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MI ジャーナル

―はたけと芸術を楽しみつつ、仮説を立てながらいろんな人と協働して問題解決を図り、子どもとともによりよい社会を目指していきたい、そんなことを考えている人のヒントになりたい―


キーワードは、農業(はたけ)・仮説実験授業・楽しさ・子ども劇場・芸術文化・冒険遊び場(プレイパーク)・チャイルドライン・協働などなど(ただし、私の中でつながっているだけで、それぞれに直接的な関係があるわけではありませんので、誤解のないようお願いします)


「MI ジャーナル」とは、Micro Intermideate Journal(マイクロ・インターミディエット・ジャーナル)。元のタイトル「農芸楽仮説変革子ども」は私の関心領域のキーワードをつないだだけだったので、2010年3月3日より、私の日々の情報発信という意味で、MI(村夏至)ジャーナルとしたのですが、2014年9月4日から、MIの意味を変えて、小さいながら何かのきっかけや何かと何かをつなぐ内容にしたいという意味の名称にしました(詳しくは、カテゴリー「21MIジャーナル」をご覧ください)。

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iPAQ212

[2009年12月31日(Thu)]
入手してまだ3日目。しかも大掃除の最中なのでほとんど触ってませんけど。
いいです。自分で作ったワードの資料も読めるし、


野鳥や野菜の写真も見れるし、


最終的に競合したのは、iPhoneですけど、現段階では私にとってはこちらのほうが優位。やりたいことがインターネットとの接続によるものではない(iPAQもコンパクトフラッシュの通信カードを使えばインターネット接続できます)ので、左手で持って右手のスタイラスペンで入力するというスタイルに特化していてよい。大きさも、200グラム弱でわずらわしいほどの大きさではないし。

実は、パソコンはアップル社のマッキントッシュから触り始めたので、同じアップル社のiPhoneのGUI(グラフィカルユーザーインターフェイス=パソコンなどの操作をソフトウェアによって視覚的・感覚的にわかりやすくしたもの? 最近は触感的なものもあるので、センシティブユーザーインターフェイス=SUIと言うべき?)の素晴らしさはよくわかるのですけど、ちょっとやりすぎなのかなとも思うのです(現在は、仕事で使うので仕方なくどっぷりWindowsです)。

例えば、テレビの宣伝で、やりたいことが何でもできるという例として旅行先から写真をすぐに家族にメールを送れる(指先ひとつで)、というのをやってましたけど、私はそんなのやりたくない。そういうのって、

1 旅先で、ふと家族のことを思い出したりする
2 あっ、はがきでも出してみようかと思う
3 どんなはがきにしようかとか、何を書こうかとということを考えながら、家族のことを思う
4 結果として、はがきを出したり、出さなかったりする

だと思うのですけど、
iPhoneで指先でするメールって、一番大切なものが抜け落ちて、ただ、結果のみがすぐに出てくるって感じなんですよね。それによって、過程に費やす時間だけ無駄に?費やされる。一方上記の1〜4は、過程も含めてすべて無駄ではない。と思うのです。

GPSがなくて道に迷って、思わぬ発見があったりするのも楽しいし。

ランキングによって、文章を入力するのもちょっとどうかと思う(これはiPhoneにかぎらないけど)。文章を書くときって、全体のバランスも考えて、ここはこういう表現にしようかとか、微妙にこの言い回しがいいかな、と思ったりするのに、何文字か打っただけで、たくさん選択肢がでてきて、この言いまわしでいかがでしょう?と脅迫されるのはわずらわしくて勘弁してほしい。指先でできるだけ早く文字を入力するための技術的な妥協案でもあるのでしょうけど、それじゃあみんな同じような文章になってしまうのでは?かといって、さらに技術が発達して全体のバランスを考えたり、微妙な雰囲気を考慮してくれて、入力候補を出してくれるようになると、それはそれでさらに気持ち悪いのですけど(設定によって、入力候補を出さないようにもできるのでしょうけど)。

パソコンを、徒歩に比べての自転車に例えて、思考を助けるものとして使い心地がよくないと意味がないというアップルの思想には大いに賛同していたのですが・・・。
どちらが主人なのか?
使い勝手の良さの追求が、人を、(例えば)グーグルが「消費主体?としての人」の特性を統計的に集める集めるための入力機械にしてしまったのでは・・・?
それは、結局人を、消費主体ではなくて、消費マシーンにしてしまい、消費をするという欲求すら奪ってしまうのではないか・・・?

