CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る

MI ジャーナル

―はたけと芸術を楽しみつつ、仮説を立てながらいろんな人と協働して問題解決を図り、子どもとともによりよい社会を目指していきたい、そんなことを考えている人のヒントになりたい―


キーワードは、農業(はたけ)・仮説実験授業・楽しさ・子ども劇場・芸術文化・冒険遊び場(プレイパーク)・チャイルドライン・協働などなど(ただし、私の中でつながっているだけで、それぞれに直接的な関係があるわけではありませんので、誤解のないようお願いします)


「MI ジャーナル」とは、Micro Intermideate Journal(マイクロ・インターミディエット・ジャーナル)。元のタイトル「農芸楽仮説変革子ども」は私の関心領域のキーワードをつないだだけだったので、2010年3月3日より、私の日々の情報発信という意味で、MI(村夏至)ジャーナルとしたのですが、2014年9月4日から、MIの意味を変えて、小さいながら何かのきっかけや何かと何かをつなぐ内容にしたいという意味の名称にしました(詳しくは、カテゴリー「21MIジャーナル」をご覧ください)。

<< 2019年07月 >>
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
Google

Web全体
このブログの中
カテゴリアーカイブ
最新記事
PVアクセスランキング にほんブログ村

現場を持つこと

[2008年08月03日(Sun)]
前の記事の「現場」ということについて。

これは、例えば、マーケティングの話の中で、顧客をできるだけ具体的な形でイメージできることが大切で、それがちゃんとできていれば、大きく誤ることはない、と言われたりします。

要は、生身の人間と関わる現場を、できれば複数持つことが大切なんだと思うのです。

私の場合は、仮説実験授業研究会の全国大会や、日常的にはその地元でのサークル(月1回の集まり)、地域の子どもと地域を楽しむ行事、地域の異業種交流会(これは、興味のあるテーマで参加できるときに時々)、子ども劇場、そして、職場(比較的人の出入りのある職場なので)。

その現場で、私が気をつけているのは、自分で気づいたことについては、ちょっとしたことでもできるだけ提案という形で話すということ。ちょっと苦言になると思えるようなことでも、言っても大丈夫そうな相手(ある程度人間関係ができているという意味)には言うようにしています。そうすると、直接仕事とは関係ないことで、相談を受けたりすることもありますが、それによって、私も気づけたり、意外なことを知れたりするので、結局仕事に関係してきて、大切だと思えます。

それと、もう一つ。自然との関わり(自然との現場)という意味での「はたけ」。これが、案外私にとっては大切です。自然という複雑なシステムと接すると、日々いろいろと違った発見があって楽しいし、五感を日常的に刺激されるので、生きているという実感を持ちやすいような気がします(ちょっと大げさ)。

『オニババ化する女たち』

[2008年09月05日(Fri)]
『オニババ化する女たち 女性の身体性を取り戻す』(三砂ちづる著、光文社新書、2004年)

私の所属しているNPO法人岩国子ども劇場で、(今は引っ越してしまった)はた織り職人の呼びかけではじまったエコ・ナプキン(無漂白ネル生地で布の生理用ナプキンを、縫ったり染色したりを、お茶したりしながらいっしょに行う)の取り組みを、継続的に行おうということになったようで、思い出した本。

最初に読んだとき、タイトルのイメージの悪さと中身の面白さのギャップがありすぎると感じたけど、改めて読み直してみて、本当に興味深い。

私が一番印象に残ったのは、出産を「原身体経験」としてとらえている部分。「しっかりとからだに向き合ったお産」を次のように表現しています。

自分は一人ではなくて、誰かとつながっている、また、自然、宇宙ともつながっていて、つながっているところから力がでてくる、そういう経験です。

さらに、

しかし、そういうふうに一人一人が自然や宇宙とつながっていることが感じられるような状況というのは、誰かがほかの人よりももっと力を持とうとしたり、他人を思い通りに動かそうとしたときには、おそらく邪魔なものになったのではないかと思います。一人一人がそういう自然とつながるような大きな力を感じていると都合が悪いので、おそらく、自分だけにそういった力が残り、ほかの人はそういう力を感じることはないように、系統立ててこういう経験をつぶしていかねばならなかったのではないか、と考えるのです。
 人が自然や宇宙とつながっていると感じる力は、誰かの意思を持って、おさえられていったのではないでしょうか。


と。これは、なかなか意味深で考えさせられます。

男性は、そういうことがなかなか体感できないので、滝に打たれに行ったり、修行をつんだり、スポーツや武道をがんばったり、からだを徹底的に痛めつけたりして、やっとそこにいけたり、

