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MI ジャーナル

―はたけと芸術を楽しみつつ、仮説を立てながらいろんな人と協働して問題解決を図り、子どもとともによりよい社会を目指していきたい、そんなことを考えている人のヒントになりたい―


キーワードは、農業(はたけ)・仮説実験授業・楽しさ・子ども劇場・芸術文化・冒険遊び場(プレイパーク)・チャイルドライン・協働などなど(ただし、私の中でつながっているだけで、それぞれに直接的な関係があるわけではありませんので、誤解のないようお願いします)


「MI ジャーナル」とは、Micro Intermideate Journal(マイクロ・インターミディエット・ジャーナル)。元のタイトル「農芸楽仮説変革子ども」は私の関心領域のキーワードをつないだだけだったので、2010年3月3日より、私の日々の情報発信という意味で、MI(村夏至)ジャーナルとしたのですが、2014年9月4日から、MIの意味を変えて、小さいながら何かのきっかけや何かと何かをつなぐ内容にしたいという意味の名称にしました(詳しくは、カテゴリー「21MIジャーナル」をご覧ください)。

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雑誌くるとん 8月号 発売

[2010年07月31日(Sat)]
岩国の小さな楽しみ音符見つける月刊誌 雑誌くるとん8月号が配達されてきました。


今回は、錦帯橋のたもと横山が、小さな旅特集。
食べ物は、夏らしく冷やし中華特集。

そして、みんなで子育てシリーズは、「わくわく科学クラブ」。私の知り合いが1991年から始めた科学教室。現在は、学期ごとに月1回のペースで、小学校低学年、中学年、高学年以上の3クラスにわけて行っています。

記事の中には残念ながら出ていません(まあ、いきなり仮説実験授業と書いても、説明が長くなってしまうので仕方ないでしょう)が、仮説実験授業の授業書で授業を行っていて、私もごくたまに講師をします。先生でない私が授業をするチャンスをもらえるところです。

これまでも書いていますけれど、仮説実験授業は、大人が受けても十分楽しめます。


195_サツマイモ畑の草取り&つる返し

[2010年07月31日(Sat)]
6月最初に植えて、1度だけ草取りをしたサツマイモ畑。
草もサツマイモも伸びてきてどこが畝だかわからない状態。


ということで、2度目の草取り。そして、つる返し。

炎天下で、汗がたっぷり出ましたが、その甲斐あって、ちょっとすっきり。


まだ、つるを取るほどではないのですが、つる返しをするときに切れてしまったつるは持って帰って、夕食のスパゲティの具に使いました。

授業書案<グラフで見る世界>

[2010年07月31日(Sat)]
仮説実験授業研究会 夏の大会報告2

3日間の大会の中で、約3時間ずつ4コマの時間帯で20以上の分科会(提出された資料は全部で約450本で、2コマ以上継続される分科会も)が設定されました。分科会を少しずつ渡り歩く年もあるのですが、今年は一つずつじっくり参加しました。

ついでに書くと、大会では、ナイターと称して、分科会でさらに検討したいテーマやものづくりなどさまざまな分科会のようなものが自主的に開催されます。

その中の一つ、グラフの分科会で印象に残ったのは、授業書案<グラフで見る世界>。グラフ入門的なもので、2部構成になっており、第1部は「いろいろなグラフ」。「グラフというのは、どう描くかによって、まったく違ってみえてくる。そんな驚きやたのしさを最初に伝えたい!」という作者の言葉通り、一つの題材をいろいろ書き換えることによって、グラフを描くときの注意点なども含めてグラフのたのしさがわかりやすい展開になっています。

2部は、時間が足りなかったので、ナイターでの検討になって私は参加できなかったのですが、「グラフを描いてみよう!」ということで、何種類かのグラフを丁寧に順を追いながら作成していくというもの。

今回初めて提出(何度改定を重ねても、なかなか完成の域に達しないものもたくさんある)ということで、細かい修正などは必要になってくるでしょうが、これまでの研究会でのグラフに関する研究を生かしながら、グラフのたのしさを体感できるいい感じの案でした。

