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国コードにみる――国とは――01「IOC」の国コードから@ [2019年02月08日(Fri)]

承前 

00-00 IOCの「国コード」を概観する

さて、2020年を控えていることもあり、

FIFA Fédération Internationale de Football AssociationInternational Federation of Association FootballInternationaler Verband des Association FootballFederación Internacional de Fútbol Asociación:「公用語」は仏・英・独・西)や

ISO International Organization for StandardizationOrganisation internationale de normalisationМеждународная организация по стандартизации:「公用語」は英・仏・露)国際標準化機構の「国コード」の前に、一般的に目に触れる機会が多いと思われるオリンピック、

IOCComité international olympiqueCIOInternational Olympic CommitteeIOC「公用語」は仏・英)国際オリンピック委員会の国コードから探っていきたいと思います。

<*公用語の数・種類、そして順位ならびに略称が何語に基づいているか、そもそも「公用語」とは何か、といった考察はいずれ折をみて考えたいとと思っています>

最初に、そもそも、「国コード」アルファベット3文字が「コード」している、オリンポスの「神々」ならぬ、オリンピックの「国々」を眺めてみて、「コード」の妙に触れたいと思います。

できれば、順をおって、

@今回からしばらくは、これまでの特異・特徴的な「国コード」を探り、次に、

A1896年の世紀末、第1回のアテネ・オリンピックをもって始められた、今いう「オリンピック」の前やその後、様々にあった「アナザー」オリンピックを概観し、近代オリンピックなるものの形成史をみながら具体的なイメージを掴みながら、

B元々、これらのオリンピックが模したという「古代」オリンピック、それも紀元前8世紀から394年を最後に、千年以上、293回も続いたオリンピック、さらには、その「古代」オリンピックもまた「復活」されたものだという元祖「前古代」オリンピックを確かめ、あらためて戻って、

C何故、19世紀末にオリンピックが「近代」オリンピックとして、ギリシアの「古代」オリンピックになぞられて「復活」し、32回を数えるようになったかをみていきたいと思っています。


00-01 コードという命名を成り立たせるもの、権威、権力、金力そして市民

複雑な世界史の「現実」の「映し鏡」、故に、入り組んではいますが、逆にいえば、具体的に「国」や「コード」というものを具体的な視点を探れるものだと思っています。

抽象的にいえば、「命名」というものに必要な背景の一端を具体的にイメージするには最適かと思われます。「命名」とは権威、権力、そして、特に近代にあっては、この二者と密接不可分な金力、のバランスがあり、それらを「支持」する人々、自由な「市民」によって成立している様を垣間見ていけると思います。それが、このブログでこのテーマを紹介する大きな理由の一つです。


そういった意味でも、厳密に紹介すると、様々な、立場、経緯と思惑が錯綜するので、注釈・注記が多く必要です。毎度、注記・注釈していると、なかなか進めないと思うので、徐々に、厳密にしながら、大雑把に紹介していきたいと思っています。

例外や、概念設定が一般の理解と違っていたり、複雑なものや、歴史に応じて変わってきているものであったり等々、注記・注釈すべきと思われるものについては、とりあえず、アステリスク「*」や<注記>を記し、後日、機会のあるときに紹介したいと思います。


01-01 IOCの国コードとはNOC国内委員会の国コード

さて、IOCの「国」コードと、ここで簡単に記しているものは、国際オリンピック委員会を成り立たせている<*一般的には「本組織」あっての「委員会」ですが、それ自体が「組織」という「奇妙な」形態です>、各国の「国内委員会」、NOC、の「コード」です。そういった意味の「国」です。

<*NOCの形態、法的・社会的位置づけは、国によって違いますが、いうまでもなくIOCによって「承認」されているものです。日本は現在は「公益財団法人日本オリンピック委員会」ですが、以前は大日本體育協会の一委員会として設置され、独立した法人ではありませんでした>

「国」としてどの程度、認められているか、認められてきたか、あるいは、人材、財力があったか、あるかによって存在が危ういものや、維持できないもの等々、国家の存亡と不即不離ながら、様々に「ずれて」存在する「委員会」がありますし、ない「国」も少なくありません。

とりあえずは選手が所属する「国」のコードと緩く考えておきましょう。

<*そもそもオリンピックは「公式」には「国」ではなく「個人」として参加することになっていますし、初期の頃は、異なる「国」の「所属」や「国籍」の選手が混合して形成されたチームもありました>


01-02 上部組織も、下部組織も様々なNOC

NOC自体も、その成り立ちからしても、現在的にも、実質的に組織のグループや傘・アンブレラ組織であることが多く、地方や年齢、種別、プロ/アマといった組織によって「支えられて」いて、その形態・構成は国よって一様ではありません。さらに、これらの「傘下」組織もまたそれぞれに「全国的」な連合体になっているのが自然です。


01-03 しかも、NOCの下部・傘下組織がIOC以外の下部・傘下組織でもある

また、各国のこうした「全国的」な各スポーツ組織自体も、多くの場合、FIFAや国際陸連などにみられるような、IOCに肩を並べるほど力をもったものを含めて、全世界や大陸規模の国際的な連合組織をもっています。

<*因みにIOCは、20192月現在、委員は96名。法人ではなく、自然人、しかも各国のNOCという法人の代表でもありません人達です。その他に名誉委員長1名、HONORARY MEMBERS名誉委員45名、それから米国のキッシンジャーもその一人であるHONOUR MEMBERS栄誉委員(拙訳です)2名。半分は元スポーツ選手であったりしますが、以前は欧州の王侯貴族をはじめ、経歴が詳らかになっていない人達が多いといわれました>


01-04 スポーツ種目、スポーツ選手の「所属」

各スポーツ種目、そして、各スポーツ選手は様々な組織に「所属」、「籍」をおいていることになります。例えば、ドーピング問題や、若年層のオリンピックへの参加を巡って、それぞれの上部団体が微妙に食い違いをみせることがあります。

でも、こうしたNOCによって認められたり、「バックアップ」されたり、「裏書き」されたりする「参加者」だけではオリンピックは成り立ってきませんでした。


02-01 2016年、はじめて登場した「ROT

リオで暖かい拍手で迎えられた、Refugee Olympic Team、難民オリンピック・チームの「国」コードだ。最初はTeam of Refugee Olympic Athletesからとって、ROAのコード名でよばれ、オリンピック旗の下に参加した、10名の選手団のことです。


02-02 非「国コード」と国際QUANGOとしてのIOC国際オリンピック委員会

Independent Olympic Participants (1992)Individual Olympic Athletes (2000)Independent Olympic Athletes (2012)と、これまで「独立/個人・オリンピック・参加者/アスリート」とよばれてきた通常の「国」コードをもたない選手の「国」コードのうちの一つです。

この「チーム」を2020年の東京オリンピックにも「継承」されることがIOCの昨2018109日の集まりで発表されました。

IOCの国際QUANGOとしての面目躍如たるこの声明は、残念ながら、主催国である日本にはあまり報道されていないこともあり、幾分長いですが、とりあえず、全文英文原文を紹介し、今回は擱筆します。


IOC CREATES REFUGEE OLYMPIC TEAM TOKYO 2020

THERE WILL BE A REFUGEE OLYMPIC TEAM AT THE OLYMPIC GAMES TOKYO 2020. THIS DECISION WAS TAKEN TODAY BY THE MEMBERSHIP OF THE INTERNATIONAL OLYMPIC COMMITTEE (IOC) AT THE 133RD IOC SESSION IN BUENOS AIRES. THE INITIATIVE IS A CONTINUATION OF THE IOC’S COMMITMENT TO PLAY ITS PART IN ADDRESSING THE GLOBAL REFUGEE CRISIS AND ANOTHER OPPORTUNITY TO CONTINUE TO CONVEY THE MESSAGE OF SOLIDARITY AND HOPE TO MILLIONS OF REFUGEE AND INTERNALLY DISPLACED ATHLETES AROUND THE WORLD. 

The IOC Session has mandated Olympic Solidarity to establish the conditions for participation and define the identification and selection process of the team. These elements will be carried out in close collaboration with the National Olympic Committees, the International Sport Federations, the Organising Committee Tokyo 2020 and the UN Refugee Agency, UNHCR.

The announcement of the Refugee Olympic Team Tokyo 2020 members will be made in 2020.

