• もっと見る

MI ジャーナル

―はたけと芸術を楽しみつつ、仮説を立てながらいろんな人と協働して問題解決を図り、子どもとともによりよい社会を目指していきたい、そんなことを考えている人のヒントになりたい―


キーワードは、農業(はたけ)・仮説実験授業・楽しさ・子ども劇場・芸術文化・冒険遊び場(プレイパーク)・チャイルドライン・協働などなど(ただし、私の中でつながっているだけで、それぞれに直接的な関係があるわけではありませんので、誤解のないようお願いします)


「MI ジャーナル」とは、Micro Intermideate Journal(マイクロ・インターミディエット・ジャーナル)。元のタイトル「農芸楽仮説変革子ども」は私の関心領域のキーワードをつないだだけだったので、2010年3月3日より、私の日々の情報発信という意味で、MI(村夏至)ジャーナルとしたのですが、2014年9月4日から、MIの意味を変えて、小さいながら何かのきっかけや何かと何かをつなぐ内容にしたいという意味の名称にしました(詳しくは、カテゴリー「21MIジャーナル」をご覧ください)。

<< 2024年04月 >>
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
Google

Web全体
このブログの中
カテゴリアーカイブ
最新記事
PVアクセスランキング にほんブログ村

『「事業仕分け」の力』

[2010年04月29日(Thu)]
『「事業仕分け」の力』(枝野幸男著、集英社新書、2010年4月)


現在行われている事業仕分け第二段の準備をする傍ら仕上げられた本。

「事業仕分け」については、私は、何だかんだ言っても、国の予算についての話が、多くの人の日常会話の中に入ってきたというだけで、評価していますし、ある程度その意義について知っているつもりでしたが、その「事業仕分け」を中心に動かしている現行政刷新担当大臣によって直接語られているところが、やはりなかなか興味深い。

枝野さんは、事業仕分けが政治文化を転換させた点を大きく3つあると説明しています。

1 議会の役割は、予算を増やすことではなくて、減らすことだということ

2 事業の目的と手段というものは、区別して議論するのが当たり前だということ

3 事業は必要だと主張するほうに立証責任があるということ


そして、この本の中で何度も強調していることは、強調しすぎることはないので改めて書いておくと、上の2番目のことと関わってくるのですが、

「事業仕分けは、個々の事業がその政策目的達成の手段として合理的で有効かどうかを判断するもの」であって、「個々の事業の政策目的について、その適正さや妥当性、優先順位を議論し判断するものではない」ということです。

ちゃんと説明できないような事業については、みんなの目の前でちゃんとダメだしをしてあげるということでしょう。そして、議論の分かれるような政策目的については、別の場できちんと議論すべきである言っています。

ちょっと話がずれますが、事業仕分けの役割を説明するための具体的な事例としていくつかあがっている中で、「電源立地地域対策交付金」について、枝野さんが静止しているにもかかわらず、仕分け人の一人である経済産業省副大臣が二酸化炭素削減という目標のために原子力にシフトせざるを得ないという財務省の説明に食いついているところが面白かったです。

へえ、と思ったのは、事業仕分けでは事前にヒアリングをおこなって、仕分け側がどこに問題意識を持っていて、どこのところを突っ込もうとしているのかを事前に明らかにしているので、各省庁が防備してくると思っていたのに、実際にフタをあけてみると、防備できずに、せいぜい科学者や大学の学長を煽ったぐらいだったというところです。ある意味これまで政治家に守られていたので、無防備だったのでしょうか?