2部で終わらず、3部以降でさらに「法則性の見えるグラフから、未来を予測すること」なども構想しているようで、グラフ教育に関心を持つ私としては楽しみです。


『社会の科学のことば事典』という構想

[2010年07月30日(Fri)]
今年の仮説実験授業研究会 夏の大会は、個人的にはかなり収穫がありました。

何回かに分けて、簡単な報告をしてみたいと思います。こんな研究をしている団体もあるんだという感じで読んでいただければ(私の説明が不十分で、変に伝わる可能性はあります)。

まずは、『社会の科学のことば事典』という構想。これは、10数年前から企図され、何度か集中して議論されながらなかなか実現していないもので、今回改めて実現に向けて動き出していて、大会の分科会の中でも資料発表がありました。

仮説実験授業研究会には、教育の立場から、従来の社会科学とは違うものとして、<社会の科学>と呼んでいる研究分野があり、数学的な考え方をもとに、
@ 数量的な見方・考え方 や
A 言葉にこだわる研究法
を特徴として授業のプランや読み物などについて研究しています。

歴史など社会科学の分野では、学者や学会が細分化・専門化され、それぞれが勝手に言葉を定義しているために、あいまいなまま議論が進むことがあり、教育する立場から考えて、言葉がちゃんと定義できれば、社会を見る目が変わったり、問題が解決できる場合がある、という問題意識をもとに、用語の再定義を行っているのです。

今回出た話を例にとると、市長という言葉を聞くと、1人であるというイメージがありますが、日本の江戸時代などでは、奉行という役職にあたり、2人とか3人の人がその職にあたっていたし、ヨーロッパでも近代のころには複数人いた。複数人を置くことによって独走を防ぐ仕組みがあったりして、そういうふうに説明されると、今の市長のイメージとはずいぶん変わってきます。

国の成り立ちにしても、例えば英国は(大雑把に言って)イングランドとスコットランドが一緒になってできた国ですが、実は、国王が先行して一緒になったのだけど、それでも最初は別々の国であったのが、議会が一緒になることによって一つの国になったらしいのです。つまり、国王よりも議会のほうが重要視されていたということになります。

あまりいい例ではなかったかもしれませんが、独立国、連邦国、国王・貴族・皇帝・天皇、民主主義、資本主義、社会主義、植民地、保護国、民族・人種、市・町・村の違い、身分制度などわかったつもりで使ってしまう気になる言葉について考えていこうとしています。


2010年仮説実験授業研究会の夏の全国合宿研究会

[2010年07月28日(Wed)]
仮説実験授業研究会夏の全国合宿研究会が、今年は石川県の能登半島で7月28日から30日の日程で開催され、夏休みを取って参加してきますので、ブログは少しお休みする予定です。

今年は、大会向けの資料を作ることができず、持っていくことができないので残念ですが、その分、ほかの人の資料をじっくり見させてもらおうと思います。久々に会える人もいるし、たのしい実験やモノなどに出会えるのが楽しみです。


『ともいきの思想 自然と生きるアメリカ先住民の「聖なる言葉」』

[2010年07月28日(Wed)]
『ともいきの思想 自然と生きるアメリカ先住民の「聖なる言葉」』(阿部珠理著、小学館101新書、2010年6月)


アメリカ先住民の中で男子の通過儀礼や部族が大きな問題を抱えたときの祈りの儀式として行われてきたサンダンスと呼ばれる秘儀の衝撃的な描写からこの本は始められています。

この儀式で、サンダンサーと呼ばれる参加者は、4日間飲まず食わずで、日の出から日没まで踊り続けます。彼らの両乳首の上には木の串が突き通され、その木串の両端は、バファローの革ひもで縛られ、会場の中央に立つ聖なる木に結わえられています。儀式のクライマックスでは、みんなの見守る中、サンダンサーは満身の力を込めて体をのけぞり、ついには、「ばしっ」という音とともに、血肉がちぎれ飛んで、繋がれている革ひもの鎖から開放されるという象徴的なものです。

