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MI ジャーナル

―はたけと芸術を楽しみつつ、仮説を立てながらいろんな人と協働して問題解決を図り、子どもとともによりよい社会を目指していきたい、そんなことを考えている人のヒントになりたい―


キーワードは、農業(はたけ)・仮説実験授業・楽しさ・子ども劇場・芸術文化・冒険遊び場(プレイパーク)・チャイルドライン・協働などなど(ただし、私の中でつながっているだけで、それぞれに直接的な関係があるわけではありませんので、誤解のないようお願いします)


「MI ジャーナル」とは、Micro Intermideate Journal(マイクロ・インターミディエット・ジャーナル)。元のタイトル「農芸楽仮説変革子ども」は私の関心領域のキーワードをつないだだけだったので、2010年3月3日より、私の日々の情報発信という意味で、MI(村夏至)ジャーナルとしたのですが、2014年9月4日から、MIの意味を変えて、小さいながら何かのきっかけや何かと何かをつなぐ内容にしたいという意味の名称にしました(詳しくは、カテゴリー「21MIジャーナル」をご覧ください)。

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12スイカ畑にミズナ?

[2008年06月30日(Mon)]
春にほったらかしにしていたミズナにとうが立ってきれいな花が咲き、その美しさを充分堪能したあと、そのほかの花や草などと一緒にスイカ畑で野焼きをしました。

はたけ作りでは恒例の行事です。草などの残渣を処理できて、はたけに肥料として草木灰をまくことができるという一挙両得の。

そのうち、スイカを植える前に、スイカ畑には雑草が生えてくるのですが、雑草に混じって見慣れた苗が、と思っていたら見る見るうちにミズナになりました。

花が咲いたあとに実ができていて、それも一緒に焼けたと思っていたら、こぼれた実から復活していたのでした(こういうのを実生〔みしょう〕といいます)。

たくましいものです。まわりの雑草だけ取って、残している実生のミズナは、現在我が家の朝の味噌汁の具になったりしています。

『ひきこもる小さな哲学者たちへ』

[2008年06月29日(Sun)]
書店でタイトルに魅かれて手にした本。予想にたがわず、おもしろい。

『ひきこもる小さな哲学者たちへ』(小柳晴生著、生活人新書〔NHK出版〕、2002年)

現代の日本社会が歴史上はじめて迎えつつある「豊かさをどう溺れずに生きていくか」「豊かさを生きるにはどのような力や知恵がいるのか」「それはどうしたら身につくのか」ということを考えていく上で、豊かさの中で生まれた子どもたちこそが、豊かさに適応する知恵の導き手であり大切なパートナーであるという位置づけの元、実際の学生相談カウンセラーとしての経験を活かしながら、分かりやすく解説してくれています。

私が関わっているチャイルドラインの基礎資料としても役立つ本だと思うので、簡単に私なりのまとめを書いてみました(A4判4ページです)。


バンの子育て

[2008年06月29日(Sun)]
私の住んでいるところはレンコンの水田が多く、梅雨時期にはバンという大型の野鳥が子育てをする姿を見かけることができます。

気をつけていると、たまに人が見ることのできるすぐ近くに巣を作っていることがあったりするのです。

数年前に、運よくとることのできた写真です。抱卵のために巣に帰るところと、雛が生まれて、親子で散歩に出かけるところです。


清潔(排除したい気持ち)

[2008年06月29日(Sun)]
はたけ通信11の中で、清潔ということに話が進んでしまったので、ちょっと書いてみます。

最近特に、除菌なんとかというのが、増えてきたというか、そうしないと不潔って雰囲気があってちょっといやです。除菌なんとかにしないと、これまで私たちは細菌にやられて死んでしまっていたのでしょうか?

