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MI ジャーナル

―はたけと芸術を楽しみつつ、仮説を立てながらいろんな人と協働して問題解決を図り、子どもとともによりよい社会を目指していきたい、そんなことを考えている人のヒントになりたい―


キーワードは、農業(はたけ)・仮説実験授業・楽しさ・子ども劇場・芸術文化・冒険遊び場(プレイパーク)・チャイルドライン・協働などなど(ただし、私の中でつながっているだけで、それぞれに直接的な関係があるわけではありませんので、誤解のないようお願いします)


「MI ジャーナル」とは、Micro Intermideate Journal(マイクロ・インターミディエット・ジャーナル)。元のタイトル「農芸楽仮説変革子ども」は私の関心領域のキーワードをつないだだけだったので、2010年3月3日より、私の日々の情報発信という意味で、MI(村夏至)ジャーナルとしたのですが、2014年9月4日から、MIの意味を変えて、小さいながら何かのきっかけや何かと何かをつなぐ内容にしたいという意味の名称にしました(詳しくは、カテゴリー「21MIジャーナル」をご覧ください)。

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『せいめいのはなし』

[2012年06月29日(Fri)]
『せいめいのはなし』(福岡研一著、新潮社、2012年)

1206せいめいのはなし.JPG

福岡研一さんが、内田樹さん、川上弘美さん、朝吹真理子さん、養老孟司さんと対談した部分と、福岡さんによるまとめ的な部分の合計5つの章からなる本。

もともとこの本は、最近私が聞いたこんな話がもとになって読んでみたのです。養老孟司さんが、岩国市の錦町と周南市の鹿野町の分水嶺を訪れたことがあって、「分水嶺の道を境にこちら側は九州地方の昆虫が住んでいて、あちら側は中国地方の昆虫が住んでいる」と話していた、と。

普通で考える九州と本州の境である関門海峡ではなく、広島県と接した山口県の東の端が、九州地方と中国地方の境になっているのだというのは、なんだか面白いなあ。人間の世界でも、例えば新聞や大きな企業の九州地方と中国地方の境が山口県の東の端の岩国になっているし(これって多分一般にはあまり知られていないことだと思います。ただし、最近では、岩国はすっかり広島経済圏)。

興味深いのだけど、人づてに聞いた話しなので、どうも確証がない。で、いろいろ知り合いに聞いているうちに、この本にそれに関する記述があるよ、ということになって行き着いたのです。確かに養老さんとの対談のはじめの部分に、<過去のある時点で、九州・四国地方は、東シナ海が干上がっていて中国大陸とつながっていて、同時に山口県の一部も中国大陸と陸続きだった。中国地方はほとんどは水没していた>というようなことを言っています。

このことは、もう少し他の人などもあたってみて調べてみようと思っています。

それはそうと、そういうきっかけで読んでみたこの本はなかなか面白かったです。常に入れ替わりや変化をしているのに一定の形を保っている動的平衡というものが、大きなテーマになっていて、それは生命の話だけではなく、人間社会にも言えるのだというふうにつながっていきます。

その中で特に印象に残ったのは、水俣病のことについて数年前に出た『水俣病の科学』という本についての言及です。アセトアルデヒドを水銀触媒で作っていた工場というのは、世界に何千もあっただろうけど、あれだけの大惨事を起こしたのは日本のチッソだけで、そのことを追求していったら、5つの独立した過程があって、その全部が悪いほうに転がったために起こったらしいということ。そういう確率は非常に小さくて、普通ならどこかで止まっていたはずなのに、結局、特定の原因があったというより、偶然の積み重ねだったのだと書いてあるのです(だからといって、チッソの責任は免れませんが)。

それは、逆に言うと、常日頃、現場現場で悪い方向に転がりそうなことに気付いたら、その段階で止めておけば、大きな事故につながらなかったかもしれない、ということなのですよね。

それって、工場などの現場で事故を防ぐために気をつけるべき普通のことなのですが、社会を構成するシステムが複雑多岐にわたっている現代にあっては、全体が見えなくなっている分、現場で少しおかしいなと感じても、それはもっと他の人が気付いて対応してくれるだろう、みたいな無責任体制になっているのではないか。その積み重ねが、例えば今回の原子力発電所の大きな事故になったのではないか。

現場でおかしいと思ったら、もっと大きなところで対応してくれるはず、と思うのではなくて、その現場で対応できる範囲でおかしさを是正していく。声を上げていく。注意してあげる。という、普通のことが今大切なんじゃないかと感じているところだったので、少しタイムリーでした。

少し蛇足です。
『生物と無生物のあいだ』という本でも感じたのですが、なんだか福岡さんの本って、微妙に違和感があるんですよね。例えば、この『せいめいのはなし』で言えば、対談がメインなのに、なぜタイトルや副題に対談した4人が出てこないのか、それは編集者段階で、有名な1人だけ出すわけにいかないし、でも4人だとバランスがよくないので出さないことにしたのか、それとも、今福岡さんが売れているので、福岡さん1本で行こうということになったのか? とか、往復書簡的にするならまだしも、4人との対談のあとに、福岡さんだけがまとめのような文章を書くのはなぜなのか、など。単純に私の勘違いなのかもしれないのですが、もやもやした感じが残ります。


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