IOC President Thomas Bach said: “The IOC Session has once again endorsed this initiative. In an ideal world, we would not need to have a Refugee Team at the Olympic Games. But, unfortunately, the reasons why we first created a Refugee Olympic Team before the Olympic Games Rio 2016 continue to persist. We will do our utmost to welcome refugee athletes and give them a home and a flag in the Olympic Village in Tokyo with all the Olympic athletes from 206 National Olympic Committees. This is the continuation of an exciting, human and Olympic journey, and a reminder to refugees that they are not forgotten.” 

UNHCR High Commissioner Filippo Grandi commended the decision: “In 2016, the Rio refugee team captured the imagination of people around the world and showed the human side of the global refugee crisis through sport. I’m delighted that this tradition is to continue in Tokyo. Giving these exceptional young people the opportunity to compete at the very highest levels is admirable.”

Back in 2015, the first-ever Refugee Olympic Team was formed by the IOC. Ten athletes were chosen to represent people who are too often forgotten. It was a historic moment in Brazil when a team consisting of refugees participated for the first time ever in the Olympic Games at Rio 2016. As they marched in the Opening Ceremony, two swimmers, two judokas, a marathon runner and five middle-distance runners who originally hailed from Ethiopia, South Sudan, Syria and the Democratic Republic of the Congo became instant role models for the 68.5 million or so refugees and internally displaced people, and true global ambassadors for the values of Olympism.

Since the Olympic Games, the IOC has continued to support these 10 Refugee Olympians, as well as a number of other refugee athletes across five continents via Olympic Solidarity’s Refugee Athlete Support Programme. Through scholarships, which come in the form of monthly training grants and fixed competition subsidies, Olympic Solidarity and their host National Olympic Committees help these refugee athletes to prepare for and participate in national and international competitions. UNHCR, through its long term collaboration with the IOC, plays a crucial role in all stages of selection, approval and follow up of the athletes.

Furthermore, in September 2017, the IOC launched the Olympic Refuge Foundation to support more broadly the protection and empowerment of vulnerable displaced people through sport and through the creation of safe spaces; again, partnering with UNHCR and local implementation partners in the field.

For the last 20 years, and with the collaboration of UNHCR, the IOC has been providing relief to refugees and internally displaced people by using the power of sport to promote youth development, education, social integration and health. These actions have brought the joy of sport and the related psychological healing to refugee populations in many camps and settlements around the world.


続く

国コード 注記 010:IOC オリンピック憲章 前口上 英原文、日本語訳対訳表 [2019年01月20日(Sun)]

Introduction to the Olympic Charterオリンピック憲章への導入
The Olympic Charter (OC) is the codification of the Fundamental Principles of Olympism,Rules and Bye-laws adopted by the International Olympic Committee (IOC).オリンピック憲章 (OC) は、 国際オリンピック委員会 (IOC) により採択されたオリンピズムの根本原則、 規則および付属細則を成文化したものである。 
 It governs the organisation, action and operation of the Olympic Movement and sets forth the conditions for the celebration of the Olympic Games.憲章はオリンピック ・ ムーブメントの組織、 活動および作業の基準であり、 オリンピック競技大会の開催のための条件を定める。
In essence, the Olympic Charter serves three main purposes: オリンピック憲章は本質的に 3 つの主要な目的を持つ。
  
a) The Olympic Charter, as a basic instrument of a constitutional nature, sets forth and recalls the Fundamental Principles and essential values of Olympism.a) オリンピック憲章は、 憲法的な性格を持つ基本的な法律文書として、 オリンピズムの根本原則とその根源的な価値を定め、 想起させる。
b) The Olympic Charter also serves as statutes for the International Olympic Committee.b) オリンピック憲章はまた、 国際オリンピック委員会の定款である。
c) In addition, the Olympic Charter defines the main reciprocal rights and obligations of the three main constituents of the Olympic Movement, namely the International Olympic Committee, the International Federations and the National Olympic Committees, as well as the Organising Committees for the Olympic Games, all of which are required to comply with the Olympic Charter.c) オリンピック憲章はさらに、 オリンピック ・ ムーブメントの主要 3 構成要素である、 国際オリンピック委員会、 国際競技連盟、 国内オリンピック委員会と、 オリンピック競技大会の組織委員会の主な権利と義務を規定する。 これらの組織はオリンピック憲章を遵守する義務がある。
Note
In the Olympic Charter, the masculine gender used in relation to any physical person オリンピック憲章では、 実際の人物
(for example, names such as president, vice-president, chairman, member, leader, official, chef de mission, participant, competitor, athlete, judge, referee, member of a jury, attaché, candidate or personnel, or pronouns such as he, they or them)  (例えば会長、 副会長、 議長、 委員、 指導者、 役員、団長、 参加者、 競技者、 選手、 ジャッジ、 レフェリー、 ジュリー、 アタッシェ、 候補者、 要員などの名詞、 さらに彼、 彼らなどの代名詞) 
shall, unless there is a specific provision to the contrary, be understood as including the feminine gender.に関して使用される男性形には、 女性を含んでいると理解される。 ただし、 それに反する特定の規定がある場合はその限りではない。
Unless expressly provided otherwise in writing, for the purpose of the Olympic Charter, a year means a calendar year, beginning on 1 January and ending on 31 December.オリンピック憲章では 1 年とは暦年の 1 年のことであり、 1 月 1 日に始まり 12 月 31 日までを指す。 ただし、 書面による異なる定めがある場合はその限りではない。
  
Preamble前  文
Modern Olympism was conceived by Pierre de Coubertin, on whose initiative the International Athletic Congress of Paris was held in June 1894.近代オリンピズムの生みの親はピエール・ド・クーベルタンである。クーベルタンの主導により、パリ国際アスレチック・コングレスが 1894 年 6 月に開かれた。
The International Olympic Committee (IOC) constituted itself on 23 June 1894.国際オリンピック委員会(IOC)が設立されたのは 1894 年 6 月 23 日である。
The first Olympic Games (Games of the Olympiad) of modern times were celebrated in Athens, Greece, in 1896.近代の最初のオリンピック競技大会 (オリンピアード競技大会) は 1896 年、 ギリシャのアテネで開催された。
In 1914, the Olympic flag presented by Pierre de Coubertin at the Paris Congress was adopted.1914 年、 パリ ・ コングレスはピエール ・ ド ・ クーベルタンの提案したオリンピック旗を採択した。
It includes the five interlaced rings, which represent the union of the five continents and the meeting of athletes from throughout the world at the Olympic Games.オリンピック旗は、5つの大陸の団結とオリンピック競技大会で世界中の選手が集うことを表現する、5つの結び合う輪を持つ。
The first Olympic Winter Games were celebrated in Chamonix, France, in 1924. 第 1 回のオリンピック冬季競技大会は 1924 年、 フランスのシャモニーで開催された。 
  
Fundamental Principles of Olympismオリンピズムの根本原則
1. Olympism is a philosophy of life, exalting and combining in a balanced whole the
qualities of body, will and mind.
1. オリンピズムは肉体と意志と精神のすべての資質を高め、 バランスよく結合させる生き方の哲学である。 
Blending sport with culture and education, Olympism seeks to create a way of life based on the joy of effort, the educational value of good example, social responsibility and respect for universal fundamental ethical principles.オリンピズムはスポーツを文化、 教育と融合させ、 生き方の創造を探求するものである。その生き方は努力する喜び、 良い模範であることの教育的価値、 社会的な責任、さらに普遍的で根本的な倫理規範の尊重を基盤とする。
2. The goal of Olympism is to place sport at the service of the harmonious development
of humankind, with a view to promoting a peaceful society concerned with the
preservation of human dignity.
2. オリンピズムの目的は、 人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すために、人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てることである。
3. The Olympic Movement is the concerted, organised, universal and permanent action,
carried out under the supreme authority of the IOC, of all individuals and entities who
are inspired by the values of Olympism.
3. オリンピック ・ ムーブメントは、 オリンピズムの価値に鼓舞された個人と団体による、 協調の取れた組織的、普遍的、恒久的活動である。その活動を推し進めるのは最高機関のIOCである.
It covers the five continents. It reaches its
peak with the bringing together of the world’s athletes at the great sports festival, the
Olympic Games. Its symbol is five interlaced rings.
活動は 5 大陸にまたがり、 偉大なスポーツの祭典、 オリンピック競技大会に世界中の選手を集めるとき、 頂点に達する。 そのシンボルは 5 つの結び合う輪である。
4. The practice of sport is a human right.4. スポーツをすることは人権の 1 つである。
Every individual must have the possibility of practising sport, without discrimination of any kind and in the Olympic spirit, which requires mutual understanding with a spirit of friendship, solidarity and fair playすべての個人はいかなる種類の差別も受けることなく、オリンピック精神に基づき、スポーツをする機会を与えられなければならない。 オリンピック精神においては友情、 連帯、 フェアプレーの精神とともに相互理解が求められる。
5. Recognising that sport occurs within the framework of society, sports organisations
within the Olympic Movement shall have the rights and obligations of autonomy, which
include freely establishing and controlling the rules of sport, determining the structure
and governance of their organisations, enjoying the right of elections free from any
outside influence and the responsibility for ensuring that principles of good governance
be applied.
5. スポーツ団体はオリンピック ・ ムーブメントにおいて、 スポーツが社会の枠組みの中で営まれることを理解し、 自律の権利と義務を持つ。 自律には競技規則を自由に定め管理すること、自身の組織の構成と統治について決定すること、 外部からのいかなる影響も受けずに選挙を実施する権利、 および良好な統治の原則を確実に適用する責任が含まれる。
6. The enjoyment of the rights and freedoms set forth in this Olympic Charter shall be
secured without discrimination of any kind, such as race, colour, sex, sexual orientation,
language, religion, political or other opinion, national or social origin, property, birth or
other status.
6. このオリンピック憲章の定める権利および自由は人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治的またはその他の意見、 国あるいは社会のルーツ、 財産、 出自やその他の身分などの理由による、 いかなる種類の差別も受けることなく、 確実に享受されなければならない。
7. Belonging to the Olympic Movement requires compliance with the Olympic Charter
and recognition by the IOC.
7. オリンピック ・ ムーブメントの一員となるには、 オリンピック憲章の遵守および IOC による承認が必要である。
続きを読む・・・
国コードにみる、国とは―――ブログ再開 [2019年01月18日(Fri)]

