クッキングインフル大流行 [2009年07月03日(金)]
クッキングインフル大流行 ーカンボジアの野口潤子さんのレポートー
先月ご報告したジャム撮影時のランチにつくったスパゲッティ・ボロネーゼが大受けで、それ以来、ニョニュムではクッキング・インフル(料理熱)が大流行。
野口潤子の発熱外来に最初にやってきたのはパウちゃん。ご主人に食べさせたいのでレシピを書いてほしい、と。
次はモムちゃん。別の機会にご馳走したカニクリームコロッケをつくりたいとやってきました。それぞれ、材料と彼らの家にある調理器具でつくれるように改良したレシピをつくりました。
それをコピーして、スタッフみんなが持ち帰ったようです。その日の夕食に、パウちゃんはスパゲッティをつくり、モムちゃんは週末にビーフとエビのコロッケを20個ずつつくったそうです。
出来がイマイチなので味見してほしいと、モムちゃんは揚げたてを持ってわが家へ車を飛ばしてきました。「わたしは食べる人、つくる人ではありません」と言っていたモムちゃん、最初にしては上出来、快挙、オーチャーナ!(ハナマルジルシ)です。
パウちゃんは、次は焼きリンゴに挑戦したいそうです。さて、オーブンを使わずに焼きリンゴがつくれるでしょうか…。
(モムちゃん作のエビコロッケ)
(わたしのカニクリームコロッケ)
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小柳津 浩之
at 08:28
色について [2009年07月02日(木)]
色について ーモンゴルの牧野さんのレポートー
『色』についてまたまた面白い話を聞きました・・・
紫色もピンク色も同じ? 金色、銀色は色ではない
今日はモンゴル語の日常会話のあと『色』の単語についての勉強。言葉を教えあっていると普段何気なく使っている言葉を説明しようとするとうまく説明できないことにでくわすことがある。殊に2ヶ国の言葉を対比説明する際に一瞬詰まってしまうことがある。
さて、今日は『色』の単語について話している時、モンゴルでは紫色もピンク色も同じ単語で表現するとのこと、つまり小生が理解できたのはモンゴル語にはどちらかの色を表現する単語がないということ。元来色は三原色の混ざる割合で変わってくるのだから
色の源は全て同じと言えるものの、やはり二つは異なった色なのに・・・・。
事務所の棚に塗ってある明らかに紫色を指さして『これもピンクだ』と言うのだ。
勿論、彼は英語でpurple と言う単語を知っているし明らかに二色が異なるということも理解しているのだが、『モンゴルではこの色もピンクと言う』とのこと。
二色を区別する時の説明をどのようにするのかと聞いたら、『赤っぽいピンク、黒っぽいピンク』と表現するとのこと。印刷物を発注する時の指示はどのようにするのか新たな疑問が湧いてきた(もちろん色見本の台帳というものはあるとは思うのだが)
ひょっとすると識字率の高いモンゴルの人たちは色盲率も高いのではないかと小生には思えてくるのだが・・・・・?
さしずめ〔紫 式部〕をモンゴル語に訳すと〔ピンク シキブ〕とでもなるのか?
