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2013年12月12日(Thu)
人と島の関わりあいを再発見 塩釜で「つながる湾」フォーラム
 日本三景の一つ宮城県・松島湾にポッカリと点在する浦戸諸島(塩釜市)。塩釜港を起点に東日本大震災の傷跡が残る4島を小さな船の「TANeFUNe(種は船)」で巡り、島の文化や自然の多様性を海からの視点で見つめ直す「つながる湾フォーラム」が12月7日、同市で開かれた。島の人の生活ぶりや震災後のありよう、季節の移り変わりなど船には小さな情報が積み込まれ島と島をつなぐ役割を果たしたり、島独自の歴史や民話を後世に伝える語り継ぎ事業が立ち上がるなど船が運んだ「種」が松島の海に静かな広がりを見せている。

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「そらあみ」を背景にフォーラムを開催
 「TANeFUNe」は朝顔の種の形をした長さ5.7メートルの自走船。京都府舞鶴市に拠点を置く一般社団法人「torindo」(森真理子・代表理事)が日本財団の支援を得て、アーティスト・日比野克彦さんの監修のもとで造った。2012年に舞鶴市から新潟市まで80日間余りをかけ35港に立ち寄り、それぞれの土地のメッセージを伝えながら航海した。今年5月、東京都による芸術文化を活用した被災地支援事業の「Art Support Tohoku - Tokyo」の協力で活動の舞台を塩釜市に移し、地域間のつながりを強める4つの「つながる湾」プロジェクトを展開してきた。

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フォーラムには小学生らも参加

 活動の1つが、船で4島を繰り返しめぐっての移動カフェの開設。8月、桟橋にテーブルを出し冷たいお茶を無料で提供しながら漁業・農作業のこと、島の自然のこと、暮らしぶりを話してもらう。子どもたちを船に乗せ島の外から見た様子をスケッチし描いてもらう。こうして集まった作品や品物は100点余りに上り、1つひとつにエピソードを書き込んで写真に撮り「宝物」としてとってある。フォーラムにお母さんと参加した島津和人君(11)も絵を描いた1人。4島の中の寒風沢(さぶさわ)島でただ1人の小学生だ。「船に乗って浦戸諸島をぐるっと回り探検した気分だった」。宇宙戦艦ヤマトの絵をたくさん描いている和人君は海上自衛官を目指したいという。少年の夢は海に向かっている。

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写真家の喜多直人さんらが集めた「宝物」

 船の甲板を風が通りやすい空間にするため、大きな漁網が柱で支えられすっぽりと覆う。その網を作るのが「そらあみ」事業。土地に縁がある色に染色したカラフルな糸を使って、地元の人と漁網を編み空に掲げる共同作業を通して、その土地の景色と人のつながりをとらえ直す試みだ。今回は大震災後、島に色がなくなったという地元の声を受け、島で栽培されている菜の花の色をモチーフに。製作された高さ4.5メートル、幅18メートルの大きな網は島のカキ棚などに展示した。

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アーティストの五十嵐靖晃さんの指導を受けて網を編む参加者

 「つながる湾」は日比野さんらと地元のNPOの「チガノウラカゼコミュニティ」(津川登昭・理事長)、「ビルド・フルーガス」(高田彩・代表)などが共同で展開している。浦戸諸島の文化を学ぶ「チームwan勉強会」もその1つで、勉強会に関わった京都精華大人文学部専任講師の山田創平さんと、仙台市の私立明成高校調理科教諭の高橋信壮さんがフォーラムで講演した。

 山田さんは、日本列島は数千年にもわたって海洋民の文化に深く根ざしている、それが陸の文化に浸食されたことで人間関係やしがらみが固定化され、閉塞感が強まっている。海・水辺の視点で文化をとらえ直すと、人のつながりも流動化し、地域も海に接していることで世界に開かれており、平等のネットワークが築かれる、と指摘した。高橋さんは浦戸諸島は大正時代に日本で初めて白菜の種の栽培がおこなわれた場所だと紹介。大震災後、栽培している畑が被害を受けたことから保存に取り組み、浦戸で採れた種を仙台市の小学校に移して苗を作り、それを宮澤賢治の故郷、岩手県花巻市で栽培して実らせ、収穫した白菜を浦戸に届けた。「食の学びを通して地域をつなげることができる」と話した。

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日比野克彦さんらによるパネルディスカション

 フォーラムに参加した塩釜市の佐藤昭市長は、船に乗って浦戸の活動にも加わった。「日本の文化、経済を支えてきたのは舟運だ。塩釜は高台移転をしないで被災地で、海と接して暮らすことを選んだ。海は塩釜の原点であり、(つながる湾は)今後の市の方向性を考えるきっかけになった」と共感を示した。

 8日には舞台を塩釜港から定期船で約50分の寒風沢島に移し、島に伝わる伝承を書き下ろしのリーディング作品にして上演された。浦戸諸島は太平洋を背に松島湾、塩釜湾にかけて大きく広がり自然の防潮堤の役割を果たし、本土の津波被害を和らげた。その分、同諸島は南側から大津波を受け島全体が舐め尽される被害を受けた。しかし、島の人たちは津波の怖さを知り尽くしており、いち早く高台に避難し亡くなった人はほとんどいなかった。

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定期船が着く寒風沢島の仮桟橋

 民宿の広間で開かれた上演会は、30人が集い、ぎっしりの状態。物語は同島出身の船乗り「津太夫」が1793年、千石船で仙台藩から江戸まで米を運ぶ途中、嵐のため遭難しアリューシャン列島に漂着、その後数奇な運命を経て13年ぶりに故郷に帰ったという内容。日本人として初めて世界一周した人物として知られている。語り部は3人。ストーリーをそのまま語るのではなく、自分の気持ちを込め、さらに物語も自分の主観をいれて再構成する。最初に保育士をしている石木田華那さん(23)が、登場人物の気持ちをトーンを変えて物語全体を伝えた。島の小学6年生の本郷笙吾君(12)は「僕はこう思う」と前置きしながら物語をアレンジ。最後は東京から参加したプロの三味線弾きの木島裕さん(30)。遠い異国に漂流した乗組員の故郷への思いを情感たっぷりに弾き語りし、参加者を220年前の世界に引き戻した。

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情感たっぷりに津大夫の物語を語る

 日比野さんらは来年以降、港で出会う人たちの思い出や記憶など「宝物」をどんどん増やして船に積み込み、日本一周の航海を目指したいとしている。(花田攻)
タグ:東日本大震災
カテゴリ:海洋




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