そういう大きな犠牲を伴う儀式というのは、その昔、世界の各所で行われていたと思われます。人々の繋がりというものを考える上では参考になります。ただし、それは、それだけ社会基盤が安定していなくて、コミュニティの結束がなければ生存すら危ういような状態というもがあったからこその部分があるのでしょう。

一方、現在の日本のように全体的には物質的に恵まれていて、コミュニティの必然性が見えにくくなっている状態の中で、しかし、精神的な、また実質的な社会のつながりを回復させるためのコミュニティの必要性が言われている中で、そういう極端なものでなく、どういう形が考えられるかというのが、多くの人が模索していることなのではないかと思います。

本としては、「足りることになっている」「太鼓が来れば、祭りは始まる」「自然から離れると、人の心は固くなる」「人はそれぞれの歌を持つ」「もらったものは、あげたとき本当のギフトになる」「持つに相応しいものは、自ずとやって来る」など、目次自体がアメリカ先住民の聖なる言葉となっていて、それぞれにまつわるエピソードで構成されています。

それぞれの言葉は意味深いのに、研究からはみ出る部分(著者は、アメリカ先住民の20年来のフィールドワーカーです)を読み物的に書いているからか、昨今のヒーリングブームに合わせたためか、突込みが物足りないと感じるのは私の読みが浅すぎるためでしょうか。


『ダルレの話』感想

[2010年07月27日(Tue)]
NPO法人岩国子ども劇場の例会として、本日(7月27日)玖珂こどもの館で開催された韓国の舞台。

朝鮮戦争時代のある家族の話を、無言で、音楽、照明、映像、人形、ダンス、パントマイム的な要素など、舞台の要素をふんだんに使いながら、しかし、これでもかといった過剰な演出ではなく魅せてくれる、いい意味で予想をはるかに上回るいい舞台でした。

戦争については機関銃などの音や影だけで少しか表現していないのに、その悲惨さを十分想像させるものだったし、ほとんどの時間を割いて、美しく幻想的なシーンも織り交ぜて描かれた家族の関係や暮らしが痛いほどいとおしい。

山口情報芸術センター(YCAM)では8月1日に開催されるようなので、お近くの人は是非。


194_カボチャの葉の形の妙(みょう)

[2010年07月27日(Tue)]
2010年5月6日の記事、『環境を知るとはどういうことか』という本の紹介で触れた<自然とは「解」である>という言葉の具体例です。

自然界には、何気ないところに機能美があります。例えば、カボチャの葉。


このところの日照り続きで少しくたびれてはいますが、大きな葉っぱは太陽の恵みをたっぷり受けるとともに、レンコンなどの葉っぱと違って端が切れていることによって、ロートの役割を果たしています。

葉っぱで受けた雨水が葉っぱの根元に落ちるようになっているのです。

じゃあ、その根元には何があるかというと、すべて根元にあるわけではないのですが、実は、根が生えています。つまり自分で、雨水を集めて水遣りをしているというわけなのです。






カボチャは、実を食す野菜なので、いろいろなところで(リスク分散して)栄養や水分が補給できたほうが私たちにとってもいい。

これが、同じようにツルの途中から根が生えるサツマイモの場合、イモにとっては、リスク分散できていいのですが、栄養のたまった根を食す私たち人間にとっては、集中的に大きく栄養をためて欲しい(大きなイモになって欲しい)ので困るため、ツル返しといって、伸びすぎたツルを切ったり、根を切ってひっくり返したりすることになります。


『サルバドールの朝』

[2010年07月26日(Mon)]
『サルバドールの朝』(スペイン映画、監督:マヌエル・ウエルガ、2006年)


映画評で見て気になっていた作品をDVDで鑑賞しました。

1970年代初頭、フランコ独裁政権の末期に、反体制活動の資金を得るために強盗をしていた若者(サルバドール)が、待ち伏せ捜査の警官との銃撃戦の末に捉えられ、十分な審議も行わず(弁護士や家族の努力も報われず)に死刑に処せられた実話をもとにつくられた映画。

