四国周遊 愛媛県松山城(1) [2016年06月19日(Sun)]
四国周遊 愛媛県松山城(1) 松山城 松山城は賤ヶ岳合戦七本槍の一人、西国大名の加藤嘉明が慶長7年(1602)に築城に着手しましたが、完成直前に会津藩に転封、次に蒲生忠知が城主となり二の丸を完成したものの継嗣がなくてお家断絶、この年嘉永12年(1635)親藩松平定行が城主となって以降明治維新に至る約230年間親藩松平藩主の居城として四国に君臨しました。 城は標高132m勝山の山頂に築かれていますが、1784年落雷で焼失し、嘉永7年(1854)再建されました。嘉永7年といえば代将ぺルリの率いる黒船来航の翌年のことです。 城の様式は安土桃山様式、日本最後の完全な戦闘用城郭建築で、すべて10m以上の高石垣連立式天守、現存する21棟の建物が重要文化財に指定されています。 城は文化財に指定された全国12城の中で唯一徳川親藩の城として紋章は丸に三つ葉葵を掲げています。 松山城は「日本100 名城」「日本さくら名所100選」「日本歴史公園100選」に入る城です。 城のある勝山は標高からいえば丘に過ぎないと思うのですが、現地で接すると山高く見え観光用のロープウエイとリフトが設置されている理由が納得できます。 熊本県の大地震で熊本城の石垣や建物が損傷し、過去何度も地震に遭う都度再建が繰り返されてきた歴史が詳しく報道されていますが、加藤清正が徳川の大軍相手に戦っても落ちない城として扇形高石垣を独創したと紹介された映像はまさしく松山城を彷彿とさせるものでした。 続く 文責 荒川 |
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wild river
at 09:00
私も道後温泉に泊まって、時間の都合で松山城へはいけませんでした。美しい天守や石垣を見せていただき、後悔しきりです。本当にお城は美しいですね。戦う砦であることを忘れ、巨大な美術品を見ている感じがします。