とも。でも、実際には、苦行しなくても、自然を相手にした遊び(?)に徹したりすると、そういう経験はできないことはないと思います。私の場合、一時野鳥観察にはまっていたとき、朝早くに自宅から歩いてでかけて、全身を全方向に開いて自然の中にいるとき、そういう感覚を持てたときがあるような気がします。そういう感覚を一人ひとりがそれぞれのあり方で体験するというのは、大切なことだと思います。

日の出体験のお勧め

[2010年01月17日(Sun)]
日の出を感じるのが好きです。

今日は、晴れそうだったので、久々に日の出を観て、ついでに写真撮影することにしました。

午前7時出発。歩いていったほうがよりいいのですけど、ちゃんと日の出の時間を確認するのが面倒だったので、そろそろだなという空模様になったところで車で出発。2分で海岸の公園に到着。


まだ、日の出までは余裕がありそうです。低い雲がかかっています。ここ瀬戸内海では、だいたい低い位置に雲がかかっているし、珍しく雲がほとんどかかっていなくても、遠くの島から日が昇ることになりますので、水平線から日が昇るということはありません。

カモがたくさんいるので、できればカモも写真の中に入れたい。となると、手前にカモが入ってくれるためには、できるだけ低い位置、海岸近くから撮る必要があります。

右手に見える、魚みたいな島も画面に納めたいので、日の出の位置と島の位置と、カモの位置と、それを調整するために、私がどう動けばいいのかを、のんびり眺めながら考えます。

数分後に、雲の端が光ってきました。


いよいよです。左のあたりから上ってくるはずです。漁船がやってきましたので、タイミングを見てシャッターを押します。日の出のときにちょうど船がいい感じのところにくるといいのですが、そういうわけにもいきません(船の位置の微調節は、自分が動けばできます)。


遠くにもう一艘の船が高速で左から右に進んできました。手前をゆっくり右から左へ進む船とのタイミングを見てシャッターを切りましたが、船に気をとられていると、カモの姿が画面から消えてしまいました。


おっと、雲の中から日がでてきました。でもこれはここではよくあることで、島の上空に雲がかかっているので、下の部分は雲が薄くなっていて、島から日が昇っているのです。ということは、今日は2度の日の出のチャンスがあるということです。



太陽が雲に隠れていきます。

長くなったので、続きは次の記事で。

日の出体験のすすめ2

[2010年01月17日(Sun)]
前の記事からの続きです。



また、最初の日がこれから昇ってくる状態に戻りました。でも、太陽は確実に昇っているので、全体的にどんどん明るくなってきています。遠くにカモが飛んできたので、シャッターをきりました。ひだりの水平線の際に5羽くらいいるのがそれです。写真的には、日が出たときに飛んでくれるとうれしいのですが、そうもいきません。



今日2回目の日の出です。日の出は、何度観ても美しい。神々しい気持ちになります。
画面に残っているカモは1羽になってしまいました。でも、写真を撮るのが目的ではないのでいいのです。



写真に太陽を納められるのは、もうこのあたりで終わりです。明るくなりすぎるからです。前の写真から一瞬あとなのですが、一応カモを画面に入れるために、位置を移動しています。仕掛け網の目印の旗の立った浮きがなくなっているのでわかります。

というわけで、そのあと写真を撮るとしたら、海に照りかえる太陽の光を利用した写真ということになります。


家を出てから、たった40分弱の出来事ですが、刻々とかわりゆく光を体全体で感じるのは、素晴らしくリフレッシュになります。

お勧めは、まず写真などは撮らないことです。学校の運動会などと同じで、写真を撮ることが目的になるとそのものの体験ができないからです(写真のことに気を取られて、何を見ていたか覚えていなかったりしません?)

私が写真を撮るのは、写真を撮るのが目的ではなくて、そういう体験を紹介したくて、そのために写真というものが役に立つかなと思うからです。私はというと、この場所での日の出は、何十回となく観ているので、日の出を楽しみながら、ある程度写真も撮ることができます。これは、単純に慣れの問題です。

私のひそかな楽しみ

[2010年01月20日(Wed)]
りんごがおいしい季節です。

りんごをむくときの私のひそかな楽しみを紹介します。

まず、皮をむきます。
そして、むき終えたりんごを左手にとり、右手に持って(つまり、私は右利きです←あっ、ここは解説するところじゃない!)いる果物ナイフをあて、


一瞬、ちょうど真ん中で切れるように集中して、一気に切ります。



うまく集中できると、本当にきれいに真っ二つに切ることができます。それは、角度がどうのとか技術的な問題ではなくて、いかに、体全体でりんごの中心に向きえあるかという問題で、大げさに言えば、弓道で、的に集中するのと同じだと思います(弓道の弓には標準機がないけど、アーチェリーには標準機があるのはなぜでしょう?それは、アーチェリーのほうが進んでいるから?私は違うと思います)。

