『社会をつくる自由―反コミュニティのデモクラシー』
『社会をつくる自由―反コミュニティのデモクラシー』(竹井隆人著、ちくま新書、2009年)
「社会をつくる自由」というものは大切だと思うし、「コミュニティ」のあり方に関心があるので、あえて「反コミュニティ」と書いてあるところに目新しい展開があるのかなと思って手にとってみました。
普通は本を買う時点で、目次を見たり、少し読んでみたりするので、あまりハズレはないのですが、それでも、期待したほどためにならなかった本などはあり、そういう場合は、私の読みが足りない部分もあるかもしれない、とか、私の見る目がなかったなあ、などとひとり思い、ブログなどでも紹介しない、という結果となります。
しかし、この本はちょっと、あまりにもとんでもなくて触れないわけにはいかないかなと思い、少しだけ書かせてもらいます。
というのも、私が日頃考えている「コミュニティ」というものに対して、あまりにも考えなく批判しているからです(この本の中で著者は「コミュニティ」を「仲良し」あるいは「仲良し社会」の意味で使っていると断ってはいますが、一般的に用いられている「コミュニティ」から考えて範囲を狭めすぎでしょう)。
はじがきからして
(前略)「コミュニティ重視」を叫ぶものは、この「社会をつくる自由」を踏み潰すことに、いささかも頓着せぬほど悪者であるか、あるいは、それに気づかぬほど愚者であるかのどちらかに違いあるまい。(後略)
と、この本のタイトルでもある「社会をつくる自由」についてまだ詳しく書いていない1ページ目から、「コミュニティ」について考えている人を、悪者か愚者でしかないと決めつけてしまっていて、しかも、この抜粋と似たような決めつけを、少しずつ言い方を替えて、本文の中で何度も書いているのです。
私は、人間関係が希薄になってきていて社会の機能が低下している中で、その解決の糸口として「コミュニティ」が注目されているのであって、それは「コミュニティ」のあり方も含めていろいろと議論や実践が行われていると思っていますが、そういう人たちのことを上記の二択の中にしか見ることができないというのはあまりです。
しかも、この本の中では、社会について特別目新しい議論が展開されているわけでもなく(社会は元来閉鎖的な部分があることを、あまり認識されていないように書いて、そのことを中心に話を展開していますが、社会に関する本には閉鎖性のことは普通に出てくるので常識だと思われます)、日本において治安が本当に悪化しているかどうかについての検証もせずに、「保安意識」が高まっていることを利用してしか「社会をつくる自由」を醸成することができない[というか、社会を生成する契機となるのは保安(セキュリティ)であって、それが世界的かつ歴史的な真理であると言い切ってしまっている] という論調も一方的に過ぎます。
全体的に、選択肢(思考)の幅が狭すぎ、決め付けが多すぎるのでオススメではありません。
「社会をつくる自由」というものは大切だと思うし、「コミュニティ」のあり方に関心があるので、あえて「反コミュニティ」と書いてあるところに目新しい展開があるのかなと思って手にとってみました。
普通は本を買う時点で、目次を見たり、少し読んでみたりするので、あまりハズレはないのですが、それでも、期待したほどためにならなかった本などはあり、そういう場合は、私の読みが足りない部分もあるかもしれない、とか、私の見る目がなかったなあ、などとひとり思い、ブログなどでも紹介しない、という結果となります。
しかし、この本はちょっと、あまりにもとんでもなくて触れないわけにはいかないかなと思い、少しだけ書かせてもらいます。
というのも、私が日頃考えている「コミュニティ」というものに対して、あまりにも考えなく批判しているからです(この本の中で著者は「コミュニティ」を「仲良し」あるいは「仲良し社会」の意味で使っていると断ってはいますが、一般的に用いられている「コミュニティ」から考えて範囲を狭めすぎでしょう)。
はじがきからして
(前略)「コミュニティ重視」を叫ぶものは、この「社会をつくる自由」を踏み潰すことに、いささかも頓着せぬほど悪者であるか、あるいは、それに気づかぬほど愚者であるかのどちらかに違いあるまい。(後略)
と、この本のタイトルでもある「社会をつくる自由」についてまだ詳しく書いていない1ページ目から、「コミュニティ」について考えている人を、悪者か愚者でしかないと決めつけてしまっていて、しかも、この抜粋と似たような決めつけを、少しずつ言い方を替えて、本文の中で何度も書いているのです。
私は、人間関係が希薄になってきていて社会の機能が低下している中で、その解決の糸口として「コミュニティ」が注目されているのであって、それは「コミュニティ」のあり方も含めていろいろと議論や実践が行われていると思っていますが、そういう人たちのことを上記の二択の中にしか見ることができないというのはあまりです。
しかも、この本の中では、社会について特別目新しい議論が展開されているわけでもなく(社会は元来閉鎖的な部分があることを、あまり認識されていないように書いて、そのことを中心に話を展開していますが、社会に関する本には閉鎖性のことは普通に出てくるので常識だと思われます)、日本において治安が本当に悪化しているかどうかについての検証もせずに、「保安意識」が高まっていることを利用してしか「社会をつくる自由」を醸成することができない[というか、社会を生成する契機となるのは保安(セキュリティ)であって、それが世界的かつ歴史的な真理であると言い切ってしまっている] という論調も一方的に過ぎます。
全体的に、選択肢(思考)の幅が狭すぎ、決め付けが多すぎるのでオススメではありません。