• もっと見る

MI ジャーナル

―はたけと芸術を楽しみつつ、仮説を立てながらいろんな人と協働して問題解決を図り、子どもとともによりよい社会を目指していきたい、そんなことを考えている人のヒントになりたい―


キーワードは、農業(はたけ)・仮説実験授業・楽しさ・子ども劇場・芸術文化・冒険遊び場(プレイパーク)・チャイルドライン・協働などなど(ただし、私の中でつながっているだけで、それぞれに直接的な関係があるわけではありませんので、誤解のないようお願いします)


「MI ジャーナル」とは、Micro Intermideate Journal(マイクロ・インターミディエット・ジャーナル)。元のタイトル「農芸楽仮説変革子ども」は私の関心領域のキーワードをつないだだけだったので、2010年3月3日より、私の日々の情報発信という意味で、MI(村夏至)ジャーナルとしたのですが、2014年9月4日から、MIの意味を変えて、小さいながら何かのきっかけや何かと何かをつなぐ内容にしたいという意味の名称にしました(詳しくは、カテゴリー「21MIジャーナル」をご覧ください)。

<< 2024年03月 >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
Google

Web全体
このブログの中
カテゴリアーカイブ
最新記事
PVアクセスランキング にほんブログ村

『フェルメールとスピノザ』解説へ向けてのお勉強1

[2012年08月29日(Wed)]
もうかれこれ数か月前、『フェルメールとスピノザ<永遠>の公式』という本の解説を頼まれました。テレビの美術関係の番組で取り上げられていたらしく、面白そうだったので買ってみたら、読み進むことができなかったらしく、私の大学での専攻が美術史だったということを知ってお願いされたのです。

他にも興味がある人がいるだろうから、読書会のようなものをしたい、とのこと。専攻と言っても、そういうことを仕事にしているわけではないので、ほとんど関係ないともいえるので迷ったのですが、依頼主がワインバーのオーナーなので、きっとワインが1回タダで飲めるに違いない、と勝手に決めて、請け負うことにしました。

とは言っても、借りてチラ見したら、100ページほどで長くはないものの、確かに難解。目次が、序奏、公式1、公式2、・・・間奏1・・・とかなっているし。言葉も表現も難しい。

そして、最大の難点は、私が、フェルメールさんの作品を観たことがないこと(スピノザさんの作品も読んだことはない)。

ここ数年、フェルメールさんは流行っているみたいで、今年も何作品か来日するようなので、「せめて、作品を観てからにさせてください」と保留させてもらっていました。

しかし、先月末、運よく(悪く?)東京都美術館に行くことができて、『真珠の耳飾りの少女』を観ることができてしまったので、言い訳できない状況に。

というわけで、重い腰を上げて、買いだめしておいた関連本を読み始めることにしました。

1203エチカ.JPG

まず、読み始めたのは、スピノザさんの『エチカ』(スピノザ著、畠中尚志訳、岩波文庫、1951年、原著は1677年出版)。しかし、これはとても読みにくい。ということで、早々と断念して、安易に概説書にすがることにしました。

『スピノザの世界―神あるいは自然』(上野修著、講談社現代新書、2005年)

1203スピノザの世界.JPG

これとて、私にとっては簡単なわけではないのですし、これを読んでスピノザさんのことがわかった気になるのも考え物ですが、ヒントにはなるでしょう。

私は、大きな目標を立てて何かをするというタイプではなくて、だいたい行き当たりばったりなのです。たまには、有言実行的なこともしてみようかと思い、『フェルメールとスピノザ』を解説するための勉強の過程を、小出しに(あまり出しすぎるとしゃべることがなくなるので)しながら進めていこうかと思っています。

前置きが長くなりました。『スピノザの世界』についてです。

スピノザさんの主著『エチカ』は、正確には『幾何学的秩序で証明されたエチカ[=倫理学]』で、倫理学をユークリッドの幾何学のように誰でもが疑いのないように、できるだけ客観的に記述したいがために、言葉の定義や定理でもって説明しようと試みているようです。この本が今に至るまで残っているということは、この試みに大きな意義を見出している人が多いということなのでしょうが、少なくとも私には、とても理解しづらい書き方です。

彼は、自然というか人間も含めた全体を神と考えており、人間も神の一部と考えていたようで、すべては必然的に決まっているという論を取ります。ただ、それは、だからどうしようもない、というのではなく、だから(といって、すべてがわかるわけではなく、かといって不安になってしまうのではなく)安心して努力しなさいという意味のようです。こういう考え方は、神と人間を切り離して考えるキリスト教などの一神教の立場からは認めがたく、実際彼は、無神論者としてユダヤ人共同体から破門されているようです。実際ここまで来ると、もう宗教的なのか何なのかわからなくなってしまいます。私自身、自分は無神論者だと思っていますが、自然の仕組みの見事さには感心してしまうし、謙虚であらねば、と思ったりするので、少し親しみを覚えます。

快楽主義というのがあって、一般には楽しいことばかりを追及して、享楽的で退廃的なというか、マイナスイメージのほうが強いようにも感じられますが、ギリシャ時代のエピクロスさんなどにも遡ることができ、元来は、最高の快楽と言うのは、哲学的思索の中に含まれていて、身体の健康や精神の平静を推奨するという考え方で、彼も、そういった快楽主義にも近いようです。


コメント
プロフィール

村夏至さんの画像
にほんブログ村 地域生活(街) 中国地方ブログ 岩国情報へ
にほんブログ村 にほんブログ村 地域生活(街) 中国地方ブログ 広島(市)情報へ
にほんブログ村
最新コメント
https://blog.canpan.info/nougeiraku/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/nougeiraku/index2_0.xml
月別アーカイブ