春雨に 目覚めた蛙 にぎやかにご当地mtを地域限定で作る意味(交流人口を増やす)
ご当地mtを作ることについて、最初に考えたのは、お金が地元で回るように(地元にお金が落ちるように)、ということだったのですが、考えてみると、いろいろ意義がありそうです。
今日思いついたのは、交流人口を増やすことにつながると言うこと。mtに関心を持っている層は主に若年層や主婦層であり、可処分所得が多くはないとしても、自分のこだわるものにはお金をためてでも使うという人も多い。 3月以来、私自身、いろいろな場でmtの話をしてみて、ただ話すだけでなく、デコったスマホや花笛、ガムのプラボトルなどを見せると反応が明らかに違います。単純にかわいいからmtが好きだけど、手紙の封に使う程度だったと言うことを聞いたりすると、やはり、もっと身近に使う例を示していける(大げさに言うと、mtを使ったライフスタイルを提案できる)と、mt文化がさらに進展するように思います。 インターネットで何でも手に入る時代になってきて、実は手に入らないものがあって、それは、ある意味当たり前のことなのですが「人と人との直接的なつながり」なのではないかと思っています(そして、逆にインターネットは、そういうつながりを手助けするツールになればいいのです)。 それを仲介する力がmtにはあると私は思っています。 私自身、もともとあまり一般的な話題を持たない人間(飲む打つ買うにあまり興味がない)で、社交的なほうではないのですが、mtによって、ここ最近、ずいぶん知り合いが増えてきたように思います。 本題が近づいてきました。 ご当地mtをつくり、販売もある程度地域限定にすることによって、それを買うために人が動く、そして、人と人との直接的な交流が生まれる。 もちろん、そのためには、ご当地mtを販売しているお店やその地域に、その地域ならではのmt文化と言えるようなものがないといけないのです(このショップに行ったらmtに関する新しい情報やその土地ならではの情報、新しい提案が見聞きできるとか、mtのことが思いっきり話せるとか、mtにひたれるスポットがあるとか)。 私が勝手に行っている、mt文化普及・向上委員会の活動も、そこにつながっていかないと意味がないのです。ていうか、自分の活動の道筋が見えてきたぞ、私。 さらに書くと、これまでは、若年層や主婦層が担い手になっていますし、今後もメインはそうでしょうが、これから、余裕のある団塊の世代も、ひと手間ふた手間かける文化の担い手になっていくことによって、地域ごとに特徴のある(そこならではの)平和的な産業が栄え、そのことによって(一部でいいから地域内にお金が回り)地域が持続可能な社会になっていく。その中の一つにmtがある。少し理想的にすぎるかもしれませんが、まったく大きくはずしてはないのではないかと思うのですけども・・・。 そして何より、結果として、ご当地mtは、交流人口を増大させると言う社会的な意味のあることにつながることから、mtを生産する企業にとっては、自分の本来事業であるmtの生産によって社会貢献ができるという、ここ最近注目されているCSR(企業の社会的責任)活動になるというメリットがあります。 なかなかいい話になってきたような気がします(自画自賛)。
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