八王子 絹の道資料館 [2013年04月24日(Wed)]
八王子・絹の道資料館 八王子バイバス御殿峠の近く鑓水に八王子市の”絹の道資料館”があります。 絹の道資料館 絹ヶ丘の地名があるように、この辺りかつては養蚕が盛んだったようです。私の孫が10年ほど前に夢が丘小学校に通っていた時、社会科の課題でカイコを育てました。中程久保バス停の近くに大きな桑の木があり、その葉を摘んで飼にしました。この七生村でも養蚕がおこなわれていた名残の桑の木だったのでしょう。 幕末から明治17年頃にかけて、絹は主要な輸出品となったので、八王子は群馬、山梨、長野などの絹の集散地となり、原町田を通って横浜・本牧に至る絹の道ができました。 この道が国道16号の源だそうです。 資料館の前を北に少し行くと、舗装道路を離れて史跡として絹の道が残されており、日本古道百選にも選ばれていた道ですが、残念ながら宅地開発で荒れてしまいました。 絹の道の一部 絹の道の碑 この道の途中の鑓水に多くの絹商人の屋敷が建ち、外人を泊める異人館もあったそうです。絹商人の屋敷跡に建てられた資料館には当時の資料が展示されています。絹商人の屋敷の欄間 絹の道には、非常に興味深い歴史が秘められており、辺見じゅんさんのノンフィクション『呪われたシルクロード』(角川書店)があります。横浜での絹の取引は幕府、明治政府の許可のない密貿易で危険も大きい半面利益も大きかったそうです。絹の道の終着点横浜・本牧にある有名な三渓園は、鑓水の絹商人と組んで財産を築いた原三渓の女婿が贅をこらして作り上げた庭園です。東京ドームの4倍の面積の庭園、原三渓の蓄財の大きさが推測されます。訪れた方は多いと思いますが花しょうぶの咲くころ、三渓園を紹介したいと思います。 |
Posted by
菊間敏夫
at 08:00
野麦峠、懐かしい地名ですね。野菊の季節に飛騨高山の帰りに車で立ち寄り、そのあたりを歩いたことがありました。岡谷の片倉館の浴場にも入りました。昔の思い出話になりました。ありがとうございました。