話が、また脱線してしまったので、このあたりで。


手帳歴を振り返る

[2009年12月31日(Thu)]
年末に電子手帳を買いました。ヒューレットパッカードのiPAQ212。

というわけで、年末でもあるし、30年弱に及ぶ個人的な手帳歴を振り返ってみました。

手帳を使い始めたのは、大学に入ってから。まずは、これまでの手帳を取り出してみました。



まずは右上から。大学入学すぐに、スケジュール管理の必要性を感じ、先輩が使ってた縦長の差し替え式の手帳を使い始めました。私が大学に入ったころといえばまだ、ワープロを持っている人は珍しかったことを思い出します。予定表や住所録、クリアブックなどを差し込んで使えて(予定表は年毎に差し替え)なかなか便利(しかもほどほどにコンパクト)で、大学時代は不満も感じず使っていました。

就職して少しして、いわゆるシステム手帳に転向。サイズが大きいので一覧性も高いし、オプションもたくさんあって、いろんなものを一緒に管理できるところが魅力でかなり楽しませてもらいましたが、弱点はやはりその大きさ。就職以来どんどん退化していく手書きの能力は、電子手帳へと関心を向かわせるのでした。

そして、左上のPalm (使い始めたときに、これが電話になっていくのだろうと思っていたらPalm Preという名称で実現したのは今年になって)。シャープのザウルスなども一時使っていましたが、このPalmにとどめをさされた感じ。使い勝手の良さは抜群でした。今のiPhoneのように、利用できるアプリケーションを開発するコミュニティのようなものがあって、どんどんいろいろ便利で楽しいアプリケーションを開発していて(当時はインターネットに接続したパソコンにダウンロードして同期することによって使用可能になっていました)、無料のものも多く、ずいぶん楽しみました。

私にとって、大きなメリットだったのが、グラフィティという独自の入力方法。入力枠に独自のアルファベットの省略形を入力することによってローマ字入力をするのですが、当時すでにキーボード入力が普通だったので、手で日本語を入力すのは面倒くさく、かといって小さなソフトキーボードをペンで押すのも面倒。グラフィティは慣れると軽快だったので、キーボードと手書きの中間的な感じで心地よかったのです。

転機がやってきたのが、5年前、異動で仕事の管理上、からみが若干複雑になってきて、スケジュール管理をできるだけ一覧する必要から、A4判1枚に1月分の予定表をつくり、それに仕事プライベート限らず直接書き込む形を取るようになり、アイデアやメモは自宅のパソコンでもっぱらという形。つまり手帳不在の状態になっていました。

その間も私のニーズに合う電子手帳を探していたのですけど、なかなかこれはと思うものがなく、時は過ぎて行き、最近ではiPhoneなどのスマートフォンも視野に入れて検討をしていました。

私にとってのポイントは、

1 画面がある程度広い
 640×480ドットくらいは欲しい

2 すぐに立ち上がる
 これで、最近のモバイルパソコンは落選。

3 いざとなるとキーボード入力も可能
 ちゃんとした長文を入力しようと思ったら、やはり普通のキーボードでないと無理。

4 日ごろ使っているワード、エクセル、パワーポイントを見ることができ、簡単な修正ならできる

5 写真を見ることができる
 野菜や野鳥の写真など撮りだめたデータをを持ち歩け、すぐに見ることができる。PDFデータも見ることができる

6 普通に持ち歩ける大きさ

7 インターネットにつながる必要はない
 行事予定を、Googleカレンダーにするというのも若干魅力を感じたのですけど、やりたいことがインターネットを必ずしも必要としないので、そこまでする必要はないかなと

最近は、実はケイタイが発達しすぎて、電子手帳はほとんど取り残された感じになっていて選択肢はあまりなくて、たくさんあるケイタイか少ない電子手帳か、モバイルパソコンかということでいろいろ考えた末、結局iPAQ212というところに落ち着いたのです。

長くなったので、iPAQ212については次回。

大掃除は?

