バイオグラフィ
| 昭和33年春 | 宮崎市で生まれる |
| 昭和48年春 | 宮崎県立宮崎大宮高校入学(当時は合同選抜) |
| 昭和52年春 | 中央大学法学部法律学科入学。 |
| 昭和55年秋 | 「地方の時代」の学者をめざして大学院を受験。
語学力不足で、大原ゼミ全員、散る。 就職活動をしないまま、公務員志望に変更。 |
| 昭和57年 | 国家上級(行政)での環境庁入りを辞退し、
職業としての自治体職員をめざし富山県庁入庁。 同期の職員で勉強会を続ける。 |
| 昭和58年 | 事情があって宮崎県庁の試験を受ける。
2次面接で、副知事から、富山に行ったことを 「若気のいたりだったね。」と優しく言われたのに、 「そんなの結果論です。」と言い返して、 面接を打ち切られる。 |
| 昭和59年 | 宮崎県庁入庁。同期の職員で勉強会を始める。 |
| 平成元年 | 公害課で土呂久公害担当になる。
対県交渉で「患者を背に国に向って」と言われ、 心の中でうなずく。 |
| 平成9年 | 「元気なNPOになる本」を執筆。 |
| 平成18年 | 他県とよく似た「協働指針」案が気になり、
NPO主幹を志願。2年間の志願兵生活を経験。 |
| 平成20年春 | 最後の生涯健康担当となる。2年目からは、仕事の進行管理より、職員の健康管理が気になる日々をすごす。 |
| 平成23年春 | 県北の保健所勤務となり、この国の保健・医療・介護のあり方を、現場の視点で考え始める。 |


