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MI ジャーナル

―はたけと芸術を楽しみつつ、仮説を立てながらいろんな人と協働して問題解決を図り、子どもとともによりよい社会を目指していきたい、そんなことを考えている人のヒントになりたい―


キーワードは、農業(はたけ)・仮説実験授業・楽しさ・子ども劇場・芸術文化・冒険遊び場(プレイパーク)・チャイルドライン・協働などなど(ただし、私の中でつながっているだけで、それぞれに直接的な関係があるわけではありませんので、誤解のないようお願いします)


「MI ジャーナル」とは、Micro Intermideate Journal(マイクロ・インターミディエット・ジャーナル)。元のタイトル「農芸楽仮説変革子ども」は私の関心領域のキーワードをつないだだけだったので、2010年3月3日より、私の日々の情報発信という意味で、MI(村夏至)ジャーナルとしたのですが、2014年9月4日から、MIの意味を変えて、小さいながら何かのきっかけや何かと何かをつなぐ内容にしたいという意味の名称にしました(詳しくは、カテゴリー「21MIジャーナル」をご覧ください)。

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市民が作るTVF2012 市民賞「子ども達が教えてくれたこと」

[2012年03月22日(Thu)]
久々に、自然菓子工房 欧舌の大下さんのブログを見てみたら、私も以前(2010年6月13日の記事)に紹介した、大下さんちの「こびとのおうちえん」を追ったドキュメンタリー作品「子どもたちが教えてくれたこと」(17分36秒)が、市民がつくるTVF(東京ビデオフェスティバル)で市民賞を受賞していて、インターネット上で公開されていることを知りました。

さっそく見てみると、コンパクトな中に「こびとのおうちえん」の良さが詰まった、なかなかよくできた作品。

この作品を観ると、最近の子どもは、どうのこうのと言っている、私たち大人が子どもたちの可能性を一番つぶしているのではないかと考えさせてくれます。短いものなので、是非ご覧ください。

わたしも、毎年冬に、焚き火遊びをしていて実感します。子どもたちは、自然の中で自由にのびのび遊ぶことからいろいろ学ぶし、それをちょっと後押しするだけで、素晴らしい可能性を発揮するということを。

ちなみに、このフェスティバル、全然知らなかったのですが、2011年から始まって今回が2回目。映画監督の大林宣彦さんや作家の椎名誠さんなども審査員になっているのですね。入賞した30作品をインターネット上で観ることができます。


フェイスブックに登録してみて思う

[2012年03月22日(Thu)]
2012年3月に、フェイスブックに登録しました。

それは、ただ一つの理由、最近個人的に盛り上がっているmt(マスキングテープ)のホームページにあるフェイスブックに「いいね!」を1票投じるためでした。

そして、登録してみて改めて、フェイスブックは私には合わないなあ、と思っています。

登録当初、フェイスブックで私がやりたいことがあまりにないので、戸惑ったほどです。

基本的には、フェイスブックというのは、インターネット上で知り合いを探したり、新しい友達を作ったりするためのもののようですね。

ある程度はわかっていたのですが、
私にとって、インターネットは、
1 もともと知っている人とつながる補助手段、とか
2 本などを読んで関心を持った人に直接聞きたいことがあった時などに、つながる可能性があるもの、そして、
3 日頃感じていることや考えていることを発信する場
4 概略などを調べるのに便利なもの

といった位置づけで、知らない人とインターネットを介して何気に知り合いになるということに関心がないもので、フェイスブックをやっていること自体が申し訳ないような気になっています。

それでも、訪ねてくれた人に、何もないとあまりに申し訳ないので、趣味や好きな本などは少し登録させていただきましたし、もう少しは充実させようかと考えていますし、面白そうなことがあったら「いいね!」を1票入れるために、登録はとりあえず続けようと思っています。

友達リクエストには応じないつもりですので、申し訳ないのですがあしからず(リアルな友達になるのは大歓迎です)。


mt文化普及・向上委員会の活動

[2012年03月22日(Thu)]
個人的に盛り上がっている、mt(マスキングテープ)。

mtの認知度を上げるために、手持ちのmtやmtでデコったスマホを見せびらかしていると、逆に私の知らないmtの使い方を教えてもらえたりします。というか、そういうやり取りをして、お互い新しい発見があったりするのが楽しい。

昨日聞いたのは、安全・安心でおいしいケーキやクッキーを作っているNPO法人エルマーの会(重度の自閉症から高機能自閉症・アスペルガー症候群ADHD・LDなどの発達障がい児(者)とその家族の会)の方からケーキを買った時に、パーティなどの時に簡単な食べ物をさして食べるときに使う爪楊枝の持ち手のところにmtを貼ると、目立つし持ちやすくなるという話。

なるほど、と思って、ためしに作ってみました。

120322mtflag.JPG

120322mtflag2.JPG

きっと、作る人が作るともっとおしゃれにできるのでしょう。

なかなかいいアイデアです。

(また、勝手に新しい委員会活動が始まってしまった)



お茶の間 万葉集講座_報告

[2012年03月21日(Wed)]
以前に告知した、「語りと琴のコラボレーション」に参加してきました。

玄関やそこここには、今回の企画のコーディネートをされた方の陶器とともに、心尽くしの花が飾られています。

120320ume.JPG

まず、立川さんによる琴の演奏。

万葉集の歌を歌いながらそれぞれの歌に合わせたオリジナル曲を演奏する、言わば弾き語り。昔は、同じ歌を2回詠んでいたということにあわせて、少しだけ雰囲気を変えて、同じ歌を2回歌います。あとで聞いたのですが、地謡などのような日本古来の発声で、心地よい。

