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MI ジャーナル

―はたけと芸術を楽しみつつ、仮説を立てながらいろんな人と協働して問題解決を図り、子どもとともによりよい社会を目指していきたい、そんなことを考えている人のヒントになりたい―


キーワードは、農業(はたけ)・仮説実験授業・楽しさ・子ども劇場・芸術文化・冒険遊び場(プレイパーク)・チャイルドライン・協働などなど(ただし、私の中でつながっているだけで、それぞれに直接的な関係があるわけではありませんので、誤解のないようお願いします)


「MI ジャーナル」とは、Micro Intermideate Journal(マイクロ・インターミディエット・ジャーナル)。元のタイトル「農芸楽仮説変革子ども」は私の関心領域のキーワードをつないだだけだったので、2010年3月3日より、私の日々の情報発信という意味で、MI(村夏至)ジャーナルとしたのですが、2014年9月4日から、MIの意味を変えて、小さいながら何かのきっかけや何かと何かをつなぐ内容にしたいという意味の名称にしました(詳しくは、カテゴリー「21MIジャーナル」をご覧ください)。

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『銃・病原菌・鉄(上)』

[2014年03月15日(Sat)]
『銃・病原菌・鉄(上)』(ジャレド・ダイアモンド著、倉骨彰訳、草思社文庫。2012年、原著は1997年)

『銃・病原菌・鉄』1402.JPG

上下巻合わせて800ページに及ぶ大著。まずは上巻を読み終えました。
これは、本当に面白い。

著者は、生理学者、進化生物学者、生物地理学者。この著作で、ビュリッツァー賞、国際コスモス賞、朝日新聞「ゼロ年代の50冊」第一位を受賞。

数十年前に鳥類の研究のために訪れていたニューギニアで出会った「ヤリ」という政治家から投げかけられた疑問「あなたがた白人は、たくさんのものを発達させてニューギニアに持ち込んだが、私たちニューギニア人には自分たちのものといえるものがほとんどない。それはなぜだろうか?」。

著者が実際に接してみて、平均的なニューギニア人と平均的な白人が頭のよさの上で優劣がつかないにもかかわらず、世界の各地で見られる格差はどこから生まれてきたのか?

1万3千年にわたる人類史の謎を、進化生物学、生物地理学、文化人類学、言語学などを縦横に駆使して解き明かそうとしています。そしてその壮大な謎を解く鍵となる、さまざまな研究が丹念に行われていることの一端に触れることができるという意味でもとても興味深い。どの部分もいろいろとヒントになることが満載なので、簡単な印象や感想を。

ヨーロッパ人とアメリカ先住民との関係においてもっとも劇的な瞬間として、象徴的に描かれている1532年11月16日のスペインの征服者ピサロとインカ皇帝アタワルパのペルー北方の高地カハマルカでの出会いが、ピサロの随行者が書き残した文書によって細かく再現している部分は、概略については何かで見知っていましたが、おぞましすぎる。たった196人のスペイン軍が、一人の犠牲者も出さずに何千人という敵を殺し、自分たちの500倍もの数のインディオを壊滅状態に追い込んだのですから。

そして、なぜ逆の(先住民側がヨーロッパ人を滅ぼす)ことが起こらなかったかを冷静に分析していきます。この本のタイトルになっている、「銃・病原菌・鉄」はヨーロッパ人が他の大陸を征服できた直接的な要因を端的に表現したもので、そこにいたる過程を概観していってくれています。

上巻の多くの部分を占めているのは、人類の発展につながった食糧生産についてで、はたけが趣味の私としては、断片的に知っている知識や経験について大きな視点で整理できる部分もあってうれしい。

アジア南西部に位置するメソポタミア地方にある肥沃三日月地帯が、(人的な要因ではなく)地理的気象的生物的などの環境的な要因から、現在栽培されている植物や飼育されている家畜の原種の多くが存在していたために、農耕や牧畜の起源としての大きな地域になっていることについて、詳しく書かれていています。しかも、ユーラシア大陸は東西に長く広がっているため、南北に広がりを持つアフリカ大陸や南北アメリカ大陸に比べて、農耕や牧畜の技術の伝播が早かったことも。

また、現在栽培されたり飼育されている動植物の種類は、元々いる動植物の種類に比べて著しく少ないのには、それぞれ理由があるのだなあというのもよくわかります。例えば、元々毒をもっていたアーモンドが毒のない栽培種にできたのに、ドングリは栽培種にならなかったのはなぜか?

アーモンドは、苦味の無い突然変異体の種子を植えれば、遺伝の法則によって植えた種子の半分は親木と同様に苦味の無い実をみのらせるので、それを繰り返していくことによって毒のないものにできるが、ドングリの苦味は、一つの遺伝子ではなく、複数の遺伝子によってコントロールされているため、同じことをしても、苦味のないものにしていくのが難しいのだそう(ドングリが実るまでに10年以上必要であるという要因に加えて)。

子どもたちに人気のドングリは、しかし、人に飼いならされないというしたたかな面もあるのですね。一方で、中世の西洋で、ドングリの森が豚の飼育場に使われていたというのを何かの本で読んだことがあるので、動物の側で、そういう毒までも消化してしまう能力を身につけたりするわけです。

下巻も楽しみです。


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