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多摩丘陵にある日野市三井台、ここに住む高齢者のクラブ・三井台南窓会の会員が中心になって作っている団体ブログです。地元の季節毎の写真、南窓会の活動報告、会員の旅行記、俳句、地域の情報など、多様な記事が満載です。
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「赤い鳥」掲載の詩(11) [2009年05月01日(Fri)]
「赤い鳥」掲載の詩(11)


               
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夜(佳作)


川尻小学校高等科一年

                
山下 あさ




空気がかるさうな夜

藤の木にかけた

くつわ虫が月の光で

白く見える

妹の名をよんだ時

空の星がしづかにとんだ

かるさうな空気が

私の顔へつめたくあたる

(昭和2年1月号、18巻第1号)
****************
先日のブログ(4月16日)に続いて、石塚美代さんに、お母さん(山下あさ様、現在95歳)について、思いだすことをを書いていただきました。
*****************

昭和28年1月、舅(私の祖父)が老衰でなくなりました。81歳位だったと思います。
戦前、脳溢血で倒れてから体半分が不自由で歩く事が出来なかったので、
父も良く面倒を見ていました。
祖父の若い頃は腕の良い和裁仕立ての職人だったと父母から聞いています。
父はその後を継いだのですが、祖父亡きあとは家に近所の若い娘さんが和裁を習いに来ていました。

昭和20年代の終り頃はまだ結婚前の女性は和裁を習う人がいたようです。
父は神主さんの袴なども縫い、戦後物の無い頃、私は足袋など作ってもらった記憶があります。

昭和31年1月、出かけ先で倒れた父は帰らぬ人となりました。
突然の出来事で信じられぬまま、日にちが過ぎて行ったような気がします。
母はその時42歳、それまで子供たちの学校の事などすべて子煩悩な父がやっていましたので
全ての事を母一人でやらなければならなくなり、とても大変だったと思います。
和裁の仕事も、それまで裁断は殆ど父がやり、母は縫う事を中心にやってきたため
面倒な柄あわせなど当初は苦労したようです。
それまで家事の合間にやってきた和裁が、父の死をきっかけにいよいよ
本格的やらなければならなくなりました。

母は80歳過ぎまで、呉服屋の仕事をさせて頂き、その後も知人などに頼まれたりしてずっと
和裁を続けて来ました。今でも浴衣などをたまに縫っています。
10代のころから、80年近く、何千枚もの仕立てをしてきた事になります。
以前私が「毎日毎日仕事ばかりで飽きないの?」と聞いた事がありますが
「飽きた事は無い」と言っていました。母の人生は職人として生きて来たと言えるかも知れません。
Posted by 皆川眞孝 at 21:08
この記事のURL
http://blog.canpan.info/nsk/archive/358
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コメント
皆川様
赤い鳥の掲載、ありがとうございます。今回の詩も「かるそうな空気」の表現に驚きました。あらためて感心しています。そして石塚様がお母様の歩かれた道を、お伝えいただけますことを心から感謝申し上げます。私の父母のことも思い出し心に沁みました。
宮ア
Posted by:宮ア和子  at 2009年05月03日(Sun) 15:41

皆川様
かわいい詩をいつもありがとうございます。
昭和30年代までは、家庭の主婦も夜なべに針仕事をする方は多かったと思いますが、和裁で生計をたてるのは大変なことです。職人としての腕も確かでいらっしゃったのですね。詩心もおありになり、素敵なお母様です。毎回のお話、昭和初期を懐かしく思い出して、読ませて頂いています。
榎本
Posted by:榎本かよ子  at 2009年05月03日(Sun) 12:50

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