とても長い休載から、再開することにしました。14年たって360回目の投稿のようです。


00-01 「コード」が織り成す「価値体系」「価値基準」「命名者」

オリンピック・パラリンピックが迫り、平成も終わりに近づき、現場を離れた身として、「国コード」「言語コード」等々の「コード」の狭間を探ることによって、今一度、現実存在として「国」として扱われていない地域に「属する」人々とは何かを考え、逆に、国とは何か、市民とは何か、NPOとは何か、NGOとは何か、を考えていきたいと思います。

00-02NPOとは何か、NGOとは何か

元々、canpanサイトが開いた当初の2005年にNPOとは何か、NGOとは何か、といったことを発端に、世界や歴史の文脈の中で現場にいながら感じるままに、其処彼処に脱線しながら、記してきたのがこのブログの経過です。
国コード等については、13年前の、2006年から長きにわたって、他のブログにも飛びながら、掲載していますが、当時は、表等の掲載が難しかったもあり、手間取りましたが、国際情勢も変化したので、稿を最初から改め、新たに、少しずつ積み重ねて掲載していきたいと思います

これまで、タグが増え過ぎたこともあり、今回から、いささか煩わしいかも知れませんが、タイトル、そして各項目、付属物等に附番し、相互引用することにしました。長文化や、本題と別記、注記を区別し、ULを簡単にし、連載の遅滞を避けるためですが、うまく扱えるかは不明です。:)なお、従前と同じく、引用は自由にして下さい。間違い等ありましたら、ご連絡いただければ幸いです。

まず、3つの「国コード」の違いを比較できるように「excel」の表にしました。矢印右側の青字部分をクリックして下さい→2019jan18.xlsx


01-013命名組織「 IOC」「FIFA」「 ISO」の比較から

まず、最初に、simple english「語」版、wikipediaの「Comparison of IOC, FIFA, and ISO 3166 country codes」から採取した表に若干手を加え、掲載します。
まず、一番馴染みが深いであろう、アルファベット3文字によるオリンピックのIOCの国コードのアルファベット順に並べ、次にサッカーのFIFAの国コード順に、最後に国際標準化機構、ISOの国コード順に並べてあります。

01-02 そもそも「 ISO」から零れる「国」

まず、注目していただきたいのは、そもそも、ISOのコードを与えられていない「国」は掲載されていないことです。いわゆる「国際」的に「国」として認められていない国々が中心ですが、イングランド、スコットランド、北アイルランド、ウェールズという連合王国の4か「国」もあります。また、実質的に永久欠番のようになったコードや「予約」されているコードもあります。

01-03 「 IOC」「FIFA」「ISO」命名者から「零れる「国」」

そして、IOCFIFA、そしてIS0に国コードが授与されていない「国」には、その空欄に背景色を付けました。多くがオリンピックにチームを出せない小「国」サッカーに縁遠い小「国」や、逆に、UKのようなサッカー強「国」です。

01-04 「 IOC」「FIFA」「 ISO」が同じコード世界の「主要国」

次に、太字で示しましたものは、三者から、授与している国コードが同じものです。良く知られている国々で、大雑把にいえば、「本名」が変わっていないか、世界で時代や命名組織によって位置づけが揺れ動いていないか、似たような「国名」の後発「国」によって左右されていない国々です。

国名や国としての正当性をせめられている国もあります。

逆に細字の国々は統廃合や国名が変更された等の歴史が刻まれているものもあります。本表は、今現在のものですが、「国」によっては各コード体系の中でも、激しく変化しているものも少なくありません。

01-05 「 IOC」「FIFA」「 ISO」の「価値基準」「価値体系」――命名者の考え方、受名者の勢い、と命名時期のずれ

赤字で示したものは、「国コード」が命名組織によって共通していない、もしくは異なるものです。命名組織によって、歴史や見方が違ったり、命名組織の中にあって「勢力」の勢いや先行・後行の違いがあったり原因です。

権威と権力の微妙な塩梅の違いがあらわれています。


02-01 注記・別記の「予告」

前記のように、長文化を避け、ULを簡単にし、連載の遅滞を避けるため本題と別記、注記を区別し、後日、随時、紹介・掲載しようと思っていますが、その「予告」です。

@命名者とは何か。

IOC」「FIFA」「ISO」とはなにか。現代の「神」たる標準化・平準化を現実化できる「権威」と「権力」・「金力」の源泉がみえるかと思いますし、その典型としての現代世界におけるスポーツの在りかたもみえてくるかと思います。

A名とは何か。

名の体系、他の「国」コードを含めての全体像の様子。そもそも「国コード」が生まれる背景にはグローバライゼーションというものの本質が垣間見えます。

また、本表はかつて、台風、ハリケーンの命名者、命名システムについて掲載しました。この命名の総本山は、奇しくも、といおうか、然るべくして、最古の「国際」「NGO」もしくは「QUANGO」もしくは「多国間」機関であるWMO世界気象機関です。戦争になると、天気予報・気象情報は鎖国的になり国家機密になるといわれる一方、隣国・他国の国際的な協力なくして予報はできません。かように、国際的な名というものには、国際的に、便宜的な妥協の所産の歴史が見てとれると思っています。

Bさらに、「本名」とは何かという問題を探ってみたいと思います。今回の、この「表」はWikipediasimple english 語版が使用している「略名」をそのまま掲載しています。そして、命名者が他称としてつけた略称に基づいていると考えられます。それぞれの国では、それぞれの国なりの「権威」と「権力」を駆使しての仕方で、それぞれの言語で、「本名」が「決まっている」ように思われます。言語が複数ある国も少なからずあります。連合国家で、「州」毎に違う言語を「正式」「公式」に使用している国や混在している国もあります。それぞれの準「権威」と準「権力」が「命名」しているかと思われます。「国際的」には英語やフランス語での「本名」や「略名」は外国との「外交関係」をもっている国ではどんなに愛国主義的であっても必須であろうし、国連の場においては国連公用語毎に決まっています。「コード」より複雑な物語がいくつもあります、

C言語とは何か

simple englishをはじめとするWikiにおける「語版」の世界。20191月現在の「Wikipedia: 全言語版の統計」によると「20181125 () 09:40 (UTC)現在304言語」で、5千万記事弱だそうです。多言語インターネット百科事典プロジェクト「ウィキペディア」の名の通り、数もさることながら、全記事を検証できる人はいないと思われる世界について考察したいと思っています。他のブログでも追いかけてきたこともあるくらい、多岐にわたっての話題がみられ、このための独立ブログも考えています。国コード以上に、言語コードの世界はもっと観念的であり、かつ、現実的でもあります。

