今月の俳句(令和6年3月) [2024年03月18日(Mon)]
今月の俳句 令和六年三月
兼題は「水温む」でした。どうしても池や沼の景となり、似たような発想の句が多くなり、難しい季語でした。
「浅瀬ゆく鷺のさし足水温む」 宮ア 和子
さし足(差し足)とは音を立てないようにつま先立てて歩くことで、抜き足差し足は泥棒の歩き方と表現されます。また、子供の頃「達磨さんが転んだ」の遊びで使った歩き方だと思い出しました。水温むが春の季語で、寒さが去って河川や湖沼の水が温かくなるさまをいいます。水草が芽を出し、底に潜んでいた鮒などの魚が動き出します。生物の躍動する様子が季語の背景にあります。春暖の水辺の風光とともに詠まれる一方で、温かく濡れているという感覚に重心を置いて春の季節感を託した句も多く目にします。この句は浅瀬の措辞が効いています。日が差して浅瀬の水は温かく、さし足でゆったり歩く鷺の美しい姿が鮮明に浮かびます。
「花好きな翁の庭の黄水仙」 出浦 洋子
翁(おきな)とは男性の老人のこと。黄水仙が春の季語です。花の形や咲く時期が水仙と似ていますが、水仙は冬の季語です。黄水仙は日本へ幕末頃渡来しました。早春に芽を出し細長い深緑の葉を伸ばします。この男性はご自宅の庭で季節毎に花を育てて楽しんでおられるとのこと。花好きは性別に関係ないとは思いますが、筆者の主観では水仙・黄水仙は何だかしゃっきとした婦人を想像していましたからこの句に翁が出てきたことにちょっと意外性を感じました。花好きの男性はきっと心優しい方だろうなと勝手に想像しています。
「枝垂梅白ふふめけり句碑の前」 小野 洋子
ふふむ、とは花や葉がまだ開かない状態でふくらんでいて、今にも開花する状態をいいます。枝垂の白梅の開花が近い景を詠まれました。梅は中国原産で8世紀頃に日本に渡来しました。白梅には清楚な気品があります。梅は桜とともに古くから日本人に愛されてきました。梅が桜に勝るのは香り。梅の香りは句によく詠まれます。この句碑はきっと白梅を詠んだ句が刻まれていることでしょう。
「素踊の齢の気品春の宵」 鴨狩 とき世
素踊とは衣装・鬘(かつら)をつけず、男子は袴、女子は着流しの紋服で踊ること。つまり、踊りだけを披露するもので優れた技量を身につけた達人だけができることです。この句でも永年修練を積んだ相応の年齢の方の踊りの披露だったのでしょう。春の宵の措辞により日が沈み、闇があたりを覆い始める頃、見事な踊りをご覧になったのでしょう。齢の気品の措辞により、踊り手のこれまでの生き方や考え方を様々に想像しました。たった十七音で多くのメッセージを含んだ優れた一句。気品ある歳の取り方をしたいものです。
「にはたづみ薄氷(うすらひ)砕け散る光」 皆川 眞孝
にはたづみ(潦)とは水溜りのこと。日本語は誠に雅な言語だと思います。水溜りに薄く張った氷が砕けている景。自然に割れたのか、誰かが踏んで砕けたのかはこの句からは解りませんが、砕けた薄氷(うすらひ)に日が差して光が乱反射している美しい景が浮かびます。作者の観察眼の繊細さが窺える一句です。
「夕暮れの風やはらかに竹の秋」 藤戸 紘子
春の俳句に秋の季語?と思われた方もいらっしゃるかもしれません。竹は春先になると養分を地下のタケノコに送るために葉が黄色になります。他の植物の秋の様子に似ているので「竹の秋」と言いますが、春の季語です。この句は竹林の夕暮れで、風が竹の葉を揺すっている景ですが「やはらか」の措辞で 春の静かで落ち着いた雰囲気となり、竹林が一層美しくなりました。(句評:皆川眞孝)
水温むの句 水温む池の底より湧く気泡 出浦 洋子 手水舎の水きらきらと温みたり 出浦 洋子 水温む泥煙り立つ池の底 鴨狩 とき世 水温む鯉は水面に顔を出し 小野 洋子 ボランティアの依頼の電話水温む 皆川 眞孝 水温み砂場の子らの数増しぬ 宮ア 和子 岩陰の身じろぐ影や水温む 藤戸 紘子 今月の一句 (選と評:小野洋子)
「啓蟄や野路に連なる土竜塚」 藤戸 紘子
啓蟄(けいちつ)は太陽暦では三月五日か六日頃にあたり秋の末に土中に入り冬眠していた蛇、蜥蜴、蛙、昆虫類などが春の陽気を感じて地上に出て来る事を言います。 土竜(もぐら)塚は土竜が地中を堀ながら餌を捜している時、土を押し上げた物のようで、畑や野原で見かける事があります。土竜は毎日体重の半分ほどの餌が必要で啓蟄の頃には土竜の動きも活発になります。 季語の啓蟄と土竜塚の取り合わせが滑稽な俳味を表していて早春の躍動感が伝わる豊かな作品になったと思います。(句評:小野洋子)
《添削教室》 藤戸 紘子 原句 梅が香や白さ際立つ日暮れどき 鴨狩 とき世
香り立つ梅の花、その白さが日暮れ時には一層際立ってみえるという景を詠っています。美しい景ですが、「梅が香や」とまず梅の香りを上五に持ってきて、次に「白さ際立つ」と中七にもってくると、白は花だろうとわかりますがどうしても唐突な感じを受けます。梅の香と花と二つを詠いたい気持ちを押さえて、ここは素直に上五を「梅の花」とした方がわかりやすいでしょう。 添削句 梅の花白さ際立つ日暮れどき 鴨狩 とき世
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皆川眞孝
at 18:28
今月の俳句(令和6年2月) [2024年02月18日(Sun)]
今月の俳句(令和六年二月) 兼題は「凍返る」「冴返る」でぶり返した寒さを表していますが、春の季語です。
「あなた誰と母の一言凍返る」 小野 洋子
この句の母とは義母とのこと。身近な人が判らなくなるとは認知症も大分進んだ症状でしょう。ご本人も寂しいでしょうが、言われた方もさぞ驚かれたことでしょう。「凍返る」とは春の季語で、立春を過ぎそろそろ暖かくなりかけたと思った頃に冬型の気圧配置になったり寒波が入り込んだりして急に寒さがぶり返すことをいいますが、春めいてきた後だけに寒さが一層厳しく感じられ身も心も引き締まる思いがします。この季語の斡旋により、義母からの一言に認知症の程度を重大な宣告を受けたように感じられたのかもしれません。超高齢化社会の我が国ではこんな風景は珍しいことではないのかもしれません。
「紅梅の彼方聳ゆる松山城」 出浦 洋子
この句の松山城は寛永12年(1635)7月、伊勢国(三重県)桑名城主・松平定行が松山藩主15万石に封じられて以来、14代世襲して明治維新に至りました。なお定行は寛永19年(1642)に本壇を改築し、三重の連立式天守を築造しました。作者が松山城を訪れた時は梅の季節で、近景に紅梅が咲き満ち、その紅梅の遥か彼方に三連式の真っ白の立派な天守閣が聳えて見えたのでしょう。近景と遠景、赤と白の対比と美しい景が浮かびます。
「凍返る夜はことことシチューかな」 宮ア 和子
何でもない日常のひとこま。凍返る夜はシチューが一層美味しく感じられることでしょう。作者の家族に対する優しい心遣いが伝わってきます。作者はご長男一家と同居されていて、お孫さん達は食べ盛り。大鍋の中でたっぷりの野菜が踊っています。寒い外から次々帰宅の家族が揃うと、さあ夕食の始まりです。冷えた身体に熱々のシチューが沁み込みます。ご家族の笑顔が見えるようです。日常の何でもない景ですが、難しい語彙もなくさらりと詠まれたこの句は肩の力が抜けた境地を伺わせ、いよいよ作者の熟成を感じます。
