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多摩丘陵にある日野市三井台、ここに住む高齢者のクラブ・三井台南窓会の会員が中心になって作っている団体ブログです。地元の季節毎の写真、南窓会の活動報告、会員の旅行記、俳句、地域の情報など、多様な記事が満載です。
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「赤い鳥」掲載の詩(30―最終回) [2009年11月15日(Sun)]
「赤い鳥」掲載の詩(30―最終回)


昭和3年3月号表紙

夕 日 (佳 作)

川尻小学校高等科二年  山下あさ



つもった枯葉の間

夕日が赤くさしてる。

馬のくひ残した麦、

一つぶ一つぶ黄色く動いてる。

秋の夕日、

花の向うに立ってる弟

半分あかるいよ。

花もあかるいよ。


(昭和3年3月号、第20巻第3号)


(おわりに)
今年の2月7日に第1回を掲載した山下あささんの「赤い鳥」掲載の詩(ここをクリック)は今回の第30回で終わりとなります。最初に書いたように、これらの詩は、あささんの長女である石塚さん(南窓会)がまとめた詩集を、故・榎本さんがご覧になり、ブログで紹介しようということになったものです。当初は25篇でしたが、その後5篇が見つかり、合計で30篇となりました。80年以上前に書かれた詩ですが、いまでもみずみずしく、新鮮で、素直で、自然の美しさを認識させ、私たちに感動を与えてくれます。
すばらしいことは、山下あささん(結婚して、久保田あささん)が、95歳でまだお元気だということです。詩が掲載されたブログをプリントしてもらい、読んで、喜んでいらっしゃるそうです。どうぞ、これからも長生きしてください。

なお、先回紹介した、三崎白秋会の野上会長は、神奈川新聞(平成6年6月21日)に「童謡の日」「赤い鳥」運動と神奈川の子どもたち」という文章を書いています。次のPDFをクリックすると読むことができます。個人別入選のトップに、山下あささんのお名前もでています。

終わりにあたり、この詩集をブログに載せるにあたり、多くのかたのご協力を得ました。ここに厚くお礼もうしあげます。
これからも、皆様の投稿をお待ちしています。
いままでの掲載された詩は、「児童詩(ここをクリック)」で、まとめて見られます。
残念なことは、この最終回を掲載する前に、榎本様がお亡くなりになったことです。きっと天国でご覧になっていらっしゃるでしょう。
(皆川)


Posted by 皆川眞孝 at 09:00
「赤い鳥」掲載の詩(29) [2009年11月03日(Tue)]
「赤い鳥」掲載の詩(29)


昭和3年1月号表紙


秋の朝  (推奨)
 
川尻小学校高等科二年  山下あさ


馬の息が白いよ。

馬の目に、

秋の景色が

うかんで動かない。

栗の実がはじけさうだ。

しづかな朝だ。

昭和3年1月号 (20巻第1号)


選評 北原白秋  
山下さんの「秋の朝」は馬の目に映って動かない秋の朝の風景画が、ことに新しく光ってゐる。それにこれから何か動かうとする息のつまるやうなものがある。栗の実がはじけさうだといふのがそれである。鋭い。 



(注:皆川)
山下あさ様の自由詩連載も、次回30回で終わりとなります。
雑誌「赤い鳥」を通じた、大正から昭和にかけての、児童詩創作運動について、神奈川県にある三崎白秋会の会長・野上飛雲氏が文章を書いていますので、「続きを読む」をクリックして、ご覧ください。(この件については石塚様(山下あさ様の長女)に教えてもらいました。)
続きを読む...
Posted by 皆川眞孝 at 09:10
「赤い鳥」掲載の詩(28) [2009年10月20日(Tue)]
「赤い鳥」掲載の詩(28)


大正15年8月号表紙

青空  (佳作)  

川尻小学校高一   山下あさ



青空の下通る。

しめった土が白く光る。

櫻の葉が音もなくおちた。

青空へとどいておちた。

静かな昼。


川尻小学校HPより
(大正15年8月号 第17巻第2号)
Posted by 皆川眞孝 at 19:49
「赤い鳥」掲載の詩(27) [2009年09月23日(Wed)]
「赤い鳥」掲載の詩(27)


大正15年4月号


晴れた日  (佳作)
 
川尻小学校尋六  
山下あさ



晴れた日、

日向にゐる人の顔へ

あかるい影がうつる。

せきれいが

川で羽ばたきをした。


セキレイ


(大正15年4月号 第16巻第4号)
Posted by 皆川眞孝 at 07:53
「赤い鳥」掲載の詩(26) [2009年09月11日(Fri)]
「赤い鳥」掲載の詩(26)


さびしい朝 (佳作)
 

 
川尻小学校尋六
 山下あさ


冷たい水が流れる、

菊の花を、

何の気もなく さはった。

馬のいきが白いよ。


大正15年3月号(第16巻第3号)

