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MI ジャーナル

―はたけと芸術を楽しみつつ、仮説を立てながらいろんな人と協働して問題解決を図り、子どもとともによりよい社会を目指していきたい、そんなことを考えている人のヒントになりたい―


キーワードは、農業(はたけ)・仮説実験授業・楽しさ・子ども劇場・芸術文化・冒険遊び場(プレイパーク)・チャイルドライン・協働などなど(ただし、私の中でつながっているだけで、それぞれに直接的な関係があるわけではありませんので、誤解のないようお願いします)


「MI ジャーナル」とは、Micro Intermideate Journal(マイクロ・インターミディエット・ジャーナル)。元のタイトル「農芸楽仮説変革子ども」は私の関心領域のキーワードをつないだだけだったので、2010年3月3日より、私の日々の情報発信という意味で、MI(村夏至)ジャーナルとしたのですが、2014年9月4日から、MIの意味を変えて、小さいながら何かのきっかけや何かと何かをつなぐ内容にしたいという意味の名称にしました(詳しくは、カテゴリー「21MIジャーナル」をご覧ください)。

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STAP細胞について考えさせられたこと

[2014年05月08日(Thu)]
(何度か書きかけて、まとまりのないダラダラとした文章になってしまい、断念仕掛けましたが、とりあえず、まとまりのないまま掲載してしまいます。お許しを)

最近話題になっているSTAP細胞については、さまざまなことを考えさせられます。

私自身は、このニュースを追いかけるのは随分前からやめています。ホットな時の報道というのは、本質にかかわらない枝葉が多すぎて、付き合うのが面倒だからです。

私が最初に印象に残ったのは、1月の時点で、華々しく発表されたとき、「究極の若返りが実現するかもしれません」というような意味のことをSTAP細胞を発見したとされる人が言っていたこと。案外素朴な人なんだなあ、と感じたものです。

不老・不死というのは、ある意味永遠のテーマで、それに付随していろいろ想像するのは楽しいのですが、実際にそれが実現するとなると、そんなことは本当に必要なの? 命は、はかないからいいんじゃないの? と思ってしまいます。少なくとも、そういうことに対する躊躇というものがないのが、若さというものかもしれません。

その後の一転の捏造疑惑報道。

まずもって、不思議だったのが、本体の研究所がかばわなかったこと。ウソだったとすると組織としては研究所の失態なのだから、本来は、論文が提出される前に十分チェックが行なわれているべきだったわけで、研究所が速やかにお詫びをして原因究明をするべきだったはずです。

最先端の科学研究には普通では考えられない費用がかかる(今回のSTAP細胞の作成自体にはあまりお金は必要なさそうですがその後の培養などにはいろいろ設備が必要そうです)ことが多く、どうやってその費用を獲得するのかというのが問題になるので、すぐに特許ビジネスなどと結びつくのは、仕方ないのかもしれません。

実際には最先端の科学研究の中には、大きく世の中に影響を与えるような可能性がある研究がたくさんあるにもかかわらず、発見されてみないとわからないとか、普通の人にわかりにくいなどのために、研究費がなかなかまわらない分野があったりするので、今回の件に対して、注目されたというだけで、忸怩たる思いをしている研究者はたくさんいると思われます

そういったことにもからんで、最先端の科学研究は日進月歩で競争が激しいため、そこに人とお金が集中するという傾向があり、そういう流れに巻き込まれたときに、倫理的な問題というのが抜け落ちるという危険性があります。

多分、そういう分野に巻き込まれている研究者は、実験結果に一喜一憂しながら日夜研究に没頭しているはずで、そこには悪意はないでしょう。じゃあ、悪意が無ければなんでもいいのかというと、・・・。

今までも、人間は、倫理問題など抜きに「できることは、する」ということを繰り返してきました。それは、例えば、極端に情報のやりとりが制限されていた第二次世界大戦の末期に、敵側が早く開発してしまっては大変なことになるという恐れから、通常の手順を踏まずに(違法に)国の巨額の費用を使って開発された原子爆弾のように。それがどんな悲惨な結果をもたらしたかということは二の次にして、相手に「できることを、される」前に「できることを、した」。

だから、本来は、そういった研究者は、非常時であろうとなかろうと、哲学者など、幅広くいろんな人と日常的に交流して、社会に対する影響などについても考える必要があるはずで、実際、往年の一流の研究者などは当然のようにそういうことをしていたのだと思います。しかし、現代の世知辛い社会においては、そういう機会が少ないのではないかという危惧があります。

私自身は、最先端の科学研究が進むのは素晴しいことだと思っています。そこから解明される生命の不思議や、世界の仕組みについての新しい知見を知ることは、単純に楽しいし、その知識だけでもいい意味での社会変革にもつながってくる可能性があるからです。

その進歩が止められない限りは、それが、現実社会に実装されるときに、ちゃんと一歩踏みとどまって、より広い知見を取り入れる余裕が持てるような仕組みづくりも必須なのだと思います。

もちろん、実際の研究に携わっている人は、大変だと思うので、それを一歩引いてみることができる立場の人がそういうことに携わるのでもいいのですが。

同時に最先端の科学研究に対して、公平にお金が行き渡る仕組みも必要なのでしょう。単純に市場経済の流れに任せてしまうと、遺伝子組み換え作物のように、その作物の安全性の問題は抜きにしても、巨大なグローバル企業が富を独占する結果となっている現状を見るにつけ、それでいいのかという疑問は残ります。

STAP細胞について言えば、単細胞からはじまった生物が、人間などの複雑な生物になっていった不思議の始まりにあたるものを、普通の細胞から再び作り出すことができるかもしれないということが面白い。普通に考えられている、誕生から死に至る不可逆な流れをリセットできるわけですから。それって、どういうことなんだろう。

それとは別問題として、他の大学の論文などでもにわかに話題に上ったコピペ問題。これは、もしかしたら、理系の研究体制自体の問題が背景にある可能性もあり、案外大きいかもしれません。

もしかしたら、単純に、先行研究を尊重するということと、盗用することの違いがわかっていないというレベルの問題なのかも。

「わかりやすくするために流用したので、悪意はありません」という言葉のむなしさ。

一方で、STAP細胞が、実装レベルで活用されるであろう再生医療対して切実に最も期待しているのは、難病で、例えば、ある臓器が通常のものになれば生きながらえることができるような場合でしょう。新しい技術というものは、まず、それを切実に必要としている人に活用されるべきだと思います。

つまり、最先端の研究は、まず弱者にこそ生かされるべきであるという視点も必要だと思います。

最終的には、いろいろな思惑が重なり合った結果、もともと関心の高いiPS細胞やES細胞、STAP細胞などに、より関心を持ってもらえるような方向へマスコミなどは動いているのかな(誰が特定の人が、操作しているわけではなくて)。それで、誰が幸せになるかは別にして。

いろんな問題が浮き彫りにされる可能性があり、その結果が明らかになるのを期待しています。

少なくとも、こういった研究分野にもっとお金が流れるようにすべきではないかという結論になるだけだとしたら、ちょっとつまらないかもしれません。

例えば、今となっては、日の目の当らない分野になりかねない原子力研究も、実装レベルで商用原子炉をつくるのは、放射能の影響や社会的要因、日本の地理的な条件など様々な要因を考えたときに、リスクとコストが大きすぎることを考えると、現段階では廃止の方向意外に考えられないと思いますが、この先何十年もかかる廃炉のためにも基礎研究は欠かせないわけですから、その分野に(過大でない)適正なお金と注目が集まるようにしなければならないと思います。

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