ああ、そんな小難しいことを言わなくても、真っ二つに切れたときの快感は、私のひそかな楽しみです。きっと、それぞれの人に、そういう楽しみがあるのではないかと思います。

普通は言ったりしませんけど。

<『iPad』はUIをどう変えるか:アラン・ケイが夢見たビジョン>という記事

[2010年02月09日(Tue)]
もう一つ、グーグルニュースのピックアップに載っていて、気になった記事。

『iPad』はUIをどう変えるか:アラン・ケイが夢見たビジョン

アップル社の「ナレッジ・ナビゲーター」という構想?に基づく、「ニュートン」(アップル・ニュートンで検索すれば、ウィキペディアで概略がわかります)という電子手帳のようなものを一時的に持っていたものとしては、最近発表されたアップルのiPadの動きに注目しているからです。

しかし、以前のこのブログの記事に書いたのですけど、今のUI(=ユーザー・インターフェイス=コンピュータと人間をつなぐ入力方法)には、人間の思考についての基本的な考え方が抜け落ちていると思ってしまうのは私だけではないと思います。

最近のiPhoneなどに見られるUIは、できるだけ、調べ物などが心地よく短時間に済ませられるようにとデザインされていますが、人があることを思いついて、そのことを調べるために辞書をめくったり、書類をコピーしたりしている時間と言うのは、実は大切だと思うからです(時には、結論にたどりつけないことも大切だったりして)。

たどりつくまでに、費やしている間に、実は、脳の中でいろいろな考えが進んでいて、これまでの経験や学んだこととそれらが結びついて、自分では考えていなかったような考えに進化していたりするわけですが、あの心地よいUIによって、(その心地よさに引きずられて)、思考がストップしてしまうのではないかと感じるのです。

それが、以前私が書いた、iPhoneを触っている時間が「無駄な時間になってしまう」という意味です。言い換えると「やり過ごさないといけない時間」とか「そこに到達するために過ごさなければならない我慢できないストレスのたまる時間」でしょうか? さらに言い換えると、「指先の心地よさと脳の働きがマッチしていなくて、身体感覚と脳の感覚がずれてしまう」ということではないかと思うのです。

本当の意味で、人間の思考をアシスト(援助)してくれるUIへは、まだまだ道険しいと感じてしまいます。

そのあたりのことを、パーソナルコンピュータに大きな影響を与えるビジョンを示したとされるアラン・ケイは、どれほど見通していたのでしょうか?買って、読もうとしてすぐ挫折してしまった『アラン・ケイ』(鶴岡雄二翻訳、浜野保樹監修、アスキー出版局、1992年)を読み直してみようかなと思ったりしています。


身体がここにいたくないと訴える日本

[2010年06月09日(Wed)]
先日の松元ヒロソロライブの打ち上げの時に、松元ヒロさんから聞いたこぼれ話。

ヒロさんはダンサーの田中泯(たなか みん)さん(一般には、映画『たそがれ清兵衛』で、最後に清兵衛と壮絶な立ち回りを行った余吾善右衛門役として有名)とも親交があり、ある時、田中さんが‘日本はおかしい。毎年3万人も自殺しているのは、理屈ではなくて、身体がここにいたくないと言っているのだと思う’という意味のことを言われたそうです。

田中さんはアジアや日本各地の田舎で舞踊をされているそうで、身体で時代を感じている人ならではの感性だなあ、と印象に残りました。

田中さんについては、公式ホームページがありますので、そちらをご覧ください。



クライミングウォール(山口県セミナーパークにて)

[2012年06月17日(Sun)]
先日、山口県の研修施設であるセミナーパークに寄る用事がありました。この施設、ちょっと田舎にあるのですが、広い敷地があり、グラウンドや体育館、テニスコート、簡単な農園、山口県のいろんな植物を植えてあってめぐることのできる場所、野鳥観察施設、クロスカントリーの大会を時々やっているほど立派な敷地を周回できる芝生のランニングコースなどがあって、官民を問わない研修(教員や福祉関係者専用の設備もある)、学生の勉強合宿やクラブの合宿など幅広く利用されています。

