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ラテン日系留学生

私たちは中南米で生まれ育った日系人です。
現在、日本財団から奨学金をいただき、それぞれの夢の実現のために日本で猛勉強中です。
「中南米日系人から見た日本」をテーマに、28人のラテン日系留学生が毎週記事を掲載します。乞うご期待!


日系ポータル!日系留学生サイト
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日本でも、”Home sweet home” [2008年03月10日(月)]
私の日本での留学生活が間もまもなく4年目になります。
最初ホームシックで泣き虫だったのに自分自身でも驚くほど日本に慣れてきました。日本にいる間、人生の大きな変化になったので本当に来て良かったと思っています
それにしても、何年経っても生まれ育ったボリビアのことは忘れられません。時には懐かしくてどう使用もなく、国の思い出に襲われる事もあります
そんな時に効果のある方法を見つけました。それは故郷ボリビアの料理を作ったり、何か聞いたり見たりすることです。
 例えば、ある日ボリビア風の料理が食べたいなと思い自分で作るしかないので作ってみました。ラテン音楽を聴きながら、踊りながらなんとかボリビアの「肉のエンパナダ」をマキ風にできあがりました
エンパナダという料理は、鶏肉や牛肉を玉ねぎとトマト、オリーブ、ゆで卵、レーズンと色んな調味料で味付けて焼いてから小麦粉で作った皮に餃子みたいに包みます。

この前うれしい事に、初めてボリビアのコーヒー豆を発売されていたお店に入りました。そこで、ボリビアだけでなくブラジルやニカラグアのコーヒー豆も買えます。ボリビア
のコーヒーってこんなに美味しかったのかと久しぶりに味わいました。

最後に面白い事に、数年前ブラジルのサオ.パウロに行ったとき、有名なショッピングモールで外食をしました。その時ボリビアだけで作っているはずと生まれてからずっと思っていたおやつを発見しました。それは「Pão de Queijo=ポン.デ.ケイジョ」 でした。私の国では 「cuñape=クニャペ」か「rosca=ロスカ」と呼ばれているおやつで、形や味もそっくりです。
また日本に来てからも、私の大好きな「cuñape」が「Pão de Queijo」と呼ばれ、色んな所で発売されている事を分かりました

日本では海外の色んな製品が手に入るので、外国人コミュニテイーにも便利です。日本に来る外国の方も私と同じに日本を記憶に残して欲しいです。ですから皆の力を合わせ社会を徐々にグローバルな考え方を持つように変化して行くことが大切だと思います。

古木 マキ
ボリビア出身
一期性
『ぼく・EU』絵本・卒業作品完成 [2008年02月22日(金)]
卒業の作品が完成しました

『ぼく・EU』というタイトルで絵本を作りました。主人公は日系ブラジル3世の男の子です。「自分とは何か?」と問うアイデンティティを考える年頃と”日系”ということの疑問を持ち出す時をスポットとした作品です。
 副論はneideのブログに載せましたので、こちらは簡単な冊子用の文章と絵本の表紙と一部のページを写真で公開します。


 
 日本に 住んでいる お父さんと お母さんはブラジル人で、
 ブラジルに 住んでいる おじいちゃんと
 おばあちゃんは 日本人だ。
 ぼくって 何人だろう?



ぼく EU

はじめに

ブラジルで生まれ育った日本人の子どもとしてのわたしと、日本で生まれ育った南米(ブラジル、ペルー、ボリビア等)の子どもたちを比較して、この自我に目覚める時期に日本で生まれながら日本の顔・形を持ちながらも日本人でない自分を見つめだした子どもの内面にスポットをあてた作品を作りたいと思いました。
私たちは様々な国で生まれ育ち、それぞれの国民性があっても、わたしたちは同じ世界に住んでいて、同じ地球で生きています。肌の色が違っても、人種が違っても言語が違っても、みんな人間であることには変わりないのです。同じ人間です。
又、別の観点から見てみると、わたしたち日系人は二つ、あるいはそれ以上の国の慣習、文化を見て触れて感じることができます。それは生まれ育った国々がそれぞれ持っている独自のものであり、国によって異なる考え方、社会性、道徳性、そこから生まれる価値観などです。我々、日系人として生まれ育った者としての特権だと思います。 
この絵本を日系の子どもが手にしたときに感じてほしいのは、自分が日系人であること、日本人の血が流れている自分を尊重し、誇りを持つことの大切さであり、そして、どちらの国の特徴もよりよく活用していけばいいのだと感じてくれることを願っています。
絵本を読みながら、人間として生きているから悩んだり、苦しんだり、いろいろなことを考えるのであることを知ってほしいです。その中で、二つ以上の文化の中で育った人なら誰もがいつかは経験する感情であり、大人になるための大事な経験でもあります。だから、その気持ちを抑え込まず、こわがらず、自然に受け入れ、そのおもいを、勇気をもって出し合えるよう成長してほしい事を強くねがいます。

