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ラテン日系留学生

私たちは中南米で生まれ育った日系人です。
現在、日本財団から奨学金をいただき、それぞれの夢の実現のために日本で猛勉強中です。
「中南米日系人から見た日本」をテーマに、31人のラテン日系留学生が毎週記事を掲載します。乞うご期待!


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可愛い [2010年12月10日(金)]
皆さん、
元気ですか。皆様の勉強や研究はどうですか。もう12月、早い!忙しい12月。。大学のレポートや発表が沢山あり、時間がすぐ過ぎます。本当に忙しい月。。でも来週は冬の研修ですね。楽しみです!冬の研修を一生懸命考えている人たちやNFSAグループの皆様全員が頑張っているのでとても良い研修になると思います! 
その後、クリスマスやお正月の予定はたてましたか。

私は日本に来てもう1年半がたちました。忙しくても、時間があまりなくても、家族とはいつも連絡をします。私が日本にきたときにはこのブログに始めて書いた記事は家族のことでした。
私が日本にいる間にはブラジルでいろいろ良いことがありました、そして先週には金谷家族の新しいメンバーが生まれました:兄の子供。スカイプのおかげで赤ちゃんの顔を見れて私は幸せです。一緒にいることとはまた全然違いますが、でも写真や顔を見れるので私は嬉しいです。



私が嬉しいときや大変なときでもいつも支援してくれる家族。
皆様も家族とはなれ、いろんなことがあると思いますが、お互いに頑張りましょう。家族は絶対に応援してくれてると思います!
頑張ろうね!
冬の研修、楽しみです!

金谷マヤ
6期生
ブラジル出身

日系人 [2010年07月21日(水)]
日系人

 日本での就学生生活も4年目である。おおよその事にも、慣れてきて、少しマンネリ化している今日この頃だ。

 個人的に、普段の生活では、日系であることを余り主張しないようにしているが、色々な場面で、強調することが多々ある。日系であり、現在留学しているわけで、WinWinな関係を築くのが理想であるから、日本とパラグアイを相対的に見ることも大事ではある。
 さらに、先月のワールドカップによって、かつてないほどにパラグアイがクローズアップされて、パラグアイについて色々考える機会があった。


 私は、普段の生活で特段、日系人であることを意識しているわけではないが、時折、会話で言ってしまうのは、「あ〜。日本人っぽーい(自分の想像する日本と合致するとうれしくて)」決して批判の意味をこめていないにしろ、聞く人により、不愉快にさせていると思う。

 人の事をいえる立場でもないし。。。。。汗。。。。かくいう私は、

 日系人仲間は、「涼子日本人だよね〜」と言う。私は時間、礼儀、に口うるさい、仲間うちのミーティングでも、1会合だと思うと、どうしても型にはまってしまうし、親しき仲でも礼儀を優先する。また、後先考えず、その時を満喫することができず、南米の「のんびり〜」の雰囲気にはそぐわない部分があることは自覚している。

 日本人仲間では、「篠藤さん、やはりちょっと日本人とちがう」と言う。私は、毎日元気で、人懐っこい・・らしい。日本の・・・?!日本に!、合わないところがある。(笑)と言うのも、日本育ちの日本人との生活は今までしたことがなかったので、自分のどこが南米っぽいのかは余り解らなかった。そもそも、私はパラグアイでは、常々、「日本人ぽいね」と言われており、特段性格が明るい、社交的と言われたことはなかった。

 考えてみれば当然である、パラグアイにいるときは、パラグアイらしさは当たり前な部分なので、特段フォーカスされることがなかったのだ。

 日本生活4年目にして、ようやくきがついた、新たな自分だ。日本にも慣れてきたが、まだまだ新しい発見は色々あった。ここらで気を引き締めなおさなければ、慣れとは、いいものであり怖いものである。
初心にかえり、色々、闘志を燃やすぞ、初心貫徹だ!!