[2009年12月30日(Wed)]
遊んでばかりいるのかと思われ(心配され)てもいけないので一言。

今日(日が変わってしまったので正確には昨日)は、野鳥観察が終わってからは、ひたすら大掃除。
窓と網戸は例年私が担当になっているので、大きい4枚のガラス窓以外は、すべての窓と網戸をはずして、庭で水をかけながらタワシでごしごし。エコな観点から洗剤などは使わず、水だけで。けっこうこれできれいになるもんです。洗剤を使わないときれいにならないと思っている人はぜひお試しを。

相棒が庭木をきれいに切ってくれていたので、洗うところがすっきりしていたし、サンの部分をやってくれる人がいたので、スムーズに進み、窓は1日でほぼ完了。

夜は、すでに図案は考えていた年賀状作り。
年賀状はできるだけ減らそうと考えて(実際に減らして)はいるのですけど、1年を振り返り、友達や知り合いのことを思い起こす機会ではあるので、大切にしたい。

ご飯たべてるんですけど、何か?

[2009年12月29日(Tue)]
今朝は久々(1年以上ぶり)に、野鳥の観察&撮影に。

(家)うちの近くには、海も川も山もあるので、野鳥はたくさんいます。でも、この時期は特に、落葉樹は葉が落ちて見通しがよくなっているし、冬の渡り鳥もいるし、観察にもってこい。

朝の8時から9時までの約1時間。短いけど、楽しみました。

今朝のベストショットがこれ。


カモやウミアイサ、ヒヨドリ、キジバト、メジロ、シギ、カワウなどを見て、ぼちぼち帰ろうかなと思っていたら、波打ち際にハクセキレイがいたので少し近づいてからしゃがんで見ていると、砂をより分けて餌をついばみながらこちらにだんだん寄ってきました。

3、4メートルまで近づいてきたので、そろそろいいかと思って立ち上がったら、飛び立っていきましたけど、その少し前。近づきながらこちらをチラッチラッと見るんですよね。「餌食べてるんですけど、何か?」ってい感じじゃないですか?

帰りに川筋を通ってたら、カワセミもいました。

『のだめカンタービレ 最終楽章 前編』

[2009年12月28日(Mon)]
『のだめカンタービレ 最終楽章 前編』(監督:武内英樹、2009年)

二ノ宮知子さん原作の同名のコミックがテレビドラマを経て、最終楽章として劇場用に作成されたもの。

テレビドラマはリアルタイムで見てなかったのですけど、息子の学校の先生がDVDを貸してくれて以来、家族全員ではまってしまい、ドラマ中でよく演奏されたベートーベンの交響曲第7番がたまたま近くのホール(シンフォニア岩国)で演奏されることを知って家族全員で、出かけたほどです。

音楽が、ストーリーのネタとして使われている部分が否めないし、細かいところでの状況描写不足などを抜きにしても、小3の末娘と一緒に見てとても楽しめました。のだめと千秋のキャラクターはとてもいいし、こまやかな心理描写とてもいいです。「変態の森」の悪乗りしすぎは楽しすぎるし、崩壊しかけのプロオケのボロボレロと、千秋のもと再出発するオケの演奏も聴き応えたっぷり。

お互いがいい意味で刺激しあって成長するという正統派の物語なのも案外好感度が高い理由かも。

オペラシアターこんにゃく座『夏の夜の夢』

[2009年12月27日(Sun)]
オペラシアターこんにゃく座公演『あちゃらかオペラ 夏の夜の夢 〜嗚呼!大正浪漫編』

今日(12月27日)、広島市東区民文化センターで開催されたオペラシアターこんにゃく座の公演を観てきました。

よい席で観ようと少し早めに会場に行くと、何と、開演前に出演者によるロビーコンサートがあり、いきなりお徳感が。

公演は素晴らしすぎて言葉がない。というか、日本の舞台芸術の最高峰のひとつを観た気がします。



シェークスピアの『夏の夜の夢』が、大正時代の軽井沢に舞台を移し、フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ヴァイオリン、チェロ、打楽器、ピアノ(こんにゃく座にしては大編成)による素晴らしい生演奏と、オペラシアターこんにゃく座独自の美しい明瞭な日本語による歌声によって描かれていきます。適度のギャグもあり演出も曲(たくさんの懐かしい曲も微妙にずらしてちりばめられている)も素晴らしく、シンプルだけども工夫の凝らされた舞台も文句ありません。思いっきり笑って、泣けました(大正時代といっても、そういう時代を借りているということで、現代の私たちの心に響いてきます)。