正直重ための作品ですが、静かな音楽と、控えめな演出で、淡々と、しかし力強くていねいに独裁政権や死刑の非情さを描いていて、心に残ります。

2007年カンヌ映画祭ある視点部門正式出品作品だそうです。


インターネットの役割―私のスタンス

[2010年07月26日(Mon)]
私にとってのインターネットをあらためて整理してみると、

@簡単な調べ物に便利。
 ただし、表面的な情報があふれているので、より深い考察や重要な情報はインターネット上にはないか、あるにしても見つけるのが難しい。あくまで、考えるためのきっかけ的な位置付け。

Aメールアドレスがわかれば、未知の人とでも連絡を取ることができる。
 自分の中に疑問をとどめておく(そのことによって、疑問を何度か自分の中で繰り返すことによって熟成されて深まることがある)ということも大切なので、連絡を取ればいいというものでもないのですが、これは、と思うときには、連絡を取ってみると新しい展開をすることもある。その可能性が開かれているというのは大きい。

Bたまに、お気に入りのホームページやブログがある。
 たまに自分の関心を持っていることについて、興味を持てるサイトを見つけることがあり、そういう時はうれしい。

C知り合いの近況などを確認できる
 知り合いのみで行っている掲示板で近況を知らせあったり、知り合いのブログなどがあれば、それで確認ができる。

ツイッター(一時期、宇宙飛行士の野口さんの宇宙からのつぶやきをフォローしてた)やSNSは、私自身がこまめな人間ではないので、フォローが無理。

そんな状況の中で、私がブログをやっているというのは、どういうことなんだろうか。

@もともと趣味で有機無農薬で行っている「はたけ」の楽しさを伝え、少しでも「はたけ」に関心を持ったり、やってみる人が増えて欲しい。

A自分もいくつか関わっている市民活動というものが、社会の中で重要性を増していると思われるので、その活動の実際的なことや、その活動に伴って考えたことを伝え、同じような活動をしている人のヒントになったり、活動に参加してみようかと思う人が増えて欲しい。

B本や芸術鑑賞というものは、楽しく、しかも知識などが増えるだけでなく、考える幅を広げたり、新たなアイデアの元になったりするものなので、それによって感じたことや考えたことを少しでも伝えていきたい。

私は、自分では自分のオリジナルな考えというものはあまり持ってないと思っているので、きっと誰かからやどこかからの受け売りを書いているのですが、世の中にある数ある考えの中からそれを選んだ私というものはあるだろうし、微妙に私らしい表現になってしまっていることはあるのだと思います(自分って何?と考えたことも若い頃はありましたが、今では、別に自分は何者でもないと思っているので、ある意味、気が楽です)。それは、他の人の意見などを聞くときも同じで、自分なりに考えて表現している人の話は、どこかで聞いたような話しであったとしても興味深いものです。そうやって、ああでもない、こうでもないといろいろやっているうちに、ほんの少しは、ホンモノに近づくことができるかもしれないと思ったりはしています。

そして、ブログというのは基本的には日記なのでしょうから、何気ない日常のおどろきや、ただ書いてみたかった、というような内容も書いたりします。

インターネットというメディアは、相手が見えにくいために、ちょっと突っ込んだ議論をする場としては適していないと感じています。これまでの経験では、ちょっとしたことから、すぐに誤解を生じて、文字だけのやりとりでは、お互いの誤解がすれ違う方向に大きく広がって、無駄にいやな思いをすることがあったので、否定的な主張ややり取りは、できるだけしたくないです(自分と違う考え方などについては、取り上げない)。

結局、強く正義を主張するわけでもなく、特定の人や考え方を非難するのでもなく、日々の暮らしの中で感じることを淡々と書くことによって、誰かのヒントになれば、というスタンスなのでしょうか(つい最近、本の批判をしてしまいましたが)。

