今月の俳句(平成28年3月) [2016年03月21日(Mon)]
今月の俳句(平成28年3月) 句会の兼題は「蝶」でした。蝶々を求めて、皆さん歩き回ったようですが、まだ早すぎたのか、見つけられなかったようです。そのためか、蝶以外の季語の佳句が多くありました。句評は藤戸さんです。 「蝶来る多摩川の土手すれすれに」 木原 義江 蝶(春の季語)はどこから来るのでしょうか。よく解っていないそうですが、以前関東か信州か(記憶が曖昧です)のどこかで蝶の翅に印をつけたところ沖縄でその蝶が発見されたとの記事を読んだことがあります。あの小さな身体で渡り鳥のように長距離を飛ぶとは驚きです。作者は多摩川の土手を低く飛ぶ蝶に出会って春の到来を実感されたのでしょう。その喜びと感動が「蝶来る」の上五に充分に表現されました。 「初蝶の不意に現れふと消ゆる」 宮ア 和子 初蝶とはその年の春に初めて見かける蝶のこと。鮮やかな色の翅と花に舞う姿は真に美しく儚げです。ひらひらと突然現れたと思ったら、ふと見えなくなってしまう。そんな蝶の生態を的確に捉えられました。 この句の魅力はそのリズムの良さで、ひらひらと舞う蝶の幽玄的な美しさが見えるようです。因みに昆虫のはねは翅、鳥のはねは羽根と区別して表記します。 「縁側に並ぶ足先しゃぼん玉」 小野 洋子 しゃぼん玉が春の季語。子供の遊びで、のどかな春らしい景物のひとつです。今では縁側のある家も見かけなくなりました。作者の思い出を詠まれた句です。昔は石鹸水を麦藁につけて吹き、大きさや飛ぶ高さを競ったものでした。私はしゃぼん玉の五色の彩色が不思議でした。この句は縁側に並んで腰掛け、しゃぼん玉を膨らまして遊んでいる子供達の景ですが、縁側から垂らした子供達の足に焦点が当てられました。ぶらぶら揺らしている子もいたかもしれません。単に足ではなく足先と捉えた点が光ります。郷愁をそそられる一句。 「淡雪の溶けて甍(いらか)のきらきらと」 皆川 瀧子 淡雪が春の季語。甍は瓦のこと。春になって降る雪は、冬の雪と違って溶けやすく、降るそばから消えることもあります。この句から私は、夜に降った淡雪が日の出とともに溶け去り、濡れた瓦屋根が朝日を受けてきらきらと輝いている景を思い浮かべました。瓦という黒く硬いものと、淡雪という白く柔らかいものとを対比した技は大したものです。 「啓蟄や秘蔵ワインのコルク抜く」 皆川 眞孝 啓蟄(けいちつ)とは冬の間、土の下で冬ごもりしていた虫・蛙・蛇などが春の気配を感じて「戸を啓(ひら)き、地上に出てくること」をいい、まさに蠢く(うごめく)という字そのものの気候をいいます。啓蟄と聞き、心浮き浮きとなって長年呑むのを我慢してきた秘蔵のワインを飲もう、と思い立った、とまことに作者らしい一句。 コルク抜くという下五に沢山の作者の気持ちが籠められています。この句は啓蟄とワインという一見関係のない物を取り合わせた句。解釈なしで読者の感覚で味わっていただきたいと思います。 「いぬふぐり色とりどりのランドセル」 渡辺 功 誰が名付けたのかは知りませんが、いぬふぐり(春の季語)は愛らしい草花です。私達が日頃目にする青紫色の小さな花は明治の始めころ渡来した外来種で、在来種は淡紅紫色です。が、こちらは最近あまり見かけなくなりました。 この句もいぬふぐりとランドセルの色との取り合わせの句です。読者の感性にどのように響くでしょうか。いわずもがな、ですが敢えて私の感慨を記します。以前は男の子は黒、女の子は赤とランドセルの色は決まっていたように思いますが、今ではさまざまな色が流行っています。小学生の下校時、賑やかに子等が帰途についています。その道端にはいぬふぐりが一面に咲いている。春になり子供達も一層元気そうで、いぬふぐりも小さいながら懸命に咲いている。小さな命の力強い生きる力を両方に感じました。勿論両方とも単純に可愛いいですね。 「水紋の揺らぎ広がり流し雛」 藤戸紘子 「流し雛」「雛流し」は3月の節句に飾った紙雛などを海や川に流す風習です(春の季語)。雛はもともと人形(ひとがた)として神送りするもので、穢れを人形に移して川にながすという淡島信仰が習合したものだそうです。鳥取市用瀬(もちがせ)町の雛流しが有名ですが、各地に広がりました。作者は実際に浅川で雛流しをしたそうです。この句の巧妙なところは、雛でなく水紋に焦点を当てた点です。広がる水の輪が、雛を映して揺れているという繊細な美しさに目を留めるというのは、驚異的な観察力です。写生句のお手本といえます。しかし、単なる写生だけではありません。揺らぐ水紋という言葉で、川波に揺られているうちに雛は濡れて壊れて川底に沈む運命にあることを暗示しています。作者のはかない美を愛おしむ気持ちまで感じさせる佳句です。(コメント:皆川眞孝) 今月の一句(選・評 宮ア和子) 「水郷の古き旅籠や柳の芽」 藤戸紘子 この句を目にしたとき、何かと忙しない昨今とは別世界のしっとりした趣に心を捕まれました。タイムスリップしたような懐かしさも感じます。水のほとり、浅緑の新芽を付けた柳がそよ風に揺れ、庇の深い家並み、掉さす小舟もいたりして・・一瞬、句の景が見えました。作者から佐原(千葉県)に行かれた折の句と伺い、とても納得。それは佐原に長く住む友人から、「佐原の町は江戸時代、水路を利用して物資を運搬し繁栄した町で、房総の小江戸と言われたそうです。その名残をとどめるよう街並みを保存している」と聞いたことがありました。このような味のある写生句を私も詠みたいものと思い選ばせていただきました。(コメント:宮ア和子) 句会に出た他の「蝶」の句を参考までに掲載します。 「初蝶やこぶしをひらく赤ん坊」 渡辺功 「手を伸ばし抓(つま)めさうなる紋白蝶」 皆川眞孝 「蝶になる青虫じっと見詰める子」 皆川瀧子 「蝶々や幼言葉の二つふえ」 小野洋子 「深呼吸するかに蝶の蜜を吸ふ」 藤戸紘子 |
Posted by
皆川眞孝
at 09:00
いつもながらの素晴らしいコメント、イラストありがとうございます。
拙句のいぬふぐり、ランドセルの温かいコメント、可愛いイラストを二人の孫に見せてやりたいと思いますが、ひとりは忙しい役人、ひとりは就活中の大学生で、全く音沙汰がありません。お互いに無事に過ごしていれば良しとするこの頃です。それにしても、なんでもない拙句に幅広く掘り下げたコメント、色とりどりの可愛い
ランドセルの小学生のイラスト、本当に頭が下がります。
改めて御礼申し上げます。
渡辺功