卑近な例で言うと、台所用の除菌洗剤は困ります(使いませんからいいですけど)。殺菌剤が入っているんでしょうけど、うちは生ゴミはすべてコンポストにしてはたけに還しているので細菌によって腐ってもらわないと困るからです。

人間の体の表面(人間を口からお尻までつながった筒だと考えると、目に見えている表面もだけど、胃や腸の内側の表面も表面ということになります)は通常、細菌だらけだと思います。いくら手をきれいに洗ってもそれは一瞬。だって何かに触らなくたって、空気中に細菌はたくさん漂っているんだから。そして、その中には、無害のものにまじって病気を起こしてしまうような最近も混じっています。

だけど、通常病気にならないのは、一つは人間の身体自身に抵抗力と言うのがあって、傷口などから病原菌が入り込もうとしても白血球が食べたりと抵抗するからですが、細菌同士にもいろんなのがいて、お互いけん制しあって極端に数が増えないようにバランスをとっているからです。その状態に、無理やり殺菌剤をまいて根絶やしにしてしまうと、バランスがくずれて、その細菌空白地帯に悪い菌がたまたま入った場合に、それが異常繁殖してしまう危険性があるのではないかと思うのです。

だから、病院や小さい子どもやお年寄りなど、とても抵抗力が低い状態にある人の場合は気をつけてあげないといけないですが、それ以外の時には、根絶やしにするのではなく、ほどほどにしておいたほうが結果としてはいいはずです。


ちょっと、飛躍してしまいますが、ブログだってそうです。ほんの1週間前までは、ブログなんてやる気はありませんでした。極たまに覗いてみても、あまりにしょうもないと感じられるものが多すぎると感じられたから。しかし、それじゃあ、誰かがしょうもないブログを消してしまったらいいのかというとそうではないと思うのです。それは、私にとってしょうもないと思えても、他の人には面白いと思えるものもあるでしょうし、書いているうちにだんだん自分らしさを出せるようになって心に触れるような書き込みをするようになる可能性だってある。いろんな人がいて、お互いにどんな影響を及ぼしているかなんて、よくはわからないのです。根絶やしにしたり、排除するという方法は、いけないと思います。

もちろん、差別的なものや、あまりに配慮のないものはちゃんと自粛したり、お互いに注意しあったりして気をつけないといけないですけど。

しかし、あまりに多いと付き合っていられないので、交通整理は必要ですよね。例えば、ブログで言えば、丹念ブログに見るのが好きで、自分の得意分野について興味深いものを紹介するブログがあったり(するんでしょうけど、よくわからない)するといいです。それが、複数あったほうがよりいいですね。それぞれの見方の違いがあるでしょうから。

少なくとも、そういうのはアクセスランキングなど、ロボットにやらしたのでは意味ないと思います。機械には、価値を判断することは、まだまだできないと思います。でも、それを、グーグルなどははやろうとしているんだろうからとても怖いのですけど。あっ、また別の話になりそうなので、やめます。

11キュウリの葉芽欠きと摘心

[2008年06月29日(Sun)]
キュウリを育てるときのポイントには2つあります。

一つは、ふたば(最初に出てくる葉)の所から5、6番目(5、6節といいます)までの葉と芽やつるはすべて取ってしまう(摘除といいます)こと。これは、土に近い位置の葉や花は虫に食べられやすいし、食べられた傷口から雨の跳ね返りなどで病害菌が入りやすいのを防ぐためだと思われます。要は根元から30cmくらいは、すっきり何もなくしてしまう。

二つ目は、先へ先へと伸びている部分(成長点)をうまく摘んで(摘心)勢いを維持してやるということ。伸ばし放題にしてやると、栄養が分散してしまい、そこここで小さな実ができてしまい、あっというまに燃え尽き症候群のように枯れてしまいます。

この摘心のやり方は、解説本などにあって、主茎は第22〜25節で摘心し、第6〜20節までの子づるは第1、2節で摘心。などとありますので、最初はそれにしたがってやってみるといいと思います。しかし、慣れてくると、要は全体を見渡して木の勢い(草の勢いと書くべき?)が衰えないようバランスよく摘心してやればいいのです。慣れると楽しいです。うまくやると1本のキュウリから100本採れるといいます(目標ですが難しい)。

それと、忘れていけないのは、摘心や摘除するときには決してはさみは使わないこと。清潔な手指で行います。指よりはさみのほうが清潔な感じがしますけど、生き物の表面(指のことです)というのは、いろんな菌がありながらも、バランスがとれていて、その菌たちが摘心した傷口についても極端に悪い菌が繁殖しないからではないかと思うのです。逆にはさみなどの無機物の表面は、悪い菌が付いていた場合それを抑制することができないのではないかと思うのです。清潔とはどういうことか、という話になってしまうのですが、長くなるのでまたの機会に。

ハングドラム

[2008年06月28日(Sat)]

このお鍋のような、UFOのような物体は何でしょう?

