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2017年05月08日(Mon)
【正論】豊洲と福島の「安心」を醸成せよ
(産経新聞【正論】2017年5月1日掲載)

日本財団会長 笹川陽平 


seiron.png東京・築地市場の豊洲新市場への移転をめぐり「安全・安心」の議論が盛んである。東電福島第一原発事故でも1ミリシーベルトの除染基準をめぐる同様の議論が発生から6年を経た現在も続いている。

「安全であれば安心」。それが本来の姿である。ところが豊洲新市場では安全に問題がないと思われるのに不安ばかりが先行し、福島の除染では、どの基準が安全なのか分からないまま被災者の不安が膨らんでいる。


築地市場の老朽化こそ問題だ

豊洲新市場問題では、地下水から環境基準の79倍のベンゼンが検出されたことなどから昨年11月に予定されていた移転が見送られ、今後の展開は今も見えていない。

問題となった地下水の環境基準は2リットルの地下水を毎日、一生飲み続ける場合を仮定して設定されており、現実に有り得ないケースを基にした数字で健康への影響を論じても意味はない。

それ以前に豊洲新市場では、地下水の飲料水利用を予定しておらず、地下水の基準値オーバーをそのまま市場の安全性に結び付けるのは筋違いである。

しかも、こうした土壌汚染は東京ガスの跡地である豊洲を移転先に選んだ時点で織り込み済みだったはずで、今、問題にすべきは、開場から80年以上経て老朽化が目立つ築地市場の安全性との比較であろう。

万一、災害が発生すれば、発がん物質であるアスベストの飛散なども懸念されている。将来にわたり安全かつ安定的に食材を提供する市場をどう確保するかが、移転問題の本質である。

豊洲新市場はそうした点を総合的に判断して移転先に選ばれたはずだ。石原慎太郎・元東京都知事ら関係者は、その経過を自信を持って説明してほしいと思う。メディアに対しても、地下水の環境基準の性格や飲用水としての利用が予定されていない点を分かりやすく報道するよう望みたい。

移転問題は築地市場の老朽化に加え、既に6千億円もの資金が投入された経過もある。現在の状況が続けば不安ばかりが高まる。都としての結論が早急に示されなければならない。

一部で指摘されるような都議選を視野においた政治的思惑があるとすれば、都民にとって迷惑な話でしかなく、政治に対する信頼が一層、揺らぐことにもなる。

被災地に募る住民の戸惑い

一方、東電原発事故に伴う除染問題の経過も混乱を極めた。当時の民主党政権は当初、国際放射線防御委員会(ICRP)が2008年に打ち出した原子力災害時の年間被ばく線量基準「1〜20ミリシーベルト」を基に、年間5ミリシーベルトを目標にしたが、より厳しい数値を求める被災地の声を受け、最終的に1ミリシーベルト以下を採用した。

この数字に関しては、当のICRPの学者や国際原子力機関(IAEA)などからも異論や疑問が出され、環境省の除染情報サイトも「『これ以上被ばくすると健康に影響が生ずる』という限度を示すものではありません」、「『安全』と『危険』の境界線を意味するものでもありません」と記している。

一方で避難指示解除の目安は「年間20ミリシーベルト以下」に設定され、世界平均で年間2.4ミリシーベルトに上る自然の放射能と事故で放出される放射性物質と放射線との関係や甲状腺がんとの因果関係など、難解なテーマがあまりに多い。

避難指示が解除された地区の帰還率は大半が20%以下にとどまり、日本財団がICRPや福島県立医科大などと協力して被災地で開催している住民対話でも、「安全と思うが不安だ」といった戸惑いが多く聞かれる。

除染作業の全体的な遅れと、安全を実感できる基準値の不在が、被災者の不安といら立ちを高め、福島に対する偏見がなくならない一因もここにある。

早急に除染基準の見直しを

除染は国の作業が一部の帰還困難地域を除きほぼ終了した。しかし国の予算で市町村が行う除染実施区域はまだ多く残され、推定2200万立法メートル(東京ドーム18個分)にも上る廃棄物の中間貯蔵施設の整備は緒に就いたばかりで、用地確保は依然、難航している。

1ミリシーベルトの除染基準について、当時の民主党政権の責任を問う声もあるようだが、ここは政権党が野党の協力も得て早急に見直すよう求めたい。それが被災地復興を加速させることにもなる。

安心醸成に向け政治は信念語れ

世界は何が起きてもおかしくない激動の時代を迎え、混迷の度を深めている。社会の不安は大きく、少しでも安心を醸成するには、科学者ら専門家の的確で分かりやすい分析、冷静でバランスが取れたメディアの報道、政治家の責任感と覚悟が欠かせない。

しかるに双方の経過を見ると、安心を醸成する上で政治がその役割を果たしているとは、とても思えない。政治に対する信頼なくして社会の安心は育たない。そのためにも政治家には、ポピュリズムに流されることなく、党利党略を排し、自信を持って自らの信念を語る勇気を持ってほしく思う。

(ささかわ ようへい)







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