• もっと見る

前の記事 «  トップページ  » 次の記事
2013年05月30日(Thu)
日本の面影
(朝雲 2013年5月30日掲載)

日本財団会長 
笹川 陽平 

 ハンセン病制圧や学校建設などでミャンマーを軍政時代からしばしば訪問、名刺交換した政府閣僚から「ニッポン ミャンマー バンザイ」と両手を挙げて歓迎され面食らった思い出がある。「英国から独立できたのは日本のお陰」と感謝され、歴史問題で中国、韓国との緊張が高まる中、何か救われる気がしたこともある。
 仕事で世界百二十ヶ国を訪問したが、ミャンマーは間違いなく世界で一、二を争う親日国と実感する。背景には建国の父アウン・サン将軍やその仲間が、対ビルマ(現ミャンマー)工作を担う旧日本軍の「南機関」から中国・海南島で厳しい軍事訓練を受け独立運動に立ち上がった歴史があるようだ。

 閣僚の大半は古都マンダレーの近くにある陸軍アカデミーで学んだ退役軍人である。日本の陸軍士官学校に当たり、十五年ほど前に訪れた際、未だ貧困な施設の中、ベレー帽姿の幹部候補生の立ち居振る舞いが凛々しく立派だったのを記憶している。日本式の軍事教練を取り入れ、敬礼の角度や形も日本式、「ホフクゼンシン(匍匐前進)」など旧日本軍用語も使われ、上官は今も出来の悪い部下を「コラコラ」と叱るのだという。

 国軍には「海行かば」や「愛馬進軍歌」など日本軍歌約五十曲が引き継がれ、国軍記念日の三月二十七日には軍艦行進曲(軍艦マーチ)が軍歌として演奏される。ミャンマー語で広く歌われる曲もあり、想像以上に日本の面影が残っているのは間違いないようだ。

 経済成長で大渋滞のヤンゴンの街を歩けばボディに「○○観光」、「××商店」といった日本名を残した中古バスやトラックがやたら目に付く。「塗り替え費用の節約か?」と問えば「そのままにしておけば質の高い日本車であることが一目で分かる」との返事。日本に対する信用も半端ではない。

 日本政府から、ミャンマーの国民和解を担当する日本政府代表の辞令を受けた。戦後六十年以上も内戦が続くこの国の民族和解が一朝一夕に実現できるとは思わない。しかし日本に対する手厚い信用が日本の貢献を可能にする面も大いにあるはずだ。信頼関係を精一杯大切にしながら、可能なら日本とミャンマーの軍人交流にも取り組んでみたいー。そんな思いでミャンマー訪問を重ねている。
タグ:ミャンマー
カテゴリ:世界




トラックバック
ご利用前に必ずご利用規約(別ウィンドウで開きます)をお読みください。
CanpanBlogにトラックバックした時点で本規約を承諾したものとみなします。
この記事へのトラックバックURL
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
トラックバックの受付は終了しました


コメントする
コメント


 【正論】外資の手から「重要な国土」守れ  « トップページ  »  手話はひとつの文化を形成している