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ラテン日系留学生

私たちは中南米で生まれ育った日系人です。
現在、日本財団から奨学金をいただき、それぞれの夢の実現のために日本で猛勉強中です。
「中南米日系人から見た日本」をテーマに、28人のラテン日系留学生が毎週記事を掲載します。乞うご期待!


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運動会 [2006年10月30日(月)]
秋といえば、読書の季節であり、果物の季節です。そして、なんと言ってもスポーツの季節でもあります。そのスポーツの中で、今回は、“運動会”をテーマにします。

 私がブラジルで住んでいる地域の運動会は日系人協会という団体が日本の文化の一つとして、年間の行事に含まれています。だから、参加者は、その町に住んでいる日系人たちが主です。どのような運動会かというと、日本で従来行われていたような地域での運動会に似ていると聞いたことがあります。

 場所は日系人協会の土地の野球場か、広場(小学校の運動場以上広いのもある)。等です又は、個人の土地などで行われるのが一般的です。青少年と若者が運動会の雰囲気づくりの準備をします。プログラム作成をしたり、賞品を選んで1〜5等賞までに小分けして包んだり、参加賞(主にトイレットペーパー、鉛筆、消しゴム、ペン等)、当日に売る飲み物(主に炭酸ジュースとビール)や食べ物(アイスキャンデイ、手作りお菓子等)を用意したりします。

日本語学校に通っている子どもたちは、赤、白、(緑、黄)に分かれ、競争(玉入れ、リレー、かけっこ、等)を学校に来たときに、何回か練習します。年齢が様々なので、同じぐらいのレベルになるように日本語の先生は工夫して分けます。運動会は、主に子どもたちが中心としたプログラムになるので、先生は運動会全体の中心にたって指導するのがまれにあります。

 そのような運動会を経験している二系人の私が、今年は幸運にも保育園・小学校・中高学校の、3つの運動会に行くことができました。



保育園では、小さな広場で園児がかけっこしたり、お遊戯したり、可愛さいっぱいでした。そして、園児よりも、参加者が何倍か多かったです。そこで目立つのが、元気なお祖父ちゃん、お祖母ちゃんでした。



小学校では、子どもたちが赤白の団体競争で、協力し合い、励まし合い、応援している姿が感動的でした。



中高学校の運動会では、生徒の数に圧倒されました。競争というより、デモンストレーションの技術が印象に残っています。

3つとも、それぞれ異なるところがありましたが、運動会の心身から感じる楽しさ、面白さ、喜び等は同じでした。一人ひとりの輝いた表情がとても印象深かく、心がゆさぶられました。日本での留学生活3年目の秋のエピゾードでした!

葛尾あゆみネイデ

一期生

パラー州 ブラジル出身 
大切な人 [2006年10月27日(金)]


前にもいったように私の大学は、山を越え、谷を越え大学の周りは緑だけという所に住んでいるもので毎回大学の話しか皆さんに報告ができません。本当にすいません。

今回は大切な物について語りたいと思います。皆さんは新しい友達を作るとき浅く広く付き合うほうですか?それとも、深く狭くの付き合いをする人ですか?

新しい出会いがあると同時に沢山の分かれも経験してきました。私は留学を何度か続けている中、友だちとは浅く広く付き合うものだと考えていました。しかし日本に来て一人の特別な人に出会う事ができました。日本にきて間もないときには、度々ホームシックにかかった私を慰め、励ましてくれました。つらい時には自然と私のそばにいてくれました。

しかし、日本にいる期間が長くなるにつれて色々な出会いを重ねるうちに彼女の存在を大切にしていない自分がいました。態度が変わった自分に対し、影で私の悪口や不満を言うのではなく彼女は直接私に言ってきてくれました。彼女に面と向かって言われた時にどれだけ自分が彼女を苦しめ、傷つけたかを感じました。

私たちは自分達にとって大切な物を失ってから気づく事が度々あります。いつも当たり前だと思っている私たちの周りにいる家族、友だちも、本当はかけがえのない存在であります。しかし、あまりにも当たり前になって、周りが見えなくなってしまいがちです。私は特に一つのことに集中すると周りが見えなくなってしまいます。

