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MI ジャーナル

―はたけと芸術を楽しみつつ、仮説を立てながらいろんな人と協働して問題解決を図り、子どもとともによりよい社会を目指していきたい、そんなことを考えている人のヒントになりたい―


キーワードは、農業(はたけ)・仮説実験授業・楽しさ・子ども劇場・芸術文化・冒険遊び場(プレイパーク)・チャイルドライン・協働などなど(ただし、私の中でつながっているだけで、それぞれに直接的な関係があるわけではありませんので、誤解のないようお願いします)


「MI ジャーナル」とは、Micro Intermideate Journal(マイクロ・インターミディエット・ジャーナル)。元のタイトル「農芸楽仮説変革子ども」は私の関心領域のキーワードをつないだだけだったので、2010年3月3日より、私の日々の情報発信という意味で、MI(村夏至)ジャーナルとしたのですが、2014年9月4日から、MIの意味を変えて、小さいながら何かのきっかけや何かと何かをつなぐ内容にしたいという意味の名称にしました(詳しくは、カテゴリー「21MIジャーナル」をご覧ください)。

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「最後の奴隷制としての多数決原理」という言葉

[2010年07月16日(Fri)]
前の記事のからみで思い出した言葉。

自分が子どもの頃もそうだったので、あまり言えないのですが、よく子どもが何かを決めるときにすぐに「(多数)決をとろう!」と言ったりします。民主主義=多数決というイメージが、子どもばかりでなく一般的にも強い中、「最後の奴隷制としての多数決原理」という言葉は、強烈に核心をついていて、印象に残ります。

この言葉は月刊誌「たのしい授業」50(1987年4月号)に掲載された板倉聖宣さんの論文のタイトルで、『社会の法則と民主主義 創造的に生きるための発想法』(板倉聖宣著、仮説社、1988年)という、「たのしい授業」に掲載された板倉さんの社会の科学に関する論文集の中にも再掲されています。


15ページの短い論文なので是非読んで欲しいと思いますが、結論部分だけ抜書きすると、、

<多数決と言うのは、もともと少数派を奴隷的な状態に置く決議法である>という理解のもとに、<できるだけ決議をしないということが大切だ>。それでも<決議をするときは、少数派を奴隷にしなければならないほどに切実なことだけ決議をしろ>

ということになります。

多数決と言うのは、最終的な判断をするひとつの手段でしかなく、しかも、拘束力を持ってしまう部分があるので、まずは、多数決をする必要があるのかどうかを充分考えておく必要があります。

しかも、みんなで充分話し合ったからと言って必ず正しいわけではないのは、これまでのさまざまな国策や地方自治体の施策の誤りからも明らかですから、少なくとも、少数派が決議に反対し続けることは否定でないはずです。

民主主義(=多数決?)の名のもとに、他人への押し付けが横行することは避けなければならないのですが、そういうことが得てして、善意(や正義)から来ていることから考えても、この言葉がもっと一般的に広まることを願っています。


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