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MI ジャーナル

―はたけと芸術を楽しみつつ、仮説を立てながらいろんな人と協働して問題解決を図り、子どもとともによりよい社会を目指していきたい、そんなことを考えている人のヒントになりたい―


キーワードは、農業(はたけ)・仮説実験授業・楽しさ・子ども劇場・芸術文化・冒険遊び場(プレイパーク)・チャイルドライン・協働などなど(ただし、私の中でつながっているだけで、それぞれに直接的な関係があるわけではありませんので、誤解のないようお願いします)


「MI ジャーナル」とは、Micro Intermideate Journal(マイクロ・インターミディエット・ジャーナル)。元のタイトル「農芸楽仮説変革子ども」は私の関心領域のキーワードをつないだだけだったので、2010年3月3日より、私の日々の情報発信という意味で、MI(村夏至)ジャーナルとしたのですが、2014年9月4日から、MIの意味を変えて、小さいながら何かのきっかけや何かと何かをつなぐ内容にしたいという意味の名称にしました(詳しくは、カテゴリー「21MIジャーナル」をご覧ください)。

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『ポリティカル・マザー』について

[2010年06月21日(Mon)]
昨日観た、コンテンポラリーダンス『ポリティカル・マザー』については、感動しすぎて言葉にできなかったのですが、一つだけ、なかなか難しいなあと思った点を。

冒頭シーンのネタばれですので、知りたくない人は読まないでください。









それは、当日配布資料にも書いてあったのですけれど、最初に先入観を持たずに観たかったので読んでいなくて、公演後のポストトークの時に会場からの質問で、作者のシェクターさん自身の言葉によって知ることになったことです。

公演の冒頭のシーンで、サムライの鎧風の衣装をつけたダンサーが、ハラキリを行います。それについて、シェクターさんは、「今回のテーマを考えているうちに思いついたのだけど、当初は日本で公演することを考えていなかったので、日本でどうとらえられるか不安だった」そうです。というのも、シェクターさん自身は、「制度」がいかに人の感情を利用するのか、その行き着くところの象徴として、ハラキリを提示したのですが、日本では、「切腹」について、自分よりいろいろなことを知っているだろうと思われるので、どういう風に観てられるかがわからなかったからのようです。

確かに、鎧をつけたまま立っていて、いきなり腰につけた長い刀で「切腹」する演出は、日本人である私にとっては違和感があったし、しかも、「切腹」についてはいろいろ知っていることや思いがあるので、何を象徴しているのかについて、思わず考えすぎてしまったというところはあります。

その後に続くダンスによって、いろいろと感じることがあって、こういうことかな、とわかる部分もあったので、それはそれでよかったのですけれど。

いくら普遍的なものを目指しても、鑑賞する人それぞれの文化的背景の違いというのはいろいろなので、どうしようもない部分があります。


『世界を知る力』

[2010年06月21日(Mon)]
『世界を知る力』(寺島実郎著、PHP新書、2010年1月)


戦後、アメリカを通じてしか世界を見なくなってしまった私たちに、1705年から日本語学校を始めているロシアのことや、1200年前に中国に渡り、わずか数ヶ月で真言密教の最高位を授けられたばかりでなく、並外れた国際感覚で、当時の最先端技術を日本に持ち帰って、庶民に習得させるために学校まで作った空海さんの話、1912年にシベリア鉄道でパリへ行った与謝野晶子さんの話などによって「時空を超える視野」の必要性を説き、

イデオロギーを超えた「中華民族」意識を地下水脈に持つ「大中華圏」、イギリス連邦に共通する文化的・社会的インフラが脈打つ「ユニオンジャックの矢」、「国際主義」と「高付加価値主義」を基軸に持つユダヤ思想、「アメリカが主導した軍事技術のパラダイム転換」によってもたらされた「IT革命」の次に来るかもしれない「グリーン・ニューディール」政策などを「ネットワークという知」として読み解き、