色についてもう一点、金色と銀色に話が及んだ時のこと。『金色、銀色という色はない』とのこと、あくまでも金は金(貴金属の金=ゴールド)、銀は銀(同様にシルバー)であってそれぞれの色は「黄色」、「白色」と表現するとのこと。
日常何気なく気付かず見過ごしていることが、生活習慣や歴史の違いから、互には奇異に感じたり驚いたりするようなことがそれぞれの国では当然のこととして理解されていることを知るのは本当に興味深いものである。(牧野)
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小柳津 浩之
at 08:58
フィリピンのナガ市で自動車修理 [2009年07月01日(水)]
フィリピンのナガ市で ー自動車修理の松島さんのレポートー
ナガ市に自動車修理の指導に行っている松島徳明さん、珠紀さん夫妻を紹介します。現地でカルチャーショックに悩まされながらがんばっておられます。奥様の珠紀さんが縫製の技術を地元の女性に教える、という話も持ち上がっています。
受入先の提供された住宅がひまひとつしっくりしないのでご自身で家探しから始めました。
6月2日にナガ市長の誕生会があり妻と通訳のリンさんと出席してきました。とても盛大で驚きました。
写真は松島さんから送ってきたもの。市長ご夫妻をかこんでパチリ、この後ゲストハウスに招かれ市長からご馳走をいただいたそうです。
(向かって右端が徳明さん、左から二人目が珠紀さん)
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小柳津 浩之
at 15:39
カンボジアで同窓会 [2009年06月30日(火)]
カンボジアで同窓会 ー溶接の根〆さんがカンボジアのSVと会いましたー
根〆さんはNISVAの溶接のボランティア活動を終えてカンボジアに行っています。JMAS(地雷処理のNPO,自衛隊OBがカンボジアやラオスで活動)の一員としてカンボジアで活躍しています。忙しい仕事の合間に弊会のボランテイアと会っていただきました。
根〆さんのメール:nisvaの皆さんと楽しいひと時を持ちました。皆さんお元気で、生き生きと活動されている様子を感じました。
 (前列右が根〆さん、左が岡本さん。根〆さんの後野口さん)
(岡本さん)
(野口さん)
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小柳津 浩之
at 10:15
カンボジアでジャムつくり(下) [2009年06月29日(月)]
カンボジアでジャムつくり(下) ー野口潤子さんのレポートですー
ニョニュム誌の特集のテーマは、「やってみました、ジャム作り!」前回で出来上がった製品を説明しましたが、調理の実際をレポートします。
ボスと木村さんの自宅の庭でカンボジア式コンロに炭火を起こし、午前7時からスタッフ総出でジャムづくりに励みました。
わたしは、ジャムづくりアドバイザーとして参加、のはずだったのですが、料理の苦手(というより、外食の多いカンボジアでは自宅で調理することが少ないようです)なスタッフに包丁の握り方を教え、料理写真を撮ったことのないモムちゃん、パウちゃんにカメラポジションを指示するなどてんてこ舞い。
雨季に入ったカンボジアは突然豪雨がくるので、それまでに撮影を終えるためにてんやわんやの大騒ぎとなりました。
よく働いたスタッフのために、わたしがスパゲッティボロネーズとアンチョビー&マッシュルーム入りのフンギパスタをつくり、木村さんが温野菜をつくってランチとなりました。
(木村編集長がジャムを煮詰め、モムちゃんが写真。ディレクターはパウちゃんディナ君)
(前列左はドライバーさん、右は門番さん。火起こしや水運びなど力仕事をしてくれました)
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小柳津 浩之
at 07:53
カンボジアでジャムつくり(上) [2009年06月26日(金)]
カンボジアでジャムつくり(上) ー野口潤子さんのレポートですー
マンゴージャムづくり マンゴージャムの試作品をつくりました。まもなくオープンするニョニュムショップで販売する目玉商品にしたい、というボスの命令で「カンボジアの特産食材だけを使った食品」開発にチャレンジした次第。
同時に、べっこうアメもつくりました。写真は、試作第1号ジャムです。モムちゃんが「J‐Jam」と名づけてくれました。名前はともかく、出来は上々です。
材料は、マンゴー3個、パームシュガー(砂糖ヤシの樹液を煮詰めた砂糖)約70g、カンボジアレモン(形も色もスダチとかカボスに似ています)3個と水少々。これでディジョンのマスタードのビン一杯分のジャムができました。
マンゴーの香り、パームシュガーのコクと甘み、カンボジアレモンのさわやかな酸味がしっくり溶け合ってなかなかのものです(パームシュガーの代わりに白砂糖でも試作してみましたが、いまいちパンチ不足。すっきりしているけれど個性がない、そんな出来になりました)。