その後、堀さんによる万葉集講座。

120320hori.JPG

今回のメインテーマは、730年1月13日に大伴旅人の屋敷で行われた梅花の宴で詠まれた32首。

私自身は、万葉集についての知識はほとんどゼロ。

万葉集が詠まれたころは、まだ日本人が自然と直(じか)に接していたころのことで、大伴旅人に不幸が重なった時に催された宴だったらしく、その背景など、想像の部分も含めて、解説していただきました。堀さんが震災後の東北に訪れた話しも。

最後に、もう一度琴の演奏。

120320tatikawa.JPG

まさに梅が満開の、春彼岸の中日である春分の日(今年は3月20日)にふさわしい催しでした。
こういう機会でもないと、なかなか万葉集に心を馳せることもないので、貴重な体験です。

和蝋燭(?)の優しい光。

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223_2か月干しのネギを植えてみました

[2012年03月21日(Wed)]
1月22日の記事「干しネギは冬にもできるのか?」の時に裏の倉庫に干したネギ。

朝晩の冷え込みはまだまだですが、2か月経ったところで本格的に植えなおしてみることにしました。

状態としては、こんな感じです。
もともと少し元気だったのと、

120320干しネギ1.JPG

だいぶ元気のなかったの。

120320干しネギ2.JPG

元気のなかったのは、休眠体制に入ろうとしていたのか、もともと少し根元が太くなっていました。それにしても、やはり冬なので、からからには乾かずに、まだ生きている感があります。

次に、上の部分を整理(切り取って)して、

120320干しネギ4.JPG

等間隔に植えていくだけです。

120320干しネギ5.JPG

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さてさて、どんな感じで育つのでしょう。
普通に植えたままだと、これから暖かくなってくると、ネギ坊主ができて固くなるので食べられなくなるのですが。

楽しみです。
ちなみに、乾燥に強いネギは、水遣りをすることはまずありません。今回植えた後もそのまま。


mtでスマホをデコってみた_その2

[2012年03月20日(Tue)]
3月13日に紹介した、mtデコスマホ。地が黒のスマホなので、半透明なmtは少しくすんでしまうなあ(その特徴を使って、誕生花を目立たたせるために、まったく同じ部分のmtを2枚貼るという技を思いついて使ってます)と思って、じゃあ、ケースをデコってみてはと、急きょ透明ケースを購入。

生まれて2回目の挑戦。1回目は何も考えずにできたのですが、2回目ともなると意識してしまうので・・・。同じ木の下に、2匹目のドジョウはいるのか?

というわけで。

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120320mtsmapho2.JPG

着せ替えmtスマホのできあがり。

120320mtsmapho3.JPG

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デコってみたあとで、もっとmtをクリアに魅せるためには、白ケースのほうがいいのでは?と思ってしまった。

まだ、このネタで引っ張るつもりなのでしょうか、私?

自慢して見せたりすると、普通に面白がってくれる人、すごく感激する人、(私がおじさんなので)ちょっとギャップが・・・と反応する人。さまざまでそれも楽しい。



「『地域円卓会議』のススメ」のススメ

[2012年03月20日(Tue)]
2009年3月19日、自民党政権時代の麻生首相のときに内閣府に発足した「安全・安心で持続可能な未来に向けた社会的責任に関する円卓会議」。

IIHOE[人と組織と地球のための国際研究所]の川北さんが関わっていたので、当初から注目していました。民主党に政権が変わっても、なんとか続いていたみたいですけど、鳩山政権の「新しい公共」のほうにお株が奪われた印象になってしまっていたのですが、久々に内閣府にあるホームページを覗いてみたら、「『地域円卓会議』のススメ」というPDF8ページのパンフが、3月9日にアップされていました。

実は、3月16日の記事「ワールド・カフェ方式って何だ!」で紹介したワールド・カフェも、円卓会議の一つのやり方と考えていいと思います。

今、それぞれの地域で課題が山積です。でもそれをどう解決していけばいいのか、と考えたときに、市民だけ、とか企業だけ、とか行政だけ、といった従来の方法では無理。しかも、地域それぞれ特徴が違うので、統一的な解決法があるわけではありません。

そういうときに、円卓会議というものが有効なのだと思います。円卓会議自体はまだあまり一般には認知されていなくて、そういう言葉を使わなくても行っているところはあると思います。

円卓会議とは、いわば、課題に対して、それに関係するさまざまな団体や個人が、それぞれの立場のままで参加し、それぞれの持つ資源やアイデアを出し合いながら、解決の方法を探っていく方法と言えるでしょう。

これまでありがちだった、「じゃあ誰がそれをするの?」とか「じゃあ、誰が責任を取るの?」と問われたときに、「参加者みんな」とか「参加者の中でできる団体や個人が、できる範囲で」といった答えとともに、問題解決に向けて行動していく方法とも言えるでしょう。

今までのように、「あそこが責任もってやってくれないから」などと愚痴を言って自分は動かずにうやむやのまま、といったやり方だとダメでしょう。ということが、だんだん認知されてきて、動ける人が動けばいいんだ、という考え方が、徐々に認知されてきた。

