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多摩丘陵にある日野市三井台、ここに住む高齢者のクラブ・三井台南窓会の会員が中心になって作っている団体ブログです。地元の季節毎の写真、南窓会の活動報告、会員の旅行記、俳句、地域の情報など、多様な記事が満載です。
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静岡・愛知・岐阜・滋賀 四県城跡巡り (4) [2019年05月14日(Tue)]
静岡・愛知・岐阜・滋賀 四県城跡巡り (4)


鳥羽山城址-1


鳥羽山城と直線距離500〜600m隔てた北に二俣城があります。この二つの城は歴史的にペアで構成されてきた感じで二股は天守閣をもつ戦闘用、鳥羽山は接見・外交用で天守は無く石垣と土塁の山城です。2城とも二俣川と天竜川の合流点にあり交通の要衝でした。
現在は2城址とも天竜川の左岸に位置していますが、戦国時代に天竜川は2城の間を流れていました。(二股城の天守閣は残っていません)

元亀3年(1572)三方ヶ原の戦いで家康は武田に敗れ二俣城を奪われました。以後家康は鳥羽山城に本陣を置き武田と激しい攻防を繰り広げ天正3年(1575)に奪い返したのです。
鳥羽山城の創建はいつ、誰によってかはかなり古い時代だということ以外詳細不明です。
城址を案内してくれた地元ボランティアの方が鳥羽山城址のみの見学で、二股城址を見学しないのをとても残念がっていたのが印象的でした。



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続く



文責 荒川
Posted by wild river at 09:00
この記事のURL
http://blog.canpan.info/nsk/archive/4339
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コメント
皆川&明平さま
コメントを有難うございました。太平洋戦争(旧大東亜細戦争)と終戦(敗戦)は計り知れない影響を及ぼしました。今度の城跡巡りの旅行で昭和26年に訪れた名古屋城を再訪しましたが、終戦3か月前に焼夷弾で焼失した名古屋城天守閣も計り知れない傷痕ですね。
四県の戦国時代城跡を巡ると、素人目にも家康がいかに突出した武将だったかわかるような気がしました。若き家康の居城 浜松城もみました。
Posted by:荒川 健三  at 2019年05月14日(Tue) 20:08

誤字がいっぱいで申し訳ありません。自由に操作する能力がなくて恥ずかしい限りです。
Posted by:明平暢男  at 2019年05月14日(Tue) 18:22

荒川様はもとより、稲川様の文章も拝見いたしました。
ぼくはと維持日本の領土だった北朝鮮にいまいした。本当によく日本に帰ってこられたとみなさまのコメントを拝見した思いました。38度線を超えたときには両親はほっとしたことでしょう(何度も同じことを書いて申し訳ありません。ぼくには忘れられない怖かった思い出です。
Posted by:明平暢男  at 2019年05月14日(Tue) 18:11

荒川様
   浜松でのお城めぐりと聞いていたので、てっきり徳川家康ゆかりの浜松城訪問かと思っていたら、全然違っていました。
  いまやお城巡りは、天守閣には関係なく、歴史的に価値がある城跡などを尋ねるのですね。私は、鳥羽山城も二俣城も残念ながら行ったことがありません。両方とも城址ですね。
  昭和20年に浜松がアメリカ軍の艦砲射撃で全滅したときは、私はまだ6歳で、二俣の近所の赤佐という田舎に疎開していました。夜は浜松全市が燃える炎が良く見えました。
  終戦後は浜松に戻ったのですが、何も無い被災地からの出発ですから、両親は大変だったことでしょう。本当に生きる死ぬかの厳しい時代でした。
皆川眞孝
Posted by:皆川  at 2019年05月14日(Tue) 11:01

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