Posted by 皆川眞孝 at 21:13
「赤い鳥」掲載の詩(25) [2009年08月24日(Mon)]
「赤い鳥」掲載の詩(25)


川尻小学校の児童詩で「赤い鳥」に掲載された全詩が、あるホームページに出ておりました。山下あささまの詩でこのブログに発表しなかったものが見つかりましたので、順不動になりますが、掲載いたします。

くもり日(佳作)

 
川尻小学校尋六   
山下あさ


なしをたべてたら、

手の上に、

うすい日がさした。

のこぎりの音がした。



大正15年2月号(第16巻第2号)


このブログは皆川さんが編集したものを、ブログの入れ方練習のため石塚が使わせていただきました。
Posted by みよちゃん at 14:03
赤い鳥」掲載の詩(24) [2009年08月20日(Thu)]
赤い鳥」掲載の詩(24)


第20巻第3号

川尻小学校高等科二年
山下 あさ


*******

雀(推奨)



くもった空の下、

むら雀が波になってとんでゐる。

赤く色づいた櫻の葉、

遠くで光ってるよ。

雀のとんでる影、

秋の道へあかるくうつるよ。



昭和3年3月号、第20巻第3号)

選評 北原白秋

山下さんの「雀」の写生も明暗をよく見わけてある。
さうしておとなしく筆を運んである。

(参考)
  夕立ちや 草葉をつかむ むら雀   蕪村


Posted by 皆川眞孝 at 11:37
赤い鳥」掲載の詩(23) [2009年08月15日(Sat)]
赤い鳥」掲載の詩(23)


第20巻第2号

川尻小学校高等科二年
山下 あさ

*******

大風

 

まどガラスが

するどくゆれるよ。

大風が強くふきつける。

兎の毛が

雨にぬれて光ってる。

去年とまった兵隊のことを

思ひながら戸をしめた。


(昭和3年2月号、第20巻第2号)

Posted by 皆川眞孝 at 10:21
「赤い鳥」掲載の詩(22) [2009年08月07日(Fri)]
「赤い鳥」掲載の詩(22)


第20巻第1号表紙
             
川尻小学校高等科二年
山下 あさ

*******

やけ石 (佳作)



じりじりやけた石、

石の上を這う蟻の影、

強い光線で、

うすく見えるよ。

水泳に行った人の麦藁帽。


(昭和3年1月号、第20巻第1号)


石川昭一様の写真「朝顔」
Posted by 皆川眞孝 at 07:10
「赤い鳥」掲載の詩(21) [2009年08月02日(Sun)]
「赤い鳥」掲載の詩(21)


昭和2年11月号表紙
             
川尻小学校高等科二年
山下 あさ


*******

晝(ひる) (推奨)

青桐の花が、

水たまりの

上にちった、

何の音もしないで。

晝の日の

てりつける強さよ、

弟の寝息がする。


(昭和2年11月号、第19巻第5号)

選評 北原白秋
  山下さんの「晝」は静かな穏やかなものである。
弟の寝息がするので、晝の日の強さも生きる。


青桐の花
Posted by 皆川眞孝 at 17:53
「赤い鳥」掲載の詩(20) [2009年07月23日(Thu)]
「赤い鳥」掲載の詩(20)


 
第19巻第4号表紙
            
*******


月夜
 

川尻小学校高等科二年
山下 あさ


おぼろ月夜だ、かしの葉が、

月の光で白いよ。

電信柱の影が、

うすくろく地にういてる。

川のびんのかけら

こまかく光ってる。




(昭和2年10月号、第19巻第4号)


7月18日のブログ(荒川さんの「蕎麦を知る旅」)に
「朧月夜」の歌詞がでていますので、1番を再録します。


(おぼろ月、インターネットからの写真)


菜の花畠に  入り日薄れ

見渡す山の端  霞ふかし

春風そよふく  空をみれば

夕月かかりて におい淡し

(作詞:高野辰之)

Posted by 皆川眞孝 at 21:53
「赤い鳥」掲載の詩(19) [2009年07月20日(Mon)]
「赤い鳥」掲載の詩(19)


第19巻第4号表紙             
*******

晴れた朝 (推奨) 

川尻小学校高等科二年
山下 あさ


馬にのって通る人

うれしさうだ

そよ風でゆれる毛

朝日に光ってる

桐の木をはふ蟻

朝日が

まぶしさうだよ

 

 
昭和2年10月号(第19巻第4号)

選評  北原白秋
山下さんの「晴れた朝」では、
馬に乗って通る人といふ、
颯爽とした姿をみせてから、
桐の木をはふ、
かすかな蟻にまで目をとめたのが着実でいい。
Posted by 皆川眞孝 at 20:21
「赤い鳥」掲載の詩(18) [2009年07月16日(Thu)]
「赤い鳥」掲載の詩(18)


