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MI ジャーナル

―はたけと芸術を楽しみつつ、仮説を立てながらいろんな人と協働して問題解決を図り、子どもとともによりよい社会を目指していきたい、そんなことを考えている人のヒントになりたい―


キーワードは、農業(はたけ)・仮説実験授業・楽しさ・子ども劇場・芸術文化・冒険遊び場(プレイパーク)・チャイルドライン・協働などなど(ただし、私の中でつながっているだけで、それぞれに直接的な関係があるわけではありませんので、誤解のないようお願いします)


「MI ジャーナル」とは、Micro Intermideate Journal(マイクロ・インターミディエット・ジャーナル)。元のタイトル「農芸楽仮説変革子ども」は私の関心領域のキーワードをつないだだけだったので、2010年3月3日より、私の日々の情報発信という意味で、MI(村夏至)ジャーナルとしたのですが、2014年9月4日から、MIの意味を変えて、小さいながら何かのきっかけや何かと何かをつなぐ内容にしたいという意味の名称にしました(詳しくは、カテゴリー「21MIジャーナル」をご覧ください)。

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ビブリオバトルが、どうもしっくり来ない件

[2014年06月13日(Fri)]
2007年に開発された、ビブリオバトルという、書評ゲームが密かなブームのようです。

ルールはシンプル。

1 発表参加者が読んで面白いと思った本を持って集まる。
2 順番に一人5分間で本を紹介する。
3 それぞれの発表の後に参加者全員でその発表に関するディスカッションを2〜3分行なう。
4 全ての発表が終了した後に「どの本が一番読みたくなったか?」を基準とした投票を参加者全員一票で行い、最多票を集めたものを『チャンプ本』とする。

ビブリオバトルを考えた谷口忠大さんが書いた紹介本『ビブリオバトル〜本を知り人を知る書評ゲーム』(谷口忠大著、文春新書、2013年)も昨年読んでみて、なかなか面白い取り組みだなあと思っていました。

実は、ビブリオバトルのことを知ったのは、もう少し前で、数年前に、私の住んでいる岩国でも、私の知り合いが団体を作ってビブリオバトルを何度か開催してたので、参加してみようかとも思っていたのですが、日程が合わないなどで参加しないままに最近は行わないようになっているようです。

ちょっと取り上げる時期が早すぎたのでしょう。今やれば、もっと参加者が多いかもしれません。

最近では時々、NHKラジオなどで有名人をバトラーにした公開番組などを行なっているのをたまたま聴くことがあって、実際面白い。都会では、大きな書店などでもイベント的に行なっているようです。

でも、何だか自分が積極的に動く気になれなくて、もやもやした気分が続いていました。

最近ふと、これかな、という理由が思いつきました。

といっても、それは、これまでも気づいていたものの、私が所属している民間の教育研究団体である仮説実験授業研究会で行っている仮説実験授業という授業の講師を久々にやることになってあらためて思い起こされたのかなという感じなのです。

仮説実験授業では、授業のときに発表を強制しません。例え指名した場合でも、理由を聞いて、「なんとなく」という答えが返ってきても良しとします。

それは、なんとなくこれが答えだと思うけど、うまく言葉にできないとか、説明できないという場合はよくあることだという認識があるからです。

そして、意見の応報が盛り上がっていても、実際には1、2人や2、3人しか意見を言わない場合もあります。こういう場合、できるだけ多くの人に意見を言わせたい先生などは、無理にでも意見を言わない生徒に意見を言わせたくなったりするようですが、自分の実感からしても、少ない人しか意見を言わない場合でも、その少人数の人が、多くの人の意見をうまく代弁してくれたり、いい質問をしてうまく説明するのを手助けしてくれたりするような場合、実際に意見を言う人は少なくても、参加者の多くが満足のいく状態というのはありえます。誰もが、自分の意見をうまく説明できるわけではないからです(もちろん、特定の人ばかりがあまり面白くない意見を意宇場合もあります)。

要は、意見を言う人の多寡や特定の人がたくさんしゃべるか、みんなが少しずつしゃべるかより、いろいろな人が考えていることが、うまく拾い上げられているかどうかや、それに関係しますが、こんな意見を言ってもいいだろうか、というような意見を出しにくい雰囲気より、自由に意見を出せる雰囲気が大切なのでしょう。

そういうことができない場合に、ルールを決めて、意見を言う人に対して時間的に平等に言えるようにするという方法が考えられます(悪くすると、悪平等になる)。

もちろん、制約がもたらす自由というものがあって、俳句や短歌のように、字数を制約するからこそ面白いものができたりという面もあるので、一概に制約をなくせばいいというものではありません。

そういったことを考えていると、どうも私がビブリオバトルに感じている違和感のようなものが少しわかったような気がします。

自分は結構本好きなので、もし、その本の魅力を伝えることができる人がしゃべる場合は、5分間に限らず、もっと聞いていたいし、あまりうまく説明できていない場合には、5分を待たずして聞くのをやめたいと思うのです。きっと。(うまく説明できていなくても、何かしらその人自体に魅力を感じてもっと聞いてみたいと思う場合もあるとは思います)。

お断りしておきますが、ビブリオバトル自体は、とても面白い取組みだと思います。そういう場を設けることによって、日頃知ることのなかったその人の面を知ることができたり、自分では決して読むことのないであろう本のことを知ったり、コミュニケーションを促進させる面がありますので。

そういう意味で、教育現場や会社などで、よりコミュニケーションが進んで、学級運営や会社経営がうまく進む可能性がありますし(ラジオやテレビの番組的には、時間制限があるので、番組を作りやすいという利点もあると思いますし、それぞれファンがいるタレントが時間的に平等に登場できるという利点もありそうです)。

その上で、私がなんとなくしっくり来なかったことを、少し説明してみた、ということでご勘弁ください。

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