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2012年05月01日(Tue)
ペルーでのハンセン病活動
(国立療養所栗生楽泉園入所者自治会機関誌【高原】2012年5月1日掲載)

日本財団会長 
笹川 陽平 

 2012年1月26日から30日まで、南米のペルーを訪問しました。前回の2008年以来4年ぶり3回目になります。

 ペルーはコロンビア、エクアドル、ブラジル、ボリビア、チリに国境を接し、西は太平洋に面する南米北西部の国です。首都リマを含む沿岸部の砂漠地帯と、アンデス山脈が連なる高地地帯、アマゾン川流域の3つの地域に分けられます。インカ帝国の首都だったクスコや世界遺産で有名なマチュピチュは高地地帯に位置します。人口は約3千万人、国土面積は129万平方キロメートルと日本の約3.4倍になります。110年前から日本人のペルー移住が始まり、現在では約9万人の日系人がいると言われています。
 今回のペルー訪問の目的の一つであるハンセン病視察として、28日首都リマから飛行機で1時間ほど移動し、アマゾン地帯に位置するウカリヤ州プカルパ市を訪れました。ペルーはハンセン病患者が少なく、2011年初頭時点で登録患者数は32人で、ここ10年大きな増減は見られません。そのなかでは、北部のロレート州と今回訪問したウカリヤ州で患者が比較的多いそうです。ハンセン病患者の診療をしているアマゾニコ・デ・ヤリナシア病院では、院長や州のハンセン病担当看護師が「患者の住んでいる場所が病院から遠く、なかには川を数時間行かなければならない場合もあり、患者の多くが貧しい。また地域政府はハンセン病を意識しておらず、専門家がいない」といった課題を挙げていました。患者数ゼロに向けてまだ課題は残されているものの、隣国のブラジルがインドに次いで2番目に多い三万人の年間新規患者を抱えているのに比べて、よい状況にあると思います。病気に対する無知から患者に対する差別も時折あるそうですが、病院から正しい情報を伝えれば、それもなくなるという報告でした。

 医師たちからの発表の後、病院の施設内で近隣から集まったハンセン病患者、回復者とその家族の方々20名ほどと交流する時間をもちました。10代の子どもからお年寄りの方までいらっしゃいましたが、お年寄りの方以外は障害もさほど生じておらず、順調に治療を受けているようでした。車椅子で来られた老婦人は目が見えづらいようでしたが、やさしそうなお孫さんと一緒で「たくさんのお孫さんに囲まれて幸せですね」と声をかけると、微笑んでいらっしゃいました。

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アマゾニコ・デ・ヤリナシア病院

 さて、ペルーのハンセン病は興味深い歴史も持っています。アルゼンチン出身でキューバ革命などを指導したことで有名なチェ・ゲバラはご存じかと思いますが、ゲバラが若かりし頃、オートバイなどで南米縦断したときの日記がもとになって『モーターサイクル・ダイアリーズ』という映画が2004年に上映されました。そこでは、ペルー・アマゾン地帯のハンセン病療養所までゲバラが川を泳いでいき、患者たちと交流するという場面が映し出されています。1952年のことで、当時は患者が隔離され、差別も深刻だった時代ですが、患者と分け隔てなく接するゲバラの姿が印象的な映画です。その療養所はロレート州イキトスのサン・パブロ療養所ですが、今回訪問したプカルパからはウカリヤ川を船で4日間ほど移動したところです。現在は廃屋になっているそうですが、機会があればぜひ訪れたい場所です。

 ゲバラもサン・パブロ療養所だけでなく、たった二日間の滞在だったそうですが、プカルパのこの病院も訪れたとのことです。当時ゲバラに会ったたった一人の存命者が遠隔地に住んでいるとのことでしたが、面会が叶わなかったのは残念でした。ゲバラは自身の日記のなかで次のように綴っています。

