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ラテン日系留学生

私たちは中南米で生まれ育った日系人です。
現在、日本財団から奨学金をいただき、それぞれの夢の実現のために日本で猛勉強中です。
「中南米日系人から見た日本」をテーマに、31人のラテン日系留学生が毎週記事を掲載します。乞うご期待!


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日系人として生きるということ [2009年09月10日(木)]


先日、ペルー国籍の日系人と知り合い、彼とその家族から日系人として生きることの厳しさを聞くことができた。そしてその多くは私自身も経験していることだったので強く共感したのでブログに書くことにした。

日系人は二つの祖国を持つと言われているが、ペルーではjapones(日本人)と言われ、日本に来るとペルー人と呼ばれる。つまりいずれの国でも外国人として扱われているということ。この点についてパラグアイは親日的な国なので特に差別を受けるというようなことはなかった。

就職に関しては彼は日系人が運営している派遣会社から派遣されて働いているのだが、その賃金は同じ仕事をしている日本人よりも低く、外国人であり日本語も話せないという弱い立場にあるため不景気になった今、仕事がなくなっているということ。

この様な話をしていたが、彼とその家族はやはり南米という環境で育ったせいか、とても明るく笑いながら話をしてくれた。彼の太陽のように明るい笑顔がとても印象的だった。

パラグアイ出身
日系スカラーシップ4期生
飯田博子

私の異文化体験 [2009年04月29日(水)]
私はブラジルから参りました三世の日系留学生です。祖父母は日本で生まれ、移民としてブラジルへ渡りました。そのおかげでブラジルで生まれ育った私は少し日本の文化や習慣が身に付いています。

日系人の私はブラジルや日本にいる時には「ブラジル人じゃない」とか「日本人じゃない」などとよく言われました。なぜなら私はブラジル人の明るさと気楽なライフスタイルを持っているし、日本人の真面目な性格や親切さも持っているから私は半分ブラジル人で半分日本人です。

ですからブラジルにいても、日本にいても、異文化体験を感じます。

ブラジルにいる時にいつもびっくりするのは無駄使いです。ブラジルは国が広いだけではなく、天然資源も多いからみんなは自由に水や食材や紙などの無駄使いをします。そして私は日本人のようにもったいないと考えます。

ぎゃくに、日本にいる時には一つの事をよく感じます。それは日本人は自分の気持ちや考え方をはっきり言わないことです。相手のほうが自分より大事だから自分の意見をちゃんと伝えません。私は相手を大事にすることはとても良いことだと思いますがあまり自分の意見や気持ちを伝えないと人々の関係を深めることが難しくなると思います。

異文化体験にとまどうところは多いのですが、グローバルな人間になるために、すごい良い勉強だと信じています。

崎山メリーナ
ブラジル出身
6期生

僕の考え方 [2009年03月05日(木)]
先月、僕はインドに行きました。 インドについて良いことがいっぱい書きたいけど、日本語で説明することができないので もし、良かったら このリンク見てください: http://www.nikkeiportal.com/nikkei 

今回、僕の考え方は教えてもらいたい:

- 自分の目標に立ち向かおう,ただし人を傷つけてはいけない.

- 今日できることを明日に持ち越すな.

- 自分自身と自分の可能性を信じよう.

- 幸せになろう,そしてその幸せを周りの人々に広めよう.

- 愛し,愛されよう.

- 決断しよう,そしてその結果を受け入れよう.

- 良いことをしよう,しかし見返りを期待してはいけない.

- いつも笑顔でいよう,いつか誰かがあなたに微笑み返してくれるはずだから.

- 人生があなたに与えるささいなことにも最上の喜びを感じるように生きよう.

- 夢に目覚めよう,そしてすばらしい夢を持とう.あなたが迷ったとき,それがあなたを導いてくれるはずだから.