出会った子どもたちと私

三年間愛知県でブラジル人語学相談員をした時に、主に小学校と中学校合わせて40校以上を訪問しました。入学式から卒業式まで参加しました。高校進学が決まった生徒とは合格を共に喜びました。中学校卒業後就職が見つからず、駅でウロウロしている生徒を見て、何もできない自分の無力さに悩んだ、毎日が新しい出来事とのぶつかりでした。
外国籍の子どもたちの相談に接していると、私自身の、子どものころの出来事が思い出されます。父が、「ブラジル人はすぐ嘘をつく。理由なしに仕事を休んでは、次の日にわかりきった嘘をつく。借金が多くあっても平気だ。一年かけてためたお金をカーニバルの一週間で全部使ってしまう。借金までして遊びに行くなんて、信じられん。」とか、「手が早いのには参ったよ。置いてある物は全てもらっていいものだとおもっている。懸命に植えたものを平気で盗んでいく。文句を言いに行ったら、『食べ物や果物は全て神の物であり、神の物は誰の物でもない、皆の物である』という。神だと、何を言っているのだ。俺が植えたんだ!」とカッカして帰ってきたのを今でも忘れられません。
このように、父がブラジルのことを悪く言うたびに、心の中で、その都度、
「ではなぜブラジルにいるの?何でブラジルに来たのよ?」
「私も日本人の顔や形をしているのだから、日本で生まれたかったよ。日本の小学校に通いたかったよ」
「『目を開けろよ、日本人!』なんて目の形のことで知らない人から歩道でからかわれたりしないですむのに・・・」
とずっと思っていましたが、一度もこの気持ちを打ち明けたことがありません。
又、学校でも「アクセントがおかしいよ。こう言うのよ。直しましょうね。と先生にいつも注意されるのいやだよ」「音読が一番きらいだよ」「学校で、年に一回の祭り、参加したいよ」とも一度も訴えたことはありませんでした。ブラジル学校の勉強で分からないことがあっても、ポルトガル語を知らない親に聞くこともできなかったし、学校でのいざこざも特に話したことがありません。PTAの連絡があっても渡しませんでした。
 もう一方では、ブラジルの文化や習慣などに触れることも多くありました。特に家族愛というような、愛情の表現のしかたが一番好きでした。それに、全てに臨機応変で、心で動き、感情豊かで、陽気さの中で育ちました。
私が30年近く前に悩んだことを、いま、日本にきた子どもたちも同じ気持ちで目の前の問題に立ち向かっているのだと思います。あるいは私以上に悩みを多く抱えているのだと思いました。
くじけないで力をあわせて進んでいこうという私自身への言葉と子どもたちへの思いを絵本の作品として選び、在日している思春期の子どもたちの気持ちを表現できるようなものを作りたくおもいました。


終わりに

作品がほぼ出来上がる時点で、同級生、留学生、先生から多くのアドバイス・コメントをいただきました。文章の表現の仕方から文字のバランスなど細かく指摘していただきました。
「絵を見ながら読んで、すっと読むことができました」
「絵に表現があるから、文字はシンプルな方がいい」
「教材として使えるね」
と心温まる嬉しい言葉もいただきました。
また、展示場で絵本を手にとって下さった方がたは1ページ1ページゆっくりとめくり、熱心に読んでくれたこと嬉しく感じました。近いうちに絵本として出版できることを強く願っています。

素直な気持ちで、
全く工作が苦手な私が多くの人のアドバイスと励ましのおかげで完成することが出来た作品です。とても誇りに思い大事にしたいと思います。
学生生活もあとわずかですが最後までより良い学生生活を迎えたいと思います。多くの人の支えがあっての私です。心から感謝しています。そして、今後ともよろしくお願いいたします。


ブラジル国 一期生
葛尾 あゆみ ネイデ
 日系人の多様なアイデンティティ [2008年02月08日(金)]