Dコードとは何か

日本でもISOが万能でないように、あるいは尺貫法が未だに一部、活きているように、世界でも、国際的・多国間的にも、様々なコード体系があります。有用・無用によってコードは様々です。米国で「通用」していないメートル法をみるまでもなく「単位」という究極のコードもありますし、各国が頑なに守っているコードも少なくありませんし、それを世界でも通用させようとしているものもあります。お金にハード・カレンシーがあるようにコードにも剛柔があるかと思われます。そして、様々なソフト・パワーに繋がるかと思います。


こうした、別記、注記を、本記と合わせて、無名有実、無名者とは何かを探っていきたいと思っています。


99-00 断り書き

@誤記・誤解は多々あろうかと思います。お知らせ頂ければ幸いです。

A全てにおいて原語がベストだとは思っていますが、残念ながら、見知らぬ文字の誤記・誤解のみならず、環境によって文字化けが避けられないと思っています。それでも、カタカナ表記よりは若いささかでも雰囲気が伝えられると思い、アクセント記号等を無視し「疑似的」に単純な「記号なし」のアルファベットによって表記します。






別なブログ、スピン・アウトもかね、始めました [2016年09月14日(Wed)]

休題中に、本ブログの「スピン・アウト」もかねて、
を始めました。
海外サイトのひろよみから始まって、注釈が拡大してし、カバーする範囲も、調べ、確認をとる範囲も広くなってしまいました。
新しいブログは「考える」ことを主体に、とりあえず、筆者にとってはnpoの隣接領域の一つである「スポーツ」について考えていきたいと思っています。
ご案内いたします。
補題――暦とは(その11)――旧暦対照表 全日版の少し長めの註釈その7―変わる言葉、変わる名前(改) [2016年05月30日(Mon)]

承前

前回の最後に記したように、このケプラーの第三法則を紹介するにあたって、いつものように原文から着手しようと思ったが、これからして難航した。

基礎的な本なので電子的にtext化されていると思っていたが、残念ながら、ない。それでもいくつかの図書館で原本の映像がPDF化されている。

ところが、肝心の該当箇所が、どこのものでも、映りが悪かったり、印刷が掠れていたり、汚れていたりする。しかも当該箇所はページを跨っていて、相互比較が厄介だった。

<字が変わる>

例えば、字が違う、「長いs」とよばれるものが滲んでいて「f」と見紛ったりする程ではないものの戸惑う。ラテン語で「s longa」英語では「long s, medial s, descending s」独語では「lange s」とよばれるものだ。long s を courier new や ariel のフォントで表すと右のようになる

Preview

現代英語のアルファベット26文字に対し、王政ローマ時代G J U W Y がなく、21文字だ。その後帝政時代にはG Y が増えるが、依然として、J U W がない。因みに、Yは「ī Graeca ギリシアのi」とよばれたりする。ちょうど日本語の「wa 」「wi 」「wu 」「we 」「wo 」のようなものだ。最近の「あ゛」とかも、いずれ55音図に入るかもしれない。 

<大文字から小文字への分化、区分符号や合字の消長>

また、今日の英語でいうところの majuscule 大文字から minuscule 小文字が派生する過程で、様々な文字が浮沈した。同様に、今日の欧州諸言語にも残った、いわゆる accent mark アクセント符号のような様々な diacritical mark 区分符号がついた文字や、「Æ, æ」のような ligature 合字も浮沈している。こうした文字もよくみないとわからないものも多い。

<発音、文法、単語も生成流転>

そして、文字自体が生成流転しているだけでなく、発音はもとより、文法も、単語変化している。当たり前のことだ。

<それぞれの時代、それぞれの地方のラテン語>

他の言語と比べて歴史の長いラテン語はそれなりに変化が多いし、筆者のような専門家でないものにとって、それぞれの時代や地方のラテン語の差異を厳密に理解したうえで読解するのは難しい。

言語は生き物だ。

<動くのが「人」の場合、「言葉」の場合>

人が動くことによってその土地の言語が急激に変化することもあるし、人が動かずとも村から村へとゆっくり変化することもある。日本のような島国で大陸の果て、という稀な「地勢」にない陸続きの多くの社会にとって、言語は始終変化している

<ユーラシア大陸の東西の離れ島>

もっとも、島国といっても、ユーラシア大陸の反対側、西端にある英国列島での諸言語の盛衰はその後の英語の世界制覇と相俟って激しく、日本と対照的だ。その過程は「世界の英語になるまでに」に詳しい。

<言語研究の限界>

基本的な問題として生き物である言語である以上、昔の言語の理解には限界がある。この日英の比較を試みても実際がどうであったかにかかわらず、次のような可能性もあるからだ。

@日本でも変化があったが史料が残っていない

A日本では資料が残るに至らないほど書記言語の発達が遅れた

B社会が従属的であったため独自の「言語」の発達が遅れた

C社会の文明化自体が遅れ「言語」の発達が遅れた

等々、史料が残ってない以上、厳密には精確な真相はわからない。

<隔離されるのは言語か人か>

とはいえ、いにしえより書記言語には力がある。昔書かれたSFには、書記言語を放棄した異星人の話があった。モーリス・ブランショは「書いてしまった者は解雇」されることを著し、ジャック・デリダは「文字帝国主義」を一冊の本にした。

 

<はじめは碑文研究>

当たり前だが、多くの昔の言語の研究は「ロゼッタ・ストーン」のように、碑文、石に書かれた文字言語、書記言語が中心だ。残っているからこその研究だが、話し言葉とのずれが、そもそもあるかどうかを含めて確かめようもなく、限界がある。

 

<石の世界、木の世界>

石による構造物が多い欧州社会と、日本のように、腐敗しやすい木などの構造物の多い社会とでは残されている書記言語に大きな差が出ることは否めない。

<権威と権力、権勢を伝える碑>

一方において、朽ちない碑は、手軽な木簡のようなものと違って、その重厚さ故に現世下々への周知のみならず後世への伝承のために使われた。権威や権力、権勢もしくは先代讃えたり、畏れたり、記録したりするものであった。その分、語彙も、表現法も限定的だ。

 

<記録に残る人名>

後述する人の名前についても、記録が残っている「セレブ」のそれも「男性」を中心とした名前を分析するしかないので、当時の実態の把握には限界がある。

既にして、ギリシア・ローマの時代から、千年たっても復古したように、多くの優れた彫刻や壁画が遺されている。にもかかわらず、アリストテレスやカエサルの名前を知っていても、彼らの顔が思い浮かぶだろうか。名は残っても、顔は残らない、のだろうか。

以前「ハリケーン・サンディ」のサイド・スートリーとして紹介し、未だにこのブログの訪問ページのトップを占めている「アレキサンダー」という名前の拡散と変遷をみても、名前というものの「妙」の一端が分かる。

<世界を制覇したアレキサンダー、世界に轟いたアレキサンダーの名>

あのアレキサンダー大王が「世界」を制覇したおかげで、「アレキサンダー」という名前は世界中に、今日に至るまで、様々な言語圏と男女の間を行きつ、戻りつ、多様な変形を伴いながら、実に2500年近く生きながらえ、広まった名前だ。

<自由に変化する人名、拠り所のある人名>

人名の変遷は辿りやすいこともあるが、変化が激しい。地名や普通名詞、ましてや他の品詞と違い、基本的には本人周辺の了解さえあれば成り立ち、自由度が高いといえよう。だが、逆にいえば、全くの創作というよりは、アレキサンダーからサンディが生まれたように、偉人や先祖など、何らかの拠り所が一方において求められ、微妙に変化していくものだ。

「命名」の妙だ。

続く


<この項、昨2016/5/31夜、古い原稿をulしたため欠落部等多く全面的に改訂しました。悪しからずご了解ください>


この項は、筆者が作成した、

旧暦・西暦・グレゴリオ暦・ユリウス暦・干支・六曜・七曜、対照表 全日版嘉永7年の元旦から明治6年の正月の晦日

の解説の一部です

この補題の最初は

補題――暦とは(その1)――旧正

です。

補題――暦とは(その10)――旧暦対照表 全日版の少し長めの註釈その6―想い、描ける、曲線 [2016年05月03日(Tue)]

承前

○近点、遠点

楕円は焦点同士を結ぶ直線を軸「線対称」であり、その軸に直角な、焦点間の中間点を突き抜ける直線を軸にも「線対称」でもある。

前者を長軸といい、後者を短軸という。そしてそれぞれの楕円の周囲までの距離を、それぞれ長径短径(半分を長半径、短半径)という。

しかし、これらは、人間が楕円を描くとしたときの、いわば「カミ」的視点であり、人間の天体観測の場合、逆の視点になる。

例えば、地球から天体、月を観測し、月がどのような楕円軌道を描いているのだろうか、一番近いときは何処か、どの程度近いかといった視点だ。潮の干満の見当もつけるようになる。