実は、ハングドラムという楽器です。

2年前に秋吉台芸術村という、合宿施設のある芸術施設で、新しい楽器を演奏するコンサートがあり、その中の一つとして演奏されていたのです。

聴いた瞬間に、これは私のために作られた楽器だと勝手に思い込み、インターネットで検索して、東京の打楽器専門店が扱っていたので1日迷って購入したのです。

2000年に、スイスで、スチールドラムなどのアイデアも取り入れながら、手で演奏する楽器として新たに作られたもので、私は勝手に「20世紀最後に発明された楽器」と呼んでいます。
ハングというのはこの楽器が作られているスイスの片田舎?の方言で、英語にすればハンド、つまり「手」という意味です。

指で叩くことによって、音が出るわけですが、8つの音階と真ん中のベース音の合計9つの音が出せます。聞かせてあげることが残念なくらい、美しい音です(YOU TUBEに演奏しているビデオがあります)。

その後、手作り楽器のために生産量が追いつかないので、日本での輸入の取り扱いは行われなくなったため、今ではスイスに行くしか入手方法はありません。

つまり、持っているだけで、ハングの珍しい演奏者ということになります。教本などもないため、勝手に演奏しているだけですが、けっこう癒し系で演奏している自分が心地よいです。

10キュウリの好きなウリハムシ

[2008年06月28日(Sat)]
キュウリが採れはじめました。夏野菜の季節のはじまりです。

キュウリにもいろいろ食べ方がありますが、この時期のうちの食べ方の定番は、朝、はたけからもいできたキュウリを厚めにスライスして氷水の入った大きな皿に入れて食卓の真ん中に乗せ、それぞれが手づかみでボリボリ食べるだけというシンプルなもの。実はこれが一番うまい(甘い)。

キュウリなどのウリ科の葉を好んで食べる虫は、そのものずばりのウリハムシといいます。キュウリの苗を植えるとどこからともなくやってきます。最初の何枚目(専門的には何節目)かまでの葉は、ほとんど食べられてしまいます。

でも、心配しなくても大概は大丈夫。つぎつぎ出てくる葉っぱはだんだん食べられなくなってきます。

ウリハムシというのは、近くでよく見るとなかなかひょうきんな顔をしています。目が点って感じなんですよね。おまけに、口の部分も色が濃くなっているものですから。見かけるとつぶしちゃいますけど。



09『ジャガイモのきた道』

[2008年06月28日(Sat)]
泥縄(泥棒を捕まえて縄をなう)なのですが、ジャガイモの話をさんざん書いた後で、『ジャガイモのきた道』(山本紀夫著、岩波新書、2008年)を読んでみました。これが、なかなか面白い。

穀物農耕以外では文明が生まれないというのが定説となっているが、どうもインカ帝国はジャガイモが基礎になっているらしい、とか聖書にでていないという理由で西洋では最初受け入れられなかった、だとか、ヒマラヤや日本での受け入れられ方だとか(写真はジャガイモの花にとまる痩身のカメムシ)。

中でも一番興味深かったのは、原産地あたりだと考えられるペルーでのジャガイモの作り方です。高度3000メートルあたりから上の高度差1000メートルにわたって収穫の時期、栽培方法、品種などが異なる4つの耕地にわけられ、さらにそれぞれが五分の一にわけられて、5年に一度しか栽培されていないのです。植えられる品種も2、30種類にも上るそうです。そうすることによって、ほとんどの時期で食べられ、地力低下による病虫害も防げ、病気が流行っても多品種があることによって全滅することもないというリスク管理が行われているわけです。そういう智恵が少しでも生かされていれば、1800年代中ごろのアイルランドの大飢饉(単一品種のジャガイモに頼っていたので、病気が一気に広がった)も違っていたはずなのです。

それはそうと、植えた時期からすれば少し早いのですが、ちょっとためし掘りをしてみました。化学肥料を使ったはたけのように馬鹿でかくはなっていませんが、充分な大きさになっています。