間違った事をした時にちゃんと注意してくれ、正しい道へと導いてくれる親友ができた事がとても幸せです。皆さんもこれから色々な貴重な出会いがあると思いますが、一つ一つの出会いを大切に“広く深く”付き合っていける事を祈っています。

最後に私の好きな詩を紹介します。

☆ 一人で空を見上げると、自分が小さく感じる。

でも、君と見る空は、とても大きな空に見える。

自分が分からなくなった時君はいつも私に「君は君だよ。」という。

その言葉は普通の言葉だけど君が言うと魔法のような言葉だ。

今度は、私が君に言うよ「君は一人じゃないよ」


この言葉がみなさんにとって魔法の言葉になるといいな(*^―^*)♪

吉田 香
パラグアイ出身
3期生
秘密 [2006年10月23日(月)]
  入学式からもう六ヶ月ほどがたちました。教室や先生の研究室の位置、食堂のメニューなど、学芸大学について大分詳しくなりました。しかし、学芸にはただ普通に暮らしているだけではわからないことがたくさんあります。そういった学校のパンフレットにも載っていない学芸の秘密を、少しではありますが知ってもらおうと思い、学芸大の秘密を少し教えします。
学芸大学の敷地は昔軍事施設だったと知っていますか?
  その昔、小金井市や国分寺市には多くの軍事施設がありました。その中の一つに今の学芸大学の敷地が含まれていたのです。学芸大学の敷地は「陸軍技術研究所」の一部でした。何をしていたところなのかは、残念ながらわかりません。その関係か、学芸の電気系統は地下に埋まっているのだそうです。学校に電線が無いのはそのためだということです。
地下に埋まっているのは電気関係のものだけではなく「学芸大学の地下には道がある」との噂があります。学芸大学の敷地が軍事施設だった頃、地下を掘り、道を作ったという噂があるのです。この噂には実しやかな尾ひれがついています。「その地下道は吉祥寺まで続いており、そこから地上に出ることができる」「地下道に入ったことが大学にばれると退学処分になる」などなど。真偽のほどは定かではありませんがなかなか胸のわく噂だと思いませんか?
  ところで、みなさんは「学芸大学駅」という駅があるのを知っていますか?
  学芸大の本当の最寄駅は中央線の国分寺駅、武蔵小金井駅ですが、東急東横線には「学芸大学駅」が目黒区に存在します。この駅、統合される前の世田谷分校の近くにあったためにこの名前がついたのでしょうが、もちろん現在この駅で電車を降りても、学芸大はどこにもありません。学芸大が1964年に小金井に移転してから、もう何十年も経っていますが、いまだに国公立大学2次試験で、この「学芸大学駅」に行ってしまう受験生もいるといわれ、受験生にとっては要注意の駅です。ちなみに、学芸大学付属高校は、この駅の近くにあります。
  四月に大学に通い始め悩むことも多くありましたが、今では大学に通うことがとても楽しいです。その楽しみの一つが、11月2日から5日まで開催する学園祭です!!!興味のある方は是非見に来てください。来るときは...駅には気をつけてくださいね。

アルゼンチン
二期生
古堅 マリア クラウディア 和賀
日本財団ファミリー [2006年10月20日(金)]
 昨日、筑波大学に中米ホンジュラス国にあるザモラノ大学の学生3名が訪問しました。
エクアドル・コロンビア・コスタリカ出身の農学部卒業生は日本財団の奨学金制度でサモラノ大学農学部を卒業し、ラオス・カンボジャ・タイ・日本・アメリカの農業を見学・研修している最中でした。(以下にこの奨学金制度の説明)

 筑波大学では、僕がいる果樹研究室のブラジル出身の特別研究生、エクアドル出身の大学院生と3人で我々の研究内容・世界中の果樹栽培に関して話をいました。試食には日本ナシ・りんご・ブドウを用意しました。