つまり、天体観測では、天体の動きや位置を表すのに、楕円の周囲から楕円の焦点までの距離をよく使う。焦点、すなわち基準とする天体から近い方を近点、遠い方を遠点のことをいうので注意が必要だ。長軸上にある、二つの距離の和が長径になる。つまり、短径、短軸は直接関係がない。

そして、この

periapsis 近点、apoapsis 遠点(全般。peri=近いap(o)=遠いapsis=極点

periastron点、apastron点(恒星の周りの楕円軌道)

perihelion点、 aphelion点(太陽の周りの惑星等の楕円軌道)

perigee点、 apogee点(地球の周りの月、人工衛星等の楕円軌道)

のように、基点とする天体によって、言い換える。

○天体の軌道と質量の関係

さて、天体の動きの解題に画期的な革新をもたらした「結論」の式から先ず紹介したい。

(長径の半分)/(楕円軌道の周期)

万有引力定数×(天体hの質量+天体gの質量)/4π

○太陽系の場合

この式を太陽系にあてはめてみよう。

天体hが太陽だとすると、天体gにあたる太陽系の惑星は、質量が1番大きい木星ですら太陽の11000以下で、全体に対する影響は小さすぎ、結果には大差なく、無視できる

ということは、下に書いた右辺は、どの惑星の場合であっても

万有引力定数×(天体hの質量+天体gの質量)/4π

つまりは、

万有引力定数×(太陽の質量)/4π

殆ど変わらない、というよりも、同じ数値になる

(一般的に、太陽系に限らず、多くの恒星系では恒星自体の質量が傘下の惑星を圧倒していると考えられる。無論、一方において、恒星が二つ以上ある連星の場合は全く違う様相になることも分かる。)

つまり、ある決まった数、定数になる。この定数をTとでもおくと

(長径の半分)/(楕円軌道の周期)T

両辺に(楕円軌道の周期)をかけ、

(長径の半分)T×(楕円軌道の周期)

(長径)2T×(楕円軌道の周期)

さらに2をかけると

(長径)16×T×(楕円軌道の周期)

つまり、「楕円軌道の長径≒太陽から惑星の距離」3楕円軌道の周期」2比例する。

太陽から距離が離れれば離れるほど、惑星はゆっくり回る

ケプラーの第三法則、調和法則といわれるものだ。

kepler3.png


(C) NAOJ国立天文台」(注:このグラフは両対数グラフ)

実は、このケプラーの第3法則の「原典」を紹介しようとして、早、数週間たってしまった。「世界の調和」に書かれたといわれているものだ。

インターネット上や孫引きはいうに及ばず、通常は、次の一文が引用されている。

Sed res est certissima exactissimaque quod proportio qua est inter binorum quorumcunque Planetarum tempora periodica, sit præcise sesquialtera proportionis mediarum distantiarum, id est Orbium ipsorum

しかし、全くもって確実に、精確に、2つが組になった如何なる惑星それぞれの周期の期間の間の比は、2つ間の平均距離、それぞれの軌道の間でsesquialtera の比となる。

これは、「Ioannis Keppleri Harmonices mundi libri V ヨハネス・ケプラーの世界の調和についての5巻」の一節だ。

続く

この項は、筆者が作成した、

旧暦・西暦・グレゴリオ暦・ユリウス暦・干支・六曜・七曜、対照表 全日版嘉永7年の元旦から明治6年の正月の晦日

の解説の一部です

この補題の最初は

補題――暦とは(その1)――旧正

です。

補題――暦とは(その9)――旧暦対照表 全日版の少し長めの註釈その5―思い、描ける、曲線 [2016年04月04日(Mon)]

承前

◎表現できる曲線、描ける曲線、想像できる曲線

一つは、人間が描ける曲線か否かということだ。一般的に、定規とコンパスだけを使うことを、古典的な平面幾何学として学ぶ。定規コンパスは古代ギリシア以来一貫して使われてきたが、ほかの道具は普及しなかった。

○作図器、パンタグラフ

現代日本では紹介されるとしても、「pantographパンタグラフ」という、図形の拡大、縮小、つまりは相似形を作るための道具――原理的にはL字型の定規に沿ってスライドする定規を組み合わせたようなものに類する道具だ――が一時代、開発・研究されたことがあったが、それくらいだ。これらを工夫して楕円や円錐曲線が描ける。

○ずべてを描くもの

余計なことだが、日本ではパンタグラフといえば電車の上の「集電装置」ということだろうが、そもそもは、この panto παντすべて」を「 graph γραφかくもの」という作図器の形からとったもの。

○パングラフも翼状に

もっとも、その電車のパンタグラフも、新型新幹線500系の騒音軽減のためJR西日本仲津英治試験実施部長らによってフクロウの「serration鋸刃」状の風切り羽根をまねて開発された翼型のものに取って代わられて始められているので、イメージも変わっていくかもしれない。

○スピログラフ

それから、作図器として、せいぜい目につく道具は、「Spirograph スピログラフ」とよばれる「玩具」だ。この名前自身が商標登録された英国技師 Denys Fisher デニス・フィシャー ( 1918/05/11 – 2002/09/17 )によって発明、発売された玩具だ。

内外( epitrochoid / hypotrochoid trochoid トロコイド = 余擺線」という曲線が描ける作図器だ。

trochoid 」は日本語の「軽便鉄道」の「トロッコ」同様、ギリシア語の「τροχ ός」、ラテン語「trochos」、「車」に由来する。

いずれにしろ、普通の人々が、描ける曲線、目にすることができる曲線には限りがあり、イメージにも限りがあったと思われる。

○図像の大衆化

写真は勿論のこと、東西において、浮世絵や版画という「複製芸術」の登場以前は「図像」そのものが、信仰為政者に結び付いたもの以外は限られていた。今やセルフィーからドロンまで、連写からパノラマ、動画まで、自然を写し、映し、写し取ることは訳もなくなってきた。

○描ける曲線、名のある曲線

同時に、かつては、方眼紙や果ては対数方眼紙など工夫して点描しながら作図していた複雑な曲線も、今や、excelで計算はおろか描画まで描けるようになった。人類が格闘して曲線で特別に命名されているものは60を超えるようだが、数学ソフトをもって描ける曲線は無限に増えているので、新たな知見が生まれてくるかも知れない。

○図像がなかった時代への共感

「世界」は加速度的に変わっている。種や仕掛けの分かってしまったイリュージョンやだまし絵を驚きをもって見るには並大抵の努力が必要なように、曲線のようなものを含めて、かつての人々と同等な「世界」の理解には多大な注意が必要だ。

○遠近法、四角錘と円錐

遠近法のイメージには四角錘のイメージが使われる。水平線と垂直線の描き方を強調するためだ。

そうして、このイメージを思い描く主体、観察者の側からの視線もこれに釣られて四角錘のようにイメージし易いが、現実的には円錐状の視線だ。

対象物が「真円」板であったとし考えるとイメージが描きやすい。観察者の2つの目それぞれを頂点とする円錐が、対象物の円板を「楕円」状に重なり合わせることによって、僅かな遠近をはじめとする差と同一「性」を頭脳的に加味して瞬時にして処理しながら「真円」板として認識している。

○凸凹で乱雑な世界

世界、自然、宇宙には真の、直線や平面が存在していると考えるのは難しい。凸凹で乱雑な世界を微妙な阿吽をもって穏やかにして簡明、静謐な世界として認識者、観察者、人間は日々を過ごしているのだろう。真円に近い楕円と、楕円に近い真円との往還だ。

本項の冒頭に記したように、「楕円」は「真円」に比べると自然界では、「動き」では見ることがあっても、「形」では殆ど見かけない。まさしくイメージ途上、「想像」世界の曲線だ。

次回は、天体を描くときの楕円関係用語を紹介したい。

続く

この項は、筆者が作成した、

旧暦・西暦・グレゴリオ暦・ユリウス暦・干支・六曜・七曜、対照表 全日版嘉永7年の元旦から明治6年の正月の晦日

の解説の一部です

この補題の最初は

補題――暦とは(その1)――旧正

です。

補題――暦とは(その8)――旧暦対照表 全日版の少し長めの註釈その4―円錐曲線 [2016年04月04日(Mon)]