 私は日系2世です。小さい頃から日系人社会とブラジル人社会の両方を経験しています。日本人の祖父母からいろいろ学んで、日系人であることを誇りに思っています。

 今年、ブラジルでは、日本人移民の百周年記念に、日系人の集中地域では様々な活動を行っています。私は最近、ブラジルで最も有名なテレビニュースを毎日ご覧になっており、ニュースで、日系人の活動に関して、多く取材しています。それらのニュースを見て、ブラジルは日系人を非常に尊重しているなと思い、感動します。ブラジルでは日系人コミュニティは2%を超えませんが、日系人コミュニティをポジティブな少数派として認められている。しかし、日本にいるブラジル人は、ネガティブな少数派の特集を抱えている。この両面的な特徴を抱えている日系ブラジル人のアイデンティティはどうなるであろう。

 自分自身は、日本とブラジルの文化を自分のアイデンティティに統合しました。しかし、両アイデンティティを統合するプロセスは簡単なものではありません。ブラジルにいると「日本人」と呼ばれます。日本に来ると「ガイジン」と呼ばれます。つまり、ポジティブな少数派からネガティブな少数派に変わります。

 留学生として来日する日系ブラジル人は、もしかしたら、このアイデンティティの変化を特に感じないかも知れません。しかし、デカセギとして来日する日系ブラジル人はもっと感じる傾向があります。私は、ブラジル人が集中している地域に住んでいます。他方、この地域に住んでいるブラジル人を対象に聞き取り調査を行っています。4年間、この地域に住んでおり、ブラジル人留学生としてではなく、デカセギブラジル人としてのアイデンティティの辛さを感じています。1ヶ月前、あるお店に私ともう一人の外国人が入りました。そして、店員さんはスピーカーで「不思議な人物」、つまり私たちに警戒を呼びました。

 ブラジルに移住した日本人は、ブラジルで努力をして、ブラジルの社会でポジティブなイメージを形成しました。それで、日本に住んでいる日系ブラジル人は、どのように日本でポジティブなイメージを形成できるであろう。

 それで私は感じました。日系人は様々なアイデンティティを持っており、多様性のあるグループだと思います。デカセギ日系アイデンティティ、ブラジルにいる日系人アイデンティティ、日系留学生アイデンティティなどの日系人アイデンティティがあります。
 この多様なアイデンティティに応じることは簡単ではありません。自分自身は、日本とブラジルの良い面を受け取って、自分のアイデンティティを形成続けようと決めました。ブラジル人、日本人、日系人としてではなく、もっと良い人間になれるようなアイデンティティを形成することを決めました。

 日本人移民の百周年記念の今年に、教育を通じて、様々なことを学ぶべきだと思います。例えば、日本人の子どもに移住の歴史を教えることは重要です。現在、日本では30万人以上の日系ブラジルや非日系ブラジル人が住んでいます。かれらは、何故日本に移民するようになったかについて学ぶべきだと思います。そして、ブラジルに行っているように、日本にも、日本人とブラジル人の交流が良い方向に導くために、いろんな政策が必要となります。

 私たちのアイデンティティ・ステイタスは関係なく、日系人である我々の生活史は、同じルーツを持っています。日系人の生活史は、数年前、我々の祖先が、ある遠い国に移住することを決めて始めた生活史です。このルーツが、我々を近づきます。

矢野パトリシア
ブラジル出身
四期生
アイデンティティー [2007年08月06日(月)]
アイデンティティー

私はペルーで生まれたのでペルー人です。
しかし、祖父母は「私達は沖縄から来たので、あんたは日系人だ」と言われていたが、そんな違いはあまり分からなかった。
幼稚園の時代に私は日系幼稚園で勉強して、別に何の感じも受けなかった。
英国系学校に入っていた私は段々人によると違いが分かってきます。
中学生で「チノ」と言われていました。スペイン語で「チノ」と言うのは中国人です。一番最初にペルーへの出稼ぎは中国人なので、ペルー人は誰かが切れ長の目をしたら、「チノ」と言われています。
大学まで日系のことが全然気づかなかった。
大学で日系人の恋人が出来て、彼女が日系社会に入れられました。
段々日系社会のことが分かってきて、驚きました。
それで、卒業の後で日系病院で働かせてもらえました。
家のボスは「消化器内科なら、日本に勉強してきて」と言われていました。
だから、日本に留学生にとして、勉強と研究しに来ました。
3ヶ月前に出したニュースでもう一度アイデンティティーのことを考えて見ました。
レンタル子宮に関して、日本人の受精卵でアメリカ人の子宮から生まれた赤ちゃんは両親の戸籍に登録させてもらえませんでした。どうしてかと言うと日本では法律が認めません。
これは全然分からなかった:
日系人二世は日本人です。
日本人は日系人じゃないと結婚し、子供が出来たら、日系人二世です。
両親は祖父母の戸籍に登録しなかったペルー人だから、私の場合はペルー人です。
韓国人の友達は日本で生まれたけど、日本人ではありません。
それでは、どうしてその赤ちゃんは日本人になれませんか?
遺伝子診断で赤ちゃんは日本人でしょうか。
病院で聞いてみたら、科学的に日本人だけど、合法的に日本人ではないと答えてもらいました。
先生達も分からなかった。