ただ、「はたけ」のことについては、ほぼ1年一回りしてしまったし、自分自身でマンネリを感じてしまう今日この頃なので、少し振り返ってみました。


子ども劇場の親子キャンプ

[2010年07月25日(Sun)]
今年も、この週末、岩国市錦町にある須川家族村で岩国子ども劇場の地元のブロックのキャンプ。
オートキャンプ場なので、他ほとんどのグループが立派な設備を持って来ていて、飯盒で、しかも子どもたちメインで料理をさせている私たちは絶滅危惧種の風情。それでもここに来てしまうのは、何と言ってもこのキャンプ場に隣接する美しい川の魅力のためです。


梅雨時期の長雨で少し水量が多めで一段と泳ぎやすい。

平地は猛暑でも、ここでの朝は、長そで長ズボンでも寒いくらいです。

朝、川の水面をみていたら、一匹のカゲロウが水面すれすれを漂うように飛んでいて、それを捕まえようと川魚が2回ほど飛び跳ねていました。おしくも逃しましたが、カゲロウのほうは悠然と飛び去って行きました。


私は、キャンプ場の朝の涼しい風の中の静けさが結構好きです。

結局、水泳とごはん作りと子どもたちの要望の高かった宝探しにあけくれた1泊2日でした。でも、時間はのんびりしていてリフレッシュできました。


それはそうと、年甲斐もなく日焼けをしてしまって、肩がすこし痛いです。


193_モロヘイヤも元気

[2010年07月24日(Sat)]
モロヘイヤも大きくなってきました。こちらもバジル同様、あまり間引いていないので、密生していて、1本1本が少し貧弱です。数本あれば、家族でひと夏楽しむには十分。うちでは、もっぱら刻んで朝の味噌汁の実か、夜のスープの実にしています。


あの粘りが、これからの暑さを乗り切る元気をくれるような気がします。





『社会をつくる自由―反コミュニティのデモクラシー』

[2010年07月23日(Fri)]
『社会をつくる自由―反コミュニティのデモクラシー』(竹井隆人著、ちくま新書、2009年)


「社会をつくる自由」というものは大切だと思うし、「コミュニティ」のあり方に関心があるので、あえて「反コミュニティ」と書いてあるところに目新しい展開があるのかなと思って手にとってみました。

普通は本を買う時点で、目次を見たり、少し読んでみたりするので、あまりハズレはないのですが、それでも、期待したほどためにならなかった本などはあり、そういう場合は、私の読みが足りない部分もあるかもしれない、とか、私の見る目がなかったなあ、などとひとり思い、ブログなどでも紹介しない、という結果となります。

しかし、この本はちょっと、あまりにもとんでもなくて触れないわけにはいかないかなと思い、少しだけ書かせてもらいます。

というのも、私が日頃考えている「コミュニティ」というものに対して、あまりにも考えなく批判しているからです(この本の中で著者は「コミュニティ」を「仲良し」あるいは「仲良し社会」の意味で使っていると断ってはいますが、一般的に用いられている「コミュニティ」から考えて範囲を狭めすぎでしょう)。

はじがきからして

(前略)「コミュニティ重視」を叫ぶものは、この「社会をつくる自由」を踏み潰すことに、いささかも頓着せぬほど悪者であるか、あるいは、それに気づかぬほど愚者であるかのどちらかに違いあるまい。(後略)

と、この本のタイトルでもある「社会をつくる自由」についてまだ詳しく書いていない1ページ目から、「コミュニティ」について考えている人を、悪者か愚者でしかないと決めつけてしまっていて、しかも、この抜粋と似たような決めつけを、少しずつ言い方を替えて、本文の中で何度も書いているのです。

私は、人間関係が希薄になってきていて社会の機能が低下している中で、その解決の糸口として「コミュニティ」が注目されているのであって、それは「コミュニティ」のあり方も含めていろいろと議論や実践が行われていると思っていますが、そういう人たちのことを上記の二択の中にしか見ることができないというのはあまりです。

しかも、この本の中では、社会について特別目新しい議論が展開されているわけでもなく(社会は元来閉鎖的な部分があることを、あまり認識されていないように書いて、そのことを中心に話を展開していますが、社会に関する本には閉鎖性のことは普通に出てくるので常識だと思われます)、日本において治安が本当に悪化しているかどうかについての検証もせずに、「保安意識」が高まっていることを利用してしか「社会をつくる自由」を醸成することができない[というか、社会を生成する契機となるのは保安(セキュリティ)であって、それが世界的かつ歴史的な真理であると言い切ってしまっている] という論調も一方的に過ぎます。