中でも私が前から気になっているのが、クライミングウォール。屋根もちゃんとついていて、全天候型です。

120615クライミングウォール.JPG

120615クライミングウォール2.JPG

今年度山口県で国体があり、クライミング(ボルダリング)の大会が開催されたこともあってか、子どもや初心者?向けに施設が充実していました。

講習会なども時々行われており、一度基本的なことを学んでみたいなあと思っているのですが、県東部からは100キロくらい離れているのでなかなか参加できません。

たまに、観光地などにも簡単な施設があることがあってやったりすることがあります。バランスのとり方が結構難しく、身体に聴きながら次にどう進めるのかを考えるのはなかなか楽しい。

ぶら下がるのって、慢性の肩こり症の私にはよさそうな気もするのです。

ちなみに、危険が伴うので、現地には看板も書いてあるとおり、許可なく使用することはできないようになっているようです。


『ダイアログ・イン・ザ・ダーク』(暗闇の中での対話)

[2014年01月21日(Tue)]
14011902DID.JPG

まっくらなスペースの中を、何人かのグループで、視覚障がい者のガイドに従って、いくつかのイベントを楽しみながら進んでいくワークショップ。

今となっては、何で知ったか忘れてしまったのですが、何年か前に知ったこの『ダイアログ・イン・ザ・ダーク』に、先日江戸行きの用事があって、たまたま日程があったので参加してみました。

ドイツ生まれで、日本では1999年からイベント的に始められ、2009年からは江戸にあるビルの地階を借りて常設されるようになったようです。

ちなみに、その会場にこんな本も売っていましたので、事前に知ってみたい人は、読んでみるのもいいかもしれません。

14011901DID本.JPG

『まっくらな中での対話』(茂木健一郎withダイアログ・イン・ザ・ダーク著、講談社文庫、2011年)
脳科学者の茂木健一郎さんとダイアログ・イン・ザ・ダークの理事の志村季世恵さんらによる対談で、読みやすそうです(現在読んでいるところ)。

さてさて、感想です(事前に予備知識が欲しくない人は、ここからは読まないほうがいいかも。あまり詳しくは書きませんが)。

私が参加したのは5人のグループ(予約状況によって最大8人らしい)で、私以外の4人は、同じ職場の知り合い同士でした。

少し暗い部屋で、軽く自己紹介や注意事項などのオリエンテーション。そして、そこをさらに暗くして、いよいよまっくらな部屋へ。

季節によって体験内容を変えているようで、今回のものを一つだけ紹介すると、書初め。もちろん、全く何も見えない中で、硯に入った墨を使って、筆で色紙に書くのです。

暗闇の中で頼れるのは、自分の視覚以外の感覚。そして、ガイドと白い杖とグループのメンバー。

私はというと、暗闇に結構すぐ慣れることができて、何と表現したらいいのか、自分とそれ以外の環境の境がなくなった感じで、自由になれたような面白い感覚を味わうことができました(もともと暗闇が怖いというメンバーの1人は、最初怖かったそうです)。専用の場が設定してあるので、私はその場を信頼することができ、身を委ねることができたということはあるのだと思います(いきなり、ひとりで知らないところで視覚を奪われたらそうはいかないでしょう)。

手を伸ばすと、すぐ近くに隣の人がいたりするのに、黙っているとその気配はわからないものです。だから自然と声をかけあい、手助けしあいます。

床面の感覚や、皮膚の感覚、聞こえる音、味覚に対して敏感になります。

声をかけあって乾杯することもできます。

イベントをこなしているうちに過ぎたあっという間の1時間半で、個人的には、もう少し暗闇をじっくり味わいたかったなあという少し物足りない感がありました。

そのあたりが、バランスが難しいんだろうなあ。暗闇が怖い人にとっては、あまり時間的に余裕がありすぎてもいやかもしれないし。

知り合いにこのことを話したら、「田舎だったらどこにでも暗闇はあるんじゃない?」と言われてしまい、確かに、どんどん物理的には明るくなってきた都会にあってこそ、すごいコントラストを成すイベントなんだとは思います。しかし、最近では、田舎でも、本当の意味での暗闇は少なくなってきているし(田舎では月夜がとても明るいことは実感できますよ)、安心して暗闇を体験できていろいろ発見できる可能性があるというのは大きいのかな、と。

5000円というチケット料金は、高いという気もします。しかし、一度に体験できる人数が限られていて、しかも、ガイドをしている視覚障がいがある人の得意分野を生かした就業の場となっているということなどを考えると、大きなスポンサーなどが付かない限りは仕方ないかもしれません。

興味のある人は、ダイアログ・イン・ザ・ダークで検索すれば公式ホームページがでてきます。日程がわかったり、予約もできます(私も、インターネット予約をして近所のコンビニでチケット購入しました)。


