今月の俳句(27年2月) [2015年02月22日(Sun)]
今月の俳句(27年2月) 今月の兼題は「木枯」でした。ちょっと季節がずれたので、皆さん苦労されて句作されましたが、一句だけご紹介します。他の句は、晩冬や早春の句です。句評は藤戸さん、今月の一句は小野さんにお願いしました。 「木枯や最終バスの赤ランプ」 渡辺 功 この句を読まれた皆さんはどんな景を思い浮かべられたでしょうか。私は、最終便に乗り遅れた作者がぽつねんと去っていくバスの赤ランプを見送っていて、そこに冷たい木枯らしが吹きつけている景を思い浮かべました。本人は置き去りにされた悲哀を噛みしめていることでしょうが、第三者にはそこはかとないおかしみを感じさせる、この作者ならではの句だと思います。 「人気無き寺の裏道冬木の芽」 皆川 眞孝 寺の裏道とは高幡不動の裏山のことだそうです。良い季節には沢山の人が歩いている山道ですが、冬にはさすがに歩いている人は少ないのでしょう。作者はただ一人山道を辿っていて、周りは静寂に包まれています。聞こえるのは自身の枯葉を踏む音だけ。しかし、自然界は確実に動いています。葉を落とし、眠っているように見える木々に芽が僅かに萌え出ているのを作者は発見されたのでしょう。自然は休むことなく次世代の命を育んでいます。それを発見された時の作者の驚きと感動が伝わってきます。季語は「冬木の芽」(冬) 「豆腐屋のらっぱの音や日脚伸ぶ」 木原 義江 「日脚伸ぶ」は冬の季語ですが、冬も終わりに近くなり、昼間(明るい時間帯)が徐々に長くなることをいい、もうすぐ春だという期待と喜びを含んでいます。夕刻、豆腐屋の引き売りの喇叭が聞こえてきたというそれだけのことですが、「トォ―フィ−」と聞こえるあの伸びやかで、どこか間の抜けた喇叭の音と日脚伸ぶ、の季語がよく響きあっています。 「日脚伸ぶピアノの上のうす埃」 小野 洋子 この句も前句と同じ季語の句。冬の暗い季節はあまり目立たなかった室内の埃。明るい時間帯が長くなると、室内の埃がやたら目につくようになります。まして黒塗りのピアノなら、それはなお一層目立つことでしょう。暖かくなったらあれもしよう、これもしようと春を待つ作者の心の躍動が伝わってくる句となりました。 「朝ぼらけ残雪映える甍かな」 皆川 瀧子 甍(いらか)とは瓦葺きのこと。朝ぼらけは朝がほんのりと明けてくる頃のことで、天気の良い日は東の空が茜色に染まり、真に美しいですね。瓦の残雪(春の季語)が朝日にきらきら輝いている景が浮かびます。朝日、茜の空、瓦の黒、そして雪の白、絵画のような美しい一句です。 「村落の緋寒桜や光る海」 宮ア 和子 緋寒桜とは、沖縄・台湾・中国南部に自生し、2月頃濃紅色・鐘型の花を下垂する桜の一種。作者が沖縄旅行の際に目にされ、句に詠まれました。別名緋桜、その濃い紅色はまさに南国らしいですね。花の向こうには日に光る南国の碧い海が広がり、気持ちよい風土と穏やかな村のただずまいまで感じられる句となりました。 「白毫のかすかな光梅開く」 藤戸紘子 白毫(びゃくごう)というのは、仏の眉間にある白い毛のことですが、仏像では水晶などをはめ込んでこれを表すことが多いそうです。作者が奈良の唐招提寺を訪れ盧舎那仏を拝観した時の俳句だそうです。暗くて薄ら寒い伽藍の中に仏像が鎮座し、その額の白毫がぴかりと光ったように感じ、外では丁度梅が咲き始めているという景を読んでいます。「かすかな光」は梅に反映し、静かな春の訪れを巧みに表現していると思います。私は「白毫」という言葉をこの句で教えられました。(皆川) 今月の一句(選と評:小野洋子) 「浅春の光を纏ひ婚の列」 藤戸紘子 今月の一句は、作者の藤戸さんが明治神宮でご覧になった景をそのまま句にされたとのことです。今は珍しい白無垢綿帽子の花嫁行列が荘厳な神社の砂利道をしずしずと進んでいきます。結婚という華やかな神事と浅春という季語がうまく響き合って、立春過ぎの肌寒さの中をきらめく日差しが若い二人を祝福しているかのようで、清々しい気品に溢れた佳句になりました。(小野洋子) |
Posted by
皆川眞孝
at 09:00
拙句に素敵なコメント、写真ありがとうございました。
なんでもない最終バスを詠んだ俳句なのに、なにか映画のラストシーンのようなムードを醸し出すコメント、写真でした。私にとって思い出に残る一句となりました。
蛇足ですが、私の利用している落川経由聖蹟桜ヶ丘方面高幡不動発の最終バスは、午後6時45分です。こんな早い時間の最終バスでも赤ランプです。夏の明るい時間の赤ランプは、艶消しですね。
渡辺功