公演終了後には、作曲家の萩京子さんのアフタートークもあり、おなかいっぱいです。

オペラシアターこんにゃく座は、〔新しい日本のオペラの創造と普及〕を目的に1971年に結成され、「こんにゃく体操」で培われた身体性を駆使した、美しく聞き取りやすい日本語による歌声と、ピアノを中心にした小編成の生音楽が特徴で、私は、地元の子ども劇場の例会のほか、これまでいくつか鑑賞しています。
『我輩は猫である』『ロはロボットのロ』『どんぐりと山猫』『あおくんときいろちゃん』『セロ弾きのゴーシュ』など。何度も観たくなるような作品ばかりです。

今度の新作は、あのブレヒトの『三文オペラ』。とりあえず、東京公演のみなので観ることはできないでしょうが、こちらに来るのが楽しみです。

101幻の紫ブロッコリー?

[2009年12月27日(Sun)]
9月21日に苗で植えたブロッコリーが大きくなってきました。

いつかのテレビで、紫色っぽいブロッコリーがおいしいと説明していましたけど、うちのブロッコリーも気持ち紫がかっています。



紫色って言うことは、アントシアニンなどの紫色の色素があるのでしょうか?それとも葉緑素の緑と何か赤っぽい色素が混ざってそういう色に見えるのでしょうか?それと味との関係は?

ブロッコリーも採り時が悩みどころ。もうこれ以上大きくならないかなあと思っていても、可食部分のつぼみの塊は、つぼみの状態でだんだん大きくなってくるんです。というか、つぼみの塊が花にならずに徐々に増えてくるのです。なんだか不思議。

はたけの場所や何かの加減で、ヒヨドリが食べたりするのですけど、うちのはほとんど被害にあったことはありません。フンが落ちてることはたまにあります。

『東京原発』をたくさんの人と観たい

[2009年12月27日(Sun)]
『東京原発』(監督・脚本:山川元、「東京原発」フィルムパートナーズ、2004年)

役所広司さんが演ずる東京都知事が、「東京都に原発を誘致する!」と局長会議の席上爆弾発言。そこから始まる、賛成、反対の議論。原子力発電所をネタに、さまざまな問題を痛烈に浮き彫りにしていて、はらはらドキドキさせられながらもかつ考えさせる映画です。役者も岸部一徳さんや吉田日出子さんなど粒ぞろい。

ホームページには、オフィシャルサイトもあって、最初の入り口には、いろんな人のコメント。
その中のひとつを抜粋すると。

  舛添要一(前厚生労働大臣) 
  この映画は、エネルギー政策について国民がもっと真剣に考える
  べきことを訴えている。
  原発議論のよい材料だ。


私は、この映画を2、3年前にどこかのホールで観て面白かったのですが、今回、山口県内いろんなところで上映しようという実行委員会が立ち上がって、各所それぞれで実行委員会形式で上映会をしていくことになったということで、知り合いから声がかかって、立ち上げ準備の会に参加してみました。

3月くらいにシンフォニア岩国で開催予定です。年明け早々に実行委員会を立ち上げる予定にしていますけど、よい映画なので、市の教育委員会の後援をお願いするのはもちろんのこと、中国電力鰍フ後援もとれるといいのではと私は提案しています。

どうしても、国策として進めているエネルギー政策の一環ということで、タブー視されている感がある中、賛成派、反対派限らず、多くの人に観てほしいと思います。確かDVDでも観れるのですけど、やはり映画は大画面で見るほうが楽しい。

詳細が決まれば、またお知らせできると思います。

ねぎじゃこご飯

[2009年12月25日(Fri)]
ネギが元気になってきて、沢山採れるようになると食べたくなるもの(いや、どの季節だっていいのですけど)。

あつあつご飯に、ちりめんじゃことネギをたっぷりかけて、醤油をたらして、一味をひとふりふたふり。



うまいっ!

