小さなところからでも普通に思うことを普通にしたい
(こういう漠然とした書き方はあまりよくないかなと思いながら)
社会があまりに大きなシステムになってしまって、それにあらがうのは面倒くさいというかその流れに従うのが楽なのでそうしてしまうのだけど、何か変だなということに対して、自分のコントロールできる範囲で直せるなら直したほうが気持ちいい。というか、流されることに慣れっこになってしまうと無力感(やストレス)が少しずつ蓄積してしまうように感じるのが、ちょっと救われた気分になる。そういうのって、大切なのではないかと思う。
ひとつの例。
例えば、月刊誌は、前の月に次の月の号が出る。10月号は9月に出る。当たり前なことだけど、そのことをいつ覚えたかわからないけどそのとき私は、面白いなと思ったと同時に、何か違和感を持ちました。「言われれば、わからない理由ではないけど、わざわざ前倒しにする必要があるの?」と。
実は、私のかかわっている仮説実験授業研究会の関係記事が多く掲載される月刊誌『たのしい授業』は、毎月月初めにその月の号を発行しています。そのことを知ったとき、「そんなことは、別に他の雑誌に合わせる必要はないんだよな」とさわやかな気持ちになった記憶があります。こういう出版社があることはうれしい。
社会があまりに大きなシステムになってしまって、それにあらがうのは面倒くさいというかその流れに従うのが楽なのでそうしてしまうのだけど、何か変だなということに対して、自分のコントロールできる範囲で直せるなら直したほうが気持ちいい。というか、流されることに慣れっこになってしまうと無力感(やストレス)が少しずつ蓄積してしまうように感じるのが、ちょっと救われた気分になる。そういうのって、大切なのではないかと思う。
ひとつの例。
例えば、月刊誌は、前の月に次の月の号が出る。10月号は9月に出る。当たり前なことだけど、そのことをいつ覚えたかわからないけどそのとき私は、面白いなと思ったと同時に、何か違和感を持ちました。「言われれば、わからない理由ではないけど、わざわざ前倒しにする必要があるの?」と。
実は、私のかかわっている仮説実験授業研究会の関係記事が多く掲載される月刊誌『たのしい授業』は、毎月月初めにその月の号を発行しています。そのことを知ったとき、「そんなことは、別に他の雑誌に合わせる必要はないんだよな」とさわやかな気持ちになった記憶があります。こういう出版社があることはうれしい。