全体的に、選択肢(思考)の幅が狭すぎ、決め付けが多すぎるのでオススメではありません。


192_採りたてトウモロコシのおいしさ

[2010年07月23日(Fri)]
昨日の朝、はたけに行ってみると、共同ではたけを借りているお隣さんの「トウモロコシ、アナグマに食べられちょるよ(食べられているよ)」との言葉に、見てみると、確かに2本ほど食べ散らかした後が。アナグマかタヌキか、夜の間のことなので確かなことはわからないのですが、最近近所のはたけのトウモロコシもアナグマに全部食べられたという話なので、そうなのかもしれません。

ということで、ほぼ収穫時期を迎えていトウモロコシを、すべて収穫することに。

今回は茎の中を食べる虫にもそれほどやられずに、けっこういい出来です。早速3本ばかり切って、そのままグリルで焼いて食べました。


これが、おいしい。

もぎたてのトウモロコシをただ焼いただけのおいしさは、どんな手の込んだ料理にも負けないと思います(もぎたてがおいしいものと、おいて熟成させたほうがおいしいものとがありますが)。というか、そんな手の込んだ料理を食べたことはないのですけれど、充分満足なので比べる必要などないのですけど。


「勇魚 ISANA」 というオススメサイト

[2010年07月22日(Thu)]
知り合いのブログで紹介されていたサイト。日々の暮らしから見直していきたいと思っている人の参考になるような特集や連載、主に山口で活躍する人たちのエッセイ、イベントなどをセンス溢れるレイアウトで掲載しています。

トップページのリード文を紹介させてもらうと、

ISANA=「勇魚(いさな)」はクジラやイルカを表す古語です。
豊かな森の養分が豊かな川を経て海へ注ぎ、多様ないのちを育む。
ここ山口でも瀬戸内海側にはスナメリが生息し、日本海側には大型のクジラが回遊してきます。
勇魚たちがいつまでも元気に泳ぎ回り、大きな自然のめぐりにつながる暮らしを
楽しみながらつくっていきませんか。


運営者にメールで連絡を取ってみると、たまたま、この日曜日、7月25日の夕方6時半からエフエム山口の「ムーヴマン」という番組に出演されるそうです。

また、ホームページは立ち上がっているものの、システムの調整などの関係などから、本格始動は8月以降になるとのこと。

トップページの左上に記してある、slow & organic life in yamaguchi の言葉のとおり、
山口発のステキなサイトなので、これからが楽しみです。
アドレスは、 http://isana.ne.jp/  です。


191_バジルとコンパニオンプランツ

[2010年07月21日(Wed)]
バジルが順調に繁茂してきました。バジルたっぷりのペペロンチーノが楽しめます。あまり間引いていないのでちょっと密集しすぎですけど。


バジルとトマトは葉物(はもの)と実物(みもの)なので必要とする栄養に違いがあるので、お互い元気に育つコンパニオンプランツだということを知ったので、バジルの苗がまだ小さいときに間引きも兼ねて、ミニトマトのそばに一緒に植えてみました。


料理にも相性のいい組み合わせなのでぴったりなのですが、ともに生えている状態でにおいの強い作物なので、トマトを収穫すると、トマトの生のにおいとともにバジルの生のにおいが香ってきて、ともに好きな私にとってはとても癒されます。


川のごみ拾いをしたときに考えたこと

[2010年07月20日(Tue)]
以前にも書いたことですが、2記事前に紹介した川のごみ拾いにしても、冬の焚き火遊びにしても、私は現段階では、できるだけ任意に集まってもらいたいと思っているので、広報は広く、特別に動員せずに行っています。具体的には、地元の小学生全員に学校を通じてチラシを配って周知し、あとは個人的にできる範囲で声をかける程度です。