グリーン電力基金という取り組み

[2009年12月25日(Fri)]
企業の社会貢献の話しついでに、電力10社が行っている面白い取り組みを。

私の住んでいる山口県で言うと中国電力鰍ノなりますが、財団法人ちゅうごく産業創造センターが中を取り持つ形で、1口500円/月(つまり年額6000円)の寄付をすると、それと同額を中国電力鰍ェ出資してくれて、太陽光発電設備、環境教育目的用発電設備、風力発電設備に対して助成をしていくというもの。

私も数年来参加していて、事業報告が送られてきていますので紹介すると、平成20年度実績で基金への参加者は962件、1329口、これで約800万円の寄付があり、それに対して中国電力鰍ゥらも約800万円の寄付を得、6件1750万円の助成を行っています。

具体的には、地域の学校や風力発電にふさわしい場所に設置しているわけですけれども、平成13年からこれまでの実績としては、標準家庭39600戸の1年間の電力使用量に相当しており、二酸化炭素に換算すると96500トンの削減効果になるそうです。

これって結構いい取り組みだと思います。普通の人は太陽光発電や風力発電がいいと思っても、個人向けでなければ買うことはなかなかできませんけれども、こういう制度があることによって、一般の人の気持ちに見合う額を中国電力鰍熄oしてくれて、実現するわけです(電力会社が独自で努力すべきという議論は置いておくとして)。

企業の社会貢献の中では、マッチングという分野になるわけですけど、あえて言えば、市民等企業の「痛み分け」とも言えます。でも「痛み分け」はちょっと言葉がマイナスな感じなだし、マッチングもわかりにくいので、もう少しいい言い方はないものかと考えていたので、24日に開催された協働推進セミナー(※2記事前参照)の講師に、セミナー終了後に聞いてみたところ、「みんなの基金」という言い方があるとのこと。うーん、悪くないけどいまいち。みんなの気持ちに企業が合わせてくれるという雰囲気が出てほしい。

なにか、いいネーミングはないものでしょうか?

それと、もっとたくさんの人が参加すれば社会が変わるかも。

デファクトスタンダード(おまけ)

[2009年12月25日(Fri)]
前の記事で、唐突に出てきたデファクトスタンダードの補足を。

VHSかβマックスかという場合のように、二者択一の問題であれば、どちらがよいかは別として、早く実質的な多数をとってしまったほうが勝つというのもありでしょう。私が、VHSで友達がβマックスだと困りますから。

しかし、残念なことに(ではなくて、幸いなことに?)、最近話題の環境問題を最たるものとして、ほとんどの問題は二者択一ではなくて、バランスの問題であったり、グラディエーションの問題であったり、多様であることが大切なのです。そのあたりを混同してはいけないのだと思うのです。

例えば、言葉の話で言うと、多くの人が英語が使えるのだから、便利だから英語でいいじゃないか。というのは、とても乱暴な言い方で、やはり、言葉には、その背景に文化というものがくっついていて、それぬきには考えられない。多くの言語があることが豊かなことであると思います。

そのことを、私が感じたのは、学生時代、今の広島市長である秋葉さんがアメリカのタフツ大学の教授をしていたときに、アメリカの学生をヒロシマ・ナガサキに派遣する「アキバ・プロジェクト」というのを行っていて、その手伝いをしたときです。下宿にそのアメリカ人を泊めてまちを一緒に歩いたり、案内したりするとき、仕方なく英語でしゃべったのですけど、英語っておしゃべりな言葉だなあ、と感じたことがあります。私はあまりしゃべるほうでなかったのですけど、英語を使うとなんだかおしゃべりになってしまう感じだったのです。