赤ちゃんの将来はアイデンティティーの問題です。幸福にペルー人です。


3期生
ペルー
岸本グスタボ
若い日系人とアイデンティティ [2007年07月30日(月)]
この前、ブラジルのサンパウロで開催された日系人大会に参加させていただきました。
http://www.jadesas.or.jp/taikai/01taikai48.html

特に印象的だったのは、若いリーダーたちが積極的に参加したことです。
彼らは、現在日経社会が抱える問題について意見を述べて、これから日経社会を担う若い世代の認識を語りました。それをまとめると、

1.日系人としてのアイデンティティが薄くなっていること。(世界的な日本文化ブームの中にもかかわらず)

2.日本語能力が低下していること。(日本に留学するチャンスを増やしてほしい)

3.日経団体に参加しなくなったこと。(若い人の興味を引くためのイベントなどが必要)

4.世代交代がうまくいかないこと。(団体行事にもっと参加させて欲しい)

など。
これらの問題をよく見ると、お互いに関連しているが、ここで述べたこと自体が問題ではなく、日系人(日本人)が培ってきた「価値観」が失われることこそが問題でしょう。具体的に言うと、「正直」、「勤勉」、「頑張る」、「自然を愛する」、「教育熱心」、「年上を大事にする」などのことです。そういった価値観は、世界のどこに行っても通じるはずだし、日経社会繁栄の大きな要因でもあります。その他は全てが「手段」です。大事な手段です。

そう考えれば、日系社会はそれほど危機的な状態にあるわけでなく、形こそが変化してきましたが、日本人の価値観を継承しながら健全に現地社会に同化してきたのではないかと思います。ある人が言ったように、アイデンティティというのは、「目に見えるもの」ではなく、感じるものです。

これからは、形としての日本文化(日本語・日系団体など)を通じて日系人としてのアイデンティティを継承させるのに、若い人にとっていかにして日本文化を魅力的(文化的、経済的)にするのかが課題でしょう。

福島マルセロ
三期生
ブラジル出身
自分の努力って宝物!? [2007年06月05日(火)]
 Blogを毎日読んでくださっている皆さん。
はじめまして。四期生のサンチェス・シオリです。今日から私も一緒に自分の経験を書いていくことになりました。Blogを書くのがはじめてですので、いろいろ間違えることもあるかと思いますが、楽しんでもらえたら嬉しいです。

 では、自己紹介をします。
私は、昭和62年ペルーのマドレ・デ・ディオス県で生まれました。今年、成人式を無事迎えることが出来ました。
4才の時、生まれて5日目の妹を亡くしました。その悲しさは、ペルーにいる限り忘れることが出来なかったのです。ですから、家族みんなで日本に来ました。まだペルーでの習慣を身に付けていなかった私にとって保育園から日本語の勉強をしたことが今ではすごく役に立っているのだなと自分でも思います。
小学校の入学式は、緊張しながら6年生のお姉さんの手をしっかりと握り皆がいる体育館へ入ったことを今でも思い出します。1年生の先生はとても優しくて、笑顔の可愛い先生でした。
小学校生活は、あっという間に過ぎてしまい卒業式では友達と会うのが最後かのように泣きました。教室に戻るといつもまじめな顔ばっかりしていた担任の男の先生が変な顔をして泣いていました。それを見て私だけでなくクラスのみんなが大笑い。そのときの先生の顔は今でも覚えています。
そして、いよいよ中学校生活、あんなに抱き合って泣いていた友達とも、一週間後には3年のカッコイイ先輩たちの話で、もう大興奮! 「おはよう!」って声をかけられるだけで、その日は運勢が大吉に!何てこともありました。
勉強には熱心、部活には必死で練習、私の人生で、この約二年間が一番大切だと思います。