スタッフみんなで試食しましたが、大好評。「これなら絶対売れる!」と折り紙をつけてくれました。いまは、おすそ分けの段階なのでこれで十分ですが、製品化するとなるとハードルは高いです。口に入れるものですからねえ。
合成保存料は入れていないし、食中毒にでもなったら大変。調理場と調理人の衛生管理、原料の確保(マンゴーは旬があります)、容器の熱湯消毒、保管場所の確保…解決すべき問題は山積みです。
ボスは6月初めには売り出すつもりのようですが、とてもとても無理。まあ、改良を重ねて、来年のマンゴーの季節に販売できたら最高でしょう。(マンゴージャム完成)
(カリカリに焼いたパンと一緒に試食しました)
(パームシュガーでつくったべっこうアメ)
(こんなのもつくりました。砂糖返りをして失敗)
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小柳津 浩之
at 15:03
モンゴルの観光開発 [2009年06月25日(木)]
モンゴルの観光開発 ー牧野卓夫さんのレポートですー
5月の業務活動報告書をご査収ください。
前回滞在中の経験が役立ち、買い物などに不便はありませんが、住む地区によって(外人が居るか居ないかということをベースになるのでしょうか)販売している商品の内容がずいぶん異なっていることを発見しました。
例えば、前回は近くのスーパーで購入できた食品包装用のフィルム(サランラップ)が今回隣接する3軒のスーパーには売っていません。
やはりモンゴル語の発音の難しさには閉口しています。それでも買い物の時に相手が言う数字は多少理解できるようになってきました。
MNTOの男性スタッフ(アチッドという名前)が日本語に興味をもっていて毎週土曜日12時から事務所で語学のクラスを開講しています。日本語とモンゴル語を相互に教えあうのですが、彼は簡単に日本語を上手に発音するのですが、小生はなかなかできません。本当にモンゴルの人は語学の天才です(と言うよりも小生が鈍才なのでしょう)。
5月ということで厚手のジャンパーを持参せずに来たのが大間違い、早速、雪と霙に見舞われましたが、インドラが前回同様ご主人のジャンパーを貸してくれましたので難を逃れました。
アパートの件についても両女史は常に気を使ってくれています。今回のアパートはハウスキーパーが来てくれないのを心配してくれていますが、自分でやってみて駄目な時にはお願いしたいと回答してあります。
報告書にも書きましたが、添付の写真が発電所から街に送られてきている温風と温水の本管です。これを改修するのですから2月くらいは覚悟が必要です。いずれも郊外の火力発電所から温風、温水を送り込むための本管の写真です。
(平和橋の上から)
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小柳津 浩之
at 12:29
異文化理解(下) [2009年06月16日(火)]
異文化理解(下) ー二子石さんのカルチャーショックについての寄稿ー
二子石章さんの「異文化理解について」の意見です。うなずけることばかりです。
報告 カルチャーショックについて 二子石 章
2009年5月14日
NISVAのボランティアを調整員として受け入れ始めて、日本のシニアにとって、異文化を受け入れることは、大変な問題だと感じるに至りました。
生まれた時から日本で育った日本人にとって、また、大きな組織で極めて特殊な生活様式を身に付け、また極めて日本的な文化の中に育ったシニアにとっては、異文化理解はかなりきつい問題です。しかしこのことは大組織の人に限らず、「井の中の蛙」で育った全ての日本人にとっても同じことかもしれません。
カルチャーショックの種類
T)食文化から来るもの(6月12日掲載)
U)時間管理から来るもの(6月15日掲載)
V)宗教(キリスト教文化)から来るもの
W)その他(個人の生き方)
V)キリスト教文化から来るもの
キリスト教はフィリピン国の宗教として定められています。これは日本人も従うことになります。特に行政に派遣された方は、キリスト教の行事に従う行政のしきたりに従うことになります。
しかし重苦しく考える必要はありません。そうは言いながらも他の宗教を認めている国です。彼等にとって問題なのは宗教を持たない人を不思議がるだけですから、仏教者はそう答えればいいことです。
すべてことの始まりは御祈りから始まりますが、そこで引っかかるボランティアもおられるようですね。これこそ事前研修で十分に説明する必要があります。他の宗教を尊敬する習慣があればいいのですが、非難する人にはフィリピンは難しい国かもしれません。
フィリピンの人は他宗教を決して非難しません。「尊敬していますよ」と申し上げることにしています。たとえば、ボランティアのSさんは当初ずいぶんと宗教習慣にこだわっておられましたが、今はすっかり慣れているようです。これは時間が解決するかもしれませんね。
W)その他(わがままカルチャーショック)
