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天地人その2の2/3 「人―戦争という人災」―新刊・復刊の新書から――休題の本 [2015年10月02日(Fri)]

承前

<大権>

前回記したように、元々、英語、仏語のprerogativeにあたり、ラテン語のpraerogativaに由来している。古代ローマにおいての、「prae =まず最初に」、民会に「rogare =お尋ねする」ということからきている。

しかし、これが、王、皇帝などの権威となっていき、大きく、歴史的に、そして、地域によって中身が変貌した。大権はさらにユーラシア大陸を渡り、横断して、様々な意味合いをもつようになった。

<社会と歴史を渡り歩く言葉>

本題でも紹介しようとしている「帝國」もそうなのだが、歴史的変遷はともかく、言語圏や社会によって微妙に違うので、厳密に辿ると幾筋もの絡み合いになる。

以前、サンディーという台風の名、固有名詞、人名を巡っての系譜を垣間紹介したが、人名の系譜は、例えば、アレクサンダーという、基本的には大本の「意味」から「実在した人物」のイメージが緩く印象的に絡んでの若干の音の変化であるが、<大権>は「概念」で、権威や権力に関わるので、その意味合いは時代経過とともに複雑なものを抱える。

<世界に合従連衡しながら拡がる欧州の仕組みと言葉>

「大権」に限らず、現代世界は、政治や経済などをはじめとした社会の「仕組み」も、欧州起源の世界体制が非欧州世界を含んで席捲している。そして、そうした「仕組み」で交わされる言葉も、元々、欧州の、最近では米国の、社会とともに醸成されてきたものだ。欧州世界の変遷とともに、それなりに変成してきた言葉は欧州の歴史を背負っているわけで、そうしたものを切り離しては共有できるものではない。

<隔絶した極東の漢字世界>

そうした欧州世界から遠く隔離されて、別の経路を歩んできた極東アジアの中韓日は、言葉もまた、漢字世界という欧州の言葉とは隔絶したものとして発展してきた。

<世界の珍奇、あり得ない>

そして、19世紀、ミカド、ショーグン、サムライが欧州世界を駆け巡ったのは、本格的に欧州が東洋世界を大規模に知るようになったあげく、これらが知的にも、大衆的にも珍奇だったからだ。侮蔑と好奇心や驚異が入り交じっていたからこそ、世界に流布した。東洋の社会全体が想定外、あり得ないものだらけだったからだ。博覧会や博物館に納められたら納めていただろう。

しかし、かつて「異食理解」の記事で珍味について紹介したように、珍奇なるものとは所詮、そうみる主体の見方であって、珍奇と見られる側にとっては珍奇ではなく普段のモノやコトである。つまり、珍奇と見られる側にとって珍奇とみた側のモノやコトが、逆に、珍奇であることがままある。誤解も無理解も込みに珍奇から恐怖、侮蔑まで様々だ。ワインを飲む異人をみて、血を飲んでいると誤解したり、混浴をみて卑猥と思ったり「お互いさま」だ。

<脱亜入欧、和魂洋才、東道西器、中体西用>

そうして、欧州から、大規模にいくつもの「言葉」が極東アジアにやってきて溢れた。「モノ」「ヒト」「カネ」やその裏打ちとなっている「システム」「技術」「信仰」「概念」「思想」が溢れたからだ。

<風潮東遊、東方政策>

「言葉」の「漢訳」が始まった。極東のいずれかで始まり、極東三国からインドシナやマレー半島にまで微妙に、もしくは極端にずれながら、それぞれなりに拡がった。終いには波紋が反射波紋をおこし、風潮東遊、東方政策のようになっていった。欧州が何百年かけて作った「言葉」を数年からいっても十年、二十年で、「三千年」の漢字を合成して作った。外来語として異質性を保っているならまだしも、同質性をもった漢字の経歴を継ぎ接いで作ったので厄介だ。

<漢字方言>

汽車が火車になったり自動車になったりするものもあれば、経済のように同じ場合もあって絡み合っている。方言の漢字もあれば、漢字の方言もある。

政治の世界で言えば、今の政治体制が「立憲主義」だとすれば、その根幹の「憲法」からして、折衷した「言葉」であることは否めない。

<十七条の憲法から日本国憲法まで>

日本国憲法論議で押し付けの憲法といった論議も起きるが、そもそも「憲法」という「言葉」はどう変遷してきたか、十七条の憲法以来、御成敗式目から禁中武家諸法度まなどまではともかく、プロイセン憲法を取り入れたという大日本帝國憲法の「第1章」にいたるまで、17の倍数であるように形式からしても、折衷的に、複雑になっている。

<亡命から難民に>

そして、欧州の喫緊の課題、「難民」を日本では受け入れられない、受け入れるべきだとの論議が起きるのというも、この「難民」という「言葉」が戦後しばらくして生まれて間もないこと、このクニがまだまだ、「過渡期」にあることの証であろう。

本題で考えたい「米国の多文化性」も本質的には同じ問題が絡んでいると思っている。

続く