  そして、14才になる前ペルーへ帰国しました。スペイン語を話すことさえ出来なかったので一年間は涙そうそう頑張りました。中学を卒業し、高校も卒業しました。それだけでなく、大学で工学を一年三ヶ月勉強しました。「自分は頑張った」と思います。

 このように、私は日本とペルーで全く違う環境で育ちました。
今私は再び日本にいます。東京の新宿日本語学校で日本語の勉強をしています。
この先、大学の農学部に入りいろいろ知識を学びたいです。そして、自分の出身地であるペルーのプエルト・マルドナド市で農業を発達させるための一歩を踏み出せたらいいなと思っています。

 こんな私ですが、どうぞよろしくお願いします。


サンチェス・紫織
四期生
ペルー
自己紹介 [2007年05月29日(火)]
 私は山本タミと申します。2005年にペルーの医学部を卒業しました。そしてそれ以来、ペルー国内の感染症研究所で働いておりました。主にペルーにおける医学及び公衆衛生上の大切な問題である、二つの病気(結核及びHIV)を中心に研究してまいりました。医学の目的は診断と治療ですが、公衆衛生の目的は、病気の予防と健康な生活様式を促進することです。患者さんに寄与するという面においては、医学と公衆衛生は似ておりますが、目標は全く違うところにあると思います。

 私は日本財団の留学生で、五年間の奨学期間を与えられ、三月末にペルーから日本へまいりました。今年から新宿日本語学校で一年間の語学の勉強をし、来年からの四年間で公衆衛生の勉強をしたいと考えています。

 International Healthとは、世界の発展途上国において増加する健康上の問題を調査し、研究及び教育によってそれらを解決及び軽減するための活動であると考えております。日本において、International Healthについて学べる施設は、東京大学以外に無く、是非当該施設での研究の機会を与えていただきたいと思います。

山本タミ(4期生、ペルー)
ブラジル移民100周年 [2007年04月20日(金)]


2008年は日本人のブラジル移民百周年になります。日本とブラジル両国でたくさんのイベントが行われる予定があります。私たちブラジルの日系人にとっては大変喜ばしいことでもあるし、とても誇りに思うことでもあります。よく考えたら、百年ってかなり長い時間ですね。一世紀前の移民が始まったころの世界は、今生きている私たちにとって想像も出来ないものですね。私たちの先祖は日本でどんな暮らしをして、どうやってブラジルに渡って、そしてブラジルでどのような生活を送っていたのでしょう

 このようなことを教えてくれるのは博物館、本、映画や写真などといった資料があります。しかし、私たち日系人にとって、自分たちの祖父母や両親の「証言」が何より一番身近で現実的な生きた移民の記憶なのです。人から昔話を聞くと、その人自身の観点から歴史を見ることができて、さらにその人のそのときの感情によって、何回も同じ話を聞いても聞くたびにまた違う面白さを発見したりするわけです。残念ながら、親戚になかなか移民の事や昔の暮らしの事を聞く機会がないのは現実です

そこで、ブラジル移民100周年記念をきっかけに、是非みなさんに自分の両親やお年寄りの方に移民のことについて話してもらいたいですずっと日本に住んできた方の中でも、南米に渡った親戚がいたり、自分も移民する計画があった人もいたりします。特に70歳以上で南米移民のことをよく知っている方がたくさんいます。こうして、自分と移民の歴史とのつながりを知ることによって、南米移民記念は特別に面白く感じるかもしれませんね。

ちなみに、神戸では4月22日から一週間にわたって「ブラジル移民祭2007」が開催されますので、来られる方は是非神戸まで足を運んでください。神戸からたくさんの日本人が海を渡って南米に移民しましたけれども、出発する前に神戸移住センターに滞在して研修を受けていたそうです(http://www16.ocn.ne.jp/~cbk.bras/)その他、日本政府が計画しているイベントなども参考にして欲しいです(http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/brazil/jb2008/index.html)ブラジル側では民間組織がブラジル移民100周年記念のため本当に多くのイベントを企画しています。(http://www.centenario2008.org.br/portal/)(皆さんも是非これらのイベントに参加しましょう!