大学の果樹園を見学した時


夜は東京で「日系スカラーシップ」の留学生たちと交流をしました。

サモラノ大学留学生と「日系スカラーシップ」留学生との交流会


世界中の農業を見学・研修することは彼らにとって最高(そしてとても大切!!)な経験だと思います。訪問した国の文化や農業技術をみにしたた3人の話を聞くことが出来ました。
そして、日本財団の数多くの奨学金制度の留学生たちとの交流重要だと実感しました。
日本財団の様と様の「スゴイ」発言もありましたが、それは次回に期待してください・・・

Gustavo...ではなくて Robson!!! (Por favor!!!)
ブラジル出身
日本財団「日系スカラーシップ」留学2期生

(日本財団HPから)
サモラノ農業大学〜中南米の農業分野のリーダーを育てる〜
経済的理由から学業を断念する学生のために 
 ホンジュラスの首都テグシガルパ郊外にあるパン・アメリカン農業大学(サモラノ農業大学)は、中南米諸国の農業分野におけるリーダーの育成を目的として1941年に設立された。中南米およびカリブ海諸国18カ国の870人の学生が農産物産業、農業科学、農業事業経営、社会開発等を学んでおり、卒業後は各国の農業セクターにおいて活躍する人材を育成している。
 留学生の多くは奨学金に頼っている。しかし、家庭の事情や自国の経済状況によって学費を支払うことが出来ず、入学条件を満たす学力を有しながらも、入学を断念する学生や、学年の途中で退学する学生もいる。

自国の農業発展に貢献する意思のある若者をサポート
 このため日本財団では2002年度より、経済的に困難でありながらも優秀で、かつ卒業後は自国の農業発展に貢献する意志をもつ若者に対し奨学金の給付を開始した。今年度はエクアドル、グアテマラ、ボリビア等の66人に奨学金を支給している。

中南米の安定した食料供給をめざす 
 日本財団は本事業を5ヵ年計画で実施する予定であり、奨学生は卒業後、行政やNGO等で農業開発や地域開発に従事し、各国の発展に貢献することが期待されている。
カルチャーショック [2006年10月18日(水)]
日本に来て、カルチャーショックはあった?と何度か聞かれたことがある。

言葉は大体話せるし、実家はまだ日本人的な習慣を残しているから、そんなに驚くことはなかったけれど、あえて言うなら一つ思い浮かぶ

日本に来て間もないある日電車で、空席がなかったので立っていたら、私の斜め前に座っていた人が、下車するために立ち上がった。
その人の正面に立っていたのが男性だったし、近くに他の女性もいなかったので、
「どうぞ」
と言って席を譲ってもらえると思い、荷物を荷台からおろして待っていた。

すると、席が空いた途端に、男性はそこに座っちゃったんです。

…あれ?

今ではもうそれが自分の中でも当たり前だけど、今までパラグアイで、電車はなくともバスの中で必ず男性には席を譲ってもらっていたから、衝撃だった

しかも、下手に席を勧めると
「年寄り扱いされた」
と憤慨する女性もいるとかいないとか。

考え方が違うのかなぁ、と驚かされた出来事でした。
日本での思い出 [2006年10月16日(月)]


初めて日本に来たときの話をしようと思って、さっき「初めて日本に来てから、一体どのぐらい経ったのかな」と思っていたら、「ええ・・・もう9年間になるんだぁ!!」と気づいたのです。つい最近のことのように思い出しますけど。

初めて来日したのは1997年12月で、妹と一緒に2ヶ月のホームステイ・プログラムに参加するためでした。当時、私は日本語があまりできませんでした。「私の名前はパトリシアです」、「20歳です」のような簡単なことしか言えませんでした。反対に、私の妹はペルーで長い間日本語を勉強していたこともあって、彼女のほうが日本語ができました。そのため、その2ヶ月の間は、私は日本人とコミュニケーションをとるほとんどの場合、妹に頼りました。

来日してから一番初めに覚えた言葉は「疲れた」という言葉です。なぜかというと、空港でホームステイ先の家族と初めて会ったとき、「疲れた?」と聞かれたからです。妹にその意味を聞いて、わかりました。

