女性の仕立師も男仕立というそうです。男仕立の和服は着用後も狂いが少なく、高級品です。


4人のお子さんに恵まれましたが、戦災にあい、田無(西東京市)に移られたのち、ご主人が40台の若さで亡くなり、和裁の女手ひとつで、お子様を立派に育てあげられました。
文学的センスがあるあささんですが、厳しい時代と環境のため、それを生かすチャンスはありませんでした。
仕立の仕事はずっと続けられ、伝統技術者として西東京市から表彰も受けられました。(文責:皆川)

(夕焼けの写真:故・石川昭一氏)


Posted by 皆川眞孝 at 08:47
赤い鳥」掲載の詩(6) [2009年03月18日(Wed)]
「赤い鳥」掲載の詩(6)


(16巻第6号) 
              
川尻小学校尋常六年
                山下 あさ



くつ

               

店やのくつが

雨にぬれている

光らぬくつだ

とっとと とほりすぎる

雨の日




(「赤い鳥」大正15年6月号、16巻第6号)

(補足)
あさ・さんの子供時代は、靴をはく人はまだ少なかったそうです。この「店やのくつ」は売り物の靴ではなくて、多分その店に泊まった兵隊さんの靴だったろうとのことです。商品でしたら、雨に濡れるままに放置するのはおかしいですから。
子供心にも、「靴が雨に濡れているわ、誰の靴かしら?」という気持ちがあったのでしょう。
(文責:皆川)

直接関係ありませんが、下記は石川昭一氏の写真です。
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Posted by 皆川眞孝 at 08:00
赤い鳥」掲載の詩(5) [2009年03月15日(Sun)]
赤い鳥」掲載の詩(5)


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梅の木 (推薦)


               
川尻小学校尋常六年
                山下 あさ


梅の木が青い

のみかけた

つめたい水を

梅の木に

しづかにかけた

月夜梅の木が青い


* * * * * * *
選評 北原白秋
  山下さんの「梅の木」は青みのある空がすがすがしい、いい詩だ。梅の木が三ところにも出てゐて、それが邪魔にはなってゐない。かへって落ちつきをつけている。

(大正15年6月号、16巻第6号)


+ + + + + + + +

作者の「山下あさ」さん(現在95歳)に、「赤い鳥」投稿のいきさつをお聞きしました。
当時通っていた小学校は、八王子の南にある津久井郡川尻小学校で、1学年1学級(56名)でした。6年生の時、担任の先生が作文や詩に熱心で、生徒たちに詩を書かせては、「赤い鳥」に送ってくれたそうです。その先生は、1年で変わりましたが、高等科の先生も引き続き熱心に指導してくれ、「赤い鳥」が廃刊になるまでの4年間に川尻小学校生徒の児童詩は、総数141篇が「赤い鳥」に掲載されました。そのうちの25篇が「山下あさ」さんの作品で、ダントツでした。

小学6年生の山下あささん

優秀な作品は、「推薦」とされ、北原白秋氏の「選評」がつきます。ご褒美として、「赤い鳥」の雑誌をいただけて、それが楽しみだったとのことです。
(文責:皆川)(花の写真:故・石川昭一氏)
Posted by 皆川眞孝 at 08:08
赤い鳥」掲載の詩(4) [2009年03月03日(Tue)]
赤い鳥」掲載の詩(4)


(16巻第5号)


茶の木 (佳作)


            
山下あさ   
川尻小学校 尋常6年

畠の茶の木

誰かが通る

歌をうたいながら通る

いつも思い出す

畠の茶の木



(「赤い鳥」大正15年5月号(16巻第5号)

先日,この詩の作者・山下あささんに、石塚さん(あさ様の娘さん)のお宅でお会いしました。95歳とは思えないお元気さで、昔の思い出を話してくれました。詩を掲載するときに、少しずつ紹介したいと思います。

今回の詩に関連した話としては、家の近くに茶畑はあったが、一番多かったのは桑畑だったそうです。お宅は農家ではなかったが、養蚕を副業にしていたので、子供の時は「まゆかき」のお手伝いをしました。蚕が「まゆ」になったのを、かき集める作業で、その「まゆ」を近くの製糸工場にもっていって売りました。

「当時の写真はありませんか?」と尋ねたら、尋常小学校の卒業写真を、大事に保管されていました。大正15年3月3日と裏面に書いてあります。丁度、83年前の貴重な写真です。

洋服姿の先生もいますが、ほとんどが和服です。


山下さんのアップ(中央)