福島マルセロ
ブラジル出身
3期生
Japanology [2007年03月26日(月)]


世界にたくさんの国があり、それぞれ独特な文化や習慣を持っているのは誰でも知っていることなのです。しかし、同じ国の中でも人種やソーシャル・グループによって様々な行動パターンを観察すことができます。そう考えれば「ブラジル人といえば...」あるいは「ラテンアメリカ人といえば...」という言い方は必ずしも適切でないかも知れません。特にブラジルや多くのラテンアメリカの国のような移民によって多様な人種で築き上げられてきた社会においては人々の行動パターンがばらばらなのです。その中、日本は、外国人が少ないため比較的同質な社会で独特の文化や行動パターンを持っているといわれているのです。


自分の国にいれば、日系人は日本や日本人に関する情報や知識に敏感に反応するでしょう。しかしながら、留学や仕事で来日した際、慣れているはずの日本文化に驚くことは少なくないと思います。「なぜ私は日本人と違うだろう?」と疑問に思ってしまうでしょう。そこで、初めて「日本人じゃない」部分の日系人としてのアイデンティティーが生まれるケースが多いようです。そして、日本人の行動パターンを自分のと(あるいは自分の国の人のと)比較しながら自分のアイデンティティーを探っていきます。


日本人の行動パターンは多くの学者によって研究されてきました。そんなにたくさんの文献は読んでいませんが、いくつか紹介したいと思います。まずは、アメリカの文化人類学者Ruth Benedictの『菊と刀』(English Title: The Chrysanthemum and the Sword)という戦前に書いた代表的なものがあります。「恥」や儒教の観点から戦前の在米日本人や日系人の調査をもとにした著作で日本でも非常に良く知られている本なのです。中根千枝の『タテ社会の人間関係』(English Title: Japanese Society)では日本人のグループ意識やヒエラルキーによって日本社会が動くという見解を示しています。さらに浜口恵俊の『「日本らしさ」の再発見』では日本は「個人」よりも「間人」を重視する社会であると主張します。他にも日本社会について書かれた本はたくさんありますが、この三つから始めたらいいと思います。ただし、「正しい」説明というのは存在せず、あくまでも一つの見解としてそれらを読むことが大切なのです。


日本社会は見た目より複雑で、日本人の精神は大変奥深いものなのです。日系人のアイデンティティーにとって不可欠な日本文化を、ただ表面的に見るだけでなく、様々な角度からより深く研究・体験し、日系人としての自分を見つけましょう。

福島マルセロ
ブラジル出身
三期生
コミュニケーションいろいろ [2007年03月12日(月)]
私たち人間や動物などがお互いに色々な方法で意思や感情、情報を伝え合っています。そして、相手から伝えられた情報を理解して、相手の心の状態を理解しようとしています。これは「コミュニケーション」と言います。この中に言語的コミュニケーション(言葉)と非言語的コミュニケーション(ジェスチャー、鳴き声、音楽、絵など)があるといわれています。

人間はコミュニケーションせずにはいられません。コミュニケーションによって孤独から救われます。どんな国の人であっても、言葉や習慣が違っていても、やっぱり友達は心の通い合える大切な人です。当たり前だ!と思われますが、私はやっとこれがわかるようになりました。言葉や表現のし方が違うから通じないと言っていて、結局自分が率直に自分の気持ちや考えについて相手に伝えていなかったことに気がつぎました。又は、自分が傷ついたり、嬉しかったり、悩んだりする時は音楽を聞きながら癒されています。不思議に、CDを買いに行くときは言葉の意味のわからない物を買っても、家に帰って、歌詞の翻訳を読むと、なんと自分のその時の気持ちを語っていた曲だったりもしました。

日本人であろうが、ペルー人であろうが、心が一つであれば国籍なんて関係ないですね!日本でも心の通い合う友達が沢山できました。友達のおかげで今日の私は昨日より成長できました。日本の友達によって、日本が好きになりました。どんな苦労にあっても良い友達がいれば乗り越えられて、その周りの人々と環境に対する感謝の気持ちも生まれます。愛が生まれます。母国のペルーも好きになったのは学校で愛国心を学んだということよりも、母国のペルーで素敵な思い出が沢山残っているからです。ペルーのことを思うと心が膨らみます、友達のことも思い出します、アンデスのことや海も懐かしくなります。

国それぞれの宝はその国に住んでいる人々の心だと思います。


佐々木 涼子
ペルー
三期性



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