チャイルドライン研修講座

[2008年06月28日(Sat)]
18歳までの子どもがかける専用電話である「チャイルドライン」の一つである「チャイルドライン岩国ステーション」が開設されて約1年になります。
今年度も、ボランティア研修講座(7月から10月の全12回、7日間)を開催します。
子どもたちの声をひたすら聴くこの仕組みとこのチャイルドラインのことを知っている大人が少しでも増えることが、今の社会にとって大切なことだと思っていますので、紹介文(A4版1ページ半)を作ってみました。チラシも一緒に添付しますので、是非ごらんになってください。
カンパンのニュースサイトのセミナー情報にも掲載依頼をしました。

08ジャガイモの実

[2008年06月27日(Fri)]
ジャガイモは、地下の芋を収穫するので、花の方に栄養がいかないようにするためか、花ができたら摘むと言う人もいます。私はその影響のほどがよくわからないので、摘んだり摘まなかったり。今年はきれいな花を撮影したくてほうっておきました(写真はジャガイモの花)。

ところで、ジャガイモに実はできるのでしょうか?なんて、下の写真のとおりちゃんとできます。知らない人が多いし、注意を払う人もあまりいないので、時々「ジャガイモにトマトが実った」なんて新聞記事になったりします。ジャガイモは、地下茎の一部に栄養を蓄えて増えるという戦略をとったためか、人間がその地下茎の一部を食べ物として選んで、そっち方面を進化させたためか、実のできにくいものが多いようですが、ジャガイモの種類によっては実が普通にできます。

赤くならないミニトマトって感じですよね。お味のほうは?ためしに食べてみました。ちょっとすっぱくて、トマトっぽい印象もありますが、残念ながらおいしくありません(ジャガイモの実には毒があるという話を後で聞きましたので、食べることはお勧めしません)。

ところで、ジャガイモは植え付けから3ヶ月くらいが収穫時期(そのころには、葉っぱも茶色く、まだらになってくる)と言われていますが、今年は春が少し寒かったので、遅めに植えました。うかつだったのは、梅雨があると言うことを忘れてたということ。あまり湿気には強くないみたいなので、いつまで収穫を待つかが問題。遅いと雨にやられて腐ってしまうかも。はたけのお隣さんは、「去年は、7月までおいておいたけど、大丈夫だったよ」と言ってましたけど、違うはたけなのでちょっと気になります。

ジョナサン・ボロフスキー

[2008年06月27日(Fri)]
こうやってブログを書いていると、ふと思い出したりすることがあります。

昨日思い出したのは、ジョナサン・ボロフスキーのことです。
現代芸術家?で、20年位前に東京で見た展覧会の衝撃は忘れられません。

驚いたり、日ごろ考えてもいないことや、改めて何かを気づかせてくれるというのが私にとって現代芸術(芸術全般?)の大きな評価ポイントになります。

彼は、いろいろ大きな作品を作っていますが、そのイメージの元になるものを夢から得ているようでその夢を(イラストとともに)記述したものも作品になっています。

1987年の展覧会のときに買った本『夢を見た ジョナサン・ボロフスキーの夢日記』(ジョナサン・ボロフスキー著、1987年、イッシ・プレス)を久々に眺めてみて、ピンときたものを添付してみます。


ちょっと、最近日本で話題になっている犯罪のことを考えさせてくれるような。


子どもと芸術文化

[2008年06月27日(Fri)]
「小さい子どもの頃から本物を体験させ手上げたい」という話はよく聞きます。芸術文化の分野でで言えば、本物のプロの作品にじかに触れる機会をもたせるということになるでしょうか。

しかし、その意味するところについては、なかなかちゃんとした議論を聞く機会がありません。「お金持ちが言っているだけじゃないの?」ですまされてしまいそうです。でも、そうでもないような気もします。

沖縄市では、5年間だけという計画で、夏にキジムナーフェスタという国際児童。青少年演劇フェスティバル(国内外から子ども向けの舞台芸術作品を招いて数日間かけて、沖縄市内の各地で上演する)を開催していてます。昨年のキジムナーフェスタのホームページに掲載されていた沖縄市長のあいさつ文をきっかけに、子どもと芸術文化について考えてみたことを文章にしてみました(A4版で3ページ半です)。


07遺伝子操作

[2008年06月27日(Fri)]
農薬を使わないはたけは、虫との折り合いが大切になってきます。私の場合、夏場は葉物(キャベツやホウレンソウなど)はあまり作りません。虫たちとうまくやっていくことができないからです。

