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ラテン日系留学生

私たちは中南米で生まれ育った日系人です。
現在、日本財団から奨学金をいただき、それぞれの夢の実現のために日本で猛勉強中です。
「中南米日系人から見た日本」をテーマに、28人のラテン日系留学生が毎週記事を掲載します。乞うご期待!


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タブー [2006年07月31日(月)]

日本に来たばかりの頃。私の移住地は面積も広いため、部落に分かれている。運動会では、部落対抗のレースもしたりする、ということを知人に話したときのことである。

「ティナさん、"部落”という言葉は使わないほうがいい」

と言われた。

その時は深く質問することもできなかったので、後になって図書館に行って調べてみて驚いた。自分が全く想像だにしなかった日本社会が、そこにあったからである。

もちろん移住地では「部落」は「集落」の意味で使われているし、両親も部落問題に関しては知らないらしい。

本を読んでいて、
「寝た子を起こすな」
という考え方があることも知った。何も知らない人に、わざわざ差別社会があることを教えて、問題を広げるようなことはするな、という考えである。

私はこれに賛成している。じゃあ、ここに書くのは大いなる矛盾になってしまうけれど、日本に来て一番驚いたということ、日本のことを沢山勉強したし、日本人の血を引く者でありながら全く知らなかったという悲しさがあったので、敢えて書かせていただきました。

ティナ
パラグアイ
2期生
ペルーの独立記念日 [2006年07月28日(金)]


今日7月28日は、ペルーの独立記念日です。ペルー人の皆さん「Felices Fiestas Patrias!!!」(独立記念日おめでとう!)。ペルーは独立してから今年で185年目です。

私は日系ペルー人です。父と母二人とも日系人です。しかし、私の国籍はペルーで、母語はスペイン語です。

私には日本人の血が流れていますが、心はペルー人だと思います。しかし、私の考え方や習慣はどうなのでしょう?ペルー人のようによく約束に遅れますが、日本人のようによく遠慮もします(笑)。

私はペルー人ですけど、日系人家庭の中で育って、小さいころから日本の文化や習慣の影響を受けているので、私の考え方や習慣は他のペルー人とちょっと違うと思います。

日系ペルー人としてペルーのことも日本のことも、両方大切に思っています。ペルーのライフスタイルやペルー人の暖かさが好きで、日本の安全、日本人の親切さが好きです。

しかし、故郷は一つしかないと思います。私の場合、故郷はペルーです。そして、ペルーは日本のように安全ではなく、まだ発展途上国ではあっても、私にとってすばらしい国で、とても好きです!!

皆さん、機会があったら是非ペルーに来てください、ね。

Feliz Dia Peru!! Y felices 185 an~os!! (ペルー、185周年おめでとう!!)

中村パトリシア
ペルー出身
三期生
初めまして!! [2006年07月26日(水)]
皆さんこんにちは!

看護学を勉強させて頂いている吉田香です。

ほとんどの大学や専門学校は夏休みだと思いますが、皆さんはどうでしょうか!?楽しんでいますか?

私は、今年の夏休みは経験をかねて病院で一ヶ月ほど働く事になりました。

まだ働き始めて約二日目なのですが、新しい自分を見つけまくりの毎日です。

学校でもちゃんと勉強して、少しでも看護師さん達の役になろうという思いでこの仕事を始めたのですが、手伝うどころか仕事を倍以上に増やしているような気がします。

思っていたよりも患者様とコミュニケーションがとれず、ケアーをしている最中沈黙になってしまいます。絶対患者さまに心配と不安を与えてしまっていると思います。

第一日目は魔法瓶を落としてしまい、ガラスの破片が床一面に飛び散りました。

二日目は洗髪をし終わった10リットルほどの水を床にこぼし床が洪水状態になってしまいました。

明日は私の三日目の勤務です。明日は何をしでかすのか今は不安ばかりがつもります。

こんな不注意な私を見捨てず一生懸命育てようとしてくれる周囲の人々に、感謝の気持ちでいっぱいです。

とても人情深く、暖かい人たちばかりでビックリ日本というよりもあっぱれ日本!という感じです。

これからもめげずに前向きにいこうと思っています(^−^)


吉田香
パラグアイ出身
3期生
映画に行った時 [2006年07月24日(月)]