コメント
別に誤解によって始まったコメントではありません。「何もこの記事にコメントする必要はなかったのですが,かといってどこに書けばよいかとなると咄嗟に思いつきません。というわけでここに書くことにした次第です」とお断りしているように,たまたまその後に載せたまでで,昨日の「ゆーたん」の記事でもよかったのです。しかしながら,コメントが記事に対応していないということを考えると,コメントすることにためらいがあったものですから一言おことわりした次第です▼「インターネット補完計画」の文章,すべて読ませていただきました。しかしながら,文が冗長でまわりくどく,また書き言葉と話し言葉がごちゃ混ぜでとても数年ブログをやっている方の文章とは思われません。時に若者言葉も交じり,まるで高校生のメールを読んでいるような気がしました▼この「補完計画」は貴殿のブログ活動の土台をなす非常に大切なものであると思われます。せっかく力を入れてお書きになったにもかかわらず,下書きの域を出ていません。理論やポリシーの表明なのですからもっとシンプルなものでなくてはなりません。とても40代後半の方の書かれた文章とは思われません▼これらの記事については,どなたからもコメントがありません。いったい誰を想定してお書きになったのでしょう。漢字変換のミスや主述の整わないおかしなもの等がそのままになっているのは,推敲という(自己)相対化の過程を経ていないということを意味します。それをそのまま不特定多数の読者に提出するという神経が私には理解出来ません。そして自分でもその間違いに気づいていないというのは最悪です▼匿名性と言いながらも,身近な方には購読を慫慂(ショウヨウ,オススメ)しているという事実は矛盾しています。主述が整わない,また変な読点の使い方の文章を発表して,それをまわりの人間に読んでほしいというような恥ずかしいことは私にはできません。「文は人なり」なのです。こんなことでは信用をなくしてしまいます。こういう状況では原稿執筆の依頼は絶対に来ないでしょう。致命的なのは,そういった基本的な日本語のミスに気づいていないという状況です▼アクセス数が多いことを以て人々が自分のブログに大変な関心を寄せていると思うのは大きな誤解です。もしそうなら,コメント数もそれに比例していなければなりません。ところが,現状はそうではありません。はたして貴殿のブログの閲覧が有料であったなら,それなりのアクセスがありましょうか手(パー)考えられません。
Posted by:通りすがりの一読者  at 2010年05月05日(Wed) 08:37
ちなみに「通りすがりさんて・・・」という人は、私ではありませんので、「某新聞社の人と同じ人ですか?」というコメントの意味がわかりません。
ということで、そこからはじまっている(誤解による?)コメントは削除させていただこうかなと思ったのですが、少しの間はとりあえずそのままにしておきます。
ペンネームで書くということと、責任を持つということは別問題であると思います。そのあたりは、バイオグラフィやカテゴリー19の「インターネット補完計画」の記事あたりを読んでいただけるとお分かりいただけるかもしれません。
コメント自体はいろいろと考えておられて、参考になります。今後ともよろしくお願いします。
Posted by:村夏至  at 2010年05月04日(Tue) 21:17
【ペンネームほか〜その2,】
どういうことかと言うと,日本語は厳密な言語です。たとえば名詞の語構成は時により例外はあるものの,一定の法則,制約があるのです。そしてそれらはリズムを伴なっています。たとえば「田中,tanaka」という名字の場合は母音のaが重なっています。この並びには一定の法則があるのです。いま詳細は省きますが,これらは非常に古い時代の日本語に存した法則(母音調和)の名残です。したがって,リズムが崩れると気持ち悪いのです。例外は大抵無知による拡大解釈の結果であったりするのです▼私は偶然,村○○司という貴殿の本名を知ってしまいました。音楽も好きだということと貴殿が日本語のリズムを崩した?ペンネームを選ばれたということの間には相関は見いだせません。あえて言うなら,日本人としてのアイデンティティが崩壊しているということでしかありません。それはとりもなおさず,日本人らしさを失って,かなりな程度国際化してしまっているということを意味します。多くの書物を読みながらも,そういったものから表現等を学ばず(何かを学んではいるのでしょうが,失礼ながら私には見えてきません),ただ人に紹介するという貴殿の意識や行為は信じられません▼これは大変深刻な問題です。人は大抵他人を見た時,何かを思うのです。ヘン?と思うのが一般的です。なぜそう思うのかというと,自分と違っているからです。自分と違うというのは,自分という主体がきちんと存在しているからです。したがって,何かを見ても何も思わない,他との違いに気づかないということは,自分という主体が存在しない,あるいは存在が稀薄であるということを意味します▼デカルトの『方法叙説』に「我思う,故に我ありexclamation×2」という有名な言葉があります。我という存在は,“思う”という行為を通して初めて存在するのだというのです。思うという積極的な行為がなければ,我という主体は存在しないのです▼思うという行為はいかなる行為なのでしょう。それは簡単に言えば自己のデータベースに照らして,物事を判断するということです。現在パソコンを使って情報検索しているのと同じことを人間は自分の頭を使ってやっていたのです。つまり,人間の頭はデータベースだったのです。
Posted by:通りすがり  at 2010年05月04日(Tue) 13:34
【ペンネームほか〜その1,】何もこの記事にコメントする必要はなかったのですが,かといってどこに書けばよいかとなると咄嗟に思いつきません。というわけでここに書かせていただくことにした次第です▼このブログに出会ったのはなぜだったのか,今となっては思い出せません。しかしながら,当初より貴殿の村夏至というペンネームが気になっておりました。それはこれまで一度も出会ったことがないものだったからです。どこかに本名で書くのはコワイからとの記述がありました▼フリーのジャーナリストを目指し?ているとの発言が最初にありましたが,ジャーナリストたらんとするならペンネームでの発言ははっきり言ってマズイのではありませんか。それは本名を明かさない(つまり人格が違う)のだからということで,記事に責任を持つ必要もなく,いざとなれば言い逃れも可能だからです。しかしながら,その貴殿の及び腰の態度は,@文章を推敲しないとか,またA「農芸楽仮説変革子ども」のようにタイトルを単に言葉をつないだだけですますとか,Bウソっぽいペンネームにちゃんと現れていました▼私もどなたかと同じように最初タイトルを見て「農芸楽仮説」っていったいなんだろうと思いました。だからこそ,何時間もかかってすべての記事に目を通したのです。さらにペンネームですが,日本の名字で村の後に季節が付くものは原則としてありません。最近少女コミックの作家に村夏那歩というのがいるようですが,「村春,村夏,村秋,村冬」は戸籍上?は存在しません。村と季節が結びつく場合は「春村,夏村,秋村,冬村」のように季節が先にくるのです。したがって,このウソっぽい名前を使うことに何の違和感も感じないということは,失礼ながら貴殿の日本人としてのアイデンティティがすでに崩壊しているということを意味します。
Posted by:通りすがり  at 2010年05月04日(Tue) 13:32
いいえ違います。貴殿の本名が村○○司さんということを知ってしまったものです。
Posted by:通りすがり  at 2010年05月04日(Tue) 12:53
某新聞社の人と同じ方ですか?
Posted by:通りすがりさんて・・・  at 2010年05月03日(Mon) 09:42
このような地方に住む無名の一個人のブログに気を使っていただいてありがとうございます。
この記事は、カテゴリーに「2読書メモ」とありますとおり、読書感想文よりさらに軽い位置づけですので、まさに本の紹介(+感想)です。そして、読んだ本をすべて紹介しているわけではないので、記事しているということは、何かしら面白くて紹介したいという気持ちがあるということです(読みたくもない本や、読んで損した本というのはありますけど、そういう本をわざわざ紹介するのは性に合わないので)。今回の記事は、枝野さんの代弁をしているのではなくて、私が注目している「事業仕分け」について、当事者が書いた本が出たので読んでみました、興味があったら読んでみてね、というものです。
植草一秀さんのブログ、紹介していただいてありがとうございます。読ませいただきました。なるほどなあということが書いてあって興味深いですね(「検察ファッショ糾弾」とか「心を一つにし断固闘う」とか、ちょっと過激な言葉遣いで、弱気な私は引いてしまいますけど)。とりあえず、それを踏まえて別記事を書く気はありません。私は、誰かをやり込めたいわけではないので、事業仕分けの不満な点はありますけど、それにも増して、事業仕分けの果たした役割は大きいと思っていますので。
文章については、できるだけわかりやすくということを心がけてはいますが、何分(自覚もしていますけど)、私の能力に不十分な点があります。その上で、完璧を目指すことに時間を使うより、つたないながらも記事を書いたほうがいいかなと思って書いていますので、ご容赦いただければと思います。
ご指摘いただければ、勉強になります。
今後ともよろしくお願いします。

