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ウランバートルにダウン症協会がカフェをオープン [2018年12月21日(Fri)]

ウランバートル市にダウン症協会がカフェをオープン

                           梅村浄
ゾリク財団
スフバートル広場の隣に広がっている公園に面してウランバートルホテルが建っている。2018年9月の渡航時、モンゴル大学に留学している若い友人とランチを食べようと、待ち合わせ場所にこのホテル前の公園を選んだのだった。9月中旬というのに雪が降り、公園の道脇に生えている青草の上に薄く積もっている。あんまり寒いので、ウランバートルホテルの玄関のドアを開けて中に入った。正面フロアーの奥に絨毯が敷かれた何段かの階段があり、シャンデリアが暗いロビーを照らしていた。ドアボーイが寄って来て、用事を尋ねられた。人を待っているだけと答えると、出て行けというのでもなく、窓際のテーブルと椅子をすすめてくれた。ウランバートルで一番古いというこのホテルに、いつか泊まって見たい気持ちが湧いて来た。44686797_2325144944179685_5272215524279844864_o.jpg
エンフタイワン通りを挟んで、ホテルの向こう側に外務省の建物が建っている。その並びにゾリクサン(財団)がある。『ホテル・ウランバートル』という題名の1990年に工藤美代子さんが書かれた本を読んだことがある。1990年にモンゴルで社会主義から市場経済に無血移行した一時期を切り取ったこの本は、ゾリクとのインタビューに大部分を費やしている。1990年、体制移行の立役者であったゾリクは、1998年にモンゴル国大統領候補として内定した数日後、自宅で暗殺され、今でも犯人は闇の中にある。ゾリクの妹オユンが跡を継いで政治家となり、政治活動拠点として築いたのがこのゾリクサンである。NPOとして1998年に設立、民主主義の推進、社会活動、青年活動、自治プログラムなどの活動を行っている。
ダウン症の娘を持つ「オユンさん」が娘に医療、療育を受けさせるために日本に来たことがあり、2007年に設立されたモンゴル・ダウン症協会の設立メンバーの一人であることから、ゾリクサンを訪問したのは2010年のことだった。もらったパンフレットに政治の浄化、賄賂の撲滅が、大きい項目としてあげられていたのに驚いた記憶がある。

モンゴルにおけるダウン症児の教育
2010年にモンゴル大学に入学後、モンゴルダウン症協会に連絡をとったところ、日本から派遣されたシニアボランティアのSさんを紹介された。2008年に開講されたばかりの第25番学校にあるダウン症児クラスを訪問した。ウランバートル市内に4校ある知的障害特別支援学校の1つで、1階には肢体不自由児クラス、古い建物の階段を登って廊下を歩いて行くとダウン症児のクラスがあった。教室の後ろの壁には子どもたちのスナップ写真が掲示されており、カラフルな室内装飾は楽しげな雰囲気。10月に赴任したばかりのSさんの授業を見学させてもらった。モンゴルの知的障害児学校では様々な理解度の子どもたちを集めたクラスで普通教育課程と同じように、キリル文字の書写や算数を教えており、それができない子どもには塗り絵を与える教育方法に対して、Sさんは生活習慣を身につける必要性を説き、学習ではゆっくり理解が進んでいく子どもに合わせた内容を教えていた。
モンゴルダウン症協会は公立学校教育とは別個に、自分たちで就学前と学齢期のダウン症児を対象に発達学習センターを始め、有料で子どもたちの教育を行っている。JICAと提携して、2016年6月から2017年5月まで知的障害のある子どもたちのインクルーシブ教育プロジェクトをウランバートル市内の第130番普通学校で行った。発達学習センターに通っている子どもたちが体育、音楽、美術などの時間にパイロット学級で一緒に授業を受けるプログラムだった。
NPOニンジン草の根事業で支援しているサインナイズセンターには、第55番特別支援学校に通学しているダウン症のT君がいる。4校ある知的障害特別支援学校のうち、3校は9年間の教育課程で、卒業後は就職する場がなく在宅になる子がほとんどだが、第55番学校は12年間の教育課程を持ち、卒後職業教育を行っている。2018年10月に見学に行った時には、ホテルを模した部屋で掃除機をかける練習をしているT君に会うことができた。部屋の隅にある大きなダブルベッドはリネン交換練習のためのもの。

ダウン症協会のカフェができたよ
渡航活動の休日に、長年付き合ってきた保育士のKさんと、午後からお茶をしに外に出た。2010年には彼女が働いていた保育園の1室を借りて障害児を指導していたので、毎週土曜日の午後に通っていた。子ども達に話しかけるモンゴル語のフレーズを習ったり、クリスマス会、独立記念日の集いを撮影させてもらったりで、役に立ったとは言い難い。彼女はその後、2011年9月からNGOスジャータシャンドを立ち上げて、ゲル地区に住む在宅障害児の訪問保育を続けている。image1 (2).jpeg
10月初めというのに寒い日続きだったが、この日は暖かく、着込んできたダウンコートの下で汗をかいてしまった。ゾリクサンの敷地内にある路地を入って行くと、奥まった場所に平屋づくりのカフェの建物がある。赤い屋根に黄土色の壁は、中庭に置かれた緑と赤に塗り分けられた大きな滑り台と釣り合ってメルヘンチックな雰囲気を醸し出している。日本企業の資金援助でこの建物を立て、ダウン症の青年たちが働き始めたところだ。カウンター席に座ったら、T君も赤いエプロンをしめて、慣れない手つきでコーヒーと焼きサンドを運んで来てくれた。キッチンとレジはお母さんたちが取り仕切っている。壁に貼ってあるメニューを見て注文するのだが、Kさんは「メニューに番号をつけて、番号をキッチンに伝えたら、誰でもできるよ」とアドバイスをしていた。彼女はここ数年、ダウン症発達学習センターで幼児保育をしており、メンバーの信頼が厚い。
カウンターの奥は大木を輪切りにしたテーブルを囲むベンチ席で、壁にはフクロウの額や観葉植物がかかっており、濃い緑から淡い緑まで様々な色合いのハート形の葉が群がっている樹が描かれたダウン症協会のパネルが置いてある。image2.jpeg
知的障害を持つ若者達が働き始めた場所として、モンゴルのテレビにも報道され、ダウン症協会メンバーの集いの場所としても活用されている。ダウン症カフェは「オユンさん」とゾリクサンの後押しもあり、青年達を社会にデビューさせる役割を果たし始めている。NPOニンジンが支援しているもう一つの障害児センター、ゲゲーレンセンターでお母さん達が手作りしている石鹸をカフェで販売してもらえないかと、ただ今交渉中である。
(2018.12.17)





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