13巻4号 (19巻3号表紙の替わり)
             
*******

藤の花 


川尻小学校高等科二年
山下 あさ

春の日だまり

藤の花が やはらかさうに

のびている

藤の花をそっとゆすぶった後

太陽の光が

私の手の上に

やはらかに てった



(昭和2年9月号、19巻第3号)



参考 万葉集の「藤」の歌を一首

藤浪(ふぢなみ)の 花は盛りに なりにけり
平城(なら)の都を 思ほすや君

大伴四綱(おおとものよつな)

【補記】ここ大宰府では藤の花が盛りになりました。奈良の都を懐かしく思い出されますか、あなた様(大伴旅人)も


三井台Oさん宅の見事な藤.

Posted by 皆川眞孝 at 20:18
「赤い鳥」掲載の詩(17) [2009年07月12日(Sun)]
「赤い鳥」掲載の詩(17)



       
第19巻3号の表紙             
*******

ポプラ (推奨)

川尻小学校高等科一年
                山下 あさ



青空の高い朝

ポプラの葉が

青空へうつるやうだ

ポプラの葉が

うらがへって光る

ポプラの木の影が

こく はっきりうつるよ



(昭和2年9月号、19巻第3号)
********  
選評   北原白秋
山下さんの「ポプラ」は、ポプラの光と風とをよくみてゐる。

北大ポプラ並木
Posted by 皆川眞孝 at 08:03
「赤い鳥」掲載の詩(16) [2009年07月09日(Thu)]
「赤い鳥」掲載の詩(16)


19巻2号(前回と同じ)
              
*******

寝顔(佳作)


川尻小学校高等科一年
                山下 あさ




弟の寝顔

どことなくわらってる

病気でねてゐる顔

私はきふに さわりたくなった

氷まくらの水が ゆれてるよ

弟の息 つらさうだ

裏の雨だれの音がする


(昭和2年8月号、19巻第2号)


********
石塚美代さんにお母さん(あさ様)の弟さんのことを書いていただきました。(皆川)
詩の中に母の弟の事が時々出てきますが、11歳年齢の差がありますので詩に書かれた頃はまだ赤ちゃんだったようです。
年の離れた弟をとても可愛がっていたようですが、予科練から出征し20歳の頃、南方で戦死しました。
母が17歳の頃、弟が小学校へ入るために川尻村から横浜へ転居したと聞いていますので、末っ子の長男に両親は将来を期待していたのかもしれません。
長男の戦死でがっくりきたのでしょう。戦後間もなく父親が60歳を前に亡くなっています。(石塚)

Posted by 皆川眞孝 at 08:21
「赤い鳥」掲載の詩(15) [2009年06月26日(Fri)]
「赤い鳥」掲載の詩(15)



19巻2号
              
*******


卵 (推奨)


川尻小学校高等科一年
                山下 あさ



うみたての卵

あたたかさうだ

光るわらの中に

卵も光ってる

卵がしづかにころがったら

黄色いわらが

しづかに風でとんだ

鶏が卵のそばへよった


(昭和2年8月号、19巻第2号)
********

選評   北原 白秋
   山下さんの「卵」は柔らかな手あたりをもった いい詩である。
   しづかでかろく、それに温かみがある。

故石川昭一さんのアルバムにあった写真です。何の卵でしょうか?ご存じの方は教えてください。

Posted by 皆川眞孝 at 08:44
「赤い鳥」掲載の詩(14) [2009年06月06日(Sat)]
「赤い鳥」掲載の詩(14)


       
19巻第1号(昭和2年7月)
              
*******

葉のうら (佳作)

川尻小学校高等科一年
                山下 あさ



しづかに裏がへった


知らない葉のうら


冬の弱い日に


しづかに光る


木の枝をするように


雀がひくく飛んだ



(昭和2年7月号、19巻第1号)
* * * * * *

山下あさ・さんの「赤い鳥」に掲載された詩は全部で25篇です。2月7日に第一を掲載してから、前回までに13回ブログに掲載しました。今回から後半に入ります。身の周りの自然を素直に描写した「自由詩」ですが、私には、きらりと光った一瞬をきりとっている様は、俳句を連想させます。
なお、今までの詩は、次をクリックすると、まとめて読むことができます。
<児童詩>

(文責:皆川)

(
Posted by 皆川眞孝 at 09:43
「赤い鳥」掲載の詩(13) [2009年05月25日(Mon)]
「赤い鳥」掲載の詩(13)


18巻4号表紙
               
*******

霜ばしら(佳作)

川尻小学校高等科一年
                山下 あさ


<霜ばしら>

白い霜ばしら

日かげの道にのこってる

そっとげたでふんだ

ふんだら、うれしいやうな

音がした

遠くの道が霜どけで光ってる

空の遠さ


(昭和2年4月号、18巻第4号)