市民社会が少しは成熟してきたといえるのでしょうか。

一人でも多くの人に、この考え方に興味を持っていただき、地域の課題解決が進むことを願ってやみません。

インターネットで、「『地域円卓会議』のススメ」で検索すれば、川北さんのブログや内閣府のホームページが出てきますので、是非見てみてください。

私はというと、とりあえず、先日の会議で出た休校予定の中学校を活用したプロジェクトに関わっていきたいと思っています。



222_春の芽吹き

[2012年03月19日(Mon)]
221_春の芽吹き

遊び呆けていたり、雨が降ったりと、すっかりはたけ仕事をごぶさたしているうちに、しっかり春の足音が。

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花香遊から帰って、たまった生ごみをコンポストに入れるためにはたけに行くと、水菜にはきれいな菜の花が咲いています。

おっと、ブロッコリーにも花が咲き始めている。

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夕食に、ブロッコリーはゆがいてそのまま、芽キャベツはスープに使いました。

さらによく見てみると、
何だと思います?

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アスパラガスの新芽です(結構太い)。

まだ朝晩の冷え込みがあるためか、紫色が強い。

今年は、例年より早めに楽しめそうです。



花香遊(2012年3月18日)

[2012年03月19日(Mon)]
雨で予定していた焚き火遊びを中止にしたので、毎年、柳井市の白壁の町並みでこの時期に行われるイベントに参加してきました。

イベントのコンセプトは、下記の通り。

歴史と文化の香り漂う白壁の町並みで、花と香りをテーマに、ふる里の味や遊びを愉しみます。

第9回目にして、私は初めての参加(白壁の町並み自体は数回目)。

元々行ってみたかったというのと、現在進行中の企画「ご当地mt」のデザイナー候補が似顔絵描きをやっているという情報を、彼女のブログで知ったので、直接お話をするために。

雨が降ったり止んだりのお天気だったので、いつもよりは人手は少し少なめだったのかな?

たまたま知り合いが、醤油蔵で篠笛の演奏をやっていたり(醤油の香りがいっぱい)、

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柔らかな心安らぐホルンとアルペンホルンの演奏(なんか見たことあるような、と思っていたら、岩国のワインバーで会ったことがある人でした)があったりと、結構楽しいものでした。

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おススメイベントです。

ハングを持って行ったので、ちょっとだけ飛び入り演奏をしたりもしました。



「おはよう忍者隊ガッチャマン」恐るべし

[2012年03月18日(Sun)]
ZIPという朝のテレビ番組で、7時55分あたりに放映される「おはよう忍者隊ガッチャマン」が今つぼです。

忍者戦隊ガッチャマンをリアルに見ていた私たちの世代にジャストミートなギャグで、毎回楽しませてくれるのですが、3月16日の金曜日。なな、なんと、

元広島東洋カープに正捕手にして、現野球解説者の達川光男さんの物まねで、「あのね、あのね、言わしてもらいますがね、岩国はね、あれは山口」という、県境にあるため広島県によく間違えられる岩国のことが出ていてビックリ。

達川さんもローカルだけど、さらにローカルな岩国が出てくるとは、ガッチャマン恐るべし。

直前の巻だけ、ホームページで公開しているので、3月19日の朝までは、見ることができます。

見逃した人は、インターネットで「おはよう忍者隊ガッチャマン」で検索急げ!!



ご当地mtへの道(あらかじめ提案書を公開するという企画の進め方)

[2012年03月18日(Sun)]
2012年3月10日に、大阪駅近くのNU chayamachiで開催されているmt Store in OSAKAの会場で、カモ井加工紙の社員さんにお話を伺ったところ、ご当地mtというものはまだあまり作られてはいないようで、どちらかというと企業のノベルティグッズやサークルなどの会員向けグッズとして単色小ロットで依頼を受けて生産はしているのが多いとのことでした(その時に、最低の生産ロット数や、和紙の印刷が難しく、歩留まりが若干悪いこともなども伺いました)。

ということで、簡単な提案書をを作ってみることにしました。
 ↓PDFの文章です。
mtprezen120318pdf.pdf

こういう時、話としては、単純に個別の注文による発注か、企画会社や広告代理店が、企業の営業戦略の一環として、mtを制作することを提案したりして、そういったところが企画から制作までを請け負い、製品を納品するというパターンが多いのかなあと思います。

後者のパターンでいくと、従来通り都会にたくさんのお金が落ちてしまう。

私としては、そうではなくて、できるだけ地方にお金が回る形で、カモ井加工紙さんと話を進めたい。そして、こういうことは、普通は個別に話が進むのでしょうが、今後地方からいろんな発信していくというときに、事例をオープンにして、こういうパターンもありなんだということを示しながら、進めていきたい。

大手の広告代理店などに楯突こうというわけではなくて、多分、そういうところは本当のプロとしてやっていく仕事はあるだろうけど、小さな仕事では、もっと地方に直接仕事がまわってもいいのではないか、という提案なのです。

ちなみに、提案書というと、対象は誰なのかというのが、必ず問題になってくるわけですが、私が発信したいのは、カモ井加工紙さんだけでなく、地方のデザイナーや地域おこしを考えている人など、いわば不特定多数の人に対してになりますので、こういった形での提案ということになります(実現レベルでどういう形になるかはいろいろ考えられますので)。

なお、1の具体的な提案の中の(1)については、現在具体的に3人のデザイナーの人(岩国若しくは岩国近隣在住で2人は実際に商業的なデザインに携わっています)に声をかけている段階で、いずれも好感触を得ています(もちろんまだ下話段階です)。より、地域への広がりのある形で具体的な提案を検討中です。