承前

この補題は、本題で幕末・維新の時代を紹介するために多数の資料を調べていたところ、様々な暦が交錯するため、早見表を探したものの、変換ソフトがあっても、逐日の一覧は見当たらず、不便なので早見表を作ったことに始まる。

せっかく作ったので、公開することにしたものの、暦そのものも紹介すべきことも多く、始めた補題だ。

とはいえ、暦は天体と人間の接点。天体の動きの複雑さは、人間の複雑さ同様複雑だ。だからこそ、人間も広い宇宙の中で生まれたので複雑になったのかもしれない。

「科学」と「人間」の交差する補題でもあり、補題の中に補注が必要なことも多い。今回は、天体の動きの中で、幾千年紀を経て、人間が接近できた楕円について筆者の理解する範囲で考えてみたい。

12.楕円関係用語

○想像上の曲線、動きの曲線

ここでの楕円は、「正確」、数学的な意味での楕円だ。卵の断面のような、片方が相対的に尖ったような曲線ではないし、半円を長方形でつなぎ合わせた「長円」でもない。左右対称、対称に少し伸びた「円」だ。

「真円」に比べると自然界では、「動き」では見ることがあっても、「形」では殆ど見かけない想像世界の曲線だ。

◎円錐曲線の4種の一つ

ellipse 楕円形・楕円は、古代ギリシアより知られている、直円錐を平面で切ったときできる曲線の一つだ。円錐の切り方の角度により双曲線、放物線、楕円、円になる、円錐曲線の一つ。

◎離心率による円錐曲線4

これら4つの円錐曲線はeccentricity 離心率」とよばれるものの違いによっても定義できる。

離心率が、                                                                                   

1より大きい」場合が双曲線 Hyperbola

1の場合は放物線 Parabola

1より小さい」場合が楕円 Ellipse

0の場合は真円 Circle

とりあえず、楕円の前に双曲線と放物線について概観しておこう

◎双曲線と放物線

○双曲線、反比例、ハイパーボラ

双曲線は反比例の曲線だ。

y = 1 / x

で表され、第一象限と第三象限とで対称的に「双」つみられる「曲線」。遠くから引いてみると、曲線というよりは、x軸とy軸に沿って、殆どⅬ字型の直線だ。

hyper 」はギリシア語由来で、「上、超えた、彼方」、bola 」は「抛る」といった意味だ。

○放物線、抛物線、パラボラ

放物線は2次方程式の曲線だ。y = x2で表される。

逆さにすると、重力のあるところで「物」をほうったり、なげうったり――「抛」――した時の軌跡となる「抛・物」線だ。

para 」はギリシア語の原義からいうと「従って、沿って」といった意味だ。この原義が、放物線という命名とどう繋がったかという説は定まっていないようだが、円錐の母線と「平行=沿っている」だからという単純な説が、元々思弁的な用語でもあるので、妥当なのかもしれない。

○漢字廃止論、「日本」語の形成

因みに常用漢字に「抛」がないため「放物線」が代用漢字となった。

代用漢字、「常用漢字」の歴史は、開成所翻訳筆記方にいた前島密(来輔)( 1835/02/04 -  ( 1919/04/27 )が幕末( 1867/01 )徳川慶喜に提出した「漢字御廃止之議」に始まるといわれる、幕末・維新期の「漢字制限」政策、まさに「日本」語の形成の歴史だが、本題でも触れたいので、ここでは深い入りしない。

○懸垂線

同じ重力によってできる曲線として、紐の両端をもって垂れ下がったときの「 catenary 懸垂線」があるが、抛物線に似てはいるが違う。

○双曲線函数

因みに、懸垂線はどちらかというと三角関数の曲線に似ていて、これはhyperbolic function双曲線函数とよばれる。英語名称が「 - ic 」で終わるので、双曲線(的)関数した方がニュアンスが近いかと思う。

y = sinh x, y = cosh x, y = tanh xと三角函数にhyperの「h」がつく。子細は避けるが、結論から言うと二つの関数の間にはcosh x = cosh ix. といった複素数、実数「x」と虚数「ix」を介した表裏一体の関係がある。

○双曲幾何学

また、hyperbolic geometry 双曲幾何学」とよばれるものもあり、elliptic geometry  楕円幾何学」、等と並んで、平行線の存在を認めるユークリッド幾何学の第5公準が成り立たない、非ユークリッド幾何学の一つとして、ユークリッド幾何学に対置される。「鞍」のイメージを使って「曲率」が「負」の空間の幾何学といわれる。因みに parabolic geometry 放物幾何学」はユークリッド幾何学の仲間だ。

○曲線と人間

さらにelliptic partial differential equation楕円型偏微分方程式」とかelliptic integrals 楕円積分」とかelliptic function 楕円函数」等々あったりするのだが、相互関係などを含め、暦を一端とする、曲線を巡って「時」と「空間」の狭間での思惟が多くの現代数学の源泉となった、人間の数学との限界や長い歴史としていつか触れたい

最後に、双曲線と放物線の概観から、円錐曲線の離心率、楕円に戻る前に、話を単純化するためにも、ここで記述している円錐について注記しておきたい。

○直円錐と斜円錐

円錐(形)の定義はいくつかあるが、本項では、直円錐(形)をイメージのベースにおきたい。円を底面に、円の中心から垂直に伸びた線上の一点と円周を結んだものだ。

斜円錐(形)の底面は直円錐と同じように円ではあるものの、円の中心からの垂直線上でなく、任意の点を「頂点」にしたものだ。注意しておきたいのは、斜円錐は単純に直円錐が傾いたものでないことだ。

斜円錐形を底面と平行な平面で切ったとき常の断面は常に円形になる。

一方、元の底面から傾かせて、元の底面と平行な平面で切り取った傾いた直円錐は、底面と平行な断面は常に相似な楕円形になり、楕円錘ともよべるものだ。

また、直立した直円錐形の側面の展開図は円形の一部を切り取ったものであり、面積も簡単に求められる。しかし、直円錐形の展開図から想像できるように、斜円錐形の側面の展開図は円弧とはならない独特の形をしている。

では「円錐曲線」に戻ろう。

◎離心率とは

離心率の定義は循環論法的だ。

基準となる、ある直線(directrix 準線とよばれる)と、基準となる、ある点(後述の楕円の場合の「焦点」になる点だ)を定めたとき、その直線からの距離と、その点からの距離比率を一定の値になるように曲線をひいたときの、比率のこと。

円錐を平面で切った場合、この比率は一定の数値になる。

後述するように、むしろ循環論法的でない、一定でない離心率、変化する離心率にこそ、天体、宇宙の核心があるのかもしれない。偏微分的、偏導関数的曲線が本質なのではないかと思うが、門外漢の筆者が疑似科学的記載するのは避けたいので、この辺にとどめておきたい。

○釘二つ、ひも一本で描ける楕円

さて、楕円の場合にはfocal points 焦点とよばれる二つの「中心」のようなものを考えることができる。そしてこの離心率のみならず、この焦点からの長さ・距離の「和」一定だ。

板に釘を二つ打ち付けて、その間の長さの2倍より長いひもをかけることによって、簡単にペンで描ける曲線だ。

楕円の場合、この二つの「焦点」の間の長さと、長い方の端から端までの線分major axis (主たる軸)長径の長さとの比率が、後述するように、先程来の離心率と一致するものだ。

「率」と「和」が一定というポジションに楕円は位置するのだ。

○楕円の極端な形。放物線、双曲線、真円

この記述の上では「想像上」ともいえる、楕円の「焦点」の片方が、どんどん離れたものが放物線や双曲線で、二つの焦点が重なって一致したものが真円だ。

「率」が一定「和」が不動から変動する放物線、双曲線になるのだ。

○パラボラとエキセントリック

逆に見て、無限遠に等しいくらいの距離、無限遠の焦点からくる光や電波を集めて曲面に近い焦点に集めるのが放物線すなわちParabolaパラボラ(反射)望遠鏡そしてパラボラアンテナだ。パラボラアンテナに銀紙を貼れば卵焼きやハンバーグができる所以だ。

因みに、elliptic curve 楕円(的)曲線ellipse 楕円形・楕円とは違う。また、eccentricity 離心率」と日本で比較的使われるeccentric エキセントリック」は語源が同じで、中心からズレているということだ。