その後も、ホームステイをしている間、少しずつ簡単な単語を覚えていきました。しかし、ペルーに帰ったら日本語を勉強しないといけないと強く思ったきっかけは、ある日、私はホームステイ先の家族と一緒に食事をしていたときのことです。そのとき妹は一緒にいませんでした。お父さん、お母さんと二人の娘さんが話していて、私について何か言っていたのですが、一人の娘さんが「彼女の前ではそんなことを言わないで」というようなことをお父さんに言うと、お父さんは「大丈夫、彼女は何もわからないから」と答えていました。そのお父さんの言葉を、私ははっきりと理解することができました。

ホームステイの間、いろいろなすばらしい経験ができましたが、そういう少しつらいこともありました。しかし、つらいことのおかげで「日本語を勉強しないといけない」と思うようになり、その後、日本語を勉強するために再び来日して、今回が3回目の来日です。日本語を話せるようになり、なんともいえない幸せな気分です。

中村パトリシア
3期生
ペルー出身
https://blog.canpan.info/pattynakamura/
海外に出る日本人 [2006年10月13日(金)]

僕は先月の1ヶ月間ピースボートという船に乗りました。
900人もの日本人乗客を乗せて世界一周旅行をする旅です。

この中には半分ほどが若者で半分が年配の方でした。その間の人たちはみんな
仕事をしていて、3ヶ月も時間を取れないからあまりいない。
この船の旅行がはじめての海外経験という人も少なくはなかった。

22カ国もの国を訪問し、あらゆる文化と向き合うのですが、僕はこの1ヶ月間その
日本人たちと現地のひとたちの真ん中に立って、通訳をしました。

そこから見えてきた日本人と各国の人たちとの交流がこの旅で一番印象に残ったのかも知れない。
なぜかというと、日本人が自分の慣れていない環境で一生懸命にコミュニケーションをしてみて、思っていなかったいろんな実態が分かったからだと思う。


最初にガイドの通訳を行わなければいけなかった場所がモロッコだった。このツアーでは30人ほどの年配の方とバスに乗り、市内観光をして5星ホテルに泊まった。
5星は5星でも、モロッコの5星は日本人の目からしてかなりひどかった。笑

担当者と僕は30人のツアー参加者をチェックインさせた後、ロビーで一時間ほど残った。
なぜかというとすぐにみんなから苦情がくるだろうとツアーリーダーに言われたからなのです。
チェックインして5分、ロビーのベルがなり、60歳のおばさんから苦情を聞いた。
「お手洗いにはスリッパがないから持ってきてちょうだい」
50代のおじさんから、「部屋にティッシュペーパーがない!」
30代の「お姉さん」からは、「顔用のタオルがない!」と言われひとつひとつの
クレームを受付の人に訳した。


予想していた通り、受付の人も怒っていた。「いままでこんな苦情は初めてだ!ここをどこだと思っているんだ?」といわれたけど僕は頭の中で「だってここ5星ホテルでしょ?」と彼につっこんでた。

ちょっとうるさい客だったのかも知れないけどやはり彼らは日本の常識をそのままモロッコで要求していた。普通、モロッコのホテルではお手洗いにスリッパは使わない。まして、顔タオルとかはない。ミニタオルはあったのにそれよりも小さいものがほしかったみたい。
せっかく世界旅行しているのだから、各国の常識を分かっていってほしい。
ティッシュペーパーを要求したおじさんはトイレにティッシュを見つけていた。


次の日、かれらにモロッコの事情をはなすといやいやながらも納得してくれた。
町並みやたくさんの不思議な建物でみんなは少しずつもモロッコに溶け込もうとしていた。

人は、自分の常識のほかにも違う常識が存在するのだと気づいて、なおかつそれを受け入れられたら、もっともっと快適に人生を過ごしていけると思う。

1期生
チリ出身
打村 明
http://blog.canpan.info/akira
日本とペルーとでは教授法が全然違う [2006年10月11日(水)]


今回、見学が私にとってどんな意味を持っているのかを話したいと思います。

日本で医学画像を研修した時、日本の教育方法がどんなものなのか学ぶことが出来ました。この教育の仕方にとても驚いています。日本人はいつでも技術に磨きをかける、能率的な人と良く世界で言われています。

