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ラテン日系留学生

私たちは中南米で生まれ育った日系人です。
現在、日本財団から奨学金をいただき、それぞれの夢の実現のために日本で猛勉強中です。
「中南米日系人から見た日本」をテーマに、28人のラテン日系留学生が毎週記事を掲載します。乞うご期待!


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現生人類が食べていたもの [2006年09月29日(金)]

現生人類となった時に主食にしていたのはあくまでも当時入手可能な食物であったことは確かであり、その時に食べていたものがヒト本来の食物になるといえるのだろう。
熱帯から亜熱帯に近い温帯に当てはまる、アフリカ、アジアは食用植物の起源からみるとじつに多くのエネルギー源になる食用植物の原産地になっている。アフリカではアフリカ稲、そら豆、ささげ、ゴマなどがあり、アジアでは稲、そば、あわ、大豆、小豆、里芋などの起源の地になっている。主食になる穀物類の起源の地と現世人類の起源の地がいっしょだったことは偶然の出来事なのかもしれない。しかし、何らかの形でこれが現世人類を生き残らせ、その後の繁栄に大きな役割を果たしたことは間違いないだろう。

先祖返りした食性
進化の流れに添えば、ヒトは完全な植物食になっていても不思議ではないのに植物性と動物性の食品をほぼ等量ずつ食べるようになったことである。ヒトは他の霊長類と違って、発達した大脳と言語を持っている。それゆえ食糧を生産することを覚え、世界各地へ移住することができた。しかし、このことが霊長類としての進化における食性に限っては大きく変化させることになったのではないだろうか。

ヨーロッパ・アフリカの食性
現在、世界各地に住む人々の食事を見てみると完全に植物性の食品を食べて生活をしている人々からエスキモーのような肉食者までいる。ヨーロッパ、アメリカではかなり以前から多量の肉類、乳製品が摂取されている。世界の多くの人が穀物を主食としている中、このような肉類、乳製品の摂取が行われた背景について考えると、これはその厳しい気候に大きな関係があるようだ。植物が豊富な地域から生活圏を拡大し、厳しい寒さ、または乾燥地域など暮らさなければならない時、ヒトはその土地にあるものを利用することになる。ヨーロッパは寒冷な気候のため主食となるような植物がとれなかった。だから牛や豚を飼いヒトの食べられない草を食べさせる代わりにその肉と乳を主食とした。ヨーロッパの人にとって肉類、乳製品の利用は生き残るための必要な手段であった。

日本の食性
日本は温暖な気候と豊かな土壌に恵まれ、肉類や乳製品を必要とせずに生きてきた。しかし、戦争が終わって急速に発達した栄養教育の中身はヨーロッパを根元とするものだった。その後日本は経済的な発展に支えられ、所得も増えたことで大きくヨーロッパ的な食事を取り入れることが可能になった。肉類や乳製品を多く取り入れ、日本の食事は豊かになったと言われるが同時にヨーロッパ人と同じ病気、今までにはなかった病気まで取り入れることになるとは思わなかった。戦前までの食事は動物界から見てもヒトの食性にかなっていたといえる。そして今は進化と風土に逆行する道を益々歩んでいるのではないのだろうか。

ハマグチ・パトリシア
一期生
ブラジル
日系人の缶コーヒー [2006年09月25日(月)]

この写真は某飲料メーカーの缶コーヒーです。テレビCMで見た
ことある人がいると思いますが、少なくともここ8年間ここま
で積極的かつ明確に日系人のイメージを起用したCMはなかった
と思います。

時代の影響もあって、ワールド・カップで南米の国々が徐々に
注目されるようになり日系人が話題になることもありました。
しかし、「ハルとナツ」というNHKのドラマが放送され高視聴
率を記録したことで日本人が日系人に対して今までと違ったイ
メージを持つようになったのは間違いないでしょう。

個人的に初めてこのCMを見たとき驚きと誇り両方の気持ちがわ
いてきました。その後ふと思いました。「日本人は日系人に対
してどういうイメージを持っているのだろう...」と。皆さ
んはどう思いますか?