「僕らを一番感動させたことのうちの一つは、患者たちとの別れだった。全員の間で100.50ソルを集め、それに美しい手紙を添えて僕らにくれたのだ。そのあとで何人かの患者が個人的に別れを言いに来て、僕らがほんのちょっとだけ彼らと共にした生活についてお礼を言いながら涙をうかべる人も少なからずいて、僕らは彼らの手を握り、贈り物を受け取って、彼らの間に座ってサッカーの試合を聴いた。いつか何かのきっかけで僕らがハンセン病に真剣に取り組むようなことになるとしたら、その何かとは、どこへいっても患者が示すあのやさしさであるに違いない。」


 彼はその後、革命の道へと進むのですが、ハンセン病患者と心温まる交流をしたことは、ゲバラの人生観を形成するうえでも意味深い体験だったのではないかと想像されます。

 ペルー・プカルパ訪問の翌日、1月最終日曜日である1月29日は「世界ハンセン病の日」でした。この日は世界中でハンセン病に対する啓発活動が行われますが、私も2006年から毎年、世界の各界指導者の賛同を得て、ハンセン病患者、回復者とその家族に対するスティグマと差別をなくすための声明「グローバル・アピール」を発表しています。1回目の2006年はジミー・カーター元米国大統領やダライ・ラマ師、デズモンド・ツツ大司教などノーベル平和賞受賞者5名を含む世界の指導者の賛同を得てインドで発表しました。その後、2007年は世界各国のハンセン病回復者代表とフィリピンで、2008年は人権問題に取り組む国際NGOの賛同を得てイギリスで、2009年は世界の宗教指導者の賛同を得て再びイギリスで、2010年は世界の財界代表の署名のもとインドで、2011年は世界64カ国110大学の学長の賛同を得て中国で発表しました。そして、7年目となる今年は、1月30日にブラジルのサンパウロで、世界医師会とその加盟50カ国の医師会の署名を得て「グローバル・アピール2012」を発表しました。

 ハンセン病に関するスティグマや差別は、迷信や誤解からうまれている場合が多いです。「不治の病である」「強い伝染性をもつ」「遺伝病である」「天罰によるものだ」といった間違った考えが差別を助長しています。したがって、医療の専門家である医師が「ハンセン病は感染力が弱く、治る病気。早期の診断と適切な治療がなされれば、ハンセン病に伴って起こる障害も防ぐことができる。この病気にかかった人を隔離する医学的根拠は存在しない。差別は決してゆるされない」と宣言することで、人々の誤解とそれによって生じる差別を減らすことにつながります。

 今回はブラジル医師会の会長を務め、現世界医師会会長のホセ・ルイス・ド・アマラル氏がこの趣旨に強く賛同くださり、世界医師会やブラジル医師会と共催しサンパウロ医師会ビルで式典を行いました。式典には、ブラジル国内から保健省や人権庁の代表、NGOや回復者、医師会の代表者らのほかブラジルの人気女優エルケ・マラビージャさんも参加したほか、海外からもインド医師会やモザンビーク医師会、世界保健機関の代表者らも駆けつけ、盛況な会となりました。ブラジルは、世界保健機関(WHO)が定めるハンセン病の制圧基準「人口1万人あたり登録患者数1人未満」の唯一の未達成国ですが、2015年までの制圧達成を政府が公式に表明しており、今回の発表はブラジルで大きく報道され反響を呼びました。

 医療面においては、ブラジルが表明通り制圧を達成し、その後の対策もしっかりと行われることで、この病気によって苦しむ人々がすこしでも少なくなるように、そして、社会面においては患者、回復者とその家族に対するスティグマや差別がなくなるように、今後も引き続き訴えてまいります。世界からハンセン病がなくなり、すべての回復者の方々が差別や偏見のない社会で尊厳をもって生きられるようになるまで、この旅を続けてまいりたいと思います。

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近隣から集まった患者、回復者の方々と一緒に

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「グローバル・アピール2012」に参加してくれた
ブラジルの人気女優エルケさん(左)

タグ:ハンセン病 ペルー
カテゴリ:健康・福祉




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