映画「沈黙ーサイレンスー」 [2017年02月06日(Mon)]
映画「沈黙―サイレンスー」 遠藤周作の代表作「沈黙」は1966年に発表され、話題となりました。私も当時この小説を読んで感銘を受けました。江戸時代初期の切支丹弾圧の渦中、日本に渡ったポルトガル人の司祭を通じて、神と信仰の意義を考えるストーリーです。カトリックの遠藤周作が「沈黙を続ける神」に真剣に悩んだ末のひとつの結論がこの小説だと思いました。1971年に篠田正浩監督により映画化されましたが、この映画は見ていません。 そしてこの小説が書かれてから50年後の2016年、アメリカのマーティン・スコセッシ監督により映画化されました。スコセッシ監督は、イタリア移民の家に生まれ、映画「タクシードライバー」、「ディパーテッド」などの問題作で有名です。28年前に原作を読んだスコセッシ監督がずっと映画化を考え日本についても研究し、出来上がった作品だけに、真面目な重厚な映画に仕上がっています。 あらすじ 江戸時代初期、イエスズ会が日本に布教のために送り込んだフェレイラ教父が棄教したというニュースがローマ教会に届く。フェレイラを師と仰ぐ宣教師のロドリゴはその真偽を確かめるために、仲間の宣教師と共に密に日本・長崎の近くに上陸する。そこで会った村人は隠れキリシタンであった。しかし、役人の厳しい拷問で切支丹と分かった信徒は次々と処刑されていく。ロドリゴも捕らえられ、ロドリゴではなく信徒を拷問にかけ彼らを救うために棄教をせよと迫られる。神はなぜこんな状況でも沈黙を続けるのか、神は本当にいるのか?・・・ 外国人が作った映画なので、日本人のセリフも英語で日本語字幕付きです。初めは違和感がありましたが、ロドリゴの視点からみた日本ということですからすぐ慣れました。また、当時の日本の描き方も偏見がありません。 厳しくまた巧妙にロドリゴを取り調べる長崎奉行・井上筑後守をイッセー尾形が、軟と硬を取り混ぜ棄教を迫る通辞(通訳)の役人を浅野忠信が演じていますが、それぞれ英語の発音もよく、印象に残る上手な演技でした。 何度も棄教し、ロドリゴを密告するなど裏切りを繰り返すキチジローはこの映画の準主役ですが、窪塚洋介が人間の弱さと卑屈さを体当たりで演じています。 ロケーション撮影は主に台湾で行ったそうですが、きっと当時の長崎の寒村はこんなだったろうと寂れた雰囲気がよくでています。処刑場面など結構生々しく残酷なシーンもありますので、ご覧になる方は覚悟して見てください。また、映画は2時間45分と長く途中休憩がありませんのでご注意ください。 現在でも宗教の違いによる戦争やテロが続いています。神は沈黙を続けていますが、現在の状況をどうみているのでしょうか?他の宗教の人を殺したり、迫害されて殉教することが神を信ずることでしょうか?信仰とはなんだろうか、と考えさせられます。 監督がこの映画で伝えたかったのは、「強くなれる者もいれば、うまくいかない者もいる。弱き者にも生き場所があってもよいのではないか」ということでしょう。 原作をもう一度読み直したくなりました。 私はクリスチャンでないので、映画を客観的に鑑賞できました。江戸時代に幕府がキリスト教を禁止したのは歴史的に見て日本を植民地になることから救った正しい判断だったと私は信じていますが、キリスト教の人たちはどんな印象をうけるでしょうか? 予告編は次をご覧ください。 http://chinmoku.jp/ (皆川眞孝) |
Posted by
皆川眞孝
at 09:00
丁寧な解説ありがとうございました。
ぼくは宗教上での神はいないと思っています。
(カトリックの中学校に行っていたにもかかわらずです)
でも、すべての個人個人の後ろには宗教と関係のない
神様がいらっしゃると思っています。子供の頃からずっと
神様と独り言のように話していました。
ただ、そのことを本気で信じないと、自分一人で安易な
決断することになります。それは怖いことです。
苦しいこともありましたが、いままでは身分相応の人生でした。
これからはわかりませんね。