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2019年09月03日(Tue)
自らを守る「当たり前の国」 今こそ改憲を急ぐ時
(リベラルタイム 2019年10月号掲載)
日本財団理事長 尾形武寿

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本誌二〇一三年三月号で始まった本コラムの第一回で筆者は「地域安定に貢献する当たり前の国に」の見出しで憲法の見直しを訴えた。以後、約六年半、国際情勢は大きく変化した。第八十回を迎える今回、我が国が「当たり前の国」になるためにも憲法改正が急務であることを再度、訴えたく思う。

我が国を取り巻く環境は、覇権国家としての米国の影響が低下する一方、中国が経済・軍事両面で躍進し、米中の貿易摩擦、中露の軍事協力、北朝鮮の核保有など緊張感が一段と増している。安全保障を米国に依存していれば済む時代は終わりつつあり、トランプ米大統領も日米安全保障条約が「米国にとって不公平であり、変えなければならない」と声高に語っている。

「日米貿易交渉で譲歩を得るための交渉術」などといった楽観論もあるが、米国は既に二〇一三年、当時のオバマ前大統領が「世界の警察官ではない」と宣言しており、いざとなれば東アジアから手を引くことは可能である。加えて第一回コラムでも触れたが、一方が自国のみを守り、他方が相手国も守る片務的な防衛関係は本来、成り立たない。

グローバル化が進む世界は、ヒトもカネもモノもすべてが国境を越えて動き、どの国も目いっぱいの自己主張をする時代を迎えている。我が国が国際社会での発言力、外交力を確立するためにも個別的自衛権には限界があり、集団的自衛権こそ現実的である。

世界で最も安全・安心な国といわれる我が国でも、大抵の家庭は外出する際、施錠する。国家も同様に自己防衛が欠かせない。憲法を改正して自らを守る姿こそ「当たり前の国」であり、戦後レジームからの脱却である。

現行憲法は九条一項で「戦争の放棄、軍備及び交戦権の否認」、二項で「戦力の不所持」、「交戦権の否認」を定めている。自民党は一項、二項をそのままに新たに九条の二を追加、自衛隊の保持とその行動に対する国会の承認など統制を定める加憲案(憲法改正のたたき台素案)を憲法審査会に提出の構えと聞く。個人としては反対である。これでは長年の自衛隊の合違憲論争に終止符が打てないからだ。

自衛隊はGlobal Firepower(GFP)の世界軍事力ランキングで昨年、主要百三十七カ国中六位に評価される存在であり、日本を除けばどの国も「軍隊」と認識している。九条二項を廃止した上で国防軍の名を冠し、正式に軍隊と認めることこそ在るべき姿と考える。九条第1項を堅持することで引き続き世界に不戦の誓いを表明することもできる。

 北方領土の返還をめぐりロシアのプーチン大統領は、昨年末のモスクワでの会見で、日本に返還した場合に米軍基地が置かれる可能性に言及、「この問題で日本がどの程度、主導権を持っているのか分からない」、「この質問への答えがないと最終的な解決を受け入れることは難しい」と語った。

 こうした疑問を封じ込め、緊張感が高まるペルシャ湾での多国間有志連合や「自国船は自国で守れ」とする米国の呼び掛けに自らの判断で対応するには、米国に守られる国から自らを守る国になることが不可欠となる。米国との対決色を強める中国との関係も、我が国が対米依存一辺倒から、多様な選択肢を持つ当たり前の国に脱皮した方が恐らく関係改善は前進し、日本が米中両国を仲介する余地も出てくる。

米国一国が世界の指導的役割を占める時代は終わりつつある。引き続き日米同盟を堅持すべきは言うまでもないが、日本が丸腰で防衛を他国に依存する状態は終止符を打つべきである。それが東アジアや周辺地域の不安定な状況の改善にもつながる。

反対論も含め様々な意見があるのを承知で、「今こそ改憲を急ぐ時」とあえて訴える。







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