俳句、短歌、自由詩、散文―表現するということ

[2012年03月17日(Sat)]
自分を表現することは難しい。というか一般的には、年を経るにつれて、いらない知識や経験が積み重なって、自分を表現することを妨げているような気がする。

大げさに書けば、日本社会では、自分を表現することを歓迎しない雰囲気があって、そんな中で大人になっていくと、意識せずに、自分をあまり表現しなくなってしまうように思う(だから、いざ表現しようとしてもできない)。

前の記事で、「句会」のススメを書いたものの、実際には、「句会」を呼びかけても、たくさんの参加があるわけではない。

やっぱり、大人になって、自分の気持ちを表現するのは、一般には単純に恥ずかしいことだと思う(本人が意識するほど、他の人はその表現によってのみでその人を判断したりしていないし、だいたいそれほど気に留めたりしないんだけど)。

私自身で考えても、うまく表現できる時と、まったく表現できない時がある。

しかし、表現してみて、それについて他人から批判されたり、共感されたり、やりとりすると、自分がふと軽くなったり(逆に重くなることも)。

またまた、大げさに書くと、人はお互い補完し合うようにできているので、自分を表現する趣味のようなものは持っていたほうがいいように思う。それこそ表現の仕方は、人それぞれでいい。自分が関心があることを追い求めれば、自然と自分なりの表現方法というものが身に付くと思う。

表現というものがあって、私たちはお互いにコミュニケーションをとることができて、補完し合うことできるのだと思うので。

ここで、前回記事にした「句会」の時に話題になったことを、俳句を趣味としているメンバーに言わせると、俳句→短歌→自由詩→散文の順に自分の露出度が上がっていくので、自分は、俳句の煮詰まり具合がちょうどいい。着物で言うと、だんだん裸になっていくようで、散文などとても書けない。

で、それと関連するようだけど、あの震災ののち、俳人として有名だった人が短歌の句集を出して、話題になったそうです。「なぜ、俳人が短歌を書いたのか」と。

でも、その当時は、思いがあふれすぎて、俳句で収まりきらずに、短歌になったのではかいかと言われているらしいです。その後、その思いがだんだん凝縮して、俳句を書けるようになったとも。

ただ、表現には、「表現しない(できない)」という表現もあって、

私がいつも対照的なカメラマンとして引き合いに出す、時代の雰囲気を敏感に映し出す篠山紀信さんと、被写体との関係性をきっちり写し込むアラーキーこと荒木経惟さん。

今回の震災について、いち早く写真集を出した篠山さんに対して、被災地は訪れたものの写真は撮れないと言った荒木さん(撮ってはいけないという意味ではなくてその時、荒木さんには撮れなかったのだと思う)。

やはり、私は荒木さんが好きです。



「句会」のススメ

[2012年03月17日(Sat)]
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もう1週間前になってしまったことに驚くほど、今週もいろいろなことがありました。
実は先週末に関西方面へ旅をしたメインの目的は、「句会」に参加するためでした。

「句会」と言っても、趣向を込めた同窓会なのですけど。

実際にどんなことをするかというと(いろいろヴァリエーションがあると思われますが、今回やったことを書きます)、

@参加者それぞれが出した兼題(事前に出しておくお題)と席題(当日集まってから出すお題)を使って、時間を決めて俳句を詠み、題ごとに用意した封筒に俳句を書いたものを入れていく。
A題を出した人が、それぞれの封筒に入った俳句を題ごとにまとめて清書する(そうすることによって、誰が書いたかわからなくなる)。
B清書した題ごとの俳句を読んで、1人1題ごとにいいと思うもの(正選)にプラス1点、ダメ(いや、好きでない)なもの(逆選)にマイナス1点を、清書した俳句の余白に書き込む。
C投票が終わったところで、題ごとに各俳句に入った点を集計する(正選2票で、逆選1票なら、合計1点)。
D集計が終わったら、各題を出した人が司会となり、例えば、得点の高かった俳句から、正選、逆選を入れた人にそれぞれその理由を語ってもらい、評がでそろったところで、「私が、これこれこういう思いを込めて詠んだものです」と解説をして、さらに言いたいことがあれば言い合う。
E最終的に、合計得点を出す(今回は、Dの時点で午前0時をまわったため、当日仕事であまり寝ていなかった人もいたりして、みんな爆睡したので、翌日みんなが帰った後に集計結果を発表)。


これを、お風呂に入ったり、散策したり、食事をしたり、お酒を飲んだりしながらやっていくわけです。

勝った負けたというのは、誰も話題にせず(もちろん正選が入るとうれしいし、逆選が入るとくやしい)、俳句をネタに、ひたすらしゃべる。とりあえずは誰が読んだかわからないので、結構辛辣に言い合います。でも、そんなことを気にする人はいません。

この心地よさを何と表現したらいいのでしょう。

前も書いた通り、私などは日頃俳句を読むなんてことはないので、季語からしてちゃんと知っていない。それでも、今回、句集も出している本格的な人がメンバーに入っていて、私が勝手に季語だと思って使った言葉に、「すごい使い方だ」などと言われたりすることもあったり。