ところで、野菜たちは、天敵に対して無防備かというと、もともとはそうではなくて、例えば自分たちの体内で毒を作ることによって、食べられないようにしたりしています。

イモ類の多くはもともと毒をもっていました。だって、芋は私たちに食べられるためではなくて、自分たちの子孫を残すために、その栄養源として芋をつくっているのですから。例えばジャガイモだって、私たちは長年かけて、毒の少ないジャガイモだけを選んで残し、徐々に今のようにほとんど毒のないものにしました。実はこれも遺伝子操作なのです(通常、品種改良といいます)(下の写真は、ジャガイモの葉を食べるニジュウホシテントウ)。

時々、中南米の人たちが、原種のジャガイモを特別な粘土のような土と一緒に食べる映像がテレビに流されたりします。それは、その土に毒消し効果があるからです。じゃあ、なぜ品種改良しなかったのでしょうか?その方法を知らなかったから?私は、もしかしたら、そんなことはしないほうがいい、という選択をしたのかも、と思ったりします。

いずれにしても、私たちは長い年月をかけて、無毒な野菜を作ってきました。そうすると、私たちだけでなく、虫たちも大歓迎なので、それを防ぐために農薬が必要というわけです。そして今、遺伝子操作をして、再び野菜たちに自分たちの体内で毒を生産させ、無視を寄せ付けないようにしはじめました。なんだか変。しかも、これまでかけてきた時間からするとほんの一瞬で、試験管の中で無理やり。アメリカなどのように、私たちが想像できないほど大規模な農業(工業?)をしている人たちにとっては恩恵であることは確かです。しかし。(写真はジャガイモの蕾にいたテントウムシの幼虫)

06種芋の植え方

[2008年06月26日(Thu)]
前回書いたジャガイモの芽欠きの感触について、知り合いが面白い表現をしてくれたので紹介します。

「瓶の底に固まりかけた糊状のものを引っぺがそうとしたら、思いがけずうまくひとかたまりになってはがれた時」(しかも瓶に接していたところがツルツル)

どうです?ちょっと経験してみたくなったでしょ?

ところで、ジャガイモやサトイモは、畝を作るときに、畝の伸びる方向に対して直角に山と谷を作り、その谷の部分に種芋を植えます。それは、ジャガイモの場合、種芋から芽が生えてきて、どんどん上に伸びていくわけですが、その茎の途中に別の茎が伸びてきて、その先が大きくなって芋になるという育ち方をするので、茎の部分を土で覆ってやったほうがいい。そのために、最初に谷の部分に植えて、茎が育ってきたら周りの土を茎にかけて(土寄せといいます)やって、谷と山を逆転させてやるわけです。

ジャガイモは、根っこもどんどん下に生えていくタイプの育ち方をしないので、事前に肥料を土の深い位置に混ぜておく(元肥といいます)ことはしません(私の場合は、種芋を植えたときに山の部分に少しくぼみを作って、そこに菜種油かすを少し入れる程度です)。

サトイモもも種芋の上のほうに芋ができてくる(ジャガイモのできた方とは違います)ので同じように谷に植えますが、一つ違うのは、サトイモはもともと雨の多い地帯が原産なので、水分が多量に必要です。日照りの時には水遣りが欠かせません。それでも、土の下のほうが水分がありますので、それも理由の一つかなと。同じ植え方をしてもその理由には、微妙にいろいろあったりします(写真ではわかりにくいけど、谷に育つサトイモの若芽)。

『仮説実験授業のABC』

[2008年06月26日(Thu)]
仮説実験授業、といきなり言われても、何?という感じの人が多いと思います。

一言でいってしまうと「科学上の最も基本的な概念や原理・原則を教えるということを意図した授業である」ということになるわけですけど、分かりにくいのですよね。

一つ一つのテーマについて、一連の授業を作り上げていて、時間はかかるけど、その授業を通して受けることによって科学的な原理をイメージできます。例えば、<電子レンジと電磁波>という授業では、電子レンジの中にいろいろなものを入れて刺激的で楽しい実験を、予想を立てて、結果についての討論をしながら進めていって、実験を行い、最終的に、電磁波というものがイメージできるようになるのです。学校で、子どもたちに行うことを想定していますが、大人が受けても楽しい。

