雨蛙(アマガエル)と人との関係(身近な自然と人との関係)
自然と人間との関わりが見えにくくなっている現代にあって、知っている人は知っているけど、意外と知られていない身近な動物と人の関わりをもっと子どもたち(には限らないのですが)に伝えることが大切なのではないか、ということを、燕(つばめ)と雀(スズメ)を例にとって書いたことがあります。
簡単に書いておくと、燕は、人家の軒下に巣を作るのは、天敵である蛇(ヘビ)が近づくと人が追い払ってくれるからだと思われるし、雀は人とつかず離れずな感じだけど、山奥の集落などで人がいなくなると雀はいなくなることから、人の生活のおこぼれを期待しているらしい。
たまたま知り合いとそういうことを話していたとき、街中の家なのに、家の庭に雨蛙が棲みついていて、近づいても全然逃げないということを言っていて、そういわれてみれば、確かに自分の家の庭でもこの季節よく雨蛙を見るので、雨蛙も人の近くに住む動物のような気がしてきました。
雨蛙は食べるには小さすぎるし、虫などを食べるくらいで、特に人に害を及ぼすわけでもないので人はそれほど気を払わないし、蛙にとっては、やはり天敵の蛇が近づくことが少ないとか、家の窓などには昆虫が寄り付きやすいので、人家の近くに棲むようになったのかもしれません。
そこで、インターネットで調べてみると、手に乗った雨蛙を適当な場所に移してやると、その後、手を近づけると乗ってくるようになった話や、窓辺の洗面台にすみついた雨蛙と、結局14年間も一緒に暮らすことになった人のお話しの絵本〔『アマガエルとくらす』(たくさんのふしぎ傑作集)〕があることがわかりました、
自然と人間の関わりを考える上での例の一つに追加したいと思います(これからも、そういう例が増えていくといいな。というか、見落としている生物がもっといると思う)。
人に話してみると、思わぬ収穫がある例でもあります。
写真は、先日「里山ひよじ村」の田植えに行ったときに、アジサイの葉っぱでお休みしてた雨蛙。
追記:そんなことを考えていたら、最近見た映画『北斎』の中で、北斎さんの「朝顔と雨蛙」という、朝顔の中、パッと見はわからないところに雨蛙がいる絵が取り上げられていて面白かった。昔の人は、動物や植物などの自然と、もっと普通に対話していたのだと思う。
追記2:この話を最近したら、牛蛙(ウシガエル)が自分の家の庭にある小さな池に住み着いているという話をしてくれた人がいて、面白かった。隣の知り合いのうちにある大きな池に(持ち主了承の上で)移しても、また帰ってきたそう。半分ひさしをつけているので、居心地がいいのだろうか、とも。それにしても牛蛙は、100年位前に食用として輸入されたものが野生化したので、食べられる運命にあるのに、人間になついているんですね。家畜だったら慣れていてある程度当然なのですが。(ちなみに、その後、牛蛙の養殖用の餌としてアメリカザリガニが輸入されたようです)。冬はどこかで冬眠して、また現れるんだそうです。夕方結構うるさいんだけど、だんだん慣れてきている自分が怖い、と言いながら笑ってました。
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簡単に書いておくと、燕は、人家の軒下に巣を作るのは、天敵である蛇(ヘビ)が近づくと人が追い払ってくれるからだと思われるし、雀は人とつかず離れずな感じだけど、山奥の集落などで人がいなくなると雀はいなくなることから、人の生活のおこぼれを期待しているらしい。
たまたま知り合いとそういうことを話していたとき、街中の家なのに、家の庭に雨蛙が棲みついていて、近づいても全然逃げないということを言っていて、そういわれてみれば、確かに自分の家の庭でもこの季節よく雨蛙を見るので、雨蛙も人の近くに住む動物のような気がしてきました。
雨蛙は食べるには小さすぎるし、虫などを食べるくらいで、特に人に害を及ぼすわけでもないので人はそれほど気を払わないし、蛙にとっては、やはり天敵の蛇が近づくことが少ないとか、家の窓などには昆虫が寄り付きやすいので、人家の近くに棲むようになったのかもしれません。
そこで、インターネットで調べてみると、手に乗った雨蛙を適当な場所に移してやると、その後、手を近づけると乗ってくるようになった話や、窓辺の洗面台にすみついた雨蛙と、結局14年間も一緒に暮らすことになった人のお話しの絵本〔『アマガエルとくらす』(たくさんのふしぎ傑作集)〕があることがわかりました、
自然と人間の関わりを考える上での例の一つに追加したいと思います(これからも、そういう例が増えていくといいな。というか、見落としている生物がもっといると思う)。
人に話してみると、思わぬ収穫がある例でもあります。
写真は、先日「里山ひよじ村」の田植えに行ったときに、アジサイの葉っぱでお休みしてた雨蛙。
追記:そんなことを考えていたら、最近見た映画『北斎』の中で、北斎さんの「朝顔と雨蛙」という、朝顔の中、パッと見はわからないところに雨蛙がいる絵が取り上げられていて面白かった。昔の人は、動物や植物などの自然と、もっと普通に対話していたのだと思う。
追記2:この話を最近したら、牛蛙(ウシガエル)が自分の家の庭にある小さな池に住み着いているという話をしてくれた人がいて、面白かった。隣の知り合いのうちにある大きな池に(持ち主了承の上で)移しても、また帰ってきたそう。半分ひさしをつけているので、居心地がいいのだろうか、とも。それにしても牛蛙は、100年位前に食用として輸入されたものが野生化したので、食べられる運命にあるのに、人間になついているんですね。家畜だったら慣れていてある程度当然なのですが。(ちなみに、その後、牛蛙の養殖用の餌としてアメリカザリガニが輸入されたようです)。冬はどこかで冬眠して、また現れるんだそうです。夕方結構うるさいんだけど、だんだん慣れてきている自分が怖い、と言いながら笑ってました。
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