もちろん、そういうふうにメンバーの中に詳しい人がいると、解説の時にいろいろ説明してくれて勉強になる、というか興味深い。

この句会、大学の同級生の間で20年前くらい前の数年はやって、7回ぐらい開催(うち、私が参加したのは数回)。今回は、その第一回目を行ったところで、20年ぶりの開催となりました(メンバーは、ほぼ全回参加している人から、今回初めて参加するひとまでまちまち)。

昔は、私は、無知を武器に、もっぱら受け狙い(逆選狙い)の句を詠んでいたのですが、年月を経てしまうと、単純な受け狙いの句は詠めなくなってしまい、凡庸な句になってしまったきらいがあります。それでも、そんなことはどうだってよくて、その時の気持ちはある程度詠めたように思います。

そして、句会が終わった後、最近睡眠不足気味の私は、自分でもびっくりするくらい爆睡していました。きっと、思ったことを俳句に詠み、そして、同じ題で詠んだほかの人の句を読み、散々勝手に言い合って、日頃たまった澱(おり)のようなものが、一気に飛び散ったのではないかと思います。

翌日の朝、結婚式や仕事でメンバーが抜けた後、残ったメンバーで尽きない話をしていたとき、私が爆睡したことを話したら、俳句を趣味としているメンバーは、夢ばかり見て何度も目が覚めたというのです。日頃から俳句をやっていながら、最近は仕事が忙しくてあまり詠めてなかったそうで、そのため、スイッチが入ってしまい、日頃考えていることなどが一気に頭の中を巡ったみたいです。

そういったことを話すのもまた楽しい。

気の置けない仲間同士での「句会」。おススメです。



個人を悪者やヒーローにして安心してませんか?

[2012年03月16日(Fri)]
民間の事故調査委員会の報告書が出たときは、菅元総理が補佐官らを寄せ付けずに勝手に判断したのがよくなかったといい、今日の報道では、原発から撤退しようとしていた東電社員をしかって踏みとどまらせたと言い、菅元総理を眼の敵にしたり、持ち上げたり。

マスコミの人たちは、多分悪気がなくて、ニュースとしてわかりやすいというか、原因結果のはっきりしたものを求めてそうなってしまったことだとは思います。

しかし、今回の原発事故で一番問題なのは、原発の原理自体は単純なのにもかかわらず、熱源である燃料棒を制御するためには常に電気が必要であるように設計されており、そのほかにもさまざまなテクノロジーを駆使する必要があり、それをコントロールするのは人間であることからして、いかなる危機的状況になっても、次から次へと組織として対応できるようにマニュアルを整備していなければならなかったのに、そういうマニュアルもなく、どうしようどうしようとタダの烏合の衆になってしまっていた組織的な問題であって、個人の判断に頼らなければならない状況にしかできないのなら、残念ですけど、原子力発電は人間が取り扱うものとしてはご遠慮いただかないといけないということなのだと思います。

それは、例えば、火力発電所が自然災害で大破して、大事故になったという状況とはまったく違う。

火力発電所にある燃料が事故で燃えたとして、時間がかかって多くの二酸化炭素や有毒ガスを出したにしても、被害の程度は予測できる。

しかし、原子力発電所の場合、燃料棒が制御できなくなった場合、そこから発生する放射能によって、非常に長い期間被害を出し続け、それを取り戻すためのコストは莫大なものになる。それを、その段階段階で、どういった対策を組織として取ることができるのかということが定まっていないということでは、天災と同じになってしまう。

例えば、地震などの天災は、まだまだ完全な予測なども難しいため、完璧な対策をとることは難しい。

一方、原子力発電所は、自然の摂理を活用しているものではありますが、人間が作ったものです。コントロールを失ったときに、甚大な被害をもたらすことはあらかじめわかっています。だったら、とる道は2つに一つしかありません。どんな事態に陥っても、常に次善の策をとって、被害を最小限に食い止めるような方策を考え抜いた上で作るか、それが(コスト的に)無理なら手を出さない。

百歩譲ったとして、研究は続けてもいい(研究をしているうちにさまざまな知見を得ることができるでしょうから)けれども、それは、巨大な被害をもたらすことのない規模のものにする(実際に大学の研究施設では、適正な規模での実験・研究は行われていると思います)。

結局、原子力発電所は、巨大装置型の産業であり、さまざまな利権がからんでいるがために、見切り発車してしまい、既成事実として、安全であると関係者は信じてしまって、緊急事態が起こったときに、なすすべがなかった。

コントロールを失ったときには大変なことになるということだけは、わかっていたので、逃げることしか考え付かなかったわけです。

個人に判断を委ねなくてはならず、組織として淡々と仕事をすることができなかったことが最も大きな問題なのだと思います。

繰り返しになりますが、コントロールを失えば取り返しの付かなくなる可能性を秘めた規模ものを、淡々と封じ込める方策がないのに、作ってはいけないのだと思います。


ワールド・カフェ方式って何だ!

