ギニアとお米(3) [2009年06月25日(Thu)]
ギニアとお米(3) (南窓会:皆川眞孝) 収穫を増やす方法があるのに、なぜ政府は農民をそのように指導しないのでしょうか? 笹川アフリカ協会の活動 アフリカ諸国の政府には農民を指導するために農業普及員がいます。ただ残念ながら、活動する予算が不足していて、普及員があまり役に立っていないのです。農民のところへ行く交通手段やその費用もなく、また何をどのように指導するかがわからないのです。 農民と普及員のギャップを埋めるために活動しているのが、かって私が働いていた「笹川アフリカ協会」という民間団体です。英語ではSasakawa Africa Association といい、 SAA と略します。 これはスイスに1986年に設立された民間の非営利法人(NPO)です。 SAAの設立には3人の偉大な人達がかかわっています。笹川陽平、ノーマン・ボーログ、ジミー・カーターの三氏です。 1980年代にアフリカで大飢饉がおこり、笹川陽平氏が理事長であった「日本財団」は食糧援助を行いましたが、食糧をおくるだけでは飢餓問題の根本的解決にはならないとわかりました。食糧をあげても、食べてしまえばそれで終わりですし、依存心を増長するだけです。「魚をあげるより、魚の釣り方を指導しよう」という精神です。 そこで、アフリカで食糧増産ができないかをボーログ博士に相談し、指導者になることをお願いしました。ボーログ博士は、「緑の革命」でノーベル平和賞を受けた国際的に有名な農学者です。その当時72歳の博士は、引退していて、はじめは固辞しましたが、熱心なお願いにとうとう承諾しました。 そして、元アメリカ大統領のジミー・カーター氏が「カーターセンター」を通じて、政治的な面で協力の申し出があり、ここに「笹川アフリカ協会」がスタートしました。 運営資金は、全額「日本財団」が出しています。「日本財団」は競艇の収益で運営されています。 最初は、西アフリカのガーナで試験的に事業を開始し、その成功をみて、事業国をサハラ砂漠以南の国々に拡大していきました。 最大時は、12カ国で事業を行っていましたが、食料自立が目的で、あまり長く1国にとどまるべきでないという方針から、順次、卒業して、現在は5カ国で事業を続けています。 ギニアについては、私が在籍中に事業を始めましたが、現在は「卒業」したそうです。 SAAの特色のひとつは、それぞれの政府と一体化して活動することです。SAAは各国にカントリー・ディレクターという責任者を置いていますが、その責任者は政府の普及員と一緒に活動します。すなわち農民を指導する農業普及員を助けます。普及員に自転車やオートバイを貸し与え、肥料や種子をパッケージで用意し、指導する内容を一緒に検討します。 もうひとつの特色は、農民に自分の畑で種子や肥料を使ってもらい、自分で実地に試す方法をとっています。試験農場に来てもらい、収穫があがることを見せて、説明しても、半信半疑です。農民が自分で実際に体験したことなら、信じることができます。 また農民には種子や肥料を無料で与えず、来年の収穫後に返済してもらいます。これにより農民がコスト意識にめざめ、自立できるようにするためです。自分でお金をだしたものは、大切に使い、また使い方も真剣です。なんでも、「ただ」はだめです。(続く) ギニアの農民の米の畑を訪問したとき、農家の人と。 左は肥料を使い、右は肥料なし (注)ボーログ博士について 1914年、アメリカのアイオワ州生まれ。育種家。メキシコのCIMMYT(国際トウモロコシ・小麦改良センター)で、収量の多い小麦の品種を開発し、飢餓で苦しむインド・パキスタンで普及させ「緑の革命」といわれる増産を成功させた。1970年ノーベル平和賞を受賞。アフリカでの増産のために笹川アフリカ協会会長として1986年から2008年まで尽力。現在ダラスで療養中。 3年前に東京を訪問したボーログ博士(92歳)と筆者 なお、ボーログ博士が昨年引退したニュースは次のYouTubeでご覧になれます。 YouTube(ボーログ博士勇退) |
Posted by
皆川眞孝
at 08:26