その人の生い立ちがそうさせさせるものですから、説明の方法がありませんが、特殊な癖を持った方がいて極端に人に迷惑をかける場合は、即座に帰国をさせたいと思います。
=6月17日から24日まで休載します=
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石井 裕子
at 09:02
異文化理解(中) [2009年06月15日(月)]
異文化理解(中)
二子石章さんの「異文化理解について」の意見です。うなずけることばかりです。
報告 カルチャーショックについて 二子石 章
2009年5月14日
NISVAのボランティアを調整員として受け入れ始めて、日本のシニアにとって、異文化を受け入れることは、大変な問題だと感じるに至りました。
生まれた時から日本で育った日本人にとって、また、大きな組織で極めて特殊な生活様式を身に付け、また極めて日本的な文化の中に育ったシニアにとっては、異文化理解はかなりきつい問題です。しかしこのことは大組織の人に限らず、「井の中の蛙」で育った全ての日本人にとっても同じことかもしれません。
カルチャーショックの種類
T)食文化から来るもの(6月12日掲載)
U)時間管理から来るもの
V)宗教(キリスト教文化)から来るもの
W)その他(個人の生き方)
U)時間管理から来るもの(時間カルチャーショック) 日本人の時間管理は、生産性を高め、現在の日本を作りあげるまでに至った原動力だったのだと思います。教育の現場も、社会の現場も時間を守ることを最も美徳とし、また、それは18世紀の産業革命以来、先進国が目指した生産性と経済性を高めるための原動力であったと言っても過言ではありません。
ですから我々日本人は時間をよく守り、時間で動き、時間で終わるという体の中には時計が埋め込まれているような生活に慣れています。まさに「Time is money」の生活に慣らされてきました。
その習慣に慣れ親しんできたシニア・ボランティアたちが、急遽時間を気にしない国に派遣されるわけですから、地獄に落とされたようなものです。
要もないの時計を眺め、溜息をつく姿は、哀れにさえ思えます。そこで「目の前を見てください、広がるきれいな海が見えますか」と時々聞くことにしている。「はぁ!」と答えるが、眼は時計。
ここに座ってゆっくりと流れる時間を味わってください。「時間は金のためにあるのではなく、あなた自身のためにありますよ。時間を気にすることをやめましょう」「まず時計を外したらどうですか」とサジェスチョン。
ボランティアの現場では、研修生の時間管理から始まります。
時間どおりに誰も来ない。日本人はカリ、カリ来る。フィリピン人は駄目だとがなり立てる。
フィリピン人にしてみれば、日本のように正確に走る電車はない。バスもない。どだい日本の文化である時間厳守を言ったところで通じない。人によっては、2時間もの時間をかけて歩いてくる人もいる。
「あなたの言葉に無理がありませんか」というと、「習う姿勢が悪い、時間ぐらい守れよ」と怒る。日本の事情を理解しないフィリピン人にとっては、なんで怒られているのかが解らない。可哀そうな理解不足が続くと、今度はダメな生徒と決めつけてしまう。
実際の事業を始める前に、ボランティアは家庭訪問をすることが必要でしょう。こんな不幸な出来事が二度と起こらないようにするためにも事前研修が必要、事情が分かれば、シニアボランティアの授業を受けに毎日往復4時間も歩いてきた研修生に感謝したくなるはずだ。
行政とかかわるシニアボランティアにとっては、時間との戦いが続く。物事を決めているプロセスが日本と違う。一つの案件が審議され決定されるのには相当に時間がかかる。それは私たちの想像を絶する時間が必要になる。
決して怠惰でそうなっているのではなく、フィリピンの人達にあった一番間違いがおこしにくいシステムになっているといえるでしょう。それを否定するのは、理解の無さというしかありません。
しかしシニア・ボランティアの時間との戦いは、3ヶ月ぐらいで解決できることも、私たちはわかっている。
フィリピン人とって時間は「Time is Money」ではありません。{Time is Golden}だと考えています。おかねのための時間ではなく、あなた自身の人生のための時間と考えているのだと考えます。
この文化は私たちにはなじみのないもので、Time is money とだけ考えてきた私たちには、相当の思考回路の修正が必要でしょう。
しかし元来怠惰にできている人間にとっては、受け入れるのには食文化ほど困難ではないはず。その場合Time is idle となります。これはボランティアの陥りやすい所です。
しかしその時間を豊かな時間に変えることだってできるはずですね。その時、時間はGOLDENと評価されるはずです。多くのボランティアの場合その点が不足して、Time shock を受けておられるような気がします。
あるボランティアはこの怠惰な時間を、利用して「自分の人生を考える時間にされた」ようです。それを機会に「今までの自分を見直す時間になった」と言っておられました。