[2012年03月16日(Fri)]
平成23年度県民活動促進事業「中核的人材育成事業」として、
つながろう!地域の力
「ワールドカフェ方式で、地域の力を結集した持続可能な新事業を開発してみよう!」
というイベントが2012年2月19日(日)に開催されました(いわくに市民活動支援センター主催)。

チラシによると、この会の趣旨は、

海・川・山の豊かな自然と文化がつなぐ岩国のまちには、そこに暮らす人々の郷土愛や志に育まれた多彩な地域の力があります。
これらをつなげばきっと、新しい“岩国の未来”が見えてくるはず。新しい事業や地域づくりの夢やアイデアなどは、くつろいだ雰囲気の中のほうが生まれやすいと言われています。おしゃれなカフェに立ち寄った気分で、お茶と菓子を楽しみながら、これまでのこと、これからのことなど、一緒に考えてみませんか。


私は残念ながら、仕事で参加できなかったのですが、昨日3月15日に、2月19日の参加者に呼びかけて振り返りをして、さらに話し合いを進めるということを聞いたので、休みを取って参加してみることにしました。

ワールドカフェ形式というのがちょっと気になっていたので。

この行事。鳩山さんが首相の時に盛んに言われていた「新しい公共」というものを進めるために国からの助成金を使って、新たに事業を作り出そうという趣旨のもののようで、いい事業であればモデル事業として助成金をもらえるようです。うかつにも、私はまったく知りませんでした。

10人ちょっとという少人数で、しかも、参加者はこれからのリーダー候補ということで、こういった会議のファシリテーター(司会兼進行役兼調整役のようなもの)としての心構えや具体的なテクニックなどの解説も交えながら、2グループに分かれて実際の事業を考えていきました。

2月19日に開催された会議の報告書を参考に話を進めていったのですが、これがなかなか秀逸なものでした。「新しい公共」や「ワールド・カフェ」などの用語解説もちゃんと入れ、グループで話し合われたことを簡潔に書いた上で、要点を3、4点にまとめてあり、参加していなかった私にも、会議の様子がある程度把握できました。

私のグループは、ある地域で実際に社会福祉協議会の会員として、地域の魅力を見つける活動をしている方がいたので、その地域にある休校予定の学校を活用して、人が集う場やグリーンツーリズムのようなものを展開する案を考えました。

いろいろとクリアしないといけない問題はあるにしても、うまくいけば十分実現可能な具体的な話になり、とても楽しかったです。

ワールド・カフェ形式とは、「“カフェ”のようなくつろいだ空間の中で、参加者がルールに沿って自由に会話を行い、創造的なアイデアや知識を生み出したり、互いの理解を深めることができる、という可能性を秘めた話し合いの手法」で、ワークショップの進化形と言えるものなのでしょう。

ファシリテーターの力量がとても重要になるのですが、それプラス今回は、実際に自分たちでも実践をしている人が集まっていたので、相乗効果で話がうまく進んだ実感があります。

ちなみに、講師というかファシリテーターをしたのは、コミュニケーション技研代表の中山淑子さん。<九州・山口を中心に活動する都市計画プランナー・地域づくりコーディネーター>という肩書をお持ちの方で、山口県の下関に住んでおられ、山口県農林水産審議会員など山口県のいろんな役職もお持ちです。「普通の講義だったら、いいお話を聴かせてもらってありがとうございましたで終われるけど、私は山口県に住んでいるし、岩国にも責任を持って関わっていこうと思っています」という力強い言葉をいただいたので、私もこの動きにか関わっていかないといけないなあと改めて思いました。



タクシーのIT化について(システムから考える社会変革)

[2012年03月15日(Thu)]
先週末に久々に関西方面に旅行をして、ちょっと飲みすぎて地下鉄の最終をのがしてしまい、タクシーに乗る羽目になってしまったときの話です。

運転席の横を見ると目の前にGPSとディスプレイがあったので、思わず聞いて見ました。

私(以下M):タクシー乗るの久々なんですけど、GPS積んでるんですね?便利なんでしょうけど、働くものとしてはどうですか?

運転手(以下T):便利だけど、まあ、今どこにいて、お客さんを乗せているか、乗せていないか、休憩しているか、とかいうのが全部本社にわかってるからね。ごまかしがきかないと言えばきかないね。

M:そのパネルは?

T:小さいながら、ちゃんとウインドウズがはいっているんだよ。

M:つまりパソコンってこと?

T:そうそう、で、お客さんのことを入力できるようになっているんだけど、導入当初はいらない機能がたくさん入っていて、例えば、お客さんの背の高さとか、服装とかを入れるようになってたんだけど、そんなの夜なんかは暗くてよくわからないし、今は、一番必要な、お客さんにも最初に聞いた、ポイントカードを持っているかどうかを主に聞くようにしているんですよ。

M:ああ、コンビニのレジで入力する顧客情報のまねっこで、タクシーに使うということをちゃんと考えてなかったんでしょうね。そういうシステムって、最初のころに導入した業者は、お金をもらってもいいくらいですよね。実際に使ってみて、修正箇所を教えてくれるわけですから。

T:まあ、そうなんだけど。で、ポイントカードを持っている人の動きっていうのは、本社で確実に把握しているよ。
ただ、(フロントガラスの中央上に付けてある)こいつは役に立つね。

M:なんですかその丸いの?

T:カメラが付いてて、ずっと撮影してるんだけど、この機械に振動が伝わったときに、前後10秒くらいを記録するようになってて、毎日カードからその情報を本社で吸い上げて、空にしてまたカードを入れるようにしているんだよ。これがあると事故があったときにどういう状況だったか一発でわかるんで便利なんだよ。ただ、急発進なんかをして振動した場合にも記録するので、運転の荒い人がわかるので、同じような人がいつも怒られているよ。目の前で自分とは関係ない事故が起こったときなんかも、この機械をたたいて振動を与えると、記録してくれるので役に立つこともあるよ。

M:すごいですね、文明の利器というものは。でも、最初の話じゃないけど、だんだん世知辛くなって余裕と言うものがなくなりますね。

T:うん、私は自分でもパソコンを触るほうだから抵抗ないけど、触るのもいやって人もいて、パネルに入力するのがいやでやめていった人もいるね。

などと話しているうちに、目的地に着いて、

T:このあたりは価格競争が激しいから、この時間帯でこの値段なら安いでしょ?