私はペルーの医者です。病院で色々なことを見ました。それで、あまりびっくりしません。しかし、去年はたくさんのことに驚きました。

 日本に来るのは初めてなので、日本のイメージが目に浮かんだのはハイテクやすばらしい超高層ビルや狭い所などでした。しかし、成田に到着した時、最初にみどりの広い田んぼを見ました。

 それはとても信じられませんでした。そのほかに、看板や道しるべなどには全部日本語で書いてあることにもびっくり!しかもこんなに進んでいる国なのにほとんど英語が話せません。

 国際空港を出た後で、横浜へ行きました。疲れていたせいか、駅を寝過ごしてしまいました。

次の朝、私は本当に驚いて物も言えませんでした。海から日の出を見ました。大きい公園や静かな町や広い大通りなどが目に入り感動しました。ここは日本なのだろうか。全てが想像とは異なっていた。
 
映画を見に行ったときに、一番驚く事件がありました。その時、ニカラグアの友達と「スパイダーマン2」を見に行きました。終わった時、ともだちが美しい女性を見て、一緒に写真をとってほしかったのです。

私は女性に「すみません、とまだちと写真を撮ってくれませんか」と言いました。しかし、女性が右を向いた時、おかまだとわかりました。大変ビックリしました。
ハズカシ〜!

岸本 グスタボ
ペルー出身
3期生
ボリビアの声 [2006年07月21日(金)]


この間、私の国から気になるニュースが入って来ました。
去年政府の規則として燃料費が上昇する事になった時に全て始まりました。国民経済はもうボロボロだったのでその刺激で不満の気持ちで社会的な革命を起こした。その結果、私のふるさとサンタクルース市の国民は自治権を要求しました。つまり、サンタクルース市の生産や経済を自主的に管理をしたいと国民が求めました。

ボリビアは9つの県にわけられて、その中の4つはサンタクルースを始国の東部、亜熱帯と知られています。ボリビアの東部と西部は民族性の多様化であり、素晴らしい国だと思っています。しかし、残念ながらはるか昔からボリビアの地理的な分割は自国民の心に影響されたそうです。東部と西部、スペイン人子孫とインディオ(先住民)、お互いに差別して悲しい現実だ。



現在の要求に賛成ですが、サンタクルース市民としてではなくボリビア人として私の国を支えていきたいと思う。ボリビアは領土を始め、自然の豊かさや生産能力も十分であります。多分、国民者の力をあわせたら、それぞれの地域の管理を自主的にしていても数年後我々の国は期待を超えるかもしれません。だからこそ心を込めてボリビアを東部から西部まで、田舎から都会まで、全ての地域が統合するまで政府にがんばってほしい。「頑張れボリビア!」。

古木 マキ
一期生
ボリビア
いらっしゃいませ〜 [2006年07月19日(水)]


「いらっしゃいませ〜」


この決まり文句はどこの店にいっても聞こえてくる。
しかもめちゃたか〜い音程で発せられる。
日本に帰国してからもう2年もたっているけれど、
いつもこの高い声に違和感をもっていた。

特にエレベーターの中で、小鳥みたいな不自然な声で
「お客さま、何階へおこしでしょうか」と問いかけられると
同じ声で答えたい気分になる。

日本はとても礼儀正しい国なのに、どうしてサービス業の
人たちはこんなバカにするような声で話すのだろうか

最近、この理由がわかった!
バラエティ番組で解説されてたのですが、
声を変えて話す理由というのは、
「お客様」と「従業員」の
声の区別をするためなのだと言う。


なるほど!もしエレベーターが満員のときに
従業員の声が聞き分けれないと混乱する。
そういった細かいところまで指定しているのには
驚いた。

日本のサービスのそういった小さい心遣い
にこのごろ関心しています。

ここまでお客を大切にするのはいいことですが
逆に日本のお客さんがわがままになってしまうのも
そのおかげでもあるのかもしれない。笑

南米に戻ったとき、自分は日本のサービスを
なつかしく思うと思う。

打村 明
一期生
チリ
http://blog.canpan.info/akira
日本と漫画 [2006年07月17日(月)]