3期生
ブラジル出身
福島マルセロ
孫・ひ孫への贈り物 [2006年09月22日(金)]

 「あなたは、この絵をみて、何をそこから想像しますか?」 
 私は今年の5月、一ヶ月間神戸市にある公立小学校に教育実習へ行きました。クラスは4学年に入りました。その中で、何回か授業実習というのがあり、その一つに社会科でゴミについての授業実習をしました。それが、そのときの絵です。
 この絵の元はブラジルのテレビCMから一部取り上げたものを図画工作の先生が書いてくれた物です。CMは「あなたが捨てたカンは孫、あるいはひ孫への贈り物になるのですよ!」という訴えです。
 この絵をみて、子どもたちは「おばあちゃんがいらないカンを孫にあげている???」
「おみやげ???」と、はじめは疑問に思ったが、何回かの話し合いをしているうちに
「カンはほっておくとずっとずっと残るから、今、もし自分が捨てたら、お父さん(お母さん)になって、子どもができ、その子どもの子ども、”まご”の時まで残るんだ!」
「そんな長い間のこるの」
「ええぇ、そんなのあげたくない」
というような話し合いになりました。世界中がポイ捨てに困っていることを実感し、それぞれがゴミについて深刻に考えました。

 4学年では”くらしとごみ”と いうタイトルでゴミについて色々な学習をします。クリーンセンターを見学したり、パッカー車(収集車)の仕組みを身近で見たり、話を聞いたりします。
 そこで、一人ひとりが思うこと”僕はポイ捨てしないで・私もしないよ・・・”「誰がしているの???」  「ポイ捨て誰がしているの???」  
「私はしません!」 「ポイ捨てはやめましょう!」
と、多くの人が、全ての人が言う日を信じて、孫やひ孫にゴミを贈り物にならないように!  
 
日本での思い出 [2006年09月20日(水)]
皆さんこんにちは、夏休みも終わり九月十日に大学が始まり、今は夏期集中講義の真っ盛
りです。
でもまだ夏休みボケから回復してない自分は毎日地獄を見ています。
もっと夏休み中に勉強しとけば良かったと反省しているばかりです。
千葉に来てもはや半年がたとうとしています。初めて会った人たちも今はだいぶ第一印象
と変わってうわべだけの付き合いではなく、肉親みたいになってきています。
心から信用できる人、一生付き合っていきたい親友や学内だけの付き合いの友達など色々
な人間関係を経験しています。
また、日本人は他の国の人たちに集団性が強いといわれています。
お風呂に入るとき、食事の時、登校するとき、また勉強する時も一緒という感じでした。
本当に私は団体生活が出来るのかとても不安でした。私的には中のいい友達でも24時間一緒に毎日過ごすとどんなに好きな相手でも嫌な所が見えたり、また自分の嫌な所が相手に見えたりするのではないのかと思っていました。
多少のいざこざはありましたが今は部屋民がいる事、部屋を3人で共同に使っている事、
お風呂も共同などなどが苦にならなくなりました。
むしろ今は一人でいたら不安になります。日本に来て一度もホームシックにかかっていないのは、今私の周りにいる人たちのおかげかもしれません。
しかも私が日系パラグアイ人だという事も今はほぼ忘れているような気がします。
人種に関係なく心許せる仲間と出会えた事がとても幸せです。

パラグアイ国
3期生
吉田香
なぜこんな所に?? [2006年09月18日(月)]
生まれて始めて日本へ来たのは小学校2年生の時でした。5回目となる今回ですが、国内のいくつかの観光地へ行く事が出来ました。今回書かせていただくのは、2002年に研修生として来日した時に研修先の職員と一緒に行った旅行の事でした。

飛行機の窓から見えた日本海・小さな空港・美しい緑の山地。レンタカーで山に向かう途中、2〜3時間全く車とすれ違わなかった事にビックリ。行き先がどんな所か全く分からなかったので Jeans&Yシャツ+普通の運動靴カッコでした。

駐車場に着いたら、一休みしてから散歩を二人で始めました。だんだん森の中に入り、斜面も少しずつきつくなってきました。汗もかき、Gパンはあまり良くない選択でした。散歩のはずだったのが途中からは登山に変わっていました:地面から出てた木の根っ子をはしごとして登ったり、ぶら下がっていた鎖につかんで石を登ったり、せまぁぁぁぁぁい石で出来た通りを祈りながら渡ったり・・・ 富士山の頂上まで行った僕でも本当に大変でした

時計を見るひまも余裕もなかったうちに、大きな鐘のある場所に到着。そこの鐘を力強く突くと、それまでたまっていた疲れが全部体から消えるような感じがしました。音も美しくて最高な気分でした。