M:ありがとうございました。確かに田舎に比べたら安いように思いますね。

てな感じの会話を楽しんで降りたわけですが、いろいろと考えさせられる20分間でした。

タクシー業界もどんどんIT化が進んで、顧客管理が進み、その結果顧客サービスも進んでいることがうかがえます。

しかし、です。

まず一つには、そのことによって、運転手さんはいつも監視されていて、緊張感が伴う(普通に仕事をすればいいのでしょうけど、なんだかね)。

パソコン入力になんとなくなじめない運転手は、疎外され、場合によってはやめざるを得なくなる。

そして、カードを持ったタクシーをよく利用するお客さんの個人の動きという個人情報が、把握されてしまう(まあ、悪用はされないのでしょうが)。

その結果顧客サービスが向上するのでしょうけれども、その顧客って、タクシーをよく利用する人ですよね。そういうお客さんへのサービスは向上する(そして、お金儲けにはつながる)かもしれないけど、考えてみると公共交通とも言えるタクシーにとって、私などのようにたまにしか乗らなくてポイントカードも持っていない、多くの人のほうが大切なのではないかと思うのは、私のうがった考えでしょうか?

つまり、コストをかけて、特定の顧客のための情報をせっせと集めて、そういった顧客にサービス(ポイントによる割引なども含めて)いることになってしまう。

どうせお金をかけるなら、お金持ちの顧客情報を管理するためのパソコンやソフトの導入より、生身のお客さんに対面で接して、ちゃんと節度ある気持ちいい接客に徹するための研修に使うほうがいいような気がするのですけれども・・・(いえいえ、断っておきますが、今回私の乗ったタクシーの運転手さんはとてもいい感じの人だったです)。

逆の発想をすると、よくタクシーを使う人は、それなりにお金を持っていて、どちらにしてもタクシーを使うわけだから、そういう人にはちゃんと支払っていただいて、なけなしのお金でたまにしか使わない人に割り引く、という考え方があってもいいのではないかと思うのです [これはタクシー会社のCSR(企業の社会的責任)?]。

これって、そういう考え方を前面に出してやってみると、もしかしたら顧客が増えるかもって思う私って、甘すぎるのでしょうか?

例えばシステムでの作り込みを考えると、これまでのポイントカードを使って、ポイントが初乗り1区間分(例えば590円分)たまったら、必要上1区間分乗りたいお年寄りなどが乗ったとき、運転席の後あたりについているボタンを押してルーレットのようなものが回るようになっていて、当たりが出ると、その1区間分がタダになる。当たったと同時に、そのポイントカードの持ち主の携帯に、「あなたのポイントが、京都駅から乗ったご老人の1区間分の乗車料に使われました。ありがとうございます」というメッセージが入る。もっと作り込めば、乗車席に手書きのパッドが置いてあって、乗車料がタダになった人から手書きの一言メッセージが携帯に送れる仕組みになっている。「急にちょっと重たい荷物を運ばなくてはならなくなって、困ってタクシーに乗ったのですが、無料になって助かりました。ありがとうございます」みたいな。そういうのって、自分の乗車料がポイントに合わせて安くなるのよりずっとうれしくないですか?

こうやって、税金を介さずに、お金が再配分される仕組みは、私がちょっと考えてみるただけでもこの程度なら出てくるので、退職したシステムエンジニアの人などが、グループを作って、安い時給でそういうシステムを構築すれば、もっといいものができるのではないか、などと考えているのです。

こういう、システムが社会をつないでいく、社会をつないでいくシステムを考える。楽しいやりがいのある仕事になるのではないかと思うのですが、いかがでしょう?



mt でスマホをデコってみた

[2012年03月13日(Tue)]
3月10日にmt Store in OSAKAで入手したmtの数々。

せっかくなので遊んでみることにしました(大阪限定mtをふんだんに使って)。

1月に(3月に終了するムーバから)、買い替えたスマホをデコってみることに。

120313f-12c back2.JPG

別の角度から。

120313f-12c back1.JPG

ついでにもう一枚。
I LOVE の余白に、mt シールの MT の部分を貼って、I LOVE MT をつくってみました。

120313f-12c back3.JPG

やっているうちに夢中になって。1時間ちょっとがあっという間。

表を向けると、ただのスマホ。

こんなことをしたのは初めてですが、結構いけているのではないかと自己満足。

120313f-12c front.JPG


『ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』

[2012年03月12日(Mon)]
『ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』(2011年、ドイツ・フランス、監督:ヴィム・ヴェンダース)

2つ前の記事で、この映画の第一印象を書き込みましたが、旅先のことでもあったので、あらためて書いてみます。

しかも、この映画の感動を、これから観る人のためにできるだけ内容に触れずに。

まず、この映画のことを表現する言葉として思いついたのは、
「技術が、その中身とともに適切に用いられたとき、そこには奇跡が生まれる」

3Dというものを、単に立体的に見える技術として用いただけなら、これほどの感動を呼び起こしてくれるはずはありません。

私などは、もう出だしから度肝を抜かれ、唖然として、涙が出そうになりました。

何度もコンテンポラリーダンスの生の舞台を見たことがありますが、それとは違う体験なのに、ダンスというものを体験させてくれる。

それは、例えば、群舞の場面では、俯瞰のアングルがあったと思えば、次にはダンサーに肉薄し、時にはデュエットの相手方の視点になり、自在に視点が変わるという点。

そして、リハーサルや事前準備を相当かけたにしても、一回性の芸術であるダンスをここまで完璧なまでのカメラワーク(フレームワーク)で追っており、画面構成が素晴らしすぎる点。