「家康の拓きし土地や布団干す」 皆川 眞孝
一読して東京のことだと理解しました。江戸城(現在の皇居)の前身は1457年に麹町台地の東端に扇谷上杉家の家臣太田道灌が築いた平山城です。1590 年に徳川家康が江戸城に入城した後は徳川家の居城となり、江戸幕府が開幕すると大規模な拡張工事が、特に慶長期及び10年の間に集中的に行われ、またその後も二度ほど拡張工事が行われました。本丸部分はもともと独立した台地であり、周辺に千鳥ヶ淵などの沼沢地や湿地、海などもある城を築くには適地だそうです。秀吉は家康の力や人望を警戒し、京都・大阪から遠い、当時は辺境の地であった東国へ転封させましたが、家康は大工事に大工事を重ね、今の東京の基礎を造り上げました。この句の可笑しみは、そんな大歴史ある東京に住む庶民が天気の良い日に布団干す(冬の季語)という家事をしている景の対照だからでしょうか。こんな句を詠める作者の俳諧味のセンスの良さに脱帽です。
「料峭の鷺片足の佇まひ」 鴨狩 とき世
料峭(りょうしょう)が春の季語で、早春の頃の寒さです。早春のある日、川中の一本足でたたずんでいる鷺をみて詠まれた一句。何故一本足で立っているのか。寒い季節には体温を逃がさないためだと聞いたことがありますが、一本足で眠っている時もあり、他の季節でも一本足でたたずんでいることもあり、この説は正解ではないかもしれません。真っ白の鷺(季語ではありません)が真っ黒の細い一本足でじっと立っている姿が、季語の斡旋により、より美しく神々しささえ感じます。 「冬帽の鳶職剥がす古屋の屋根」 藤戸 紘子
我々の家の近所で、建て替えのために古い家を壊す場面が多く見かけます。この俳句はとび職が屋根を剥がしている景ですが、普通ならヘルメットを被っているところを、寒いからでしょうか冬帽子をすっぽりかぶっているところに着目しています。古い家の剥がされていく屋根、それに対するとび職の冬帽子という組み合わせが、家を壊すという寂しい場面に、ユーモアを与えていて、作者の観察眼に脱帽です。(句評:皆川眞孝)
凍返るのほかの句 「凍返る浅瀬の鯉の身じろがず」 宮ア 和子 「最終の電車の響き冴返る」 皆川 眞孝 「凍返る母の位牌を抱きし夕」 出浦 洋子 「エアコンの吐息めく音凍返る」 藤戸 紘子
今月の一句(選と評:宮ア和子) 「地鎮祭の祝詞伸びやか春隣」 藤戸 紘子
地鎮祭とはどなたもご存知の通り、日本の歴史と伝統に深く根差しています。新しい生活の安全と成功を神様に祈る行事です。 この句を一読し景が明るく見えてきました。そして「掛けまくも畏き・・・かしこみかしこみまほす」の神主さんの声が聞こえます。伸びやかの措辞が生きて季語の春隣と響き合い希望を感じました。素直な即物具象表現の句と思い選ばせていただきました。(句評:宮ア和子)
《添削教室》(藤戸紘子) 「オカリナの奏者も客も春ごころ」 出浦 洋子 オカリナのあの独特の響きはいいですね。聴いているお客さんの心が奏者と一体になってなごやかで春らしくなったという景をあらわしていてほのぼのとした良い句ですが、奏者も客もの「も」が気になります。「も」は、ほかに大事なことがあるがついでに、という感じがあり、どうしても主体が弱くなり短い語句で表現する俳句ではあまり使われません。どう添削するか難しいのですが、「と」にした方が、奏者と客の一体感と、それぞれが大切な感じが出ていると思います。 添削 「オカリナの奏者と客と春ごころ」 出浦 洋子
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皆川眞孝
at 18:21
今月の俳句(令和6年1月) [2024年01月21日(Sun)]
明けましておめでとうございます。今年も俳句ブログをよろしくお願いします。 兼題は「新年の季語一般」です。 新年早々の能登半島地震は日本人すべてにショックを与えました。 今月の俳句でも、いくつかが取り上げています。
「初富士を仰ぐ夕日の羽田沖」 小野 洋子
作者が機上より見た景。その日は羽田空港が混み合ってなかなか着陸許可が下りず羽田沖の空を何回も旋回したそうです。そのお陰で眼下には夕日を返して輝く海面、見上げれば夕日に染まる赤富士を同時に何回も見ることが出来たそうです。旋回を繰り返す機上は結構いらいらするものですが、俳句をやっているお陰で良い俳句が出来る機会となりました。近景の羽田沖と遠景の赤富士の対照は美しく大きな景だと思います。
「赤き手毬賜り吾子は「謝謝」と」 出浦 洋子
作者はご夫君の仕事の関係で新婚時代を台湾で過ごされました。ご長女の出産も台湾でされたそうです。そのご長女が2歳になった頃、作者のご両親が旅行を兼ねて台湾に会いに来られた時の句。ご長女とは初対面だったそうです。お土産に赤い手毬をご持参でした。それを受け取った2歳のご長女が「謝謝(しぇーしぇー)」と言ったそうです。お祖父さまもお祖母さまも驚かれ、大人達は大笑いされたことでしょう。ご長女だけがきょとんとしている景が浮かびます。言葉を覚え始めたご長女はまず台湾語(中国語)を覚えたのでしょうか。暖かい家族の団欒の様子を適格に表現されました。(手毬=新年の季語)
「七福茶まずは賜る帝釈天」 大貫 美智子
福茶とは昆布、梅干し,山椒、黒豆などを入れたお茶で、大晦日、正月、節分などに飲まれます。(新年の季語) この句の福茶は七福茶ですから七福神に因んだお茶なのでしょう。七福神とは大黒天・蛭子(えびす)、毘沙門天、弁財天、福禄寿、寿老人、布袋の七柛のことで、この神々を祀る寺社を巡ることを七福神巡りといいます。従って地域によりコースは違いますが、開運と健康で豊かに人生を充実して暮らせるようにと素朴な願いを祈ります。この句の七福神巡りの起点は寅さんで有名は柴又帝釈天。そこでまず福茶をいただき、その馥郁とした香りと味に新年の喜びと期待を感じられたのでしょう。帝釈天=毘沙門天と解釈する資料が散見されますが、帝釈天と毘沙門天はその起源を異にする別々の尊格であり、柴又七福柛の毘沙門天は帝釈天の脇に安置されている多聞天(別名毘沙門天)と解されます。 小難しいことはさておき、作者の七福神詣の起点は帝釈天だったのでしょう。お目出度い新年の初めの行事です。ここにも日本の土俗信仰、太陽信仰、八百万の神信仰、渡来の仏教との混合で日本特有の多神教の寛大さと鷹揚さを感じます。日本人の宗教観に救いすら感じます。
「冬青空恐竜に似る雲一つ」 宮ア 和子
恐竜とは爬虫類に属する陸生の化石脊椎動物で白亜紀末まで生息しました。ニワトリ大から体長35メートルを越す巨大なものまであり、肉食・植物食など多種多様です。ティラノサウルス・イグアノドン・スーパーサウルスなどが有名です。 この句の恐竜はどんな形だったのでしょうか。澄みきった冬の青空に浮かぶ一塊の真っ白の雲が恐竜の形に見えたそうです。しばしその雲に魅入られ童心に還った気持ちになられたそうです。きっと幸せなひと時であったろうと思います。
