今月の俳句(27年7月) [2015年07月20日(Mon)]
今月の俳句(27年7月) 今月の兼題は「七夕(星祭)」です。「星祭」については、次の句につけた藤戸さんの解説をお読みください。ただ、この時期はまだ梅雨が続いたり、真夏の暑さになったりと、秋には程遠いので、夏の季語の俳句が句会では多く出ました。句評は藤戸さん、今月の一句は、皆川が担当しました。 「星祭金平糖の五つ六つ」 渡辺 功 この作者ならではの感覚の句ですね。感覚の句に評を付けるのはナンセンスだと承知のうえでお話しましょう。 星と金平糖の形が似ている、という解釈もよし、七夕と金平糖の淡い色合い・雰囲気があっているという解釈もよし。ただ金平糖がなぜ五つ六つかという質問にはお答えできません。本当にお供えのお下がりを少し頂戴したのかもしれません。 七夕(星祭)とは本来は「星の座」という祭壇を設け、海の幸・山の幸・五色の布や糸・秋の七草を彦星・織姫にお供えした行事でした。今と違い7月7日は旧暦ではもう秋です。疫病の多かった古代の人にとって秋を迎えるということは安堵と喜びであったことでしょう。ちなみに七夕は秋の季語です。 「短冊に雨粒こぼれ星祭」 皆川 眞孝 これは現代的な笹飾りの句ですね。以前は短冊は紙で出来ていたので雨に降られるとくたくたになり、字も滲んだものでした。現在の短冊はビニール製のものが多くなりました。雨に濡れてもしょぼくれることはなく、雨粒は短冊の表面を滑り落ちます。無残な姿を晒すことも無くなった笹飾りですが、それはそれで何とも風情がないと感じる私は天邪鬼かもしれません。 「風唸る九十九里浜男梅雨」 宮ア 和子 男梅雨とは荒梅雨のことで、反対の女梅雨はしとしとと音もなく降り続く梅雨のことです。梅雨だけでなく、男坂・女坂、男瀧・女瀧などという表現もあります。 九十九里浜はご存じのように弓なりの長い砂浜ですが、そこに吹き荒れる風雨、いかにも漁師町にふさわしい豪快な雨季の様子がくっきりと浮かびます。 男女に準えたこうした表現は、現代の逞しい女性像・植物系男性出現により消え去る運命にあるのでしょうか。 「凌霄(のうぜん)を高く吹き上げ風去りぬ」 皆川 瀧子 凌霄とは凌霄花のことで凌霄蔓とも言います。蔓状の茎は長く伸び、節々にある吸根によって樹木や壁を高く這い登ります。見上げるような高さから垂れ下がった黄橙色の漏斗状の花の美しさは格別です。この句では一陣の風が垂れ下がった凌霄花を空中高く吹き上げ、通り過ぎていった一瞬の景を詠まれました。風が去った後、再び何事もなかったように垂れ下がっている花々。動と静まで感じられます。季語=凌霄(夏) 「四万十川(しまんと)の手摺無き橋梅雨深む」 木原 義江 四万十川は高知県西部を流れる長さ196キロメートル、清流として有名な川です。作者が旅行された折この川で手摺のない橋に遭遇されたそうです。普段何気なく渡っている橋ですが、手摺がない状態を想像すると何だか心細く不安な感じになることでしょう。その微妙な感覚を梅雨深しの季語がよく表現していると思います。因みに手摺のない橋は、洪水時に流木などを堰き止めないよう、最悪でも橋自体が流されることを前提に架けられていると聞いたことがあります。昔からの賢い知恵なのですね。 「心太(ところてん)同じ話に又笑ひ」 小野 洋子 ところてんは心天とも書きます。天草を原料とした清涼食品で、庶民の夏の嗜好品のひとつです。ここはやはり女性同士のおしゃべりの場でしょうね。心太を食べながら、以前すでに話した面白い話を再び話題にし、また同じように笑いあった、という景ですが、何と伸びやかで屈託がなく、自由で単純明快な関係がよく表現されています。その関係性と心太のさっぱりした味、心地良い舌触り、するりとした咽越しの感覚がよく響き合っています。季語=心太(夏) 「クレヨンの匂ふ短冊星今宵」 藤戸 紘子 「星今宵」という季語を私は知りませんでしたが、「たなばた」のことだと藤戸さんに教えられました。琴座のベガ(織女)と鷲座のアルタイル(牽牛)の二つの星が、7月7日の今宵だけ会えるという伝説をもとにした季語でしょうが、「星今宵」にはどこかロマンチックな響きがあります。今夜恋する人に会えるという期待感があるからでしょうか?West Side StoryのTonightの歌を連想します。私にも子供の頃、短冊に願い事を書いて笹に吊り下げた思い出がありますが、「クレヨンの匂ふ」短冊からは、やはり小さな子供の手作りの短冊を想像します。無邪気に短冊を作っている子供と恋人たちの夜との対比が面白いと思いました。(皆川眞孝) 今月の一句(選と評:皆川眞孝) 「頬骨の高き益荒男(ますらお)ラムネ飲む」 渡辺 功 渡辺さんの俳句では、いつも取り合わせの妙に感心させられます。「ますらお」は強く勇ましい男子のことで、万葉集にもよく出ています。頬骨の高き益荒男というから、いかつい感じの男ですが、何を飲んでいるのか見ると、ビールでもなく、冷酒でもなく、ラムネです。暑い時は普通の光景でしょうが、やはり「益荒男」と「ラムネ」の組み合わせに、意外性を感じて頬笑んでしまいます。こういうのを俳諧味というのでしょうか?そういえば、子供の時に良く飲んだラムネですが、今はあまり見かけません。炭酸ガスを閉じ込めるために、瓶の中にガラス玉が入った独特の構造で懐かしく思い出します。ラムネは「レモネード」が訛った言葉といわれます(夏の季語)。この句は、現在の情景ではなく子供の時の思い出かも知れません。郷愁を感じさせる句です。(皆川眞孝) |
Posted by
皆川眞孝
at 09:00
いつもながらの丁寧なコメント、素晴らしい写真、イラスト、ほんとうに有り難うございます。
拙句につけていただいた頬骨高きイケメンがラムネを飲む写真、一体どこにあったのでしょうか。「三井台の奇跡」という感じです。びっくりしました。
藤戸様の文章力は、日頃、ただものではないと思っていました。私も小説が好きで、藤戸様と同じ長崎出身の佐多稲子のファンでした。稲子の「素足の娘」の素足は、夏の季語とは知らず、季重ねの失敗もありました。俳句は、本当にいつまでも勉強が必要です。これからもご指導お願いいたします。渡辺功