四期生
パラグアイ
篠藤 涼子 グラシエラ
ペルー日本人移民激動の一世紀の物語 [2010年02月25日(木)]

ペルーへ渡った日本人移民の歴史を語る本が、2月20日に日本で出版されました!

本の内容を紹介したいと思います(「BOOK」データベースより)

海外雄飛の夢、排日への気運、母国の戦争への道、突然の米国への拉致、資産の全てを失った父―多感な少女として両親と共に監禁所暮らしを体験した著者が語る「忘れないで」。本書は父親が娘を通して語った日本人移民そのものの歴史でもある。

著者紹介:坪居寿美子。1932年ペルー共和国リマ市で生れ、リマ日本人小学校四年生のとき、一家は日米戦争によって1942年6月ペルーを追放され、アメリカ、テキサス州シーゴビル抑留所に監禁される。1943年9月第二次日米捕虜交換船で両親らと日本へ送還した。1953年滋賀県立短期大学家政学部(現滋賀県立大学)卒業し、日清紡勤務、1956年坪居恭平と結婚した。1970年日本万国博覧会アルゼンチン館副館長。1996年NHK臨時特派員としてペルー取材調査。

この本を読むことを、とても楽しみにしています。

中村パトリシア
ペルー
日系人として生きるということ [2009年09月10日(木)]


先日、ペルー国籍の日系人と知り合い、彼とその家族から日系人として生きることの厳しさを聞くことができた。そしてその多くは私自身も経験していることだったので強く共感したのでブログに書くことにした。

日系人は二つの祖国を持つと言われているが、ペルーではjapones(日本人)と言われ、日本に来るとペルー人と呼ばれる。つまりいずれの国でも外国人として扱われているということ。この点についてパラグアイは親日的な国なので特に差別を受けるというようなことはなかった。

就職に関しては彼は日系人が運営している派遣会社から派遣されて働いているのだが、その賃金は同じ仕事をしている日本人よりも低く、外国人であり日本語も話せないという弱い立場にあるため不景気になった今、仕事がなくなっているということ。

この様な話をしていたが、彼とその家族はやはり南米という環境で育ったせいか、とても明るく笑いながら話をしてくれた。彼の太陽のように明るい笑顔がとても印象的だった。

パラグアイ出身
日系スカラーシップ4期生
飯田博子

私の異文化体験 [2009年04月29日(水)]
私はブラジルから参りました三世の日系留学生です。祖父母は日本で生まれ、移民としてブラジルへ渡りました。そのおかげでブラジルで生まれ育った私は少し日本の文化や習慣が身に付いています。

日系人の私はブラジルや日本にいる時には「ブラジル人じゃない」とか「日本人じゃない」などとよく言われました。なぜなら私はブラジル人の明るさと気楽なライフスタイルを持っているし、日本人の真面目な性格や親切さも持っているから私は半分ブラジル人で半分日本人です。

ですからブラジルにいても、日本にいても、異文化体験を感じます。

ブラジルにいる時にいつもびっくりするのは無駄使いです。ブラジルは国が広いだけではなく、天然資源も多いからみんなは自由に水や食材や紙などの無駄使いをします。そして私は日本人のようにもったいないと考えます。

ぎゃくに、日本にいる時には一つの事をよく感じます。それは日本人は自分の気持ちや考え方をはっきり言わないことです。相手のほうが自分より大事だから自分の意見をちゃんと伝えません。私は相手を大事にすることはとても良いことだと思いますがあまり自分の意見や気持ちを伝えないと人々の関係を深めることが難しくなると思います。

異文化体験にとまどうところは多いのですが、グローバルな人間になるために、すごい良い勉強だと信じています。

崎山メリーナ
ブラジル出身
6期生

僕の考え方 [2009年03月05日(木)]
先月、僕はインドに行きました。 インドについて良いことがいっぱい書きたいけど、日本語で説明することができないので もし、良かったら このリンク見てください: http://www.nikkeiportal.com/nikkei 

今回、僕の考え方は教えてもらいたい:

- 自分の目標に立ち向かおう,ただし人を傷つけてはいけない.