(文責:皆川)
Posted by 皆川眞孝 at 05:36
「赤い鳥」の詩(3) [2009年02月23日(Mon)]
「赤い鳥」掲載の詩(3)


(16巻第2号)

**********

下記は、南窓会・石塚さんのお母様(山下あさ様)が小学校の時に書いた詩「馬」で、当時の有名な童話雑誌「赤い鳥」に掲載されたものです。車の普及していなかった大正時代には、馬は荷馬車などの大切な労働力で、道を通る馬をよく見かけたのでしょう。細かな観察で、暑い夏の雰囲気がよく描写されています。また、汗だくの馬に対する暖かい感情が伝わります。(皆川)




        
 山下あさ   
川尻小学校 尋常6年

馬がいせいよく通る


あつい光線が


毛にあたってる


影もあつさうだ


(「赤い鳥」大正15年2月号(16巻第2号)



上記の詩に直接関係ありませんが、故・石川昭一氏の夏の写真を紹介します。




なお、童話雑誌「赤い鳥」、山下あささん、石川昭一さん、については、「赤い鳥」掲載の詩(1)に紹介してありますので、こちらをクリックしてご参照ください。(皆川)
Posted by 皆川眞孝 at 09:00
「赤い鳥」の詩(2) [2009年02月13日(Fri)]
「赤い鳥」掲載の詩(2)
  

(15巻第6号)
   

     
オシロイバナ(ⓒIsao Suzuki)


すずしい風(推薦)

          
山下あさ   
川尻小学校 尋常6年

おしろいの花がさいたよ

しまがやをとって帯をむすぶまねをした

風がそーとふいた
   
 「赤い鳥」大正14年12月号(15巻第6号)



シマガヤ


選評 北原白秋
「すずしい風」は何の邪気もなく、
すずしい風に吹かれています。
しまがやをもって帯をむすぶ、
これだけでも涼しい。」


写真:故・石川昭一氏


昨日のブログで、荒川さんが、早春の花のきれいな写真を掲載しています。故・石川昭一氏も、フクジュソウの写真を残していますので、上記の詩には直接関係ありませんが、掲載します。

なお、童話雑誌「赤い鳥」、山下あささん、石川昭一さん、については、「赤い鳥」掲載の詩(1)に紹介してありますので、こちらをクリックしてご参照ください。(皆川)
Posted by 皆川眞孝 at 09:00
「赤い鳥」掲載の詩(1) [2009年02月07日(Sat)]
「赤い鳥」掲載の詩(1)


大正14年9月号表紙


(写真:石川昭一氏撮影)
木の実

          
 山下 あさ
            (川尻小学校尋常6年)

木の実がなってゐる

たべられるかとおもって

とってみた

目白もたべた

(「赤い鳥」15巻3号、大正14年9月)

(写真:石川昭一氏撮影)

   

上記の可愛らしい短い詩は、80年以上前の童話雑誌「赤い鳥」に掲載された、小学6年生の「山下あさ」さんの自由詩です。「赤い鳥」は、鈴木三重吉が大正7年(1918年)に創刊、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」「杜子春」、有島武郎の「一房の葡萄」などを掲載したことで有名ですが、次世代の育成のために、児童の自由詩や綴方を掲載していました。


実は、この「あさ」さんは、南窓会の石塚美代さんのお母様(現在95歳)で、今もお元気です。「あさ」さんが通っていた神奈川県津久井の川尻小学校の生徒の作品が沢山選ばれて、「赤い鳥」に掲載されました。「あさ」さんの自由詩も大正15年から昭和3年までの間に、25編掲載されました。それらを娘の石塚さんがまとめて詩集を作りました。[下記表紙)これを榎本かよ子さん(南窓会)が入手して、、これらの詩をブログで順次紹介しようということになりました。80年前の小学生の詩ですが、一服の清涼剤のようで、みずみずしい感性は現代にも通用します。一部に北原白秋の選評がついていますので、次回から合わせて紹介します。

石塚さんが作った詩集の表紙


また、上記写真の撮影者石川昭一さんは、南窓会会長石川耀子さんの亡くなったご主人です。石川昭一さんは、趣味が写真撮影で、沢山の写真を残しています。その中から、石川耀子さんの協力を得て、詩にあう写真を選んでみました。また、昭一さんの写真が朝日新聞の写真集に採用されていますので、これらも後日ご紹介したいと思います。

今日のブログは、このように大勢の人の協力でできあがっています。
(文責:皆川)
Posted by 皆川眞孝 at 08:48
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