そして「こんな豊かな時間は今までの人生になかったと気付いた」と言われていました。その後、このボランティアの活動は積極的な活動へと変化していきました。これこそ「ボランティアが学べる特権」かも知れないと、語っておられた。
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Posted by
石井 裕子
at 09:00
異文化理解(上) [2009年06月12日(金)]
異文化理解(上) ー二子石さんのカルチャーショックについての寄稿ー
フィリピンで調整員(受入先の発掘、ボランティアの世話)をしていただいている二子石章さんの「異文化理解について」の意見です。うなずけることばかりです。
報告 カルチャーショックについて 二子石 章
2009年5月14日
NISVAのボランティアを調整員として受け入れ始めて、日本のシニアにとって、異文化を受け入れることは、大変な問題だと感じるに至りました。
生まれた時から日本で育った日本人にとって、また、大きな組織で極めて特殊な生活様式を身に付け、また極めて日本的な文化の中に育ったシニアにとっては、異文化理解はかなりきつい問題だと思います。しかしこのことは大組織の人に限らず、「井の中の蛙」で育った日本人にとっても同じことかもしれません。
カルチャーショックの種類
T)食文化から来るもの
U)時間管理から来るもの
V)宗教(キリスト教文化)から来るもの
W)その他(個人の生き方)
T)食文化から来るもの(調理から、あとかたずけまで)
日本の食事が、体に一番合うし、一番おいしいと考え勝ちな人が居ます。このような人は、他へ挑戦する気持ちが薄れています。
朝から晩まで日本食を懐かしみ、何とか日本食のようにならないかと考えます。せっかく他の国にきたのですからそこの文化、食べ物を味わい味覚を増やすことはいろいろな意味で、他の文化を吸収する意欲につながるような気がします。
ボランティアをやる以上、その国の人々と何らかのお付き合いが必要になりますが、その姿勢がなければ、それさえもできなくなります。
私は、最初にボランティアと一緒にフィリピン料理の食事をすることになりますが、この時点でこの人は異文化に慣れやすい人なのか、時間がかかる人なのかなど、わかるようになりました。
食卓には、調理から跡かたずけまでのすべての部分(テーブルの飾り付け、そして気遣いなど)が、テーブルの上に並べられます。また飾り付けなど、食生活は大変デリケートな一面を持っていますので、調整員として一緒に食事をすることは、今後の話し合いに大変有効な手段となります。こんなことは現場でなければ判断できないことかもしれませんね。
特に炊事場が日本と違って屋内にありません。自炊を好む人は、下屋の部分で炊飯をすることになります。(理由は、換気、におい、防火など)これらは、すべて日本とは違うことを受け入れなければなりません。
ただ海外でボランティアをしてみたいと応募してきても、食生活のその背後にある様々な意味を、十分に理解していない場合が多いように見受けられます。また理解しろと言っても無理なのかもしれませんね。
住まいについてNISVAの受け入れ先は3種類に分かれます。
1)行政が受け入れ先になる場合
市が用意するものの特徴は、倉庫を改造したとものなどで、十分な設備が用意されない。建設基準に縛られ、改造もそこそこといったところ。安全の面ではOK.炊事環境はよくない。改造を要求すると行政の中の決済が遅く、時間がかかりすぎてボランティアのいらだちが続く原因になります(平気で2ヶ月以上かかる)
2)TESDA(教育訓練局)管轄の学校が受け入れ先になる場合
住宅環境および設備は古いがすべて揃っている。ただし、こちらからの要求を受け入れるのに限度がある。予算の関係で出せるものと出せないものがはっきりしている。結論が早い。古くて不備な部分はあるが、自炊環境は整っている。(先生の社宅利用)
3)NGO施設が受け入れ先になる場合
団体そのものに金がない。したがって部屋は提供できるが食事は、施設のものを食べるか自炊、Accomodation(部屋代、食事代) はボランティアが支払う。必要なものは自分でそろえるということになる。
上記3点の中で一番厄介なのが、行政です。「私たちには日本人が好む住居は提供できないから、いやなら自分で探してください」といった感じですね。日本と異なり行政だから大丈夫ということはこの国では考えられません。
NISVAがブルーカラーの人を対象にしている以上、ほとんどの場合、異文化に不慣れな人たちであることは明白です。住居つまり自炊ができる場所は、異文化に不慣れなボランティアにとっては、最も大切な問題かもしれません。
異文化に不慣れな人でもボランティアができるようにNISVAは すすめてきたわけですから、慣れるまでの期間を配慮しなければなりません。「食生活からすべてが始まる」、が実感です。
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