普通の学校の授業では、こまぎれの知識のつめこみになっている傾向があって、系統的な学びが少ないのに対して、本当の意味での学ぶ楽しさが詰め込まれています。

書き出すと、きりがなくなるので、とりあえず、仮説実験授業の入門書である『仮説実験授業のABC』の読書メモを添付しますので、興味のある人は読んでみてください(A4版で8ページあります)。

05ジャガイモの芽欠きの感触

[2008年06月26日(Thu)]
ジャガイモは、山口県では大体春の彼岸(3月20日ごろ)までに種芋を植えるといいと言われます(でも、今年は3月に寒さが長引いたので4月に入って植えました)。

種芋は、普通半分(か四分の一)に切って、その切り口に草木灰をまぶして1、2日乾燥させてから植えます。これは、灰の殺菌作用を利用したもので、切り口から雑菌が入って芋が腐ってしまうのを防ぐためだと思われますが、知り合いではたけをやっている人は、「最近は草木灰を使わなくてもいいみたいよ」と言うのです。その理由までは知らないようでしたが、想像するに、化学肥料の使いすぎで、土の中の菌が死んでしまっているからではないかと思うのです。土の中には、芋を腐らせてしまう菌があると同時に、土を豊かにしてくれる菌もあるのに、そういうもの全てを根絶やしにしてしまっているのでは?

それと、野焼きもやりにくくなってしまって、草木灰も珍しいものになってしまったということもありそうです。まるのまま種芋として使えばいいのでは、と思う人もいるかも知れません。確かにそれだと腐ってしまう可能性は減るわけですが、まるのままでも切っても収穫量はあまりかわらないと考えられるので、もったいないのです。

それはそうと、ジャガイモを育てる上での一番のポイントが「芽欠き」。写真にあるくらい(丈が15cmくらい)になったところで、出てきた芽を育ちのいい1本か2本を残して、その他の芽を種芋からの生え際から取り除きます(そうすることによって、栄養が分散することを防ぎ、大きな芋になります)。できるだけ根元からゆっくり引っ張るのがコツで、あせって早く抜こうとすると途中で切れてしまってうまくありません。しかし、うまくいくとほどよい手ごたえで根元からきれいに取れます。慣れるとそれほど難しくなくて、なかなか楽しい感触です。

『イカの哲学』

[2008年06月26日(Thu)]
「21世紀の平和学はここから始まる」という帯。何のことでしょう、と思わせるタイトル。

『イカの哲学』(中沢新一・波多野一郎著、集英社新書、2008年)

「憲法第九条が人類遺産的に重要なのは、平和学を土台とする国家の原理の可能性を、いままでにないようなやり方で、生命の原理と結んでみせたことにあるのではないだろうか」と考え続けていた中沢さんが、長年愛着を持ち続けていた『イカの哲学』という小さな本に出会いなおしたことを、『イカの哲学』とともに解説してくれていて、とても興味深く読みました。

「戦争を生み出すのは人類の心の構造なのであるから、自分だけはまるでそれとは無関係でいられるような顔をして、外から戦争を批判するやり方は、少しも現実的ではない」というのは、現代が抱える問題全てに言えることだと思います。それは、心も持ちようで何とでもなるというような安易な精神論ではなく、もっと深いところで、今の問題はみんな当事者であると思うので。

ところで、中沢さんは、
「イカは信じられないほどに複雑な眼球を持っていて、そこから膨大なビット数の情報を取り入れている。ところがその目に比して、脳の構造のほうは余りにも原始的で単純にできているので、とてもそれだけの情報量を処理できる能力はない。(中略)イカという生物は自分のためにではなく、自分を包み込んでいる、自分よりも大きな存在のために、地球の観察を続けているバイオカメラなのだ、と考えたくなるほどである」
と書いています。それは、ロマンティックな表現としてはいいのですが、ちょっと異論があります。