「夜へ継ぐ板金の音息白し」 鴨狩 とき世
板金とは金属を板のように薄く打ち延ばしたものをいいます。この句の板金の音とは金属を薄く板状に打ち延ばす音のことで、金属を叩く音はかなり硬く甲高いものと思われます。夜へ継ぐの措辞により夜なべ仕事になる様子です。息白し(冬の季語)は冬になり大気が乾燥して気温が低くなると人や動物が吐く息が白く見えます。これは呼気に含まれる水蒸気が急に冷やされ細かい水滴となって白く見える物理的現象で、つまり寒い日なのです。さらに冷えるであろう夜へ向けて止むことなく響く金属を叩く音、結構辛い環境かもしれません。夜へ継ぐ、の措辞が効いています。
「隆起せし人気(ひとけ)無き浜鰤起し」 皆川 眞孝 能登半島地震
鰤(ぶり)起しとは鰤の漁期の始まる頃の雷のことで冬の季語。能登をはじめとする北陸地方では鰤起しがなると豊漁の前兆として喜ばれるそうです。この句は今年の元旦に襲った能登半島地震を詠まれました。隆起した浜・漁港は壊滅し、舟で海へ出られず定置網を引き上げることも叶わず網の中で沢山の鰤が死んでしまったそうです。本当に痛々しい天災でした。今でも避難所で多くの人々が不自由な避難生活を続けています。一日もはやく日常が戻りますよう祈るばかりです。
「大寒や古伊賀の壺の歪(いびつ)なる」 藤戸 紘子
伊賀焼とは三重県伊賀市で作られる陶器です。古くから作られていましたが、茶の湯が盛んになった17世紀の桃山時代に領主の筒井定次や藤堂高虎、茶人の古田織部などの指導で焼かれたものを「古伊賀」と呼んでいます。波状や格子状の文様、ゆがみ、灰かぶり、焦げなど作為性の強い意匠が特徴です。作者は古伊賀のいびつな壺と大寒を取り合わせています。大寒は二十四節気のひとつで、新暦1月20日ごろの一番気温が低い時期です。作者は、古伊賀の壺の歪に強い感動を覚えたのでしょう。ただし、それはその時代にはこのような歪みを愛でたということを知った感動で、同時にその美意識にひんやりとした感情も得たのでしょう。それが大寒の季語にあらわれています。なお、下五で「歪なり」と終止形にしないで、「歪なる」と連体形にしたのは、再び中七の「古伊賀の壺」に戻っていく気持ちがでていて、歪さが強調されています。(句評:皆川眞孝)
新年の季語の他の句 「元旦ミサ和服姿のヴェールかな」 宮ア 和子 「玄関に赤き鼻緒やお正月」 小野 洋子 「初詣香煙掬ふ幼き手」 皆川 眞孝 「つくづくと眼鏡外して初鏡」 皆川 眞孝 「葉の戦ぐ音して寺の竹飾」 藤戸 紘子 「真っ新の和紙へ正座や筆始」 藤戸 紘子
今月の一句(選と評:皆川眞孝) 「燈明の蝋の涙の淑気かな」 鴨狩 とき世 淑気とは新年の季語で、新年の天地に満ちる清らかで厳かな気の事です。この燈明は神様か仏様に供えた蝋燭でしょう。時間がたつに従い、蠟が垂れてきます。それを涙と表現したのはユニークだと思います。燈明の蝋燭の涙に淑気を感じたというのもユニークです。淑気は通常はおめでたい気分を含んでいますが、この句の場合は、涙の措辞を使っているので、淑気に能登半島地震で亡くなった方への追悼の気持ちを含めたのかも知れません。(句評:皆川眞孝)
《添削教室》(藤戸 紘子) 原句「地震(なゐ)の跡覆ひ隠して能登の雪」 出浦 洋子 元旦の能登半島地震には驚きました。まだ余震も続き、被害の傷跡が生々しいのに、雪が多い地方だけに、降った雪がその爪痕を覆い隠してしまった景を詠んでいます。自然は残酷です。ただし、傷跡を覆い隠してしまうと、まるで何もなかったような雪景色になってしまいます。ここは、地震の傷跡はまだ残っているのだ、地震の被害も心の傷も簡単に消えないという気持ちをこめて、「覆ひ尽くせず」としたらどうでしょうか?被災地を思う気持ちが一層強調されます。
添削句 「地震の跡覆ひ尽くせず能登の雪」 出浦 洋子
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皆川眞孝
at 20:44
今月の俳句(令和5年12月) [2023年12月18日(Mon)]
今月の俳句(令和五年十二月) 今年最後の句会、兼題は「年惜しむ」でした。過ぎゆく年を惜しむ気持ちをあらわす季語(冬)ですが、今年もいろいろあったがもう終わりかという感慨が込められています。ただ、俳句にするには意外と難しく、次の皆さんの句にはこの季語はありません。
「熊笹に暫しの夕日冬鶯」 鴨狩 とき世
熊笹とは笹の一種で、山林中に自生。鑑賞用にも広く栽培されています。冬の夕日の日没は一年で最も早く、その短日の夕日が熊笹に差している景。その熊笹から冬鶯の鳴き声が聞こえた一瞬を捉えられました。冬鶯とは鶯の子のことでチャッ、チャッと舌打ちに似た地鳴きをします。この鳴き声を笹鳴きといいますが、この句では熊笹と笹が重複しますので冬鶯と表現されました。その年生まれの幼鳥が冬を生き抜いて成長する命の可憐さを感じます。
「這松の根方あらはに冬ざるる」 大貫 美智子
這松はマツ科の匍匐(ほふく)性常緑低木。本州中北部の高山および北海道北部・千島などに自生。その這松の下の方が剥き出しになっている景。冬の渇水なのでしょうか。冬の荒れさびれた姿を強く感じられたのでしょう。中七と季語がよく響きあっています。
「サックスの響く駅前クリスマス」 出浦 洋子
サックスはサキソフォンのこと。真鍮製の管楽器ですが木管楽器に分類されます。柔らかで甘美な音色を持ち、音量は豊かで吹奏楽やジャズに用いられます。そのサックスが駅前に響いている景。路上ライブでしょうか。クリスマスソングを奏でているのでしょう。クリスマスの昂りがクリスチャンでなくとも感じられる季節の到来です。
「AI(エイアイ)の生成俳句冬景色」 皆川 眞孝
AIとは人工知能のこと。以前AIと世界王者のチェスの対決、AIと将棋の対局が報じられたことがありました。初めの頃は人間が勝っていましたが、次第にAIが勝つようになったと記憶しています。AIは入力された情報から選択をするだけと考えられていましたが、最近のAIは自分で考える能力を獲得したようです。俳句も作れるようですが、今の段階では意味不明とか凡作のレベルだとか。しかし程なく人と対等の能力を得ることは時間の問題でしょう。そうなると苦労して俳句を詠むのにどれだけの価値・意味があるのか、と考え込んでしまいます。人間の感性・感情・驚き・発見などの分野までAIが入り込んでくるかもしれない将来の不安と不快の気持ちが殺伐とした冬景色の季語に託されました。
「時雨るるや五重の塔の灯のけぶり」 小野 洋子
時雨とは冬の初めに降る通り雨をいい、降る時間は短く地域も限定されています。季節によって秋時雨、春時雨という現象もみられますが、季語として中心なのはあくまでも冬の時雨です。この五重塔は高幡不動尊の塔でしょうか。冷たい時雨に五重塔の灯りがぼうっと薄く霞んで見える美しい景が浮かびます。
「餅背負ひ力みて三歩一歳児」 宮ア 和子