それから少し進むと目的地へようやく着きました。上を見ると山の斜面に岩窟(cave)のような所にお寺が見えました。「どんなやって昔の人はお寺を建てる材料をここまで運んできたのだろう??ヘリコプターなんか当時(約1300年前の事らしい)には無かったし・・・」。立っていた所から見えた気色・風景には感動しました。とても言葉に表す事が出来ないほどの美しさでした。

そこは鳥取県の三徳山(みとくさん)にある「三仏寺投入堂」(さんぶつじなげいれどう)でした。最初に書いた「小さな空港」は米子(よなご)空港でした。Gパンは泥だらけで帰ってからの洗濯が大変でした。靴は使えなくなりました。  それでも僕にとっては一生忘れられない体験でした。



{http://www.pref.tottori.jp/c-sougou/mitokusan/index.htm
http://www.kanko-otakara.jp/webapps/Contribute/Parser.do?codes=31%7C0815063978%7C313645&prefix=02x01_9MCKI5238zP&l_code=02
甘いもの [2006年09月15日(金)]
 来日してから早くも1年5ヶ月が経ち、日本の生活にもすっかり慣れました
 最近、こんなことがありました。近所を散歩していたら、カレーライスの匂いがしてきたのです。とっさに、「あ、ここは、日系の家族が住んでいるんだな」と思いました。
 私の母国では日系人しかカレーライスを食べないからです。でも、あれちょっと、待って。日系人よく考えたらここは日本だった。だれでもカレーを食べるんだった。慣れすぎて緊張感がなくなったんでしょうか。それとも、単純なボケなんでしょうか。「慣れる」ことは「充実した留学生活」の基本です。しかし、ささやかな疑問は大切にすべきではないでしょうか。私は少し、危機感を覚えました。
 では、ささやかな疑問とはそういえば、この間、昼食に団子のような甘いお菓子を食べる学生を見て違和感を覚えました。どうして食べる時間やお昼代がないわけでもないのに好んで昼食に甘いものを食べるのでしょうか。回りにいた学生に聞いてみました。「昼食に甘いもので済ませることに違和感はありませんか」答えは、異口同音に「ない」でした。それだけではなく、逆に、どうして変に感じるのと聞かれました。私にとっては、「甘いもの」は、朝食かおやつかデザートにしかならないので、昼食や夕食で「甘いもの」をいっぱい食べても食事をとった感じがしないのです
  私の母国では、食後に必ずといっていいほど、デザートを食べますが、日本では、元々そんな習慣がなかったため、「甘いもの」でも食事としてなりたつのかもしれません。食べるという行動は、単に体内が必要なエネルギーをとるということではなく、人間の習慣を大きく反映するものなのですね。日本に慣れてきた私ですが、いまだに昼食のパンは、「塩辛い」ものを買っています。今後は、「甘いパン」だけで昼食を済ませることに挑戦してみようと思います

古堅マリア クラウディア和賀
二期生
アルゼンチン出身
ブラジルの大学生活 [2006年09月13日(水)]
今回は僕の大学生活に関して書かせていただきます。

僕は南ブラジルの「サンタ・カタリーナ州」 (Santa Catarina) で生まれ・育ちましたが、大学は850キロ離れている「サンパウロ州」 (Sao Paulo) の田舎の小さな町で農学部を5年間通いました。実家までバス1回乗り換え・合計15時間もかかりましたので、年間3〜4回程度しか帰る事はできませんでした。

大学は午前中4時間・午後4時間、週5日間でした。日本の農学部とは少し違うと感じた点は:ブラジルでは実践の時間が多い事、そして農作物栽培が中心です。もう一つ:授業中に寝ている生徒・携帯電話を使う生徒は見かけない事。もしもあったら、先生に注意される、あるいは教室から出されます。

学外では、同じ日系人6人と4LDK程度の家を借りて、お手伝いさんもいました。その人が昼食・洗濯・掃除をしていました。夜は僕たちが(結構上手に)料理を作っていました。全員スポーツ好きでしたのでサッカー・野球・ジョギングなどで楽しんでいました。色んな人と共同生活する事は決して簡単ではありませんが、とても良い経験でした。


後輩の卒業式パーティー


同じ卒業式の時に、後輩の家族と家の前で撮った記念写真
高齢化 [2006年09月11日(月)]
メディアで頻繁に高齢化が叫ばれているけれど、私が住んでいる町は若い人が多いので、日本にいながらも他国のことのように感じていた。