俯瞰した見方

上記の楕円の大きさを表す用語は、いうなれば、太陽ー惑星系恒星ー惑星系もしくは惑星ー衛星系から離れて俯瞰した見方だ。

○内からの見方、人間の用・実用

後述するように現実的に目の当たりに見え、「実用」もあって、楕円の大きさでは楕円軌道の態様から、太陽や地球を基点とした距離をとって、次のようにいう。

太陽、または、地球からの、すなわちは、楕円の「焦点」から、最も近い点や遠い点の距離をとって、長径とか短径とかの楕円の端から端の距離ではなく「近点」や「遠点」で表すこともある。

やはり、外からでなく、内からみた楕円だ。

○長径、短径と長軸、短軸

楕円には2つの焦点を通る長径、長軸と、その長径の真ん中で直交する短径、短軸がある。

○長軸と短軸は性格、出自が違う

長軸と短軸の両方に対し対称的であるが、長軸と短軸とではいささか性格が違う

楕円は出発点を真円と考えて、その中心が「長軸」上で2つの「焦点」になって分かれて離れていくイメージだ。

○円が歪む

長軸上での両端が変わらず、中心がずれ2つの「焦点」として離れた分だけ「円」が尖り、短軸に対しては緩やかになり「円」が凹むイメージだ。

○楕円周は、円周から短軸上で凹み、長軸上では不変

両方の「焦点」からの「円」周に引いた線の長さは、そのまま元の「真円」の「半径」と変わらないように、楕円の短軸方向の周囲は凹んでいき、一方、長軸上の「円」の間の長さは元の「真円」の「直径」と変わらず楕円の周囲が尖っていくイメージだ。いずれかの焦点から「円周」との交点が、近い方が「近点」とよばれ、遠い方が「遠点」とよばれる。

○中心が2つの焦点に分解したずれ具合が離心率

離心率( e とは、元々の一つであった中心が、どれだけの長さ( a )の離れた2つの焦点に分かれたかを、元の半径の長さ( p )との比( e = a / p をもって表したものだ。つまり楕円の場合、1より小さい

離心率にはいろいろな定義が紹介されているが、こうして真円から中心が焦点として2つに離れていってしまった楕円の場合のその度合いだとイメージすると、「離心率」という漢字熟語からはかりやすいと思う。後述する、二つの天体がどのようにお互い影響し合うかというイメージにも合うかと思う。

○焦点がより外側に向かうと放物線から双曲線になる

因みに、このイメージからいうと、中心がずれて、元々の円周のところに(焦点が)ちょうどあるのが放物線(ずれた長さがちょうど同じ、つまり離心率が1)であり、さらに外側にずれたのが双曲線(ずれた長さが半径より大きい、つまり離心率が1以上)と説明される。

○扁平率

さらに、天体「間」の話ではあまり使われないが、例えば、天体の地球自体がどれだけ極地間の直径赤道直径に比べて凹んでいるかといったときに「扁平率」といった率が用いられる。これは上記のイメージからいえば、(極地間=短軸方向にどれだけ)凹んだ長さと、元の半径の長さとのだ。

極半径と赤道半径は観測しやすかった、しやすい、ということがその要因の一つと考えられるが、直接的な極間直径と赤道直径の比ではなく、凹んだ分との比率だ。

楕円については、多くの人間と「自然」との間に横たわるテーマ、より精確にいえば人間のテーマがあるが、補題の補注のさらに注釈が長くなるので、そうしたものを軽く2点紹介するにとどめ、子細はいずれかの機会に譲りたい。

字数制限を超えてulできなかったので、途中ですが次に続きます。

この項は、筆者が作成した、

旧暦・西暦・グレゴリオ暦・ユリウス暦・干支・六曜・七曜、対照表 全日版嘉永7年の元旦から明治6年の正月の晦日

の解説の一部です

この補題の最初は

補題――暦とは(その1)――旧正

です。

補題――暦とは(その7)――旧暦対照表 全日版の少し長めの註釈その3―28、19年周期、月の動き [2016年03月28日(Mon)]

承前

ユリウス通日の根拠とする三つの周期の内の二つ目の周期、28年。これは比較的簡単に解説できる。

928年周期:「(地球の公転)」(地球の自転)の不揃い

○何故、カレンダーは毎年替えるのか

1年は平年が365日で、52週×7(曜)日の364日より1(曜)日多い。そのため、例えば、ある年の元旦が日曜日だとすると、翌年の元旦は、日曜日ではなく、月曜日になり、同じ「カレンダー」は使えない。

逆にいえば、1年、1年が全て365日だとすると、7年周期で月日と曜日が同じ「カレンダー」になる。

曜日が何故7日となったかの由来は不明だ。地球からみた星の中で目立ったものであることには違いなさそうだが、現在の順序に何故なったかとなると、説得力のある説はなさそうだ。

1年が7の整数倍の日数、例えば、350357364371日ならばこうした不一致はおきない。

○都合よく(地球の)自転周期の整数倍でない(地球の)公転周期

では、なぜ、1年をそうした7の整数倍にしないかといえば、「1年」を、地球が太陽を巡る公転周期と同じにしたいからだ。ところがこの周期は、都合よく、7の整数倍ではないどころか、整数ではなく、およそ365日と1/4日だ。

○自然の2つの周期、生き物にとっての周期

要は、人間を含めた多くの生物が、地球の自転周期である1日という周期に合わせて生きており、また、そこそこ多くの生物が、地球の公転周期であり1年という周期に合わせて生きてもおり、そのずれに矛盾が生じているわけだ。

赤道近くなど、昼夜はともかく、1年の周期が生きていくうえで、それほどの違いを生じない生物にとってこの齟齬は気にならないこともあろう。

4年に1回の閏年、1/4日×41

地中海世界では、結構長い間、「ユリウス暦」として、365日に、規則正しく4年に1度、1/4日のずれを当該分の1回と合わせて4回、1日分足して366日の閏年として、このずれを調整していた。

従って、少なくとも曜日が完全に揃うのは7年との最小公倍数とその4倍の28年周期になる。

これが、ユリウス通日の基点を決めるにあたって、根拠に使った周期の3つの内2つ目だ。

○「丁度」でなく「凡そ」1/4日のずれ

しかし、365日と「丁度」ではなく「凡そ」1/4日のため、これでも、ずれが生じ、今日にいたる「グレゴリオ暦」とした。「グレゴリオ暦」は「ずれ」のさらなる是正をもとめて、これに100年に一度閏年をなくしたり、400年に一度閏年をあることにして、調整しようとしたものだ。

○「とし・つき」をなくしたスカリジェ

そうした様々な暦法の導入と併存による混乱の危機に終止符をうつためスカリジェがユリウス通日を考案した。

では、根拠とした最後の3つ目の周期、19年について考えてみたい。

1019年周期:「日付」(地球の公転)と「月の満ち欠け」(月の公転)の不揃い

この不揃いの理由は「月の満ち欠け=朔望月」がベースになる。少し長くなるが暦法の基本に関わる、人の理を超えた天体の動きと人との関係の多くが凝縮しているのでここで、紹介しておきたい。

◎月の満ち欠け=朔望月、地球からみた太陽に照らされる月

「朔望月」とは月が地球を巡る公転によって生じる「月が満ちて欠ける」周期を1か月としたときの「月」のことだ。

○地球と月と太陽の三角関係

「満ち欠け」とは地球から見たときの姿。太陽に照らされているのは、月食のときを除けば、常に月の片面、半球の姿だ(実際は後述するように凡そ6割がみえる)。地球と太陽と月の間の位置関係において、月がどの角度の地球からみられているかによって満ち欠けする。

○都合よく(地球の)自転周期の整数倍でない(月の)公転周期

年月の関係同様、「朔望月」の周期は、都合よく申し合わせたように、地球の自転の「1日」の整数倍ではない。29日より少し多い、凡そ29.5日だ。

しかも、この凡そも、凡そだけでなく、変動もしている。

◎朔望月は約10年の周期的な変動をしている

「朔望月」は中期的には29.3-29.8日の間を、約5年かけて短くなり、同じく5年かけて長くなることを繰り返し、0.5日の幅の差で約10年の周期で変化している。譬えれば、ラジオのAM波、振幅変調波の搬送波が一定振幅と波長を繰り返しているようなものだ。

○平均朔望月

この約10年の周期的な変動の平均を「平均朔望月」という。これが凡そ29.5日なのだ。

○朔望月が約10年の周期で変動する理由、3つ

@地球からみた月の見え方「満ち欠け」は太陽・地球・月の三つの動きの所産

先に記したように、地球からみた月の満ち欠け1巡りするためには、月が地球の周りを1回公転するだけではなく、その間に地球が公転により動いた分だけ、同じ月の面になるには、少し余計に月の公転が必要だからだ。