来るべき「分散型ネットワーク時代」が、日本がもともと持っていた「もったいない」精神や、対立概念を退け、主客未分化のまま「無分別の分別」によって円融自在に全体をとらえようとする知性や、「高度なものづくり産業基盤と技術力」を見直すことによって、日本が浮上してくる可能性について語ってくれています(日本が世界潮流に翻弄されずに自ら舵が取れる国になるためには、シンクタンクと通信社が欠かせないという提案とともに)。

最終章では、個人への具体的な提案として、断片化する情報の中から筋道を立てて体系化したものの見方や考え方をつくるための古本屋通いや、現場でのフィールドワークによる体感の大切さを、総合商社勤めで海外に放り出された実体験を元に説明してくれています。

「情報は教養を高めるための手段ではない、問題を解決するためにいろいろな角度から集めるものである」と言う言葉は、力強い。

おすすめです。


デジタルが切り落としてしまうもの

[2010年06月20日(Sun)]
2記事前の「リズム・ワークショップ」の話でiPadのことが出たので、蛇足ながら書き足してみます。

iPadやiPhone(に限りませんが)のような液晶タッチパネルのデジタル機器の楽器は、確かに良くできています。しかし、例えば打楽器でいうと、本物は、まったく叩かない状態からむちゃくちゃ叩くまで、無段階(その人の能力の限りではあります)に変化をつけることができるのに、デジタル機器では、その音量の段階がセンサーの限界で0から1になるのに飛躍があるし、大きくなっていく段階にも抜けがあり、センサーが繊細なので強く叩くにも限界があります。音の質も、本来は叩く強さによって変わっていくのに、単純に音量が変化るだけです。左様に、何重かの意味で、デジタルにすることによって抜け落ちることがあります。それは、ソフトを改良することによって変えられるレベルのものではない、というかそれを追求するのは無駄です。

実は私が、手で演奏するために新しく作られた楽器であるハングドラムが好きな点に、この0から大きな音までの幅の広さ(ダイナミックレンジの大きさ)にあります。手で演奏するものなので、素人でもその差がコントロールしやすいですし。

楽器を演奏するというのは、とても繊細な行為で、感情が伴った強弱があるものですから、その感情にちゃんと寄り添ってくれるかどうかは大切なことだと思います。

そんなことは、当たり前といえば当たり前で、言わなくてもいいようなことではあります。しかし、強調して強調しすぎることはないことだと思いますので、あえて書いてみました。そういうことをちゃんと知った上で、お遊びとして使うのはかまわないのです。

そういうことも、ワークショップで、みんなであえてむちゃくちゃな音を出してみるということを体験してみて、また、そこにiPadを持ってきてくれた人がいて、改めて気づけたことでした。


ホフェッシュ・シェクター『ポリティカル・マザー』

[2010年06月20日(Sun)]
ホフェッシュ・シェクター『ポリティカル・マザー』
〔振付・音楽:ホフェッシュ・シェクター、出演:ホフェッシュ・シェクター・カンパニー(ダンサー10人、ミュージシャン8人+ホフェッシュ・シェクター)、2010年6月20日、山口芸術情報センター〕


完全にやられました。素晴らしいです。
圧倒的なダンスに何度も鳥肌が立ちました。

舞台設定、照明、音楽、ダンス全てが相まって、身体の中からさまざまなことが呼び覚まされる感覚。

今年上半期のベストです(今年のベストかも)。

帰りの電車の中で、本でも読もうかと思っていたのが余韻に浸ってムリでした。

5月にイギリスで初演されてわずか1月後に観れるなんて、YCAMに感謝です。
日本では、あとは彩の国さいたま芸術劇場で6月25、26、27日にあるだけのようです。


「リズム・ワークショップ」に参加

[2010年06月19日(Sat)]
6月20日に山口市のYCAM(山口情報芸術センター)で行われるホフェッシュ・フシェクター・カンパニーによるダンスイベント『ポリティカル・マザー』の関連イベントとして、音楽コラボレーターをしているヤロン・エングラーさんを講師とする「リズム・ワークショップ」が開催されたので参加してみました。