一歳児は作者の曾孫ちゃんでしょう。誰がお餅を背負わせたのでしょうか。まだ歩みの覚束ないお年頃、お餅を背負ってやっと三歩を歩み、どっと周りの大人達が笑ったそうです。すると母親の許に這いよりわっと泣き出したそうです。まさかお餅は鏡餅ではなかったですよね。一家団欒の楽しく幸せな景が浮かびます。一歳児ちゃんの頑張りが健気です。
「木菟(みみづく)の片目瞑りて身じろげり」 藤戸 紘子
みみづくが片目を瞑るのを見た驚きの瞬間を俳句にしたものです。本当に片目を瞑るのか調べたところ、片目を瞑った写真をネットで見つけました。物事をよく観察される作者だからこそ気が付いた面白い瞬間です。俳句では観察が重要だということを気づかせてくれる一句です。 なおミミヅクはフクロウ科ですが、一般のフクロウとの違いは、ミミヅクには耳の形をした羽角(うかく)があることです。(実際の耳ではないそうです) (句評:皆川眞孝)
「年惜しむ」の句 「街騒(がいそう)を断つる画廊や年惜しむ」 鴨狩とき世 「異国語の飛び交ふ渋谷年惜しむ」 皆川眞孝
今月の一句(選と評:大貫美智子) 「外灯の光散らして小夜時雨」 藤戸 紘子
街の通りにある街灯ではなく、家の壁の外灯はそれぞれに趣きがありとても静かな時のながれを醸しだしてくれます。 大好きな季語の一つである「時雨」。残念ながら私の歳時記には、「小夜時雨(さよしぐれ)」があがっておりませんでしたが、時雨の傍題とのことです。 細やかな雨の「時雨」と外灯との取り合わせが絶妙で、「光散らして」の表現が素晴らしいと思います。新しい季語を知り得たことで、この俳句が一層光っているように感じました。(句評:大貫美智子)
《添削教室》 藤戸 紘子 原句 「入院し死を覚悟せし年惜しむ」 出浦 洋子
作者は先日コロナに感染し入院したのですが、高熱が続き一時は死を覚悟するほどの重症だったそうです。そんな大変な年だったのに「年惜しむ」の季語を使ったのは、重病から回復して助すかった年だという感謝の気持ちがあったからでしょう。ただし原句では、入院し、覚悟せし、と動詞が続きそのまま季語となり忙しいので、順序を変えて「死を覚悟せし入院や」と句またがりですが切れを入れた方が、命が助かったという気持ちが入り、季語との関係がわかりやすくなります。
添削句 「死を覚悟せし入院や年惜しむ」 出浦 洋子
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皆川眞孝
at 13:38
今月の俳句(令和5年11月) [2023年11月19日(Sun)]
今月の俳句(令和五年十一月) 兼題は「霜」でした。
「初霜や藁焼く煙たかだかと」 鴨狩 とき世
藁とは稲や麦などの茎を乾したもので、俵や筵(むしろ)、縄などを作ります。この句は役に立たないくず藁を集めて焼却処分をしている景でしょう。煙がたかだかと上がっているということは風の無い穏やかな日ということがわかります。冬になると屋内で藁を使った手仕事に励む前の田仕舞いの一仕事でしょうか。もう霜の降りる頃となりました。広々とした刈田の煙が寒空にたかだかと昇っています。広々とゆったりした気持ち良い句となりました。
「昨日まで家ありし場所朝の霜」 皆川 眞孝
この三井台でも世代交代が進んでおり、空き家や更地を見掛けるようになりました。作者のご自宅の近くでしょうか。昨日まで建っていた家が気付いたら更地になっていて朝の霜がうっすらと覆っていたという驚きと寂しさを表現されました。最近の家の取り壊しはブルドーザーで一気に壊し、廃材として処理されます。何十年もその家は住民の人生を守ってきたのに、壊すのはあっけないもので、みるみる廃材の山となってしまいます。何とも言えない寂寥感を覚えます。
「籾殻焼く火の横這ひに遠筑波」 小野 洋子
籾殻とは籾米の外皮のことで、その米から摺り落としたものをいいます。つまり脱穀後の殻のこと。使い道のない殻を田で焼いている景を詠まれました。その煙が横這いに流れていることは風があるということです。遠くに筑波の山並みが霞んでいます。広々とした平野の農村風景ですが、その風は筑波颪の冷たい強い風かもしれません。近景に籾殻を焼く農夫、遠景に筑波の堂々とした嶺、日本の原風景を想起しました。
富岡製糸場 「製糸場の歪みガラスへ冬日差す」 出浦 洋子
先日訪れた世界遺産に登録された富岡製糸場で詠まれた一句。当製糸場は赤煉瓦造りの西洋風の情緒ある建物です。西洋式ですから建物の窓には硝子が嵌め籠れています。その硝子の表面には歪みがあり、不規則な光の屈折により、外の景色が歪んで見えます。この硝子製法は明治から大正時代にかけて作られました。この製糸場は明治5年に建てられましたので、その硝子の表面の歪みも相当なものと考えられます。 その歪みのある硝子に冬日が差している景を詠まれました。柵に阻まれて建物に近づくことができない状況でよく観察されました。
「釣船草田んぼの中に種とばす」 大貫 美智子
釣船草(つりふねそう)は秋の季語ですが、その種をとばすのは晩秋のころでしょう。その名は帆掛け舟を吊り下げたような花の形に由来しているそうです。渓流沿いの道などに見られますが、この句では田んぼの畦に咲いたものでしょう。田んぼは稲刈り前でしょうか。既に刈田となっているのでしょうか。釣船草の種が田んぼに種をとばしている景を詠まれました。小さな草花にも命を繋ぐ営みが永々と営まれているのです。
「高速道切れ間の見えぬ冬の雲」 宮ア 和子
冬の雲独特のどんよりと垂れ込めた雪催いの陰鬱な曇りの日だったのでしょう。高速道路を行けども行けども雲の切れ間がありません。まさしく冬の雲の有り様を捉えられました。いよいよ冬の到来です。現代では家も断熱材で覆われ、エアコン、床暖房と冬の厳しさを和らげる装置に恵まれていますが、私の子供の頃は炬燵と火鉢しかなく、学校には暖房機は一切ありませんでした。冬は長く辛い季節でした。が、もっと昔の人にとっては冬は恐ろしい季節だったかもしれません。切れ間の無い冬の陰鬱な雲に昔の人に思いを馳せました。
「丹精の菊の丘陵色まさる」 藤戸 紘子
先日の南窓会バス旅行で訪問した「あかぼり小菊の里」の景を詠まれました。丘陵一面に小菊が咲いていますが、これらは地元のボランティア100名以上が丹精を込めて色を分けて手入れをした小菊で2万株あるそうです。この句の「丹精」のことばに菊を手入れをする人に対する作者の暖かい気持ちが出ています。また、「色まさる」の措辞が効いていて、実際に見てない人にもその美しさが感じられるでしょう。(句評:皆川眞孝)
霜の他の句 「多摩川原芥の上の朝の霜」 小野 洋子 「上空の機窓に咲きし霜の花」 出浦 洋子
今月の一句(選と評:出浦洋子)
「アフリカの枯野に影や気球浮く」 皆川眞孝
この句は作者が実際にアフリカで気球に乗られた時の事を詠まれたものです。私はアフリカに行ったことも気球に乗ったこともありませんが、テレビで見た広大なアフリカ平原の動物の群れや色とりどりの気球の事を思いながらこの句を読むと、自分もアフリカで気球に乗ったような気持ちになりました。 ゆっくりと空へと上がる気球の影が枯野(冬の季語)に映り、空を漂いながら遠くの景色や草原の動物の群れを眺められる、何と感動的な体験をなされた事でしょう。「枯野に影」という措辞で、気球がだんだん高く上がっていく立体感がより印象付けられていると思います。17文字で読み手にいろいろ想像させることのできる俳句の素晴らしさを再認識いたしました。(句評:出浦洋子)