中に挿入される過去のフィルムを立体像の中に組みこむ巧みさ。

ピナ・バウシュ率いるヴッパタール舞踊団の個々のメンバーのインタビューを、個々のメンバーの顔と、声、そして、ソロダンスで表現している点。

出だしと最後に出てくる、シンプルだけど、心に響くある振付。

音楽とダンスの融合。ダンサーにカメラが近づいた時のダンサーの息遣いや動きによる音。

すべてにおいて、丁寧にピナ・バウシュに対するリスペクトの念がいかんなく表現されています。

いい映画にもいろいろなパタンがあります。大きく分けて2つ。

続けて何度でも観たくなるもの、そして、1度の出会いで十分なもの。

この映画は、続けて観たいと思うと同時に、とりあえずおなかいっぱいなのでもう少し時間をおいて、おなかの中(体の中?)で咀嚼して、しばらくしてからもう一度観たい(私の場合は、近くの広島でそのうち上映されるだろうと思われるので、その時に観たい)、と思わせるものでした。

江戸では、かなり話題になっているようです。ただ、ある意味それは当然と言えば当然。なぜなら、江戸には、以前にも書いた通り、3000万人以上住んでいるので、その0.01パーセントの人が関心を持ったとしても、3000人の人が関心を持っていることになるからです。

例えば、山口県では同じように0.01パーセントの人が関心を持ったとして、広い県土の中に150人の人しか関心を持つ人がいないことになるわけですから、なかなか興業的にはやっていけないわけです。

前の記事の繰り返しになりますが、有名な俳優がいないので話題性がなく、タイアップもないのでお金儲けにもならないので、なかなかマスコミなどでは取り上げられない部分があると思いますが、こういう時にこそ、個人個人が声を上げないといけないのではないかと思います。

こんな素晴らしい映像体験は、なかなかありません。しかも、劇場の広い画面ならでは(眼鏡型のプロジェクターで十分などと言わずに)ですから、是非劇場に足を運んで、その感動を身近な人に伝えたり、ブログなどで伝えましょう。

"dance,dance,otherwise we are lost"

「踊り続けなさい、そうしないと、私たちは迷い子になってしまう」(村夏至訳)

ピナの言葉は、まさに人生そのものに対する言葉なのです。

コンテンポラリーダンスなんてよくわからないから、という人にこそ見てほしい映画です。

何も映像がないとさみしいので映画のチラシを掲載しようと思ったのですが、最近、上映している映画のチラシは置いていないので、手に入ったら掲載しようと思います。



今回の一番お気に入りmt

[2012年03月12日(Mon)]
mt Store in OSAKA で入手した中で、一番のお気に入りは、mtに関するデータをグラフにしたものが柄になっているmt。ガチャポン限定だったので、当たった3本のうち2本はこれにしました。ちなみにあともう一本は、モールス信号の柄。

とてもかわいい。

1203mtgraph1.JPG

1203mtgraph2.JPG


mt Store in OSAKA_報告

[2012年03月12日(Mon)]
3月10日(土)にはるばる山口県から参加してきました。とりあえず報告を。

011203mtstoretirasi.JPG

当日は、9時半すぎにNU chayamachi に到着。心配していた通りすでに4人並んでいたので5人目。待っている間に徐々に列が増えていきました。

021203mtiriguchi.JPG

11時にオープン。しかし、5番目なので、余裕で限定mtをゲット(その直後、激しいことになって、限定mtのうちのいくつかはあっという間になくなっていました。のんびりいろいろ見て回っていたら、パンケーキレシピの柄のがどうしても欲しかったのにとつぶやいていた小さな子どもを連れたおかあさんがいたので、清算前だったので一つ分けてあげました)。
ガチャも5回を2回にわけてやって、あたり券を3枚手に入れました。

091203mtgacha.JPG

その後も、これだけの品ぞろえを見ることがめったにできないので、あっち行ったりこっち行ったり、じっくり1時間以上見させてもらいました。

シールみたいになったのや、

031203mtsheel.JPG

関連書籍(公式ガイドブック)や、

041203mtbooks.JPG

テープカッターとか詰め合わせセットなどもありました。

051203mtgoods.JPG

鏡に、今回限定のやガチャポン限定のmtが貼ってあったりもします。

061203mtpancake.JPG

ワークショップコーナーでは、星形とハート型の型紙が置いてあり、1人1枚限定で、置いてあるmtを自由に貼れるようになっています。私も遊んでみました。

071203mtworkshop.JPG

mtにする前の粘着のりを付けていないものをラッピングペーパーとして売ってたりもするんですね。

081203mtrappaper.JPG

結局、案内はがきに使ってあるmtはほとんど手に入れることができ、公式ガイドブックも買ってしまいました。

101203mtkounyuu.JPG

最後に今回の旅の主目的である句会に参加する人用に1つずつお土産として買って、大満足でした。

やっぱりmtは楽しい。



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