今回の医学画像の見学で日本の教育方法も教えてくれました。


まず、見学の意味を分かっておきました。漢字にもあるように見学は実地に見て知識を得ることです。従って日本では良く観察するのは本当に大切なことです。

噂によると魚をもらうより、魚を釣ったほうがいい。研修生がそれを分かれば、先生達は研修生に初めて教え始めます。研修生が自分の無知をさらけ出せば、先生達は教え始めます。

最初に研修生は先生の仕事中に邪魔をしないのを習わなければなりません。
それが出来るようになれば、研修生は先生のそばで作業をすべて見ることが出来ます。そこから色々な細部を点検できます。

もう一つ、研修を続けていくと研修生が先生にいい質問を伺えるようになります。質問が良ければ、先生は答えます、悪ければそのまま流される。どうしてかと言うと、研修生の言葉について先生は知識を評価しているのだから。

研修生がうまく上達したら、先生はさらに物事を教えてくれます。研修生の母国語で話してくれるときもあります。

悲しいことにペルーでは私達は魚をもらっているだけで、釣る方法は学んでいません。

3期生
ペルー出身
岸本グスタボ
人生の道 [2006年10月09日(月)]
今日のお話は個人的な経験として読者と共有したいと思います。

日本に来てから、目的を手に入れ最初から最後までの計画がちゃんと決まっています。
毎日何をする、何時から何時まで全部頭の中でパソコンみたいぐらい組織されています。

こういう生活なんてだいぶ慣れてきたけど、自分自身前と今はいろんな面で変わったなと考える時もあります。

前はあまり厳しいスケジュールを守れないものだったのに、どうやって慣れてきたかな自分もわからない。年取ったかな〜

とにかく私のスケジュールといえば毎日病院に通うことで研究や講義もあって、一日はあっという間に夜深くに終了。

しかしある日、珍しくて何もない日だったこと。病院から早目に出ようと思って、いつもの帰る道を歩いて帰った。

しかし途中で「今日は良い天気だし、せっかく早めに帰宅できたのでちょっと散歩しよう」と考えながら違う道をとった。

するとあまり広くない道の手前に足が止まった、日照りがあまり通れないや静か過ぎるの道だった。しかも右側に神社の裏の壁がありました、あまりの異様な道で心がドキドキしました。

自分自身弱虫じゃないと信じて一歩出しました、怖いな何か出てきそうな感じがしながら歩いて続きました。それでどんどん自信が戻って、道の終わりに美しい夕日が見えてきた。

自分の反作用に笑って、人間ってやっぱり「New and Changes」のことを怖がって生きるのかなと思っていた。

皆さんどう思う?人生でにたような経験が起こると思わない?。新しいや知らない道よりよく知ってるや昔の道が良いと考える方が多いだと思う。

あるベストセラーについて人間は人間としてChanges「変更」に大パニックになるや恐れるも普通、しかし良く考えると人生もそういうものだ。

人生は「Changes」という意味、今日の自分は明日の自分と微妙なレベルで変わると事実だ。

だからこそ恐れるより、笑顔で前に向いて新しい道があったら自身満々歩いて行きましょう。

きっと私の経験と同じように、道の終わりに美しい夕日が待っていると信じながら。

古木 マキ
1期生
ボリビア
立ち食いラーメン [2006年10月06日(金)]



築地の「立ち食いラーメン」を食べてきました〜
東京は都会化して、路上での立ち食いや屋台料理屋が減ってきました。健康ブームになったいまでは、安く・衛生的なチェーン店の方が好まれる傾向があります。それでも、築地では行列を作るほど人気のある醤油ラーメンの秘訣は何でしょうか。。。?



三畳もない小さな場所でラーメンを作り、決して衛生的とは言えないし、味は普通で、値段も安くはありません。それに行列が出来るので、素早く食べられるわけでもないです。南米には立って、5分で食べる習慣もないので、人気の秘訣が余計に理解しにくいです。



確かに築地には、築地にしかない昔ながらの雰囲気、生活、人々がいます。高層マンション、オフィスビルに囲まれていては味わえない雰囲気です。毎日の生活に追われて、「地下鉄、ビル、人混み」の生活から、一時逃げ出せる場を築地にあるのかもしれません。




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