磯谷セイジ
ブラジル
3期生
 
異文化共存 [2009年02月06日(金)]
 日本では、12月の忙しさを師走(しわす)ということがあります。私にとっては、修論の締切、発表から始まり、出前授業、大学の留学生活動と多忙な1月となり、師走が少し遅れてやってまいりました。


 
写真は1月の北海道生協の発行物で執筆したものです。


 下は、北海道大学留学生センターの「インターナショナル・トーク」に参加させていただいたものです。


インターナショナル・トークは、大学学内部・外部の人に留学生のお国について自由にお話をするものです。

 この機会に私は、日本(北海道)の方になじみの薄い
「パラグアイ」
の一般情報、歴史、文化について紹介させていただきました。
また日本とは位置的にも文化的にも対照(私見)なパラグアイで現在日系人はどのような暮らしをしているかについて、実体験にもとにお話をさせていただきました。

 終了して質疑の時間では(後で感想もたくさん届き感激です)、日系人について集中しました。

 お話の中で私は日系人の頑張りと現地の人との友好関係について、

現地の方を雇用するまでに至っいる

と表現したことに対して

「現地の方は日系人のもとで働くのは賃金設定が良いからあり、納得しているといえるのですか?」

という質問がありました。

 確かに、私は親の仕事を見ていて現地の人と友好な関係のもと雇用関係にあると勝手に思いこんでいたことで、直接本人に聞いたことはありません。

 ほぼ自給自足で平和に大自然の中独自の文化で暮らしていたのが、突然外国からきて、開拓始め、日系移住地を作り独自の文化を展開していく現状をよく思われない方がいても当然です(雇用をうむ、発展を別として)。

 しかし、20数年暮らしてそのようなことを感じたことがなかったのは、私が鈍感なのか、パラグアイ人があたたかく異文化をあるがままに受け入れてくれた寛大からなのでしょうか?
歴史的にパラグアイ人は読み書きや田畑を耕すことをスペインから来た伝道師により教わります。(環境破壊や経済大恐慌が言われている今、文明開化が必ずしもいいとは言えないかもしれませんが、現在のパラグアイはあることは事実です)
また植民地であるスペイン人に対しても友好的であったと記されていることからも、後者であると思われ、また思いたいです。


 あらためて異国で日系人として生きていく上で、移住当初あたたかく受け入れてくれた各国への感謝をわすれず、これからもさまざまな場所で日系人として活躍をしていきたいです。


四期生
パラグアイ
シノトウ リョウコ
ペルーの文化紹介 [2008年10月20日(月)]
 私は日系3世ペルー人で、5歳の時から現在までずっと日本に住んでいますが、両親とも日系2世ペルー人であることから、ペルーの文化や習慣、スペイン語習得に関しては大変厳しく指導してもらいました。当時はほぼ強制的にやらされていたので、嫌々やっていたのですが、現在では日本とペルー双方の考え方や言語を習得できたことには両親にこの上なく感謝しています。

 滋賀県では、外国人住民が3万1575人(平成19年12月時点)と大変多く、多文化共生や外国人住民に関して積極的に興味を持って頂けることが最近では大変多くなりました。そこで、地元の小中高等学校等では国際理解の勉強の一環として、文化紹介や交流を通じた授業が設けられることも大変多いのです。

 私自身ペルーの文化紹介を時々行うのですが、そこで常々感じることは、「母国のことを知っていて本当に良かった」ということです。正直、私は人生のほとんどを日本で過ごしているので、ペルーに関しては知らないことがたくさんあります。しかし、私の知っている限りの情報を日本の方にお伝えし、知っていただくことで、今まで聞いたこともなかった「ペルー」という国が少しでも身近になり、興味を持ってもらえるということは大変有意義なことだと考えています。また、子どもたちの積極的な参加や質問は大変貴重ですし、私自身勉強になることがたくさんあるのですが、高学年になればなるほど、恥ずかしくて質問ができないという傾向はあります。しかし、低学年の子供たちは素朴な質問や疑問をどんどんしてくれるのですが、この光景は本当に微笑ましいものなのです。そして、文化紹介終了後日に先生の方から送ってくださる子供たちのアンケートに書かれているフィードバックや率直な感想は何より嬉しいのです。
 国際交流や国際理解と言うと、おおごとのように聞こえますが、このような形での活動は十分国際交流になっているし、相互理解への第一歩だと感じています。

 これらの活動を行うとき、私はダブルで生まれて本当に良かったと感じます。小さい頃から日本に住んでいて、大変な思いや苦労もたくさんありました。だけど、今このように両国のルーツを持つ者だからこそできる活動に携わることができ、大きな遣り甲斐と生きがいを感じています。日系人である私たちにしかできないことを、これからも積極的に行い、日系人である自覚と誇りをもって生きていきたい。

ペルー出身
5期生
チャベス・トレイシィ
サンバとマンガを併せ持つ日系人アイデンティティー [2008年07月24日(木)]
 先月に英語新聞JapanTimesの取材を受けました。6月19日号のものでプリント版はもう手に入れられないのですが、オンライン記事は今でも読めるので、気になった方はご覧になれます。