多くの外国人にとって、日本人の大人が漫画を読んでいるのは珍しいことが多いです。「南米では基本的にアニメは子供たちのため」と言う意識が強いです。しかし、日本では高校生からサラリーマンまでが漫画を読んでいる姿を見るのは当たりまえとなっています。


日本に来て間もない頃、駅のホームでスーツ姿をした35歳前後の男性が、カバンから大きな「本」を出したのを見ました。表紙がカラフルだったので気になって良く見たら、週間漫画雑誌でした。この人は電車に乗るときも、乗っている間、降りるところまで、漫画から一瞬も目を離すことがありませんでした。「何がそんなに面白いんだろう〜?」と不思議に思いました。


しかし、良く見れば、駅だけではなく、コンビニ、本屋、バス停、街角、バス、喫茶店、公園などでも漫画を読んでいる大人が良くいることに気が付きました。


「この白黒の世界で、目を丸く大きく描かれた主人公たちのどこがそこまで魅力的なのだろうか〜」と興味を持った私は、ある本屋に入って驚きました。そこには色、大きさ、話題(SF、アドベンチャー、恋愛、ホラーなど)様々な漫画がずら〜りと並べてありました。成人向けの漫画まであるみたいです。日本の漫画の世界がこれほど普及しているのにビックリをしました。

現在日本では活字ばなれが懸念されていますが、漫画やアニメの単行本を手にする人は多いように思えます。
幅広い様々な好みに合わせて、描かれている漫画は年代の壁を越えて、現在年間600億円の非常に大きいになっていると聞きました。しかも日本のアニメは年々世界からも注目されるようになっています。

これも新しい日本の文化の一つなのかな?


朱山カレン
コロンビア
1期生
ペルーの日系語 [2006年07月14日(金)]


ペルーの日系人はほとんど日本語が話せません。
第2次世界大戦中に日本人に対する暴動や差別が激しくなって
日本語を使用しなくなった一世が殆どだと聞いています。

それでも単語単語が残っていますが、微妙に日本語の本当の意味とずれていることがあります。殆ど「日系語」の様な感じになっています。
例えば:

「マッチ」は日本語でマッチですが、ペルーではライターを頼むときも「マッチ」を使います。

「マクラ」は家庭の中で、普通に使用していた言葉なので、子供の頃はてっきりスペイン語だと思っていました。小学校一年生のときに、実家に泊まりに来た友達に「マクラとって」と頼んで、通じないのを見て、初めて日本語だと知ったのです

「便所」は子供の頃から使っていました。しかし「便所」は下品な言葉であることを知ったのは日本に来てからです。小学校5年生だった僕は先生に片言の日本語で「便所ある?」と聞いたら、先生に変な顔され、注意されました。「『便所』はよくないから『お手洗い』『トイレ』を使いなさい」と言われたことは今でも記憶に残っています。

「姉さん、兄さん」は普通の日系人のおばさんやおじさんを呼ぶときに使います。おまけに親戚でもない人にも使用します。知らない日系人に使っても、嫌がられることなく、逆に親しみを感じることが多いです。

それから「ゴハン、寝巻き、布団、ありがとう、いただきます、おはし、バカ」などもよく使われています。

少し話しがずれますが、今でも日本語が使える日系1世や2世は「古い〜日本語」がそのまま残っているので、非常に違和感を感じます。それに無意識のうちにスペイン語の単語を混ぜながら話すから、日本人にとって本当に理解しにくいと思います。

数年前、ペルーに日本人の従兄弟が遊びに来ました。父方の親族が集まり、歓迎会を開き、そのとき、父の一番上の兄に当たる人と日本語で話をしていました。おじさんは自分のことを指すときは必ず「私」ではなく「ヨ」を使っていました。「が若かったころ〜」「が日本に行ったとき〜」「は寿司が好きだ〜」と言う感じでした。

おじさんの目を盗んで、従兄弟が僕に「おじさん自分のこと凄く偉いと思っているの?」と聞かれて爆笑しました。実はスペイン語で「」は「Yo(ヨ)」なのです、だからおじさんはスペイン語と日本語を混ぜながらはなしていたのです。それを説明したとき従兄弟は「あ〜なるほど〜、おじさんが嫌いになる寸前だったよ〜を使うし、単語も古いから分かり難いし。。。」と言ってくれました。