《添削教室》 (藤戸紘子) 原句「秋刀魚焼く昨日のけんか君の勝」 皆川 眞孝 作者でも夫婦喧嘩をするのかと驚きました。 秋刀魚を焼いているのが、奥様なのか作者自身なのか、解釈により味わいが微妙に異なりますが、秋刀魚焼くの措辞により緊迫感のない余裕・惚けた可笑しささえ感じます。ひょっとすると夫君は上手に負けてあげたのでは、と思える節さえ感じます。 かかあ天下は家庭円満の秘訣、という言葉を聞いたことがあります。いつまでもお幸せに! このままでも充分俳諧味がありますが、語順を変えると、少し感じが変わります。 添削句「君勝てる昨日の喧嘩秋刀魚焼く」 皆川 眞孝
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皆川眞孝
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今月の俳句(令和5年10月) [2023年10月23日(Mon)]
今月の俳句(令和五年十月) 兼題は木槿(むくげ)です。中国原産のアオイ科の落葉低木で、秋には一重または八重の白色・薄紅・淡紫の花をつけます。秋の季語です。
「川沿ひのベンチの二人白木槿」 出浦 洋子
木槿の花色は白、桃色、菫色、とさまざまあり、八重咲もあります。五弁花の花弁の底が濃い紅色であることから「底紅」の異名があります。朝に開き、夜にはしぼむ為に「槿花(きんか)一日の栄」という言葉があり、人の栄華の儚さに譬えられます。しかし、夏から秋にかけて長い日数を次々に咲き続けるので生垣によく用いられてもいます。 この句のベンチの二人はどんな年代の人か、句には明瞭に表現されていませんのでその判断は読者に委ねられています。若い二人なら長く咲き続ける木槿であり、老夫婦なら一日でしぼんでしまう木槿の花の儚さを、過ぎてしまえば人の一生の短さを表現されたと解されるでしょう。
「亡き友を偲ぶ縁(よすが)の白木槿」 宮ア 和子
随分前に亡くなられたご友人のお宅の庭に今年も白木槿(むくげ)の花が咲いたそうです。 彼女に会いに行くように木槿が咲く頃になるとご友人のお宅の木槿を見に出かけるそうです。彼女は白い木槿が大好きだったから、白木槿と彼女の面影が重なるのでしょう。
「隣人は難しきもの木槿咲く」 皆川 眞孝
個人宅でも国同士でも隣人とはうまくいかない、と聞いたことがあります。何故なのでしょうか。近すぎることで欠点が見えてしまうのでしょうか。 ロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナ、イランとイラク等数え上げればきりがありません。勿論仲の良いお隣同士も沢山いらっしゃるでしょうが、一般的には隣人とのお付き合いには細心の配慮をした方がいいようです。こじれると面倒なことになります。 木槿の花は夕暮れにはしぼんでしまいます。不愉快なことはさっさと忘れましょう。
「用水の流れ豊かや稲の秋」 小野 洋子
この句は日野市で詠まれたそうです。我々の住む日野市は江戸時代には天領でした。天領とは江戸幕府直轄の領地で幕府の経済的基盤となっていました。従ってその頃の名残で用水があちこちにあります。その用水が豊かに流れ、稲がよく育っている様子が目に浮かびます。 季語「稲の秋」が効いています。ちなみに新潟では猛暑と水不足で一等米が例年の3%だったそうで、農家の収入が激減したそうです。
「秋寂びや金属いまだ体内に」 大貫 美智子
作者とご夫君が九州旅行に行かれた時、旅先でご夫君が大腿骨を複雑骨折されたとのこと。今では歩行は正常に出来るそうですが、手術で入れた金属はそのままだそうです。季語秋寂び(あきさび)とは、秋も深まってものさびしい感じをいいますが、体内に入っている金属の冷ややかな感触まで感じられます。
「鋏入れ襟元直す菊師かな」 鴨狩 とき世
菊師が鋏を入れているのは勿論菊人形です。今年は大谷翔平の菊人形が多く出品されたと聞きます。がこの句は和服を着せた菊人形と解しました。有名な武者か歌舞伎役者の菊人形でしょうか。和服の襟元は鋭角で重要なポイントですから花で表現するのは難しいかもしれません。何度も形を見直し、そっと鋏を入れる菊師としての拘りとプライドが感じられます。それをじっと見詰める作者の俳人としての観察眼と根性を感じます。
「透けし翅振はせ蜻蛉杭の先」 藤戸 紘子
杭に止まった蜻蛉ですが、じっと見ると止まっていても透けた翅を震わせています。非常に細かな観察で、即物具象、客観写生を俳句の基本とされる作者のお手本とすべき句だと感心します。このトンボの姿に、自然を破壊している人間たちの危うさを作者が重ねていると見るのは、私の深読みすぎでしょうか? 蜻蛉の翅は透けていますが、血管や神経の通る翅脈(しみゃく)が張り廻られています。形が正方形や長方形でなくて、ボロノイ構造といういろいろな形の組み合わせとなっています。これは、軽くて丈夫な翅を作るためです。 私は、同じ作者の昨年6月の「笹の葉に濡れ翅光らせ蜻蛉生る」を思い出しました。この句は蜻蛉が生まれた瞬間の翅が濡れて光っている情景を描いたものですが、鋭い観察眼に感服しました。(句評:皆川眞孝)
木槿の他の作品 「恙無く終へし一日の夕木槿」 小野 洋子 「底紅の今日の白さを掃き寄する」 鴨狩 とき世 「咲き残る唯一輪の木槿垣」 藤戸 紘子
今月の一句(選と評:鴨狩とき世)
「しづかさや空へと続く芒原」 皆川 眞孝
この句は作者が仙石原すすき草原でお詠みになったそうです。 芒はイネ科の多年草で毎年土手や荒地に群落を作ります。夏から秋に白い花穂をつけ秋が深まるにつれて穂が昼は金色に夜は銀色に美しくたなびきます。仙石原の芒原は、なだらかな坂の一本道が正に空に突き刺さっている様に伸びています。作者のしづかさや空へと続くという措辞があの日私が見た光景をはっきりと思い起こさせて下さいました。共感を覚えた一句でありました。(句評:鴨狩とき世)
《添削教室》(藤戸 紘子) 「秋寒し深まる顔と手の小皺」 出浦 洋子
この俳句を頭から読むと、「深まる顔」とは何だろうと疑問に思ってしまいます。全体を読んでから考えると、深まるのは「顔と手の小皺」のことだとわかります。年齢を重ね小じわが増える寂しさを秋寒しの季語で表現していて良いと思いますが、語順を変えるだけでわかりやすくなります。
添削句 「顔と手の小皺深まる秋寒し」 出浦 洋子
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皆川眞孝
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今月の俳句(令和5年9月) [2023年09月18日(Mon)]
今月の俳句(令和五年九月)
兼題は「残暑」「秋暑し」です。今年の残暑は真夏日の暑さです。いつまでこの残暑が続くのでしょうか?