- 今日できることを明日に持ち越すな.

- 自分自身と自分の可能性を信じよう.

- 幸せになろう,そしてその幸せを周りの人々に広めよう.

- 愛し,愛されよう.

- 決断しよう,そしてその結果を受け入れよう.

- 良いことをしよう,しかし見返りを期待してはいけない.

- いつも笑顔でいよう,いつか誰かがあなたに微笑み返してくれるはずだから.

- 人生があなたに与えるささいなことにも最上の喜びを感じるように生きよう.

- 夢に目覚めよう,そしてすばらしい夢を持とう.あなたが迷ったとき,それがあなたを導いてくれるはずだから.



磯谷セイジ
ブラジル
3期生
 
異文化共存 [2009年02月06日(金)]
 日本では、12月の忙しさを師走(しわす)ということがあります。私にとっては、修論の締切、発表から始まり、出前授業、大学の留学生活動と多忙な1月となり、師走が少し遅れてやってまいりました。


 
写真は1月の北海道生協の発行物で執筆したものです。


 下は、北海道大学留学生センターの「インターナショナル・トーク」に参加させていただいたものです。


インターナショナル・トークは、大学学内部・外部の人に留学生のお国について自由にお話をするものです。

 この機会に私は、日本(北海道)の方になじみの薄い
「パラグアイ」
の一般情報、歴史、文化について紹介させていただきました。
また日本とは位置的にも文化的にも対照(私見)なパラグアイで現在日系人はどのような暮らしをしているかについて、実体験にもとにお話をさせていただきました。

 終了して質疑の時間では(後で感想もたくさん届き感激です)、日系人について集中しました。

 お話の中で私は日系人の頑張りと現地の人との友好関係について、

現地の方を雇用するまでに至っいる

と表現したことに対して

「現地の方は日系人のもとで働くのは賃金設定が良いからあり、納得しているといえるのですか?」

という質問がありました。

 確かに、私は親の仕事を見ていて現地の人と友好な関係のもと雇用関係にあると勝手に思いこんでいたことで、直接本人に聞いたことはありません。

 ほぼ自給自足で平和に大自然の中独自の文化で暮らしていたのが、突然外国からきて、開拓始め、日系移住地を作り独自の文化を展開していく現状をよく思われない方がいても当然です(雇用をうむ、発展を別として)。

 しかし、20数年暮らしてそのようなことを感じたことがなかったのは、私が鈍感なのか、パラグアイ人があたたかく異文化をあるがままに受け入れてくれた寛大からなのでしょうか?
歴史的にパラグアイ人は読み書きや田畑を耕すことをスペインから来た伝道師により教わります。(環境破壊や経済大恐慌が言われている今、文明開化が必ずしもいいとは言えないかもしれませんが、現在のパラグアイはあることは事実です)
また植民地であるスペイン人に対しても友好的であったと記されていることからも、後者であると思われ、また思いたいです。


 あらためて異国で日系人として生きていく上で、移住当初あたたかく受け入れてくれた各国への感謝をわすれず、これからもさまざまな場所で日系人として活躍をしていきたいです。


四期生
パラグアイ
シノトウ リョウコ
ペルーの文化紹介 [2008年10月20日(月)]
 私は日系3世ペルー人で、5歳の時から現在までずっと日本に住んでいますが、両親とも日系2世ペルー人であることから、ペルーの文化や習慣、スペイン語習得に関しては大変厳しく指導してもらいました。当時はほぼ強制的にやらされていたので、嫌々やっていたのですが、現在では日本とペルー双方の考え方や言語を習得できたことには両親にこの上なく感謝しています。

 滋賀県では、外国人住民が3万1575人(平成19年12月時点)と大変多く、多文化共生や外国人住民に関して積極的に興味を持って頂けることが最近では大変多くなりました。そこで、地元の小中高等学校等では国際理解の勉強の一環として、文化紹介や交流を通じた授業が設けられることも大変多いのです。