それは、小さな例ですが、英語が堪能な日本人が、日本語で考えるときと、英語で考えるときでは、同じ問題でも結論が違う、といったのは面白い例だと思います。



協働推進セミナー「地域課題解決のカギは協働にあり!」

[2009年12月25日(Fri)]
昨日(12月24日)、やまぐち県民活動促進実行委員会(山口県、財団法人やまぐち県民活動きらめき財団、やまぐち県民活動支援センター)主催のセミナーが行われました。

基調講演は、NPO法人 ふくおかNPOセンターの理事 黒岩淳さん。
1時間の短い時間で知っていることも多かったものの、企業の社会的責任(CSR)についておさらいするにはとてもいいお話でした。

出だしに「知恵というのは文化であって、知識偏重の効率化の中にあって、知恵が失われつつある」という意味の話は印象に残りました。

最後のほうの、企業の社会的責任(CSR)から、組織の社会における責任(SR)へ。つまり、組織であれば、基本的に社会的に責任を持っていかないと、というのも納得です。

というのも、お話の中で出てきた実例で、
地域の中に、二つの酒蔵があって、ひとつは効率化してコストを下げて大量に作っていて、もうひとつは、地域との関係を保ちながら昔ながらの方法で作っていて高いお酒を売っている。で、経済が傾いてつぶれそうになったときどちらを市民が選ぶかというときに、企業が社会貢献しているかというのが、これからは重要になってくるということでしたが、関係してくるのは、企業の努力だけでなく、そういうのを大切にしたいという(地域を構成する)個人や組織の雰囲気というものもあるのですから。

ただ、もう一歩言うと、バランスをみんなでどう保っていけるかという問題でもあると思うのですけどね。効率化して安いお酒も、こだわりのお酒も両方必要なんだと私は思います。そのバランスを保つのは、実は、どういう暮らしをしていきたいかという、みんなの問題なのですよね。

それは、例えば、グーグルが、書籍の電子化を進めていて、それをフランスなどは自国の文化をつぶすものとして反対しています。すべての書籍が電子化したとして(それは、とりあえずはまだまだ難しいし、どの順番で電子化していくかということも別問題としてある)、それは一見平等のようだけど、実は、悪しき多数決の原理が(ランキングというやつです)働いて、英語圏の書籍が圧倒的優位に立ってしまう。それは、結果として、英語圏の考え方が優位に立ってしまう(言葉も、文化ですからね。こういうふうに、実質的に優位に立っているものに、それが正しいかどうかということと関係なく支配されてしまうとき、その支配しているものをデファクトスタンダードと言います。インターネットの世界では英語がデファクトスタンダード)ということ。そして、その勢いがあまりに強くて、そういうことに危機感を持っている人も少なからずいるのだけど、例えば自国の文化を尊重するフランスなどは国として書籍を電子化させないという方法で反対しているわけです。本来は、みんなが文化を大切に考えていれば、書籍を電子化しても、うまくバランスが保てるはずです。他に対処する方法はないのか、それは、本当にみんなの問題なのです。

おっと、どんどん脱線してしまうので、このあたりで。

それにしても、地元の企業の人も(動員で?)参加してくれて、後半のワークショップで同じグループになった人と少しお話をしたのですけど、私はなぜこんなところにいるのだろうか、うちの企業はそこそこ社会貢献しているし、という雰囲気で、まだまだCSRについての理解がないのではと感じました。まあ、それを責める気はないのですけど。というのも、企業は、まず社員の福利厚生をしっかりすること自体が社会貢献だとも思うから(そうは言ってられないというのがCSR?)。というか、こういう機会は、これから増えてくるのでしょうから、コミュニケーションをとっていく中で変わっていくのでしょう。

もうひとつの焚き火(里山)遊び場

[2009年12月23日(Wed)]
今日は、12月6日の記事で書いた2箇所の焚き火の遊び場のほかにあるもうひとつの場所の遊び始め。盆地にある子ども劇場の会員の自宅の前にある田んぼの一角が焚き火場になっていて、近くの植林地と雑木林でも遊べます(田植え前には、泥んこ遊びも)。

家の前なので、立派な焚き火場。豚汁、焼き芋のほか、土鍋で焼き鳥。ダッチオーブンで餅ビザなど豪華。参加者が持ってきていたミンチや野菜の具入りのおやきや、焼きミカンもおいしかった。私は、山に薪を取りに行ったくらいでほとんどのんびりさせてもらいました。