子どもから大人まで20人程度の参加者。講師のテンポのいい進行によって、リズムを体感するプラクティスから初めて、太鼓やカウベル、スチールドラムなどいくつかのパートに分かれた合奏まで、楽しみながら体験することができました。短い時間ですけれど、やはり、生の体験というのは心に残るものがあります。

印象に残ったのは、ウォーミングアップのあとで、自己紹介がてら、自分が持っている楽器で3つの音を出すというのがあって、iPadで、楽器のソフトで音を出している人がいました。講師は、「クールだね」と否定も肯定もしていませんでしたが、ワークショップが進んでいく中で、カオスの状態(それぞれが、できるだけ、声も出したりして、体全体を使って、大きな音を出してみる状態)を作ってみよう、というワークがあったりして、あとで考えてみると、iPadではそういうことはできないよなあ、と思いました(iPadを持って来きた人も、実際のワークには使っていませんでした)。

お昼をはさんで、午後からは、ホフェッシュ・シェクターさんやヤロン・エングラーさんの事前トークのあとに、ワークショップ成果発表として、参加者全員で合奏を披露しました。

私は、ハングドラムで参加しましたが、スチールドラムの参加者も、今回の公演のミュージシャンも珍しがってくれて、さわって楽しんでもらいました。

明日の公演が楽しみです。


173_モロッコ豆の花

[2010年06月19日(Sat)]
うっとうしい梅雨がやってきました。

野菜にとっては恵みの雨。でも、乾燥に強いトマトやスイカにはあまりうれしくないのですけどね。

モロッコ豆が育ってきて、小さな花が咲きました(これはおとといの晴れ間に撮りました)。野菜の花も、どの花もかわいい。


今朝の、全体の生育状況はこんな感じ。


モロッコ豆は、インゲン豆を少し平べったくした感じの豆で、味噌汁の具にしたり、ゴマ和えがおいしいです。


出張hanare@秋吉台

[2010年06月18日(Fri)]
6月27日に山口の秋吉台国際芸術村で、「出張hanare@秋吉台」というイベントが開催されることをたまたま知りました。

チラシによると、

hanare(はなれ)とは、
2006年にウィークリーカフェ「喫茶はなれ」の運営を開始。その他、ワークショップ・レクチャー、ビジュアルプロジェクト、レジデンス等の企画・運営を通し、生活に関わること全て(食、芸術、現代思想、身体、政治・経済、建築、他全部)について、実験的でワクワクする活動をおこなっている人たちと協働しながら、新しい考え方、表現方法を模索し、実践しています。あくまでも京都に生きる私たちの生活に深く根ざしながら、世界の地方都市ともダイレクトに繋がり、共に生きて行くこと、インディペンデントな場所として、「抗う力」を養うプロジェクトでアリたちと思っています。今後は21世紀の「公民館(Cultue & Social Center)として活動の幅を広げていきます。
活動の詳細はウェブサイトをご覧ください。www.hanareproject.net


イベントでは、軽食をとりながら参加者自己紹介ののち、
@世界の事例とhanareの事例
Aコミュニティとは何か?〜イスラエルからのアドバイス〜
B「hanare的集まり」を作るための作戦会議
というプログラムで行われるようです。

コミュニティについて興味があるので、参加しようと思っています。
手ぶらでもさみしいので資料を作ってみました。



172_キュウリのつるの不思議

[2010年06月18日(Fri)]
キュウリがつるを伸ばしてどんどん育ってきました。


注意して見ると、つるの巻く向きが途中で変わっているのに気づきます。

真ん中あたりで変わっています。
仕組みとしては簡単。つるには、そのままどんどん先に伸びていくタイプと、巻きついてしまって、バネのようにまいていくタイプの二つがあります。

自然薯のつるのように、どんどん先に伸びていくタイプは巻く方向は変わりません。一方、キュウリのように、先端がまきついて固定してから、バネのようになるタイプの場合、固定してしまってからも同じ方向に巻こうとするため、途中で逆転してしまうというわけです。