 私自身ペルーの文化紹介を時々行うのですが、そこで常々感じることは、「母国のことを知っていて本当に良かった」ということです。正直、私は人生のほとんどを日本で過ごしているので、ペルーに関しては知らないことがたくさんあります。しかし、私の知っている限りの情報を日本の方にお伝えし、知っていただくことで、今まで聞いたこともなかった「ペルー」という国が少しでも身近になり、興味を持ってもらえるということは大変有意義なことだと考えています。また、子どもたちの積極的な参加や質問は大変貴重ですし、私自身勉強になることがたくさんあるのですが、高学年になればなるほど、恥ずかしくて質問ができないという傾向はあります。しかし、低学年の子供たちは素朴な質問や疑問をどんどんしてくれるのですが、この光景は本当に微笑ましいものなのです。そして、文化紹介終了後日に先生の方から送ってくださる子供たちのアンケートに書かれているフィードバックや率直な感想は何より嬉しいのです。
 国際交流や国際理解と言うと、おおごとのように聞こえますが、このような形での活動は十分国際交流になっているし、相互理解への第一歩だと感じています。

 これらの活動を行うとき、私はダブルで生まれて本当に良かったと感じます。小さい頃から日本に住んでいて、大変な思いや苦労もたくさんありました。だけど、今このように両国のルーツを持つ者だからこそできる活動に携わることができ、大きな遣り甲斐と生きがいを感じています。日系人である私たちにしかできないことを、これからも積極的に行い、日系人である自覚と誇りをもって生きていきたい。

ペルー出身
5期生
チャベス・トレイシィ
サンバとマンガを併せ持つ日系人アイデンティティー [2008年07月24日(木)]
 先月に英語新聞JapanTimesの取材を受けました。6月19日号のものでプリント版はもう手に入れられないのですが、オンライン記事は今でも読めるので、気になった方はご覧になれます。

ブラジル日系人のアイデンティティーについての記事のはずが、ブラジルでの日本製マンガの人気や在日ブラジル人の境遇などと広く話してしまいました。もちろんこの記事だけで自分の思いは伝え切れなかったのですが、英語圏の外国人にもアピールできるチャンスだと思って、長い時間話してしまいました。

日本には現在200万人程の外国人は既にいますが、これは人口の2%にも満たない割合ですので、日本人はまだまだ外国人になれていない状況です。今後日本の人口が少子高齢化により減少し、ますます外国人移民の存在が重要になってくると思います。しかし、このまま外国人の数が増えれば、「未知に対する警戒」という心理が動いて、外国人に対する風当たりが強くなる可能性もあります。

例えば警視庁が発表する報告書の中でも、誤解を与えるような文章も書いてありますし、メディアでの捉え方も公平なものばかりではありません。しかし、これらを見て行動を起こさなければ状況は変わらないでしょう。

私は日系人が日本人と外国人が上手く付き合うように手助けが出来ると信じています。顔が日本人で心が外国人を持ち合わせてる私達こそ、両側を繋ぐ架け橋になれると。

日系人は今でも母国では「日本人」と呼ばれ続けています。それは日本では「外人」の概念と同じく、自分達とは違うことをさし、軽蔑語としても使われていました。しかし先祖の努力と勤勉さが実り、母国では高い社会的ステータスを手に入れることに成功し、少なくとも現在のブラジルでは「日本人」は頭が良くて、信頼できる民族と認められています。最近では閉鎖的だった芸能界でも段々と日系人が成功をし始めています。もちろんサンバが踊れないとか、サッカーが下手とかは今でも言われ続けていますが、それもそのうちになくなると思います。つまり、日系人はブラジルでは100年かけて偏見を打ち壊すことに成功したのです。