Posted by:村夏至  at 2010年04月30日(Fri) 23:26
正直何が言いたいのか理解できません。単なる本の紹介にしかなっていません▼特に二番目の文章はながったらしくまわりくどいです。「国の予算についての話が人々の日常会話に入ってきたというだけで,評価していますし」の「だけで」という表現は普通そのあとに否定的な(ニュアンスの)言葉を伴います。「だけで」のあとに読点をつけたことにより文章(の論理構造)がおかしくなっているのです▼あなたが言いたいのは,「人々の日常会話に(これまであまり登場しなかった)国の予算についての話(話題)が登場するようになったこと」を評価したいということなのでしょうから,「だけで」のあとの読点を取るか,「だけでも」とすべきでしょう▼しかしながら,なぜ登場するようになったのかということについてはふれられていません。本当はそこが一番大事なのです▼枝野がやっている事業仕分けには多々問題があります。あなたの記事は単に枝野の代弁をしているにすぎません。植草一秀のブログ「知られざる真実」の[2010.04.29]をよく読まれ,あらためて記事を書かれることをお勧めします。
Posted by:通りすがりの一読者  at 2010年04月30日(Fri) 06:35
プロフィール

村夏至さんの画像
にほんブログ村 地域生活(街) 中国地方ブログ 岩国情報へ
にほんブログ村 にほんブログ村 地域生活(街) 中国地方ブログ 広島(市)情報へ
にほんブログ村
最新コメント
https://blog.canpan.info/nougeiraku/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/nougeiraku/index2_0.xml
月別アーカイブ