子どもたちは最初、焚き火近くで遊んでいましたが、そのうち、広い田んぼやその周りを使って駆け回って楽しんでいました。

100サツマイモの保存方法

[2009年12月23日(Wed)]
200件目の記事にして、はたけ通信100番目。
ちょうど半分は、はたけ通信ということです。

というわけで、特別なものにしようかとも思ったものの、思いつかないのでいつもどおり。

みんなの畑で作っているサツマイモ。焚き火用に保存するわけですが、どうやっているかというと、1個1個を半枚分の新聞紙でくるみ、ダンボールに詰めていって、押入れにいれるだけです。

ポイントは、サツマイモ同士が直接触れない、ということと、温度が寒すぎず、ある程度一定している、ということだと思います。押入れがいっぱいの場合は、廊下などの通路に置いておく場合もあります。

箱の大きさにもよりますが、1箱に3〜40個は入り、焚き火遊びに1回2〜30個使うので、3〜4回の行うのに3箱くらいあれば大丈夫。

この方法で、よほど小さいものでなければ春まで持ち、4月くらいになると芽が出てきます。

ちなみに、同じ方法で、自然薯(つくね芋)の種芋も、5月の植え付けまで保存します(新聞紙は1枚分か2枚分と厚めにする)。

『三文ゴシップ』

[2009年12月23日(Wed)]
『三文ゴシップ』((椎名林檎、EMI Music Japan、2009年6月、CDアルバム)

椎名林檎の久々のアルバム。発売からはちょっと遅れましたけど購入。

最初の2曲「流行」「労働者」の現代に対する皮肉の効き方がたまりません。

中でも私のお気に入りは、「旬」と「○地点から」。

椎名林檎の詩が好きです。

99けなげなキヌサヤ

[2009年12月22日(Tue)]
タマネギと同様、小さなすがたで冬をすごす代表格がキヌサヤエンドウやスナップエンドウ、ソラマメなどの豆類。寒さを耐えて、春になると一気に成長して花を咲かせ、実をつけます。

今日は、一番の冷え込みで、11月25日に種を植えたキヌサヤの表面には、霜がびっちり。
美しい、けど寒そう。

涙もろくなる話

[2009年12月22日(Tue)]
一つ前の記事で、涙もろくなることを書いたことで、思い出したことを。

先々週の週末に参加した「ダマー映画祭INヒロシマ」のプログラムの中のひとつ「日本短編Showcase」の中にあった、実の兄が取り組んでいる絶滅危惧種のギフチョウの保護活動を実直に取材して仕上げた作品「元気に育て 別所のギフチョウ」の舞台挨拶で、作者が上映後の挨拶で、次のような意味のことをまず最初に話しました。

数年前に、脳溢血で倒れて、半身が少し麻痺しており、それ以来感情の起伏が激しくなって、すぐに言葉に詰まったりしてお聞き苦しいことがあると思うので容赦してほしいと。

現役時代から地域のお祭りなどの記録をビデオ作品に作っていて、現在は退職している男性は、作品を作る過程でのエピソードなどを語ってくれたのですが、実際、普通にしゃべろうとしても、ときどき、涙ぐんで言葉に詰まってしまうのです。

昔の私なら、少しみっともないなあと思っていたかもしれません。でも、今は自分が涙もろくなっているし、それほど違和感は感じませんでした。というより、むしろ、自分のことで考えると、昔は、感情をあらわにするのは、かっこ悪いことだと、いつの間にか思っていた節があります。でも、年を重ねるごとに、別にそれはかまわないことだと思うようになった、というか、自然にそういうふうになってきたように思います。上記の男性の場合だって、もしかしたら、(意識しなかったとしても)感情を押さえつけて暮らしてきていて、病気のおかげ?で、押さえていていた部分が取り払われて、感情が豊かになったとも言えるのかもしれないと思うのです。

まあ、それでもまだまだ、私は、感情表現については素直でないところがあります。誰かれなく表現しては大変かもしれませんが、気の置けない身近な人にくらいは、適度に感情表現できればと思います。ためて、ときどき爆発するのではなく。