どうして、バネ状にするかというと、風が吹いて揺れてもつるが切れることなく、クッションのようになって支え続けることができるためです。しかも、結果として途中で巻きの方向が変わっているので、共振しにくくなって揺れが早くとまるという利点があります。

自然の妙です。

自分に巻いているカボチャのつるもありましたのでついでに。



たまたま、多分いったん何かに巻きついていたのに外れてしまったつるがありました。
巻きの方向が途中で変わっているのがわかりやすくなっています。



171_赤と黒のストライプがおしゃれなカメムシ

[2010年06月17日(Thu)]
はたけのニンジンの花(もうタネになりかけ)の上に、赤と黒のストライプが美しいカメムシがいました。


調べてみると、その見た目どおりのアカスジカメムシという名前。セリ系専のカメムシのようです。確かにニンジンもセリ系です。


ついでにもう一枚。
雨のあと、水にぬれたニンジンを背景に、朝日を浴び、美しい。

面白いのは、同じニンジンの花でも、微妙な時期の違いでとまっている虫が違うこと。この前まではヒメマルカツオブシムシやアリがたくさんいましたが、彼らは花粉や蜜が目当て。アカスジカメムシは、多分できかけのタネの中の栄養たっぷりの液を吸うのでしょう。

同じ場所でも、その状態によってそれぞれの嗜好にあった虫がやってきて、結果としてうまく棲み分けをしているのですね。


『ノア 動物千夜一夜物語』

[2010年06月16日(Wed)]
『ノア 動物千夜一夜物語』(藤原新也著、新潮社、1988年)
文庫版『藤原新也の動物記』(新潮文庫、1991年)



藤原新也さんの話が出たついでに。

藤原新也さんの作品の中で、次に私があげるとすれば、『ノア 動物千夜一夜物語』です。
藤原さんが、世界を旅して体験した動物とのかかわりを、豊かな構想力と想像力で編み上げた物語で、1983年に「芸術新潮」に連載したものがまとめられています。どの物語も藤原さんならでは深さが感じられます。

中でも、禅の悟りにいたる道筋を十枚の絵で表した「十牛図」に想を得ながら、牛との関わりを描いた「牛歩来」は、その自然観が圧倒的で素晴らしい。

そのあとたまたま、「十牛図」に関する新書を見つけて読んでみたら、期待はずれでがっかりしたのを憶えています。

3年後に文庫版になりましたが、文庫本になったほうがお得な場合がたまにあって、これなどはそのいい例。連載時に使われていた藤原さんのイラストが、単行本には使われなかったのに、文庫版には使われているのです。しかし、今はいずれも古本でしか手に入りません。


藤原新也さんのブログ

[2010年06月16日(Wed)]
写真家の藤原新也さんの作品は好きで、何年か前に公式サイトがあることを知り、その中にブログもあるのを発見して以来時々みています。独自の視点で、考えさせられることが多いです。

彼の作品の中で特に好きな写真本『メメント・モリ』が、出版されて25年を経た2008年に21世紀が出ていたのは知っていたのですが、ようやく数日前に買いました。

私の持っている初版本と一緒に写真を撮ってました。
初版本は金のイメージで、新装本は銀のイメージ。


写真は写真だけで語って欲しいと思っていた初版本を買った当時、写真の中に文字が入っているのに違和感がなかったというか、写真の中に文字があるのもアリなんだとはじめて思って感動した覚えがあります。

新装本は、写真や言葉が少し変更されていて、写真にかぶった文字が銀色に変更されています。銀色の文字は、見る角度によって、写真を邪魔しないおとなしい雰囲気になったり、浮き立ったりしてなかなか好印象です(実は、個人的には初期のソフトカバーが気に入っていますけど)。