生物というのは、遺伝子が自分を複製するということからして、まねっこするという特質を根源的に持っていて、動物はお互いに行動をまねっこすることによって、共感したり、危機を脱したりしていると思います。そして、イカ(やヒラメなど)はそれをさらに一歩進めて(?)擬態するということによって外敵から身を守ったりしています。だから、イカの目が発達しているのは、見たものを解釈したりするというよりも、見たものを見たままに自分の体に表現するためではないかと思うのです。まあ、それだと体全体が外界を感じて自分を変化させればいいのであって、目以外の感覚器官であってもいいのかもしれませんが。それにしても、例えば体の色が、外界の色に合わせて変化するのって面白いですよね。自分の体を見ることはできないのに、そうなっているのをどう感じているのだろう。本論からは少しはずれていますが、生物がまねっこする特性を持っている(卑近な例で言うと、話し相手があくびすると、なぜかあくびしてしまう)というのは、前々から気になっていることで、一度じっくり考えてみたいことです。

04野菜(と私)の奏でる音楽

[2008年06月26日(Thu)]
タマネギは、ワセだと5月、オクテだと6月上旬に収穫を迎えます。そのころになると、葉っぱがお辞儀をするように倒れてきます。それくらい葉がしおれたほうが、保存には適しているということかもしれません(実際には、そのまますぐに食べる分には、葉っぱが元気な状態でも問題ありません)。

タマネギは、収穫するとき首の部分を長めに残して、何日か干し、紐の両端で3個ずつ合計6個を束ね、裏の倉庫につるして保存します。そのとき、あまり首の部分が太いとそこから腐りやすく、小ぶりで首が細ければ、次の収穫時期まで保存することができます。

ところで、タマネギがだいぶ大きくなってから草取りをするときの話です。タマネギはカブ間が15cm位と狭いため、その間をかき分けるように手を入れるような形になります。そうすると、手とタマネギの葉が触れたり、手で押されたタマネギの葉っぱ同士が触れ合うことになり、なんとも柔らかな音が出ます。それが音楽のようで私は好きです。

音と言えば、野菜の出す音で私が一番好きなのは、何といってもサトイモの葉っぱに雨が落ちるときの出る音です。これが、微妙にレンコンよりもサトイモなんですよね。サトイモの葉のほうが少しばかり肉厚で、より柔らかな太い音のような気がします。

『象徴の貧困』

[2008年06月25日(Wed)]
2年前にたまたま新聞の書評に載っていて、面白そうだったので買って読んだ本です。現在メディアを賑わせている犯罪などの根っこにある、現代の文明国に蔓延している精神の問題について、フランスの哲学者が正面から取り組んでいるもので、予想以上に感動したので、読書メモにしてみました。
A4版で1ページ半です。興味のある方は、読んでみて、是非この本を手にとってもらえるとうれしいです。

『象徴の貧困』(ベルナール・スティグレール著、新評論、2004年、2006年翻訳)

食文化は誰が守るのか

[2008年06月25日(Wed)]
ひょんなことから洋菓子教室に通っています。講師がとても面白い。相当の技をもった職人さんなのですが、教室では家庭で普通に手に入るシンプルな材料でつくる洋菓子のコツを教えてくれます。「マクドナルドなんかにいくのではなくて、家で普通においしいお菓子を子どもたちに食べさせてほしい」と常々語りかけてくれ、質問をするといろいろと興味深い話をしてくれます。そんなお話のひとつ。

オレンジババロワを作るときに、香りをより引き立たせるためには、オレンジの皮を角砂糖でこすると、オレンジオイルを吸いながら角砂糖がこわれていって、それを砂糖として使うといいのだそう。オレンジの皮を包丁で刻んで煮出したりすることもあるけど、皮の奥のほうには苦味があるので、角砂糖の硬さで皮をこすることによって、いいところだけが砂糖に移る(砂糖がまた香りを吸収しやすい)ということです。それは、昔はお菓子屋さんの丁稚が時間外にやらされていたのだけど、今時は労働条件の問題などからそんなことはしなくなったようです。そういうのもある意味文化で、どんどん工業化してしまう食の世界からは、放っておくと、きっとなくなってしまうのだと思います。だとすると、家庭こそが、そういう文化を残していく場所になっていくのではないかと思われるのですが・・・。共働きが増えていることなどもあり難しいし、それじゃあ取材して紙やメディアに残したら残るのだろうかというと・・・。今後の一つの課題です。

今日も、教室があって、チーズケーキ(スフレタイプ)とヨーグルトゼリーを作りました。余りをいつものように持って帰ると、家族には大好評です。

いきなり、最初に想定していなかったカテゴリーが増えてしまった。

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