「方丈の廊に残暑の日のほてり」 小野 洋子
方丈とは畳四畳半の広さの部屋を言いますが、禅宗などの寺院建築では長老、住持の居所又は本堂・客殿とを兼ねる部屋を意味し、転じて住持、住職の居を言います。その方丈の周り廊下が残暑であつくなっている景を詠まれました。方丈には冷房装置がないのでしょう。昔の住まいの西向きの縁側がこんな風でした。しかし、昔の西日も残暑ももう少し穏やかだったような気がします。
「高層の玻璃に薄れて秋夕焼」 宮ア 和子
単に夕焼といえば一般的に夏の夕焼けをさします。それは夏には夕焼けが最も鮮やかで大きいからですが、それに比較すると秋の夕焼けは寂しく、また時間的にも短いのです。 この句は高層ビルのガラスの壁面に写った夕焼けを眺めていて詠まれました。美しいなあ、と思いつつ見ているうちに写った夕焼けの色は薄れてしまったそうです。短時間の儚い夕焼けは秋の儚さや寂しさを思わせます。
「豊穣の秋引き算の俳句かな」 皆川 眞孝
秋は林檎、桃、葡萄、栗等の果物類、数々の木の実や茸、日本人の主食である米の収穫など豊穣の秋は人々の喜びと安堵と感謝の季節であります。その秋の季節を詠む俳句は昔から 引き算の文芸と呼ばれています。俳句は17音という世界最短の詩ともいわれていますが、この17音の中には欠かせない季語を入れなければなりませんので、使える音は12音〜13音ということになります。自分の感動や気持ちを表現するのに、散文ならいくらでも語彙を使って表現できますが、俳句では音(言葉・文字)を削る作業が重要になります。例えば、風が吹く、花が咲くの吹く・咲くは言わなくとも解りますから削ることになります。削ったり、他の表現を考えたり、と豊穣の秋を詠むのに俳句では削る作業が大事なのです。二つの相反する事柄を対比したこの句はなかなか技巧の効いた作品だと思います。
「谷川岳(たにがわ)の雲ちぎれ飛ぶ風は秋」 大貫美智子
谷川岳は群馬県北部、上越国境に聳える標高1,977メートルの名峰、日本海と太平洋側の気候の境界をなします。両方の気流のぶつかる場所であり、気候変動も激しいことでもあり、登山者の遭難も多い山でもあります。その山頂あたりでは日本海側と太平洋側の気流がぶつかり、渦巻いています。激しい気流に雲がちぎれ飛んでいる景を詠まれました。 風は秋という下五の歯切れよい措辞が谷川岳の偉容を引き立てています。
「雨に濡れ飛びては休む秋揚羽」 出浦 洋子
秋の蝶とは立秋を過ぎて見掛ける蝶のことで、特別の種類をさすものではありません。一般に蝶は年に一度、晩春から初夏にかけて成虫が現れますが、二化(昆虫などが一年に二世代を経過すること)や多化するものもあり、これが秋の蝶と呼ばれます。秋も深まった林の中や秋日の濃く沁みた石の上などで、じっと翅を休めている姿を目にすると、その行く末が案じられるような哀れさを感じます。 この句では揚羽蝶が雨に濡れ、飛んでは休んでいる景を詠まれました。あの小さな体では体の何倍もある翅が濡れたのではさぞ重くて難儀なことでしょう。翅が乾くまでじっと待てばと思うのは人間の考えで、休み休みでも飛ばねばならぬ事情が蝶にはあるのでしょう。弱弱しい飛び方に哀れを感じます。必死で生きようとする小さな命、その健気さに胸を衝かれます。
「縮れ毛は母ゆずりなり鳳仙花」 鴨狩 とき世
作者が生来の縮れ毛とは存じませんでした。いつお会いしてもふっくらとした巻き毛が美しく、羨ましく存じおりました。鳳仙花といえば、女性なら子供の頃に一度は鳳仙花の液で爪を染めた経験がおありかと思います。縮れ毛と鳳仙花が合うか、否か意見がいろいろ出ましたが、縮れ毛があちこち跳ねて手入れに困ることと、鳳仙花の彼方此方に種を自在に跳ばすことが通じるとの意見に納得しました。 また、母の思い出は年を重ねるごとに真綿に包まれたように、まったりと心の奥底に暖かい感触を感じます。鳳仙花は決して存在感の強烈な花ではありませんが、優しく目立たず、それでいて憂いのない子供時代のような透明感のある花だと思います。 母から譲り受けた巻き毛と鳳仙花は感覚的に動かせない季語の斡旋と感じます。
「罅(ひび)割れてダムの底ひや秋暑し」 藤戸 紘子
年々夏の気温が上がっています。これは日本だけでなく、地球規模の問題です。 台風は来ますが、雨の少ない地域もあります。そのような旱(ひでり)が続いたダムの景でしょう。無残にもダムの底が干上がってひび割れている状態、秋になっても残暑が厳しく、水不足にならないか心配です。俳句は美しい自然だけでなく、このように厳しい自然現象も詠えるという好例です。なお、「底ひ」は、漢字では底行と書き、辞書によると「行きついてきわまる所」とあり、この句では底と同じ意味で、中七にするために使用したと思います。(句評:皆川眞孝)
残暑の句 「荒草を引けば残暑の土ほこり」 鴨狩とき世
今月の一句 (選と評:小野洋子) 「帰省して老いたる友と国訛り」 皆川 眞孝
作者が故郷浜松の高校同窓会に出席のために帰省(夏の季語)された時の句。青春を共にした懐かしい顔、顔、顔。思わずお国言葉も飛び出し忌憚のない仲間とのひと時が頬笑ましい句となり、心を打たれました。八十路を過ぎいろいろな社会経験とそれに伴うしがらみを離れた友人関係はとてもいいものですね。(評:小野洋子)
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皆川眞孝
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今月の俳句(令和5年7月) [2023年07月24日(Mon)]
今月の俳句(令和五年七月)
三井台南窓会俳句サークル 兼題は「夕立」です。
「磨かれて弁柄格子驟雨過ぐ」 小野 洋子
弁柄(べんがら)(紅殻)とは帯黄赤色の顔料のことで、インドのベンガルに産した故の名付け・有名なのは京都の紅殻格子です。赤色顔料の紅殻に墨をたっぷり混ぜて塗り上げてあります。朱を含んだ黒は磨くほど光沢を増します。また、格子の一種である堅子(けんし)は、縦方向の組子(くみこ)のことで京都の町屋によく使われる格子でまさに京ならではの風情を醸し出しています。この句の格子も堅子の格子と解しました。磨きこまれた格子が驟雨でさらに光沢を増している景でしょう。細かい京格子の繊細さが伝わってきます。
「緑陰や乳母車から犬の顔」 皆川 眞孝
昔のこと、デパートの中を乳母車を押している老婦人に出会いました。お孫さんを連れてのお買い物かと思い乳母車の中を覗くとそこには眼が真ん丸の小型犬がちょこんと座っていて驚いた経験があります。今ではわんちゃんの乳母車は珍しいことではなくなりました。わんちゃんも飼い主も高齢化に突入したのかもしれません。散歩の途中の緑陰で飼い主は一休み、歩かないわんちゃんも一休み、笑える景ではありますがこういうことが日常行える社会は幸せであると思います。庶民の日々のささやかな幸せこそ最も大切なことと思います。
「形代の行く手は知らず笏拍子」 鴨狩 とき世
形代(かたしろ)が夏の季語。夏越の祓の時に用いる薄い白紙を人の形に切ったものに、自身の名を書き、息を吹きかけたり、身体を撫でたりして罪や穢れを移し、神職が祝詞をあげて川へ流し去る行事。昔から疫病が流行るのは夏のこと、その疫病払いに行われたのが祇園祭といわれています。今では季節に拘りなくコロナ禍に悩まされていますが、ウイルスとの闘いは今でも続いています。この句では穢れを移された形代が川に流されました。しかし形代の行方は誰にも解りません。笏拍子、篳篥(ひちりき)、神楽笛、和琴(わごん)の奏楽が静かに流れています。ちなみに笏拍子とは笏またはこれを縦に二分した形の物二枚を両手に持ち、打ち合わせ音を発し拍子をとる楽器のことです。
「地響きの雷に目覚める寝入り端」 宮ア 和子
最近の猛暑は夕方から夜にかけて雷を伴う激しい雨を発生させます。これも温暖化の結果でしょう。亜熱帯のスコールを思わせます。寝入り端(ねいりばな)の何ともいえない幸せ感を、地響きたてる雷によって叩き起こされた作者の驚きを詠まれました。そこからはもう安眠を得られない不安と不満、笑えないひと夜が窺えます。
「梅雨闇や探幽の虎目のぎろり」 出浦 洋子