ブラジル日系人のアイデンティティーについての記事のはずが、ブラジルでの日本製マンガの人気や在日ブラジル人の境遇などと広く話してしまいました。もちろんこの記事だけで自分の思いは伝え切れなかったのですが、英語圏の外国人にもアピールできるチャンスだと思って、長い時間話してしまいました。

日本には現在200万人程の外国人は既にいますが、これは人口の2%にも満たない割合ですので、日本人はまだまだ外国人になれていない状況です。今後日本の人口が少子高齢化により減少し、ますます外国人移民の存在が重要になってくると思います。しかし、このまま外国人の数が増えれば、「未知に対する警戒」という心理が動いて、外国人に対する風当たりが強くなる可能性もあります。

例えば警視庁が発表する報告書の中でも、誤解を与えるような文章も書いてありますし、メディアでの捉え方も公平なものばかりではありません。しかし、これらを見て行動を起こさなければ状況は変わらないでしょう。

私は日系人が日本人と外国人が上手く付き合うように手助けが出来ると信じています。顔が日本人で心が外国人を持ち合わせてる私達こそ、両側を繋ぐ架け橋になれると。

日系人は今でも母国では「日本人」と呼ばれ続けています。それは日本では「外人」の概念と同じく、自分達とは違うことをさし、軽蔑語としても使われていました。しかし先祖の努力と勤勉さが実り、母国では高い社会的ステータスを手に入れることに成功し、少なくとも現在のブラジルでは「日本人」は頭が良くて、信頼できる民族と認められています。最近では閉鎖的だった芸能界でも段々と日系人が成功をし始めています。もちろんサンバが踊れないとか、サッカーが下手とかは今でも言われ続けていますが、それもそのうちになくなると思います。つまり、日系人はブラジルでは100年かけて偏見を打ち壊すことに成功したのです。

しかし、その尊敬されている民族である日系人がデカセギとして20年前日本に来た時は、まさに100年前と変わらない待遇を受けたのです。安い労働力として見られ、日本人がもうやりたくない仕事ばかり与えられ、日本語が出来ないからバカにされたり、騙されたりなど日本人が移民した時と同じ苦汁を味わったのです。つまり、歴史が繰り返され、残念ながら移民した日本人がブラジルで苦しんだ時の教訓が活かされなかったとの見方も避けられないでしょう。

でも、視点を変えると悪いことばかりではないと私は思います。デカセギ現象が始まってまだ20年しか経っていません。この20年間ですでに単純作業から抜け出して、豊かな生活を送っている日系人も多少いますし、日本のトップクラスの大学を卒業している日系人もいます。日本のプロスポーツなどで活躍している日系人もいれば、大手企業で勤めている日系人も何人もいます。

顔が似いているせいか、日本語さえ話せれば、日本人には親しみやすく、警戒されなくて済む。ただし心はやはり外国人、ラテン特有なおおらかさ、修羅場を生き抜いた生命力、不安定な社会を経験して身に付けた応用力、“未来への不安”など当たり前でものともしない頼もしさなど最近の日本人に欠けてるものを幾つも持っています。これらに日本人特有の努力、計画性、勤勉さ、組織力、などを日本に住んでから身に着けば、最強の組み合わせになるのではないかと本気で思ったりもします。

日系人は両側のいいとこどりが出来る恵まれた存在だと自信を見つめ直し、自信を持って苦難に挑むべきです。「母国では日本人+日本では外人=自分はどっちでもない」のではなく、「=両方である」と自覚すればアイデンティティーの問題は簡単に解決でき、自分の可能性を幅広く活かし、成功できると思います。

そして多くの日系人が成功すれば「外人」は軽蔑語でなくなり、無根な警戒をされる所か、スポーツ以外でも賛同を得る日がくることを願っています。100年を経て南米で「日本人」がそうであるように。
続きを読む...
日本でも、”Home sweet home” [2008年03月10日(月)]
私の日本での留学生活が間もまもなく4年目になります。
最初ホームシックで泣き虫だったのに自分自身でも驚くほど日本に慣れてきました。日本にいる間、人生の大きな変化になったので本当に来て良かったと思っています
それにしても、何年経っても生まれ育ったボリビアのことは忘れられません。時には懐かしくてどう使用もなく、国の思い出に襲われる事もあります
そんな時に効果のある方法を見つけました。それは故郷ボリビアの料理を作ったり、何か聞いたり見たりすることです。
 例えば、ある日ボリビア風の料理が食べたいなと思い自分で作るしかないので作ってみました。ラテン音楽を聴きながら、踊りながらなんとかボリビアの「肉のエンパナダ」をマキ風にできあがりました
エンパナダという料理は、鶏肉や牛肉を玉ねぎとトマト、オリーブ、ゆで卵、レーズンと色んな調味料で味付けて焼いてから小麦粉で作った皮に餃子みたいに包みます。