   <霜解け>
*******
山下あささん(現在95歳)の娘さん・石塚みよさんに、お母さんのことをかいていただきました。

<<和裁以外に母が好きな事>>

父がまだ健在だった頃、(昭和20年代後半)その頃は日本の映画が盛んに作られ田無(現西東京市)にも3軒の映画館がありました。
父は神田で生まれ育ったので映画とかお祭りとかが大好きでした。
その影響か母も映画は好きで、早目の夕飯を済ませて、夜、家族揃って良く映画を見に行きました。
私が覚えているのは、三益愛子の母物とか、警察日記などを見た記憶があります。

お正月はやはり家族揃って、明治神宮とか、靖国神社に初詣に行き、夏になると淺草へほうずき市や、朝顔市、秋にはお酉さまとその時代、田無あたりに住んでいたには珍しいくらい良く出かけていたように思います。

後年子供たちが独立して母が一人暮らしをしていた頃、一人で映画見に行く事もあったようです。

また、赤い鳥以降、自分で詩などを書くような事はなかったようですが、読む事は好きな様で、今でも毎日新聞に目を通し、我が家に来た時は週刊誌なども良く読んでいます。 (石塚)

次は、石川昭一さんの冬の写真です。

霜の結晶

雪の高幡不動尊(観音像)
Posted by 皆川眞孝 at 06:13
「赤い鳥」掲載の詩(12) [2009年05月13日(Wed)]
「赤い鳥」掲載の詩(12)


   
18巻第2号
            
*******

らふそく (推奨)

川尻小学校高等科一年
                山下 あさ



らふそくの火が

ななめにうごく

おもちゃの飛行機の影が

障子に大きくうつる

らふそくの火が

消えさうになった時

雨のふる音がした



(昭和2年2月号、18巻第2号)


<><><><><><><>


選評  北原白秋


「らふそく」は、おもちゃの飛行機の大きな影が、
蝋燭が揺れるため障子にうつるので、雨夜がまた寂しく感じられる。
雨の音まで聞こえてゐる。


<>・<>・<>・<>・<>・<>・<>


詩とは関係ありませんが、三井台では「つつじ」がきれいなお宅がたくさあります。その中でも、一番と思われるつつじを紹介します。(皆川)

Posted by 皆川眞孝 at 09:52
「赤い鳥」掲載の詩(11) [2009年05月01日(Fri)]
「赤い鳥」掲載の詩(11)


               
*******
夜(佳作)


川尻小学校高等科一年

                
山下 あさ




空気がかるさうな夜

藤の木にかけた

くつわ虫が月の光で

白く見える

妹の名をよんだ時

空の星がしづかにとんだ

かるさうな空気が

私の顔へつめたくあたる

(昭和2年1月号、18巻第1号)
****************
先日のブログ(4月16日)に続いて、石塚美代さんに、お母さん(山下あさ様、現在95歳)について、思いだすことをを書いていただきました。
*****************

昭和28年1月、舅(私の祖父)が老衰でなくなりました。81歳位だったと思います。
戦前、脳溢血で倒れてから体半分が不自由で歩く事が出来なかったので、
父も良く面倒を見ていました。
祖父の若い頃は腕の良い和裁仕立ての職人だったと父母から聞いています。
父はその後を継いだのですが、祖父亡きあとは家に近所の若い娘さんが和裁を習いに来ていました。

昭和20年代の終り頃はまだ結婚前の女性は和裁を習う人がいたようです。
父は神主さんの袴なども縫い、戦後物の無い頃、私は足袋など作ってもらった記憶があります。

昭和31年1月、出かけ先で倒れた父は帰らぬ人となりました。
突然の出来事で信じられぬまま、日にちが過ぎて行ったような気がします。
母はその時42歳、それまで子供たちの学校の事などすべて子煩悩な父がやっていましたので
全ての事を母一人でやらなければならなくなり、とても大変だったと思います。
和裁の仕事も、それまで裁断は殆ど父がやり、母は縫う事を中心にやってきたため
面倒な柄あわせなど当初は苦労したようです。
それまで家事の合間にやってきた和裁が、父の死をきっかけにいよいよ
本格的やらなければならなくなりました。

母は80歳過ぎまで、呉服屋の仕事をさせて頂き、その後も知人などに頼まれたりしてずっと
和裁を続けて来ました。今でも浴衣などをたまに縫っています。
10代のころから、80年近く、何千枚もの仕立てをしてきた事になります。
以前私が「毎日毎日仕事ばかりで飽きないの?」と聞いた事がありますが
「飽きた事は無い」と言っていました。母の人生は職人として生きて来たと言えるかも知れません。
Posted by 皆川眞孝 at 21:08
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