何度も見返してしまう、すごくおすすめの本です。


170_スイカの摘心の実際

[2010年06月15日(Tue)]
スイカの摘心をするところを実際に撮ってみました。

まず、メインのつるの先端です。


先端を包み込むようにして、


人差し指で受けて、親指の爪で摘みます。


清潔な手指で行いましょう。

昔の記事に書きましたが、切口に悪い菌が入り込まないようにするためには、はさみで行うより、手指で行うほうがいいと思います。


169_幸せなニワトリたち

[2010年06月14日(Mon)]
前の記事の続き。

大下さんちには、ニワトリたちもいて、昼間は放し飼いで、家の周りを自由に動き回っています。


人に慣れているので、近寄っても全然平気。前にいたオンドリは、メンドリに近づくとメスを守るために威嚇したり攻撃してきたりしていたようですが(あまり攻撃的なので、「おうちえん」にとって危険ではないかと心配していたそうです)、二代目のオスはおとなしいそうです。

見ていると飽きません。
東南アジアには、チキントラクターと言って、狭い範囲にかごを作って中にニワトリを入れておくと足で虫を探すために草が採られ、ニワトリの糞も混じってちょうどいい畑になると言う方法がありますが、力強い足で本当に雑草をかき分けて無くしてしまいます。

オンドリは、ミミズなどいい餌が見つかったら、ちょっと特徴的な声で啼き、その声を聞いたメンドリはすばやくやってきて食べたりするのです。

その日に刈る予定だった麦畑にも降りてきて、麦を食べたりしています。



夕方になると、残飯をいれた大きなボールを響くようにたたきながら呼ぶと、近寄ってくるのでそのまま鶏小屋へニワトリたちの行進。その日は子どもたちも手伝ってかわいい行進となりました。
さすがに夜は小屋に入れておかないと、イタチやアナグマたちに食べられてしまうそうです。

こんな環境で育つ「おうちえん」の子どもたちも幸せです。


大下さんちの「こびとのおうちえん」

[2010年06月13日(Sun)]
午前中の芋づる植えを終えて、田布施の大下さんちへ。

今日は、麦刈りということで、昼食時から合流の予定で行ったのですが、雨で麦刈りが中止になっていたのでした(パソコンメールに中止メールは来ていた)。

それでも、近所の子どもたちやその親もちらほら来ていて、おいしいカレーや玄米おにぎりなどをいただいて、しっかりのんびりさせてもらいました。

見てみたかった大下さんちの敷地内の古い民家を改修してこの春から開園している保育施設「こびとのおうちえん」もしっかり見せてもらいました。

まずは、1階部分。真ん中が吹き抜けになっていて、ギャラリーのよう。


階段も1枚板で作られていて素敵です。


2階には、縄梯子やハンモックがあり、ちいさな隠れ家のような部屋もあります。


厨房も子どもたちの目に触れるところにあり、楽しそうな雰囲気。現在十数人の子どもたちが通ってきているそうです。

今日、ちょうど子ども用の楽器が入荷したところでした。





168_芋づる植え

[2010年06月13日(Sun)]
今年の芋づる植えは、梅雨入りと重なったため雨の中。

小学校にチラシを入れているし、芋づるの手配もしているので、決行。
自然相手の行事の難しいところです。


申し込みのあった子どもたちも雨天で来ない中、近所の子ども若干名と大人たちで手早く植えて済ませてしまいました。

明日、あさっても雨が降りそうなので、水をやる必要がないのは助かります。
だから、梅雨時期に芋づる植えをするのではありますが。


167_スイカの雄花

[2010年06月13日(Sun)]
残念ながら今日は雨。

子どもたちと行う芋づる植えをどうしようか思いながら、借りているわが家のはたけを見に行ったら、スイカの雄花が咲いていました。


3株ほどの苗を植えていて、一番成長が早い苗の状態はこんな感じです。


スイカの育て方の基本として、メインのつるについている本葉が6、7枚になった頃に摘心(成長点がある先端を摘み取る)することとなっています。写真で上のほうに伸びているのがメインのつるですので、もういいころです。