『扉守 潮の道の旅人』

[2009年12月21日(Mon)]
『扉守 潮の道の旅人』(光原百合著、文藝春秋、2009年11月)

尾道の大学で教鞭をとる傍ら、著作活動をしている光原さんの新作(といっても、「オール読売」などに掲載された短編をまとめたもの)。
まだ暗い朝方、布団の中で読んでいたので、流れやすかったのもあって、最後の「ピアニシモより小さな祈り」には、涙が流れました。年をとると本当に涙腺が弱くなって。

物語なので、いろいろ書いてしまうとつまんないのでやめときますけど、よいです。

でも、帯の文章が少しいただけない。
表部分が、
 魔法使いがやってくる 
 瀬戸の海と山に囲まれた懐かしいまち・潮の道にはちいさな奇跡があふれている

裏部分が、
 こころやさしい人間たちとやんちゃな客人が大活躍!
 待望の、煌く光原百合ワールド


ということで、私なりに、帯の文章を考えてみました。

 不思議な『力』を持つ瀬戸内海の潮の道を舞台に、憎めない住人たちと、旅する『あーちすと』たちが織り成すファンタジー
 『想い』は世界を救えるのか?


最後の行は、ちょっと悪乗りしすぎですけどね。

私がテーマにもしている、芸術が、そのもつ力というか、なんと言ったらいいのかわからないのですけどそういうものが、表現されています。

98タマネギの植え付け

[2009年12月19日(Sat)]
少し書き遅れてしまいましたが、12月5日に今年もタマネギを植えつけ終えました。
早生(5月中下旬に収穫)を600本、晩生5月下旬から6月初旬に収穫を500本、親戚からもらった苗(たぶん晩生)300本、合計1400本。

冬の焚き火遊びの焼き芋用のサツマイモのために借りている畑の裏作です。

6月には小学校の子どもたちに呼びかけて収穫をし、小学校にも寄付する予定。



それにしても、このひ弱い苗の状態で、あまり大きくなることもなく寒い冬をすごすタマネギ。けなげです。

植え付け自体は、何度かに分けて、数時間で済みましたが、これから雑草取りがちょっと大変。協力してくれる人がいるからいいものの。

原子力発電所のこと

[2009年12月19日(Sat)]
2つ前の記事で原子力発電所のことが出たので思い出したことを。

二十数年前に大学に入ったとき、私は工学部環境工学科でしたけど、原子力工学科というのもあって、そこに入った同級生が、授業の最初に教授から、「これからは原子力発電所はあまり作られないかもしれないけど、今ある発電所のメンテナンスがあるから仕事はしばらくあるだろう」みたいなことを言われてショックを受けていました。

調べてみると、世界に500基くらいある原子力発電所のうち約1割の55基(17箇所)が日本にあるようです。

財団法人 日本原子力産業協会のホームページには、「世界の運転中原子力発電所の設備容量推移」というグラフがあって、1969年(40年前)からの世界の原子力発電所の発電容量の推移がその内訳(主な国)とともにわかります。開発当初は急激に伸びていますが、1990年ごろにはその伸びが落ちていますので、最初に書いた教授の話もある程度うなずけます。ちなみに、アメリカが圧倒的に1位で、フランス、日本と続き、その3国で半分以上を占めています。

原子力発電所は、大規模な設備、最先端の技術、未確定な放射性廃棄物の最終処分方法(それに伴うコスト)、天災や人為的なミスによる事故が起こった場合のリスクなど、トータルで見たときのコストから言って、必ずしも効率的でないということもあるのでしょうか。

実際、阪神大震災のときなど、大規模な下水道の復旧に時間がかかったのに比べ、個別の合併浄化槽の復旧が早かったなど、全般的にリスク管理の意味からも小規模分散型が求められているし、電力でいえば、これまでの独占から「自由化」がはじまったことから、企業などが自分で発電するということも可能になってきて(極端な例ではガスによる自家発電というのもありますし、太陽光発電や風力発電も普及してきました)、大規模な発電所をどんどん建てるような時代ではなくなってきているのではないでしょうか。

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