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2019年05月24日(Fri)
人材育成に偉人教育の活用を
(産経新聞「正論」2019年5月23日付朝刊掲載)

日本財団会長 笹川 陽平

seiron.png万葉集を出典にした初の和製元号「令和」に対する期待、歓迎ムードが高まる中、紙幣刷新も予想以上に好評のようだ。明治の偉人が久々に蘇る姿に、偉人伝に胸を躍らせた幼時を思い出す。
戦後教育の中で偉人教育はすっかり影が薄くなったが、偉人が追い求めた理想やその生きようは、子どもたちの夢を育てる格好の教材となる。昨年4月から全国の小学校、今春からは中学校で「特別の教科 道徳」が教えられるようになった。令和の時代を迎え「偉人教育」を積極的に取り込み、子どもたちの人格形成に役立てるよう望みたい。
久々に蘇る明治の偉人

新しい3人の「顔」は、前2回(昭和59年、平成16年)の紙幣刷新と同様、「国民に親しまれる明治以降の文化人」から選ばれた。渋澤栄一は500に上る企業の創設・育成のほか、社会福祉や教育機関の創設に関わり、「日本資本主義の育ての親」と呼ばれる。自国第一主義や少数の富裕者に富が集中する利益至上主義、株主資本主義が加速する中、「利益を求める経済の中にも道徳が必要」と唱えた渋沢の道徳経済合一説があらためて注目されている。 昨今、大企業の不祥事が相次ぎ経営トップがお詫びする事態が相次いでいる。深々と頭を下げる姿を見るにつけ、企業がどうあるべきか、あらためて渋沢の精神を学んでほしい気さえする。

津田梅子は7歳で米国に留学、津田塾大を創設した女子教育のパイオニア。北里柴三郎は破傷風の血清療法を確立、「近代細菌学の父」と呼ばれ、ともに大きな足跡を残した。

日本を代表する歴史や文化を築いた偉人はどの地方にも存在し、地域の人びとの心に刻まれている。例えば「米百俵」の逸話で知られる旧長岡藩の小林虎三郎。戊辰戦争の敗戦で城下町が焼け野原になり藩士が食にも困る中、藩の大参事として、他藩から贈られた見舞いの米百俵を売却、子どもの教育に全力を注いだ。多くの人材が育ち、その教育理念は今も長岡市に引き継がれている。

江戸時代、「江戸の八百八町」、「京都の八百八寺」と並んで「浪速の八百八橋」と呼ばれた大阪。実際にある橋の数は約200。江戸では橋の多くが幕府によって造られたのに対し、大阪は高麗橋など一部を除いて大半が町民によって架けられた。「八百八橋」は浪速の町民の心意気、力を伝える言葉として今も生きている。

偉人の足跡通じ郷土に誇り

子どもが生まれ育った郷土に誇りを持つには、偉人の足跡を知るのが何よりも早道である。近年、道徳教育の在り方をめぐり、各地で偉人の教え方や評価方法など多角的な議論が進められている。こうした中から「郷土の偉人に続け!」「偉人を道標に」といった理念の下、郷土の偉人の言葉や業績を教育に取り込み、子どもに未来の夢や目標を持たせる試みも生まれてきているようだ。戦後の教育の場で、偉人の伝記などが教材として活用されるケースは驚くほど減った。戦後の占領政策で連合国軍総司令部(GHQ)が、戦前の教育すべてを否定する教育政策を強引に推し進めた結果である。

藤原正彦氏の「日本人の誇り」(文春新書)に世界数十カ国の大学や研究機関が参加して18歳以上の男女を対象に行った世界価値観調査の結果が紹介されている。平成12年の調査でやや古いが、「日本人は『祖国を誇りに思う』」の項目で世界最低に近い」というのだ。
戦後の自虐史観が色濃く投影された結果であり、戦後の平和日本に対する国際的な評価の高さとの落差はあまりに大きい。

令和の幕開けに当たり、安倍晋三首相は国民代表の辞で「平和で、希望に満ちあふれ、誇りある日本の輝かしい未来を創り上げていく」と決意を述べた。
わが国が、世界の先頭を切って進む少子高齢化にどう対応していくか、モデルとなる先例はない。国を支える15〜64歳の生産年齢人口も急減する。1100兆円にも膨らんだ国と地方の借金残高、いつ起きてもおかしくない大災害など課題は尽きない。

新転換期に多彩な人材育成

資源のない日本が今日あるのは、人材育成に傾注してきたからに他ならない。背景には、艱難辛苦を乗り越えた偉人とこれを支えた人々の貢献があった。次代を担う若者の家族愛や郷土愛、祖国愛なくして国の明るい将来はもちろん、地方創生もない。
AI(人工知能)の発達やクローバル化が進む現代は明治の維新期と同様、社会の大きな転換期にある。10年、20年先には、社会の在り方も仕事の形も大きく変わる。多彩な人材の育成に向け、様々な取り組みが欠かせない。その柱の一つが「偉人教育」である。







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