摘心することによって、子づるが生えやすくなり、子づるのほうが雌花(スイカになっていくほうの花)ができやすいからのようです。

毎年、適当に苗を選ぶのですが、今年は黄色の小玉の苗を買ってみました。去年もスイカは買わずにすみました。たくさんできるとうれしいです。



166_ナスの一番花

[2010年06月12日(Sat)]
今日は一日はたけ。

暑くなってきたので、一番暑い時間帯には、キミ子方式の水彩画展(103才の人も出展してました)を観に行って、明日の芋づる植え用の芋づるの不足分を購入。

わが家のはたけでは、ナスの一番花が咲いていました(アリがたくさん来ています)。


バジルの苗もだいぶバジルらしくなってきました。


新しい花が咲き続けているニンジンには、いろんな虫がやってきています。
今日は、ナナホシテントウとアリがやってきていました。


夕方に、明日の予報が雨で、子どもたちがあまり植えれないかもしれないので、少し植えていたら、近所の子どもとはたけをしていた大人が手伝ってくれました。




映画『ミツバチの羽音と地球の回転』

[2010年06月12日(Sat)]
映画『ミツバチの羽音と地球の回転』(日本映画、監督:鎌仲ひとみ、2010年)


見たいと思っていた祝島とスウェーデンに取材したドキュメンタリー映画『ミツバチの羽音と地球の回転』が監督トーク付きで近くで開催されることを知りました。チケットも預かる予定です。

岩国市
2010年7月2日(金) 岩国市民会館(小ホール)
 ・昼の部 監督トーク14:30 上映15:00〜17:15
 ・夜の部 監督トーク18:30 上映19:00〜21:15
 
周南市
2010年7月3日(土) 周南市市民会館(小ホール)
・昼の部 監督トーク14:30 上映15:00〜17:15
・夜の部 監督トーク18:30 上映19:00〜21:15

柳井市
2010年7月4日(日) アクティブやない
・昼の部 監督トーク14:30 上映15:00〜17:15
・夜の部 監督トーク18:30 上映19:00〜21:15

料金:前売券1000円(当日券1200円)
   高校生以下無料

主催:瀬戸内シネマ


3日間全部同じ日程です。鎌仲監督の前回作『六ヶ所村ラプソディ』も印象に残るいい映画だったので、期待しています。お近くの人は是非。
映画の公式ホームページもありますので、そちらのほうもご覧ください。



165_ニンジンの花のあと

[2010年06月11日(Fri)]
ニンジンの花の追っかけついでに現状を。

花が終わってきて、だんだんタネができつつあるのですが、花びらが散ったあとの薄い緑も綺麗です。


部分的に拡大してみると、


2本だけ残って角のようになっているのは、めしべかな?
ちょっと、キモカワ系?



『地雷処理という仕事―カンボジアの村の復興記』

[2010年06月11日(Fri)]
『地雷処理という仕事―カンボジアの村の復興記』(高山良二著、ちくまプリマー新書、2010年3月)


36年間自衛隊で勤務し、道路や橋の構築、地雷などに関する専門的な訓練を受けた著者が、1992年から93年にかけて陸自初のカンボジアPKOに参加して、帰り際に感じた「まだ、やり残したことがある」という思いをあたため続け、退職後に、認定NPO法人日本地雷処理を支援する会JMASの一員として現在も行っている、カンボジアの小さな村での地雷や不発弾の処理について語ってくれている本。

著者は、実直に(現場で、現場にあわせて答えを見つけていく)現場主義を貫き、住民の方を訓練して地雷探知・除去に参加してもらうなど、住民参加によって地域の自立支援にもつながるような形で活動を行っています。その活動は、現地に一緒に暮らすことによって見えてくる、井戸や道路、学校の整備やゴミゼロ運動などにも及んでおり、大変な苦労が伴っていると思われるのに、それが、自然に行われているように感じられるのは、著者の人柄にもよるのでしょう。

今ではその小さな村には、平和構築へのアプローチとしてわかりやすい現場として、視察や研究にくる人もいるらしく、<軍事的能力を平和に利用して、平和構築につなげていきたい>という著者の思いが伝わってきます。

自らの仕事経験を生かしたその人ならではの社会貢献の好例だと思います。



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