ペルーでこの様に日本語が変化して行くのは面白いと思いませんか?
今、日本で日本語を覚えたので、間違っているところや微妙な意味の違いに気がつくことが出来るのですが、それ以前は何の違和感もなく使っていました。


Kitsutani Hernan
日系ペルー
1期生


個人ブログでも日本での思ったことなど書いていますので、
良かったら覗いて見てください〜。
日系ペルーリンク
  ↑↑↑↑↑↑↑
日系留学生の一日 [2006年07月12日(水)]


私は日記やブログを書いたことのないひとです。
今は研究や勉強で毎日、目が回るように忙しいです。
書くとしたら実験レポートや報告書や論文などです。
読んでもつまらないに違いない。
ここで日本へ来たばかりの留学生日記から
奪ったものを紹介したいと思います。
この作文を読んで皆さんにとって
今日もすばらしい一日でありますように。


午前7時30分。目覚まし時計がなりました。またちょっとねる。

午前7時55分。おきましょう!
冷蔵庫にはなにもありません、だから朝ご飯が食べられません。
たいへんつかれた、でも駅へ行かなければなりません。
はやく、行きましょう!そとはあついです。
とおりでは私はトイレのかみのようなものをもらいます。おもしろい。
駅についたとき、私のポケットはトイレのかみでいっぱいです。
電車にのりましょう!電車の中には私のうまれたまちの人口と同じぐらいの人がのっています。私は8人のサラリーマンと2人の学生の間でつぶされました。

午前8時55分。大学の駅につきます。
コンビニへ朝ご飯を買いに行きたいです。
でも、時間がありません。だから、まだ朝ご飯は食べられません。
つかれた、おなかがすいた。

午前9時00分。勉強しましょう!
日本語をよみます、かきます、わすれます。むずかしいです。

午前12時10分。ついにたべられます。
食堂へいきましょう!私は日本語でとりにくと
ご飯Mサイズをちゅうもんする。カレーライスがくる。
そうですね。日本語がんばって。

午後1時05分。けんきゅうしつへいきましょう!
宿題をします。ます−formや、て−formや、
た−formや、ない−formなどを勉強します。
学生とはなします:“げんき?はい、げんき”。
私は日本語がじょうずです。

午後4時10分。スポーツをみましょう!
たくさんの人はサッカーをします。たのしい、でもあついです。

午後6時55分。うちへかえりましょう!
つかれた、おなかがすいた。冷蔵庫にはまだなにもありません。
そうですね。ラーメンのレストランへ行きます。
私は日本語でラーメンをちゅうもんする。ラーメンがくる。
すごい!私は日本語がじょうずです。

午後8時20分。テレビをみる。
ぜんぜんわかりません。日本語がんばって。

午後11時55分。ねむい。

午前7時30分。目覚まし時計がなりました。
またちょっとねる。
変わってゆく日本 [2006年07月10日(月)]

南米のペルーから日本に来たのは10年前。勉強嫌いな私は東京に住んでいる祖母に呼ばれ、日本語能力試験の勉強をし始めた。最初の頃は大変だった。

まず言葉に関するカルチャーショック、それに日本人の厳しさ。当時アルバイトをしていたが、一緒に仕事をしていた日本人の同僚が急に笑い出し、「私は間違ったことでもしたのかしら」と、とても不安だった。しかし、言葉を学ぶことにしたがって、日本人のジョーク、考え方や価値観などを理解できるようになり、日本や日本人がとても好きになった。

南米人のように自分の気持ちを正直に表現しないが、日本人はとても優しくて、違う形でその心の暖かさを伝えるということもわかるようになり、それをとても深く感じた。

電車に乗っても、回りの人のことも気を付けながら「迷惑にならないように」と心がける日本人がとても素敵だと思った。しかし、現在の東京の電車の雰囲気は10年前より冷たい。お年寄りや身体の不自由な方に席を譲る人が以前より減ってきたようで、大変悲しいことだと思う。又、駅のトイレで手を洗った後、自動蛇口ではなかったにもかかわらず、そのことを忘れて水を流しっぱなしでトイレを出ようとした私自身に気付いてビックリであった。あまりにも機械に慣れてしまって、自分も機械的になってしまったような感じでとても怖くなった。。。

Sasaki Rocio
ペルー
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