A月は楕円を描いて軌道している

月は地球の周りを真円軌道でなく楕円軌道を描いている。ケプラーの法則により、この楕円上で、月が地球に近い「近地点」付近では速くなり、遠い「遠地点」付近では遅くなって動いている。

従って、満ち欠けの周期も、「近地点」付近で朔となる場合は短く、「遠地点」付近で朔となる場合は長くなる

B月の楕円軌道の変動

さらに、この楕円軌道自体も、楕円の向きが約8.85年の周期で変化しているため。

以上が総合されて、19年の周期となっている。

◎平均朔望月も微増

実は、この、中期的な約10年単位の変動の平均、平均朔望月も、長期的には1年あたり0.000 000 002 162日(1年は約3,150万秒なので、約0.068秒)と、僅かだが長くなっている。

200011日では29.530 588 853(日)だったので201611日では29.530589191592(日)だ。

11.月の動きの複雑

少し複雑になってきたので、月の動きというもについて整理する。

天体としては小さく「固体」の「衛星」なので、「恒星」=太陽、「水の惑星」=地球、の両者から影響を受けているので、地球を含めた太陽系内の他の天体より「動き」の原因は複雑である。大国に翻弄される小国のようなものだ。

○太陽からみた月の動き

@――殆ど真円の楕円軌道

○ほんの僅か、微かに出たり入ったり、1213

結論からいうと、大きな動き、太陽から見た動きだけをとらえれば、月は太陽の周りの半径1.5億キロメートルの円周をほんの僅か、微かに出たり入ったりを、1周りの間、凡そ12から13回繰り返して、回っている。

○刻み、目盛りのとりかた

大きな動き、太陽から見た動きとは、時間的にも大きく、すなわち、長いスパンでみてということで、空間的にも大きく、すなわち、遠くからみてということだ。刻み、目盛り、単位の違いということだ。

○僅か、微かに楕円、真円

「太陽の周り」の円周というのは、他ならない地球の公転軌道のことで、よくみるイメージ図のような真円ではなく楕円軌道ではある。そして、「ほんの僅か、微かに出たり入ったり」というのは地球に対する月の公転軌道の故で、真円ではなくやはり「ほんの僅か、微かに」楕円軌道ではある。逆に言えば「ほんの僅か、微かに」真円だ。

さて、上述のように、天体の軌道で頻出する用語が、楕円軌道関係なので、次回は、先に進む前に楕円について整理しておきたい。

続 く


この項は、筆者が作成した、

旧暦・西暦・グレゴリオ暦・ユリウス暦・干支・六曜・七曜、対照表 全日版嘉永7年の元旦から明治6年の正月の晦日

の解説の一部です

この補題の最初は

補題――暦とは(その1)――旧正

です。

補題――暦とは(その6)――旧暦対照表 全日版の少し長めの註釈その3――紀年法と紀元、インディクティオの続き [2016年03月18日(Fri)]

承前

8.紀年法と暦法

さて、この連載では、注釈のための註釈のようなものが入れ子状態で続くこともあり、あえて、「紀年」とか「紀元」とかいう単語を無造作に註釈なしにすすめてきた。

「暦」に戻るにあたり(といっても未だに「連番――ユリウス通日」の註釈が続いている)そもそも暦とは何かを考える材料として「紀年法」から始めたい。

◎紀年法とは

○「紀」とは、

藤堂明保の学研「漢和辞典」によれば会意形声文字として『糸のはじめを求め、目印をつけ、そこから巻く。。。。。起こすと同系のことば』と解字している。

白川静の平凡社「字統」では「礼記」の『衆の紀(もと)なり。紀散ずれば衆亂る」の注「絲縷(糸すじ)の數の紀あるものなり」を引用して、『糸数をそろえてまとめることをいう』としている。

戸川芳郎の三省堂の「漢辞海」では「説文解字」から『糸の一方の端』「釈名」から『「紀」は「記」である。記して識(しる)すのである。』と成り立ちを引用している。

山口明穂の岩波の「新漢語辞典」では『「糸」+音符「己」(曲目のしるし)。糸に目じるしをつけて糸すじを分ける意』と解字している。

要は数学的にいえば、1(元(1)年であって「0」年ではない。いわゆる「数え」、序数方式と、0から始まる「周年」のような基数方式)の端から無限遠に延びる半直線のようなものだろうか。因みに下記のように元号は有限の線分のようなものだろうか。

○紀元、もしくは紀年法の3

広義の紀年法とはある年(紀元)からはじめての年の数え方、年代の表わし方だ。ヒト気のあるもから、カミがかり、観念的なものまで、古来よりある。英語では紀年法を calendar era 、紀元をepochという。

@人々の日常を左右するような「権力」、為政者、執政官、君主や天変地異毎にまつわった「元号」、「regnal yearの類。

A地におりてきた「神」にまつわるような、「権威」、キリスト生誕紀元=西暦= anno domini、仏滅紀元=仏暦、神武紀元=皇紀ローマ建国紀元 = AUC = anno urbis conditae 、世界創造紀元 = AM = annus mundi / ab origine mundiなどを基点にした狭義の「紀元」の類

B60年の干支や15年のインディクティオのような、「定まった」「自然」(太陽の周期・季節)の繰り返しの周期の類

殆どが太陽の周りを1周して多生の違いがあっても1年としているものが多いが、イスラム暦のようにそもそもの1年のとり方自身が違うものも留意しておきたい。

◎「暦法」と「紀年法」の違い

こうした「紀年法」と対にあるものとしての「暦法」だと、ユリウス暦、グレゴリオ暦、あるいは狭義の日本の「旧暦」などがある。

ただ、前二者はキリスト「紀元」、後者は日本のいわゆる「元号」と当然のように重なって使われているので、実際の用法、用語としては、混雑している。

◎紀元は後付け

しかし、紀年法の中でも、「紀元」といわれるものは、例えばユリウス暦は、古代ローマ、地中海世界において、キリスト=西暦紀元から用いられていなかったことに留意しなければならない。

○権威の熟成、もしくは促進剤

「権威」の熟成を待ってか、促進するために、いずれも数百年はおろか、千年以上経てから使われ始めたものだ。

○様々に、変わった紀元、と、変わらぬインディクティオ

最初にローマ建国紀元があったり、3世紀にディオクレティアヌス紀元が一時的にあったりして、6世紀に西暦紀元とともにユリウス暦が使われ始めた。そうした変遷の中で、先に紹介した、15年周期のインディクティオが長いこと併用されていた。

日本で、皇紀や元号よりは、人々にとっては六曜や干支のようなものが身近なものであったような感じだ。

こうした紀年法の併用こそに人間社会の本質があるかと思うが、別の機会にしたい。

○月と日、それ以上に、何が、何故、必要なのか?

そもそも、時間というものに関し、太陽と月の動きで支配される、月や日といった、自然環境の日常の変化を占ったり知ったりすること以外の「単位」を、人間が必要とするのか、必要とするのは何故なのか、再考すべきだ。実際「年」が使われている場面は限られている。

○人が「生きた」歳月、「生きる」歳月

どのような状況で、どういう理由で、ヒトは、1年以上の単位で、過去にしろ、未来にしろ、「とき」を知る必要があるのか、必要とさせられるのか。人は、ただただ、自分たちの生きた歳月、生きていく歳月を拠りどころに、紐帯を築いている。それ以上の何が必要なのだろうか。なぜ必要となったのか。

○家族からグローバル世界へ

いうまでもなく、個人や家族中心の生活から、村落から都市国家、国民国家へと「空間」が拡がり、グローバル世界になるにつれ「年」や「元号」、「紀元」が必要になってきたのだろう。空間とともに「権力」も拡がった。

○権威と人々

そして「権威」もまた、人々の共生に欠かせないものになるにつれ、「時間」に、「紀元」に、寄り添った。権威は、為政者、祭祀者、だけでない、ほかいびと、まれびと、常民、そうした人々すべてが権威に寄り添ってきた。「権威」とともに時間も延びた

◎紀年法と記録

紀年法は記録のため、chronology 編年のために編み出された。なぜ記録するか、なにを記録するか、だれが記録するか。なぜ過去への記憶では駄目なのか。なぜ未来への想いでは駄目なのか。

一つ目の周期、15年はここで留めておこう。

続く


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