梅雨闇(夏の季語)とは梅雨の頃の家内の暗がりや雨雲の垂れこめた昼間の暗がりのことで、作者が旅行で京都・南禅寺を訪れた時の一句。探幽とは狩野探幽のことで、江戸初期の画家、幅広い画技を有し幕府の御用絵師として一門の繁栄を拓きました。二条城、名古屋城の障壁画など数多くの作品を残しました。その代表作の一つが南禅寺の襖絵・群虎図です。薄暗い大広間の大きい襖に描かれた虎の恐ろしい瞳がこちらを睨んでいます。まるで生きているように感じられる迫力です。ぎろりの措辞に臨場感を感じます。
「安産の底抜け柄杓夏越しかな」 大貫 美智子
府中の大国魂神社での夏越(なごし)の祓いの行事での一句。夏越の祓いについては前掲しましたので省略。この神社では安産祈願の願掛けのための底のない柄杓(ひしゃく)が用意されています。易々と滞ることなく産道を赤子が通り抜けられますようにという願いが込められています。が、なんとなく洒落めかしていておかしみを感じます、愛すべき庶民の心配事も洒落のめす逞しさを感じます。
「紅白の蓮乱れ咲く源平池」 藤戸 紘子
作者が鎌倉鶴岡八幡宮に吟行された時の句。八幡宮の三の鳥居の先に太鼓橋があり、その両側に池があります。境内に向かって右が源氏池、左が平家池です。この池は、まだ頼朝が平家と戦っていた時、北条政子が作ったといわれています。源氏池には三つの島(三=産)、平家池には四つの島(四=死)があり、以前は旗にちなんで、源氏池には白い蓮が、平家池には赤い蓮が咲いていたそうです。現在は、句にあるように、紅白が乱れ咲いているとのこと。作者はこの俳句に、激しく戦った源氏と平家も、いつのまにか蓮が乱れ咲くように、区別がわからなくなった、無駄な戦争はやめよう。という気持ちを込めたのだろうと思います。(句評:皆川眞孝)
兼題(夕立)の句
「夕立の洗ひし竹の艶めけり」 鴨狩とき世 バリ島 「ガムランの響き渡るやスコール後」 ガムラン=インドネシアの伝統器楽音楽 出浦 洋子 「潦(にわたづみ)うす藍色の夕立晴」 にわたづみ=水溜り 大賀 美智子 「ビル群の窓の明るさ夕立後」 皆川 眞孝
今月の一句 (選と評 宮ア和子)
「露座仏の脊を流せる白雨かな」 藤戸 紘子
一読して景が見え何処の御仏?と思いながら、作者の優しさも伝わって来ました。暑い一日仏さまもほっとなさったことでしょう。 季語を夕立とせず白雨の措辞を用いたことで、句の品格が出ることを学び、季語の重みを再認識しました。微笑ましい一句に心が和みました。(評:宮ア和子)
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皆川眞孝
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今月の俳句(令和五年六月) [2023年06月19日(Mon)]
今月の俳句(令和五年六月) 兼題は「金魚」(夏の季語)ですが、兼題以外の力作が揃いました。
「撥ね釣瓶竹のしなりに梅雨雫」 大貫 美智子
薬師池公園の撥ね釣瓶
撥ね釣瓶(はねつるべ)とは柱に横木を渡し、その一端に石などの重しを他の一端に釣瓶を取り付けて、石の重みで釣瓶を撥ね上げ水を汲む装置のこと。最近は見掛けることはありません。田舎で滑車やポンプの装置を見かけることがありますが、それ以前の装置だと思われます。装置としては場所をとりますので滑車の出現で姿を消したのでしょう。この句は古民家などの展示場所で御覧になったものと思われます。石の重みで横木の竹がしなっている景を切り取られました。竹のしなりに雨がかかり雫となって滴っています。静かな景ですね。
「僧侶らの読経微かに四葩径」 出浦 洋子
今の時期このような景が高幡不動で見られます。四葩(よひら)は紫陽花(あじさい)の別名。読経が微かに聞こえるとの措辞により高幡山の上の方まで登られたことが解ります。高幡不動は「あぢさゐ寺」として有名です。境内でも多くの紫陽花が見られますが、裏山にも多種の紫陽花が見事です。山上近くには人の背丈ほどに繁茂している場所もあります。径(みち)の措辞により紫陽花の間の道が狭い小道であることが解ります。一字の選択にも配慮されています。リズムも大変良いと思います。
「住職の琵琶の音沁むる緑雨かな」 宮ア 和子
作者が箱根の阿弥陀寺を訪れられた時の一句。この寺には皇女和宮のお位牌が預けられているそうです。また住職の水野賢世氏は「第47回日本琵琶楽コンクール」で第一位になられた方で、水野森水(しんすい)の名で琵琶のプロ奏者としてご活躍です。 さて、琵琶は古代ペルシャが起源とされ、日本には奈良時代にシルクロードを経て伝来。琵琶の種類には楽琵琶、笹琵琶、平家琵琶、薩摩琵琶、備前琵琶があります。この句のご住職が弾かれたのは薩摩琵琶です。薩摩琵琶は薩摩武士が教養としてたしなんだ琵琶で、大型の撥(ばち)を用いて、弦だけでなく胴も叩く迫力ある奏法が特徴です。 緑雨(夏の季語)の中、山寺で聞く迫力ある琵琶の音、陰々と語られる平家物語、想像するだけで鳥肌がたちます。良い経験をされましたね。
「雨粒のころがる蓮の浮葉かな」 小野 洋子
蓮(夏の季語)の原産地はインドといわれています。食用の蓮根として古くから各地の池や沼、水田で栽培されています。水底の地下茎から柄を伸ばし60センチほどにもなる丸く大きな葉を水面上に出します。これを浮葉といいます。浮葉に残った雨粒がころころ転がっている景。よく目にする景を一句に仕上げられました。 ところで、蓮や芋の葉の雨粒は何故玉になってころがるのか?調べてみました。 解ったことは、植物には気孔というものがあること。気孔とは主として呼吸・炭酸同化・蒸散作用などのために気体の通路となる孔。一般の植物は葉の裏面に最も多く、光や湿度により開閉するということ。蓮などの浮葉には葉の水面にでている上面に気孔があるということです。この気孔の位置の違いからなのか、気孔のせいで水が丸く転がるのかは不明でした。 読者の中でこの疑問を解いてくださる方がありましたらコメントでご教示ください。
「さるをがせ風なき風の湿りかな」 鴨狩 とき世
さるをがせ(猿麻桛)が夏の季語。地衣類(苔)の一種で、全長0.2〜1メートル、多くは針葉樹に付着、糸状の無数の分枝を伸ばして絡み合い、とろろ昆布状態です。色は淡緑色、空気中の水分を直接吸収し、光合成を行い自活しています。また乾かして利尿剤となります。 風なき風、風とは呼べないほどの空気の流れでしょうか。その空気中の湿り、つまり水分をさるをがせは吸収しているのです。 「さるをがせ」は猿をしばる意といいます。字は猿麻桛、松蘿、別名さがりごけともいいます。季語としてはあまり目にしませんし、普通の歳時記に載っていないこともあります。 とろろ昆布状の淡緑色の糸状のものが針葉樹から垂れ下がっている様は幻想的です。高尾山でも見られるそうです。
「風薫る新名人の若き指」 藤井聡太 20歳で将棋名人位獲得 皆川 眞孝
世間を驚かせた藤井聡太氏の名人位獲得。これで最年少での7冠達成を成し遂げました。 20歳とは思えない落ち着いた風格、冷静な対応は人の心を惹きつけてやみません。駒を進めてそっと指で駒を押さえる所作は駒の働きに願いを込めているかのように見えます。その指に焦点を当てられました。若い人の指は細くしなやかです。その指から繰り出される魔法の戦術。一手一手毎に静かな吐息が聞こえるようです。将棋のタイトルは、竜王、王将、名人、叡王、棋王、棋聖、王位、王座の八つ。このうち七冠を達成、あと王座を獲得すれば八冠達成となります。凄い天才が現れたものです。真に風薫るです。どなたか彼の脳内の働きをコンピューターで解析して下さって可視化してほしいものだと切に願います。
「蘭鋳の重たげに振る尾鰭かな」 藤戸 紘子
金魚で高級とされる品種に蘭鋳(らんちゅう)があります。金魚の王様とも呼ばれ、品評会も開かれています。ずんぐりとした形で頭部にごつごつとしたこぶ肉瘤(にくりゅう)があります。現在の形になるまでには長い時間をかけた品種改良があったことでしょう。作者はらんちゅうの特徴のある頭ではなくて、水の中で重たげに振っている尾鰭に注目しました。金魚にしたら、こんな形にされて迷惑だと感じているだろうと、作者が同情の目でみていることが、「重たげに」の措辞で表現されています。(句評:皆川眞孝)