任意にしたいというのは、日頃住んでいる地域で行う行事というのは、何かと半強制的なものが多いので、少しでも自然な形での地域の人同士の出会いの場でありたいという思いがあるからで、実際、今回の広場でのそうめん流しなどは、小さい子どもから、かなりの年配者までが、のんびりいっしょに楽しむ場となり、なかなかいい機会だと思っています(自画自賛)。

参加人数は、その時々によってまちまちで、数人から3、40人程度の範囲(ちなみに地元の小学校の全校生徒は約350人)。今回は、親も含めた参加者が20人、一緒にごみを拾ったり、食事の準備をしたスタッフが20人程度。合計40人程度の行事となりました。

今回参加した親御さんの中に、日頃、地域でスポーツクラブのようなもののお世話をしている人がいて、その人が言うには、
「クラブの行事として声をかければ、たくさん人が来るだろうけど、今回のようにチラシをまいたのでは、見ていない人も多いだろうし、子どもは参加してみたいと思っても、親がやめときなさいというのだと思う。このごろの若い親の中には、知らない人の中に入っていって自分がどういうふうに対応して良いのかわからない人も多い」
とのこと。

そういうことは、感じてはいるのですが、実際に日常的に親御さんたちと接している人から聞くと、あらためて、人と人とのつながりが薄くなっていることを考えさせられます。そういう人と人とのつながりというのを取り戻すきっかけになればと思って行っている行事でもあるので、もう少し積極的に人集めをするべきなのかなあ、とか、せめて集まってくれた人どうしが、もう少しコミュニケーションを図れるような工夫を、行事の中でしていくべきなのか、などいろいろ考えることはいろいろあります。

参加した人どうしが少しでも知り合いになってもらうために、とりあえず行っていることと言えば、行事の最初に、「自然の中で遊んだりするときは、自己責任で」などといった注意事項を説明した後、ほぼ名前のみですが、自己紹介をしていることくらいです。


190_黒トマト

[2010年07月20日(Tue)]
熟すとちょっと黒っぽくなる黒トマトにもミニトマト系のものや普通の大きさのものなどいろいろあるようです。去年普通のトマトタイプのもので失敗したので、今年は、プルーンのような形のものを育ててみることにしました。

一番最初に成った実が、色付きはじめています。熟したほうがおいしいらしいので、もう少し待って食べてみようと思っています。



みんなで川のゴミ拾い

[2010年07月19日(Mon)]
昨年は、日程の都合でできなかった川のそうじを、今年は開催。

地元の川の草刈りなどを行っているNPO法人である自然と環境を守る団体の全面的なバックアップの元、小学校にチラシを配布して、参加希望者で海の日に川のゴミ拾いを行うというもの。岩国市を流れる山口県最長の錦川一斉清掃の日でもあるので、勝手に、それに合わせた行事でもあります。

先週の長雨で多くのゴミは海に流されているとはいえ、プラスチックや空き缶など10袋のゴミが集まりました。適度に水嵩の増してきれいな川では、いつものように子どもたちは、全身ずぶぬれで水遊びにも興じます(公認の水遊びといった形で、これも目的のうち)。


集まったごみを分別したあとは、前日に団体が準備してくれていたそうめん流しをみんなで楽しみました。最初は、子どもたちメイン。子どもたちがおなか一杯になってきて、鬼ごっこなどの遊びに移ってきたところで、大人たちメインで。

昔自治会の行事などで使っていた大なべと、ざるに竹で取っ手をつけた手作りの道具が大活躍。



水道を貸してくれた近所の人たちも一緒になって、かなりの年齢差のみんなで楽しみました。


189_梅雨が明けました

[2010年07月18日(Sun)]
山口県は大変な雨でしたが、これから夏野菜の本番。スイカもカボチャも順調に育っています。
 
初めてつくっている小玉スイカもいくつかの実が大きくなりつつあります。


カボチャもきれいに色付きはじめています。


今日は午前中、自治会対抗のソフトボール大会に参加。あっさり負けてしまったので、草だらけの一畝分をなんとかはたけに復活させました。何か植えようと思っています。

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