緑内障について2

[2014年05月13日(Tue)]
人間ドックで緑内障が発覚(ついでに、白内障と網膜はく離も)したことを最近書きました。

その中で、まだ視野欠損が始まったばかりで、自覚症状がほとんどないこと、実際に行っていることといえば、緑内障進行の大きな要因として考えられている眼圧を下げるための点眼を1日1回しているだけだということも書いたと思います。

トラバタンズ.JPG

現状について思うことを書いてみたいと思います。

点眼をすることによって、眼圧が若干下がっているのだと思うのですが、全体的に目力(めぢから)が低下しているようで、いつもなんとなく目がしょぼしょぼします(しょぼしょぼするのはこのところの寝不足もありますが、明らかにそれだけではない)。昼間の明るい光がこれまで以上にとてもまぶしく感じます。また、元々、奥二重気味の目立ったのが、完全に二重になってしまいました。しかも、まつげの色が濃く、しかも若干長くなってきているようです(目だけ見るとかわいくなった!?)。まつげが濃く長くなっているのは、弱まっている目を守ろうとしているのでしょうか?

緑内障は、視野(見える範囲)がだんだん欠損していって、最悪は失明するというやっかいな病気です。

その病状が進行する大きな要因として考えられているのが、眼圧が高くなっているということ。そこで点眼で眼圧を下げようとするわけです。で、もとをたどれば眼圧が高いというのは近眼の人に多いらしく、つまりは、目を酷使する人が眼圧が高くなる?

ということは、緑内障というのは現代病なのかなと。

近年、インターネットなどの普及もあり、ビジュアルメディアの発展が目覚しいなかで、私たちは日々目を酷使しながら仕事や遊びをこなしています。それによって眼圧があがり、緑内障になって、最悪の場合は、ビジュアルメディアを見ることができなくなる。

ということは、もっと目を酷使しない生活をすればいい、ということになります。薄目をするくらいで、あまり注視しない。もしかしたら、それくらいの目の使い方のほうがいいのかもしせん。

だって、視力というのは、いろいろある感覚の中のたった一つの感覚なのですから、それだけに頼る必要はないのではないでしょうか?

ここまで書いて、一つの疑問が。

大昔の人は、野獣に食べられる危険に囲まれているわけですから、常に周りを注視してみていなくてはならなかったはず。獲物を捕まえるためにも、目を凝らすことが多かったはず。なら、大昔の人はもっと緑内障になって失明していた人が多かったはずなのに、あまりそういうことを聞いたことがありません。

それに対してとりあえず思いつく一つの答えは、昔は寿命が短く、目を酷使して緑内障になっても、寿命を迎えるまでにはまだ目が見えていたのではないかという考え方。

しかし、私は、別のことを考えます。

昔の人(もちろん全員が全員そうだったわけでなくて、全体としての傾向のことです)は、目だけで外界を把握していなかったのではないかということ。触覚、臭覚、聴覚、味覚、そして視覚(+第六感?)を総動員して、周りの変化をとらえ、対応していたのではないか。だから、現代はもっぱらビジュアル・メディアにさらされ、視覚という感覚を駆使するという偏った感覚の使い方をしているために、動物としての感覚が鈍いと感じる(物理的な危機管理能力に欠ける)人を結構見かけるのではないか。

ここまで書いてくると、つまりは、眼圧を下げる点眼などに頼らなくても、目を酷使しないようにして、他の感覚を使うように心がけることによって、緑内障の進行を抑えることができるのではないか、という仮説が生まれます。

ああ、でも、カメラが好きで、目を酷使することが趣味のような私などはどうすれば・・・。それは、自業自得なわけですから、せいぜい点眼を続けてみるしかないわけでしょうか。

でも、

ちょっと、気持ちだけでも、目をいたわってあげようと思う今日この頃です。

緑内障の人だけでなく、すべての人に通じるキャッチフレーズを思いつきましたので、最後に。

「視力以外の感覚でも、世界を感じるようにしよう!」


これって、私がテーマの一つとしている身体感覚に関係する話題です。

にほんブログ村 地域生活(街) 中国地方ブログ 岩国情報へ
にほんブログ村

| 次へ
プロフィール

村夏至さんの画像
にほんブログ村 地域生活(街) 中国地方ブログ 岩国情報へ
にほんブログ村 にほんブログ村 地域生活(街) 中国地方ブログ 広島(市)情報へ
にほんブログ村
最新コメント
http://blog.canpan.info/nougeiraku/index1_0.rdf
http://blog.canpan.info/nougeiraku/index2_0.xml
月別アーカイブ