この前うれしい事に、初めてボリビアのコーヒー豆を発売されていたお店に入りました。そこで、ボリビアだけでなくブラジルやニカラグアのコーヒー豆も買えます。ボリビア
のコーヒーってこんなに美味しかったのかと久しぶりに味わいました。

最後に面白い事に、数年前ブラジルのサオ.パウロに行ったとき、有名なショッピングモールで外食をしました。その時ボリビアだけで作っているはずと生まれてからずっと思っていたおやつを発見しました。それは「Pão de Queijo=ポン.デ.ケイジョ」 でした。私の国では 「cuñape=クニャペ」か「rosca=ロスカ」と呼ばれているおやつで、形や味もそっくりです。
また日本に来てからも、私の大好きな「cuñape」が「Pão de Queijo」と呼ばれ、色んな所で発売されている事を分かりました

日本では海外の色んな製品が手に入るので、外国人コミュニテイーにも便利です。日本に来る外国の方も私と同じに日本を記憶に残して欲しいです。ですから皆の力を合わせ社会を徐々にグローバルな考え方を持つように変化して行くことが大切だと思います。

古木 マキ
ボリビア出身
一期性
『ぼく・EU』絵本・卒業作品完成 [2008年02月22日(金)]
卒業の作品が完成しました

『ぼく・EU』というタイトルで絵本を作りました。主人公は日系ブラジル3世の男の子です。「自分とは何か?」と問うアイデンティティを考える年頃と”日系”ということの疑問を持ち出す時をスポットとした作品です。
 副論はneideのブログに載せましたので、こちらは簡単な冊子用の文章と絵本の表紙と一部のページを写真で公開します。


 
 日本に 住んでいる お父さんと お母さんはブラジル人で、
 ブラジルに 住んでいる おじいちゃんと
 おばあちゃんは 日本人だ。
 ぼくって 何人だろう?



ぼく EU

はじめに

ブラジルで生まれ育った日本人の子どもとしてのわたしと、日本で生まれ育った南米(ブラジル、ペルー、ボリビア等)の子どもたちを比較して、この自我に目覚める時期に日本で生まれながら日本の顔・形を持ちながらも日本人でない自分を見つめだした子どもの内面にスポットをあてた作品を作りたいと思いました。
私たちは様々な国で生まれ育ち、それぞれの国民性があっても、わたしたちは同じ世界に住んでいて、同じ地球で生きています。肌の色が違っても、人種が違っても言語が違っても、みんな人間であることには変わりないのです。同じ人間です。
又、別の観点から見てみると、わたしたち日系人は二つ、あるいはそれ以上の国の慣習、文化を見て触れて感じることができます。それは生まれ育った国々がそれぞれ持っている独自のものであり、国によって異なる考え方、社会性、道徳性、そこから生まれる価値観などです。我々、日系人として生まれ育った者としての特権だと思います。 
この絵本を日系の子どもが手にしたときに感じてほしいのは、自分が日系人であること、日本人の血が流れている自分を尊重し、誇りを持つことの大切さであり、そして、どちらの国の特徴もよりよく活用していけばいいのだと感じてくれることを願っています。
絵本を読みながら、人間として生きているから悩んだり、苦しんだり、いろいろなことを考えるのであることを知ってほしいです。その中で、二つ以上の文化の中で育った人なら誰もがいつかは経験する感情であり、大人になるための大事な経験でもあります。だから、その気持ちを抑え込まず、こわがらず、自然に受け入れ、そのおもいを、勇気をもって出し合えるよう成長してほしい事を強くねがいます。