しかし、その尊敬されている民族である日系人がデカセギとして20年前日本に来た時は、まさに100年前と変わらない待遇を受けたのです。安い労働力として見られ、日本人がもうやりたくない仕事ばかり与えられ、日本語が出来ないからバカにされたり、騙されたりなど日本人が移民した時と同じ苦汁を味わったのです。つまり、歴史が繰り返され、残念ながら移民した日本人がブラジルで苦しんだ時の教訓が活かされなかったとの見方も避けられないでしょう。

でも、視点を変えると悪いことばかりではないと私は思います。デカセギ現象が始まってまだ20年しか経っていません。この20年間ですでに単純作業から抜け出して、豊かな生活を送っている日系人も多少いますし、日本のトップクラスの大学を卒業している日系人もいます。日本のプロスポーツなどで活躍している日系人もいれば、大手企業で勤めている日系人も何人もいます。

顔が似いているせいか、日本語さえ話せれば、日本人には親しみやすく、警戒されなくて済む。ただし心はやはり外国人、ラテン特有なおおらかさ、修羅場を生き抜いた生命力、不安定な社会を経験して身に付けた応用力、“未来への不安”など当たり前でものともしない頼もしさなど最近の日本人に欠けてるものを幾つも持っています。これらに日本人特有の努力、計画性、勤勉さ、組織力、などを日本に住んでから身に着けば、最強の組み合わせになるのではないかと本気で思ったりもします。

日系人は両側のいいとこどりが出来る恵まれた存在だと自信を見つめ直し、自信を持って苦難に挑むべきです。「母国では日本人+日本では外人=自分はどっちでもない」のではなく、「=両方である」と自覚すればアイデンティティーの問題は簡単に解決でき、自分の可能性を幅広く活かし、成功できると思います。

そして多くの日系人が成功すれば「外人」は軽蔑語でなくなり、無根な警戒をされる所か、スポーツ以外でも賛同を得る日がくることを願っています。100年を経て南米で「日本人」がそうであるように。
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日本でも、”Home sweet home” [2008年03月10日(月)]
私の日本での留学生活が間もまもなく4年目になります。
最初ホームシックで泣き虫だったのに自分自身でも驚くほど日本に慣れてきました。日本にいる間、人生の大きな変化になったので本当に来て良かったと思っています
それにしても、何年経っても生まれ育ったボリビアのことは忘れられません。時には懐かしくてどう使用もなく、国の思い出に襲われる事もあります
そんな時に効果のある方法を見つけました。それは故郷ボリビアの料理を作ったり、何か聞いたり見たりすることです。
 例えば、ある日ボリビア風の料理が食べたいなと思い自分で作るしかないので作ってみました。ラテン音楽を聴きながら、踊りながらなんとかボリビアの「肉のエンパナダ」をマキ風にできあがりました
エンパナダという料理は、鶏肉や牛肉を玉ねぎとトマト、オリーブ、ゆで卵、レーズンと色んな調味料で味付けて焼いてから小麦粉で作った皮に餃子みたいに包みます。

この前うれしい事に、初めてボリビアのコーヒー豆を発売されていたお店に入りました。そこで、ボリビアだけでなくブラジルやニカラグアのコーヒー豆も買えます。ボリビア
のコーヒーってこんなに美味しかったのかと久しぶりに味わいました。

最後に面白い事に、数年前ブラジルのサオ.パウロに行ったとき、有名なショッピングモールで外食をしました。その時ボリビアだけで作っているはずと生まれてからずっと思っていたおやつを発見しました。それは「Pão de Queijo=ポン.デ.ケイジョ」 でした。私の国では 「cuñape=クニャペ」か「rosca=ロスカ」と呼ばれているおやつで、形や味もそっくりです。
また日本に来てからも、私の大好きな「cuñape」が「Pão de Queijo」と呼ばれ、色んな所で発売されている事を分かりました

日本では海外の色んな製品が手に入るので、外国人コミュニテイーにも便利です。日本に来る外国の方も私と同じに日本を記憶に残して欲しいです。ですから皆の力を合わせ社会を徐々にグローバルな考え方を持つように変化して行くことが大切だと思います。

古木 マキ
ボリビア出身
一期性
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