だけど、病院に行った時に驚いた。おじいちゃん、おばあちゃんの社交場みたいになってる。そうか、高齢化社会ってここにあったのか…。

長寿大国であると同時に、高齢化社会が進む国にいて、私の周りの学生の多くは

「長生きなんてしたくない」

と言う。若さゆえに命を重んじないのか、それとも介護する側の苦労、される側の切なさを感じているのか。

私の祖父はパラグアイにいて、日本での2度の脳腫瘍手術を経て今まで長生きしているわけだけれど、特に2度目の手術の後は寝たきりである。
食べる気も、起きる気も、話す気も失っていて、手がかからないと言えば大嘘だ。

私たちは、こちらにいくら手がかかっても生きていて欲しいと思う。
だけど、じいちゃんはどう思っているんだろう、と考えてしまいます。

ティナ
パラグアイ
日本の現代社会 [2006年09月08日(金)]
1ヶ月間伊勢崎市で在日ペルー人の教育について研究調査を行い、今週、名古屋に戻ってきました。というのも、伊勢崎市は全国で最もペルー人が多い都市であることから、同市に住んでいるペルー人の子どもやその家族を研究の対象として選んでいたからです。
伊勢崎市に行って一番驚いたことは、小さい都市でありながら外国人が多いということです。スーパーやショッピングセンターに行くと外国人をよく見かけます。伊勢崎市の人口は約21万人で、そのなかで約6%が外国人です。
しかし、実際にこの町に滞在し、町の状況を観察してみると、外国人と日本人の間の交流が少ないという気がしました。ペルーの人々に「日本人の友達がいますか」と聞くと、ほとんどの人が「いません」と答えます。日本人と一緒に仕事をしていても、友達になることはなかなか難しいようです。もちろん言葉の問題もありますが、それだけじゃないと思います。
ペルー人は、友達の多くが同じペルー人やブラジル人であり、さらにはペルーの食材を売っているお店が多くあるため、毎日ペルー料理を食べます。しかも、ペルーのテレビ番組が録画されたDVDやビデオが安くレンタルも容易であり、また毎週新しいビデオが入荷することもあって、ペルー人が日本のテレビを見ることは少ないです。
他方で日本人の方はといえば、伊勢崎市に住むペルー人は多いものの(約2755人)、ペルー人やペルーのことに興味を示す日本人が少ないという感じがしました。
そこで私には次のような疑問がわいてきました。それは、−−どうしたら日本人と外国人の間の交流機会が増えるのか、そして、どうしたら在日ペルー人社会がより開放的になって、うまく日本の社会に適合できるのか−−。
今週新聞を読んでいたら、日本の政府が今後在日外国人に関する様々な問題について調査を行うようです。在日外国人に関する問題はとても複雑だと思いますが、私はその調査結果をひそかに期待しているところです。

3期生
ブラジル出身
中村パトリシア
日本のペット&故郷のペット [2006年09月06日(水)]

覚えている限りでは、子供時代からいつも身近にペットがいました。
家族の中でも無類の動物好きだった私は、いつも何かしら拾ってきては、そのたびに家族を悩ませていました。

そんな私でも日本人のペットに対する扱いにはびっくり
なぜなら、飼い主と同じように毛を染められている犬、可愛いからとピアスをさせられたり、良く見かけるのが服を着せられボンレスハムのようになっている犬達。窮屈ではないのでしょうか?

初めて知人の家でそこのワンちゃんに触れて時、犬の匂いがしないのに驚きました
故郷では、どんなにペットを可愛がっても夜になると番犬という仕事が与えられていました。
しかも、日本の犬のように肥えているのはあまり見かけません。

こっちでは、人と犬の境界線でさえ無くなってきているように思えます。
犬と同じスプーンで食べたり、ワンちゃんが口をつけた食べ物を平気で口にしたり、少しやりすぎではないのかと思います。

犬のほうも自分と人間が同等なのだと思っているかのように見えます。一度、知人に『うちの子が』と言われ、子供だと思ったらワンちゃんだったことがあります。その時は、『男の子ですか?女の子ですか?』と聞いて、『男の子です』と言われたのでまさかペットだとは思いもしなかったのです。

裕福な暮らしのペット達を横目に明日食べるものすらない人々が大勢いる世の中、本当にこのままでいいのかなと考えさせられることがよくあります。

1期生
パラグアイ出身
上杉ゆき
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