「金魚」のほかの句 「ゆらめきて金魚は網を逃れけり」 小野洋子 「息詰めて金魚掬ひのひざと膝」 小野洋子 「藻にあれば紅あざらけき屑金魚」 鴨狩 とき世
今月の一句(選と評:皆川眞孝) 「閉ざされし登り窯小屋梅雨寒し」 藤戸 紘子
登り窯とは、陶磁器を焼く窯の一種で、中国、朝鮮半島をへて十六世紀に唐津で始められ、江戸時代に全国に普及したそうです。山麓の傾斜に沿って階段状に築かれていて、下室から上室へと熱が上がっていき、一度に多くの陶磁器を焼き上げることができます。登り窯は温度の管理が難しく、現在は電気窯が中心で、一部の陶芸家が芸術作品を焼くのに使っているぐらいです。 作者は、吟行で閉鎖されているこの登り窯を見かけたそうです。すでに廃墟のような窯を見て、現在の姿に時代の移り変わりを感じたことでしょう。「梅雨寒し」の季語に、作者の心情が託されています。(句評:皆川眞孝)
《添削教室》(藤戸紘子) 原句 「せせらぎや芒種の草にはや埋もれ」 鴨狩とき世
芒種とは二十四節気の一つで、稲や麦など芒(のぎ)のある穀物を蒔く時期の意味で、新暦では6月6日ごろにあたります。 作者はまだ6月の初めなのに、草が生い茂り小川が見えなくなった景を詠っています。作者は「はや」の措辞で、驚きを表現しようとしていますが、すこし押しつけがましいので、早いか遅いかの感じ方は読み手に任せて事実を淡々と述べた方が良いと思います。 添削 「せせらぎは芒種の草に埋もれけり」 鴨狩 とき世 82834509.webp82834509.webp
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皆川眞孝
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今月の俳句(令和5年5月) [2023年05月23日(Tue)]
今月の俳句(令和五年五月) 兼題は、「初夏」「夏兆す」です。
「連山に雲湧き立ちて夏兆す」 宮ア 和子
作者は先日お嬢さんの長野の嫁ぎ先を訪れ、曾孫ちゃんと会ってこられました。その時の車中から見た連山の景を詠まれました。夏の代表的な雲として、積雲と積乱雲があげられますが、積雲は綿雲ともいわれ、積乱雲はいわゆる入道雲です。ともに大地付近の空気が熱せられ発生した上昇気流よるもので、青空に湧き立つ真っ白な大きな雲から夏という季節の生命力を感じます。大きな景で気持ち良い句となりました。
「通勤の上着手に持ち夏きざす」 木原 義江
今年の五月は気温の変化が激しく、体調不良と訴える方も多かったようです。この句は五月の夏日を詠まれました。まだ五月だからと上着を着て家を出た人々が通勤途上あまりの暑さに上着を脱いで手に持って駅へ向かう通勤者を詠まれました。五月の夏日は確かに異様です。確実に地球温暖化が進んでいる証拠でしょう。何とか温暖化を止める方法を世界中の人々が知恵を出し合い、予算を出し合い、協力して研究をして欲しいと思います。無残な殺し合いをしている場合ではないと思います。
「薔薇の名は女性皇族凛として」 出浦 洋子
薔薇には高貴な女性や有名女優の名が冠されるものと、かって思っておりましたが、シャルル・ドゴールや男優の名を冠した薔薇もありますので、女性に限ったネイミングではないようです。この句の女性皇族の名は解りませんが、薔薇につけられた女性皇族のイメージにぴったりで、気高く気品に満ちた佇まいを感じます。皇族の方々は立場上からか、お育ちのせいか凛とされています。薔薇にもその気配を感じます。
「幾つもの曲輪崩れて姫女苑」 大貫 美智子
曲輪(くるわ)とは遊郭を意味することもありますが、この句の曲輪は城や砦など一定の区域の周囲に築いた土や石の囲いのこと。山城跡でしょうか。時の経過によって幾つもの曲輪が崩れている景。日野の近くでは八王子城址や滝山城址でもこのような景が見られます。その城で昔の人々の日常が営まれ、または戦場ともなったことでしょう。時代を経て崩れた幾つもの曲輪には今、姫女苑(ひめじょおん)が咲いています。つまり雑草が蔓延っているという景。 姫女苑とは北アメリカ原産のキク科の多年草で明治の初めに渡来。今では日本のどこでもみられる雑草です。その表記から城内で暮らしたであろう女性たちの運命に思いを巡らしました。
「みどり児の産湯あふれて聖五月」 小野 洋子
みどり児とは新芽のように若々しい児の意で三歳ぐらいまでの幼児をいいます。産湯とは厳密には生まれた児に初めて入浴させることですが、一般では小さな湯槽で赤ちゃんを入浴させることも指すようです。小さな湯槽にそっと赤ちゃんを浸すと湯がざあーと溢れた景を詠まれました。五月は若葉と薫風の月。詩人ハイネが「美しき五月に」と詠ったように、瑞々しい生命力に溢れた一年で最も麗しい月です。カトリックでこの月を聖母月と呼ぶことから聖五月の呼称があります。マリアとキリスト、昔から変わらぬ母子愛を季語の斡旋から感じます。
「朱の鳥居青葉若葉の奥の奥」 皆川 眞孝
青葉若葉が夏の季語。初夏の若葉が青々とした生気を漲らせていよいよ生い茂っているさまを表す季語です。若葉が新緑の初々しい色感にあふれているのに対して、青葉は深緑に近く逞しく繁茂しているさまをイメージさせます。濃淡様々の様子を青葉若葉と言い表しています。その青葉若葉の奥の奥に朱の鳥居が見えている景が明確に浮かびます。色彩的にも空気的にも非常に美しく神々しい景が浮かびます。
「新緑や弓引きしぼる肘若し」 鴨狩 とき世
弓を引く凛々しい姿を捉えられました。弓引く人が男性なのか女性なのかは読む人に任されています。筆者は女性の姿を想像しました。男性の弓引く姿は雄々しくて頼もしくて素敵なのですが、か弱いとされる女性がきりきりと弓引く姿をとても美しく感じます。 作者は焦点を肘に絞られました。弓引く句は沢山ありますが、肘を詠んだ句は初めてです。肘にも歳が現れるのですね。新緑とすべすべの若い肘がよく響き合っています。
新選組祭 「五月雨や隊士の羽織しほたれて」 藤戸 紘子
日野市では毎年5月に新選組祭りが行われます。これは新選組副長・土方歳三の命日(5月11日)に合わせたものです。コロナ禍で一時中断していましたが、今年は4年ぶりに行われました。今年は第26回と長い歴史があります。 祭りでは、新選組の衣装を身につけた隊士のパレードがあり、一番の見ものですが、今年は5月13日14日は残念ながら雨で折角の隊士たちもずぶぬれでした。 この俳句では、その隊士たちの羽織に注目し、好天ならパリッと誇らしげな羽織が雨に濡れてしょんぼりしている様を描いています。「しほたれる」(潮垂れる)とは潮水に濡れて雫がたれることですが、元気がない様子、みじめな様子も意味します。諧謔的ですが、雨の中の隊士に対する作者の同情を感じます。(句評:皆川眞孝)
初夏のほかの句
「初夏や髪カットしてデパートへ」 出浦 洋子 「雨あとの木々の匂へる夏初め」 小野 洋子 「久々の銀座の歩道初夏の風」 皆川 眞孝
今月の一句(選と評:大貫美智子)
「田の水の光散らして水馬」 藤戸 紘子
こんなところにも、水馬(あめんぼう)がいた。「あめんぼう」とは、六本の長い足を張って、水面をすいすいと走りまわる昆虫で、「あめんぼ」とも言います(夏の季語)。水馬の漢字は、水の上を跳ね回る様子を馬に例えたからだと考えられます、 これから田植の時期、一面に水を張って苗を待つばかりの田圃、その水面を走るあめんぼの動きを「水の光散らして」と表現しています。作者の、水馬に対するやさしさと、田植を待つ水の輝きに作者の思いが際立っています。 一切の無駄がなく言い切っておられることに感銘いたしました。 (評:大貫美智子)
《添削教室》 藤戸 紘子 「夏燕巣に寄る吾に急降下」 出浦洋子 燕の巣に近寄っただけで、警戒して燕が急降下してきた景を詠んでいます。親燕の子燕に対する愛情がよくわかる頬笑ましい句です。ただ、「吾に」を「吾へ」と助詞を変更することを提案します。「へ」は方向を表す助詞なので、燕の動きがよりリアルになり、また自分に向かってきた恐怖感さえ感じます。 俳句は助詞一つで感じが変わります。 添削後 「夏燕巣に寄る吾へ急降下」 出浦 洋子
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Posted by
皆川眞孝
at 12:09