出会った子どもたちと私

三年間愛知県でブラジル人語学相談員をした時に、主に小学校と中学校合わせて40校以上を訪問しました。入学式から卒業式まで参加しました。高校進学が決まった生徒とは合格を共に喜びました。中学校卒業後就職が見つからず、駅でウロウロしている生徒を見て、何もできない自分の無力さに悩んだ、毎日が新しい出来事とのぶつかりでした。
外国籍の子どもたちの相談に接していると、私自身の、子どものころの出来事が思い出されます。父が、「ブラジル人はすぐ嘘をつく。理由なしに仕事を休んでは、次の日にわかりきった嘘をつく。借金が多くあっても平気だ。一年かけてためたお金をカーニバルの一週間で全部使ってしまう。借金までして遊びに行くなんて、信じられん。」とか、「手が早いのには参ったよ。置いてある物は全てもらっていいものだとおもっている。懸命に植えたものを平気で盗んでいく。文句を言いに行ったら、『食べ物や果物は全て神の物であり、神の物は誰の物でもない、皆の物である』という。神だと、何を言っているのだ。俺が植えたんだ!」とカッカして帰ってきたのを今でも忘れられません。
このように、父がブラジルのことを悪く言うたびに、心の中で、その都度、
「ではなぜブラジルにいるの?何でブラジルに来たのよ?」
「私も日本人の顔や形をしているのだから、日本で生まれたかったよ。日本の小学校に通いたかったよ」
「『目を開けろよ、日本人!』なんて目の形のことで知らない人から歩道でからかわれたりしないですむのに・・・」
とずっと思っていましたが、一度もこの気持ちを打ち明けたことがありません。
又、学校でも「アクセントがおかしいよ。こう言うのよ。直しましょうね。と先生にいつも注意されるのいやだよ」「音読が一番きらいだよ」「学校で、年に一回の祭り、参加したいよ」とも一度も訴えたことはありませんでした。ブラジル学校の勉強で分からないことがあっても、ポルトガル語を知らない親に聞くこともできなかったし、学校でのいざこざも特に話したことがありません。PTAの連絡があっても渡しませんでした。
 もう一方では、ブラジルの文化や習慣などに触れることも多くありました。特に家族愛というような、愛情の表現のしかたが一番好きでした。それに、全てに臨機応変で、心で動き、感情豊かで、陽気さの中で育ちました。
私が30年近く前に悩んだことを、いま、日本にきた子どもたちも同じ気持ちで目の前の問題に立ち向かっているのだと思います。あるいは私以上に悩みを多く抱えているのだと思いました。
くじけないで力をあわせて進んでいこうという私自身への言葉と子どもたちへの思いを絵本の作品として選び、在日している思春期の子どもたちの気持ちを表現できるようなものを作りたくおもいました。


終わりに

作品がほぼ出来上がる時点で、同級生、留学生、先生から多くのアドバイス・コメントをいただきました。文章の表現の仕方から文字のバランスなど細かく指摘していただきました。
「絵を見ながら読んで、すっと読むことができました」
「絵に表現があるから、文字はシンプルな方がいい」
「教材として使えるね」
と心温まる嬉しい言葉もいただきました。
また、展示場で絵本を手にとって下さった方がたは1ページ1ページゆっくりとめくり、熱心に読んでくれたこと嬉しく感じました。近いうちに絵本として出版できることを強く願っています。

素直な気持ちで、
全く工作が苦手な私が多くの人のアドバイスと励ましのおかげで完成することが出来た作品です。とても誇りに思い大事にしたいと思います。
学生生活もあとわずかですが最後までより良い学生生活を迎えたいと思います。多くの人の支えがあっての私です。心から感謝しています。そして、今後ともよろしくお願いいたします。


ブラジル国 一期生
葛尾 あゆみ ネイデ
 日系人の多様なアイデンティティ [2008年02月08日(金)]


 私は日系2世です。小さい頃から日系人社会とブラジル人社会の両方を経験しています。日本人の祖父母からいろいろ学んで、日系人であることを誇りに思っています。

 今年、ブラジルでは、日本人移民の百周年記念に、日系人の集中地域では様々な活動を行っています。私は最近、ブラジルで最も有名なテレビニュースを毎日ご覧になっており、ニュースで、日系人の活動に関して、多く取材しています。それらのニュースを見て、ブラジルは日系人を非常に尊重しているなと思い、感動します。ブラジルでは日系人コミュニティは2%を超えませんが、日系人コミュニティをポジティブな少数派として認められている。しかし、日本にいるブラジル人は、ネガティブな少数派の特集を抱えている。この両面的な特徴を抱えている日系ブラジル人のアイデンティティはどうなるであろう。

