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2013年07月01日(Mon)
却下されたフジモリペルー元大統領の早期恩赦
(リベラルタイム 2013年8月号掲載)
日本財団理事長
尾形 武寿


Liberal.png 外電によると、ペルーのオジャンタ・ウラマ大統領は六月七日、アルベルト・フジモリ元大統領の恩赦申請を却下した。フジモリ氏は殺人などの罪で二〇一〇年に禁固二十五年が確定し、首都リマ郊外の軍警察施設に収監中。長い間、「裁判で無罪を明らかにする」と恩赦申請を拒否していたが、ウラマ氏と大統領選を争った長女のケイコ氏ら家族が昨年秋、恩赦を申請、今年一月には自らラジオを通じ政府に早期の恩赦を求めていた。
 決定に先立ち司法省の特別委員会が「恩赦に値するほど深刻な健康状態ではない」と判断したほか、フジモリ氏が「罪を認めず謝罪もしていない」点が恩赦見送りの一因となった、と報じられている。

 筆者はフジモリ氏が“日本亡命”中から親交があり、ペルーを訪問するたびに施設を慰問している。四月末にも訪問、「結論はもう少し先」との感触を得ていただけに、この時期の却下決定は意外でもあった。大統領は「恩赦は何度でも出せる」としているが、決定前に行われた世論調査では恩赦賛成が五八%、反対が三七%と割れており、今後の予測は難しい。

 収監先の軍警察施設は、砂漠地帯の小高い山の麓にある。警護官詰め所、キッチン、ダイニングルーム、アトリエ、百人近くが入れる集会所が完備され、前庭ではバラやブドウが栽培されている。労働を強要される訳ではなく、敷地内の散歩も自由。許可を取り警護室にカメラや携帯電話、パスポートを預ければ接見可能で、食料品や酒類を持ち込むこともできる。フジモリ氏は、舌がんの手術で体力が低下しているが、趣味の絵画やバラ栽培は続けているという。

 この国特有の難しい政治情勢もあって、「政治家フジモリ」の評価は功罪相半ばだが、氏がペルーの発展に計り知れない貢献をしたことは、間違いない。

 南米への管制移民は一九〇八年、皇国殖民会社の笠戸丸が七百八十一人の移民を乗せ、神戸港からブラジルに向け出港したのが始まり。以後、南米各地に移民が広がり、ペルーの日系人は九万人を超える。

 ペルーでは、「誠実」「勤勉」が日系人に対するイメージ。筆者も三十年近く前、それを実感した。一九八四年、ペルー日系人協会の橘田正三会長が日本船舶振興会(現日本財団)を訪ねて来られ、リマの日系人協会の建物に付随する診療所の修繕を支援することになった。

 事業費は、初年度が二二万ドル、次年度が二〇万ドル。ところが二年目に再度、訪れた橘田会長は「今年は一〇万ドルで結構です」という。尋ねると、「協会会員が努力して残る一〇万ドルを工面しました」との返事。世の中にこんな誠実な人たちがいるのか、と感動し、ペルーを訪問するたびに、現在の日系人協会の幹部の人たちにこの話を語り継いでいる。

 リマで移民開始百周年記念病院の竣工式典が行われた二〇一一年六月にも、「ルーツが日本人であることを忘れず、ペルー人であることに誇りを持ち、ペルー国に忠誠を誓ってほしい」とお祝いのスピーチをした。式典にはアラン・ガルシア大統領(当時)も出席され、呼応するかのように「先の大戦で、ペルー政府が日系人に対して取った隔離政策は誤りだった。国を代表してお詫びする」と発言。居合わせた日系人協会の幹部たちは歓声を上げ、涙を浮かべる人もいた。

 ケイコ氏は、恩赦の嘆願書提出に当たり「父は病気でもあるし、社会的責任も十分、取ったと思う」と語った。フジモリ氏は現在七十四歳、かつての精悍な面影は消えた。一日も早い釈放を求めて止まない。
タグ:ペルー
カテゴリ:世界




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