 自分自身は、日本とブラジルの文化を自分のアイデンティティに統合しました。しかし、両アイデンティティを統合するプロセスは簡単なものではありません。ブラジルにいると「日本人」と呼ばれます。日本に来ると「ガイジン」と呼ばれます。つまり、ポジティブな少数派からネガティブな少数派に変わります。

 留学生として来日する日系ブラジル人は、もしかしたら、このアイデンティティの変化を特に感じないかも知れません。しかし、デカセギとして来日する日系ブラジル人はもっと感じる傾向があります。私は、ブラジル人が集中している地域に住んでいます。他方、この地域に住んでいるブラジル人を対象に聞き取り調査を行っています。4年間、この地域に住んでおり、ブラジル人留学生としてではなく、デカセギブラジル人としてのアイデンティティの辛さを感じています。1ヶ月前、あるお店に私ともう一人の外国人が入りました。そして、店員さんはスピーカーで「不思議な人物」、つまり私たちに警戒を呼びました。

 ブラジルに移住した日本人は、ブラジルで努力をして、ブラジルの社会でポジティブなイメージを形成しました。それで、日本に住んでいる日系ブラジル人は、どのように日本でポジティブなイメージを形成できるであろう。

 それで私は感じました。日系人は様々なアイデンティティを持っており、多様性のあるグループだと思います。デカセギ日系アイデンティティ、ブラジルにいる日系人アイデンティティ、日系留学生アイデンティティなどの日系人アイデンティティがあります。
 この多様なアイデンティティに応じることは簡単ではありません。自分自身は、日本とブラジルの良い面を受け取って、自分のアイデンティティを形成続けようと決めました。ブラジル人、日本人、日系人としてではなく、もっと良い人間になれるようなアイデンティティを形成することを決めました。

 日本人移民の百周年記念の今年に、教育を通じて、様々なことを学ぶべきだと思います。例えば、日本人の子どもに移住の歴史を教えることは重要です。現在、日本では30万人以上の日系ブラジルや非日系ブラジル人が住んでいます。かれらは、何故日本に移民するようになったかについて学ぶべきだと思います。そして、ブラジルに行っているように、日本にも、日本人とブラジル人の交流が良い方向に導くために、いろんな政策が必要となります。

 私たちのアイデンティティ・ステイタスは関係なく、日系人である我々の生活史は、同じルーツを持っています。日系人の生活史は、数年前、我々の祖先が、ある遠い国に移住することを決めて始めた生活史です。このルーツが、我々を近づきます。

矢野パトリシア
ブラジル出身
四期生
アイデンティティー [2007年08月06日(月)]
アイデンティティー

私はペルーで生まれたのでペルー人です。
しかし、祖父母は「私達は沖縄から来たので、あんたは日系人だ」と言われていたが、そんな違いはあまり分からなかった。
幼稚園の時代に私は日系幼稚園で勉強して、別に何の感じも受けなかった。
英国系学校に入っていた私は段々人によると違いが分かってきます。
中学生で「チノ」と言われていました。スペイン語で「チノ」と言うのは中国人です。一番最初にペルーへの出稼ぎは中国人なので、ペルー人は誰かが切れ長の目をしたら、「チノ」と言われています。
大学まで日系のことが全然気づかなかった。
大学で日系人の恋人が出来て、彼女が日系社会に入れられました。
段々日系社会のことが分かってきて、驚きました。
それで、卒業の後で日系病院で働かせてもらえました。
家のボスは「消化器内科なら、日本に勉強してきて」と言われていました。
だから、日本に留学生にとして、勉強と研究しに来ました。
3ヶ月前に出したニュースでもう一度アイデンティティーのことを考えて見ました。
レンタル子宮に関して、日本人の受精卵でアメリカ人の子宮から生まれた赤ちゃんは両親の戸籍に登録させてもらえませんでした。どうしてかと言うと日本では法律が認めません。
これは全然分からなかった:
日系人二世は日本人です。
日本人は日系人じゃないと結婚し、子供が出来たら、日系人二世です。
両親は祖父母の戸籍に登録しなかったペルー人だから、私の場合はペルー人です。
韓国人の友達は日本で生まれたけど、日本人ではありません。
それでは、どうしてその赤ちゃんは日本人になれませんか?
遺伝子診断で赤ちゃんは日本人でしょうか。
病院で聞いてみたら、科学的に日本人だけど、合法的に日本人ではないと答えてもらいました。
先生達も分からなかった。

赤ちゃんの将来はアイデンティティーの問題です。幸福にペルー人です。


3期生
ペルー
岸本グスタボ
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