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2011年10月14日(Fri)
【正論】誰もが読みたい力くれる社説を
(産経新聞【正論】2011年10月14日掲載)

日本財団会長 
笹川 陽平 

新聞の「社説」は誰が読むのか
seiron.png 私は新聞が好きだ。朝、新聞受けをのぞき休刊日と分かるとがっかりする。新聞社の友人からは部数減と広告の落ち込みに加え、若者の新聞離れを嘆く声も聞く。
 しかし過剰な情報があふれ、先が見えないこの時代、新聞が果たすべき役割は一層大きくなっている。何が正しい情報で、どんな問題があるのか、日々、必要な情報を的確に発信できるのは新聞しかないからだ。
筆者名明記し輿論喚起を
 新聞には報道と論評の二つの使命がある。政治が混迷し、国民の不安といら立ちが急速に高まっている現在、時代とどう向き合い、何をなすべきか、今こそ新聞は広く「輿論」を喚起し国民を覚醒する役目を果たすべきである。世論でなく輿論である。それを担うのが社説(本紙は「主張」)であるはずだ。
 最近は一時に比べ財政再建や原発、安全保障などに関し積極的な問題提起をする社説が増えてきたように思う。しかし新聞がメディアとして果たすべき役割に比べれば、まだまだ弱い。新聞社の友人によれば社説は文字通り「社の論」、「新聞社の意見」であり、内容も論説委員の合議で決められる。新聞は様々な意見を持つ不特定多数の読者、さらに公正、中立、不偏不党といった実現困難な建前を持つ。これらを前提に複数で議論すれば、結論は自ずと多数に受け入れられる無難な抽象論にならざるを得ない。
 合議と言っても最終的に社説を書くのは個人である。筆者名を明記し、あらゆる批判を筆者本人が受けて立つ気概で直接、読者と向き合うべきである。それが新聞倫理綱領にいう「論評は世におもねらず」の姿勢であり、警世の木鐸たるゆえんである。素人の暴論と言われるかもしれないが、勇気ある新聞社の出現を望みたい。
 日本の政治は近年、選挙を意識したポピュリズムの色彩を強め、新聞やテレビが行う世論調査の内閣支持率、政党支持率に過剰に反応する。それだけメディアの影響は大きく責任も重い。しかし日々、各紙の社説を読むと、当たり障りのない内容が目立つ。きれいごと過ぎ、真剣味、緊張感が伝わってこないのだ。

世の中を進歩させた少数意見
 海外ニュースに関する社説となると、この傾向は一層顕著だ。世界が注目する中東情勢に例を取れば「カダフィ氏はリビア再建のため、直ちに戦闘をやめ、身を引くべきである」「アサド大統領は自国民への武力行使を直ちにやめるべきだ」といった社説が目に付く。いずれも「ごもっとも」と思うが、誰に向けた呼び掛けなのか、独り善がりであり滑稽感すら覚える。
 丸谷才一氏は新聞社の女性論説委員を主人公にした長編小説「女ざかり」で「論説は読まれることまことに少なく、一説によると全国の論説委員を合計した数しか読者がいない」とまで書いた。あくまで小説の中の話だが、出版から約20年、社説の現状はさほど変わっていない気がする。
 読者が求めるのは説得力がある切れ味鋭い言論である。多数の批判を恐れない大胆な問題提起、提案こそ時代を動かす力となる。福沢諭吉は1世紀以上前の「文明論之概略」で「自由の気風は唯多事争論の間に在りて存するものと知る可し」「古来文明の進歩、其の初めは皆、所謂異端妄説に起こらざるものなし」と述べた。多くの意見を戦わせることが自由の気風を守り、世の中を進歩させた論の多くが初めは少数意見であるのは何時の時代も変わりがない。
 新聞には客観報道の建前があるようだが、選挙報道を例にとれば、有権者に耳当たりのいい各党のマニフェスト(政権公約)をそのまま羅列することが客観報道ではあるまい。社説では実現可能性、問題点を的確に指摘し積極的な提案をすべきである。新聞社にはそれだけの調査、分析能力があるし、それが投票の際の有権者の判断材料にもなる。選挙が終わってから「財源の裏付けを欠くバラまき公約」と批判しても始まらない。

魅力欠く商品は衰退する
 ひょっとすると社説を書いている当の論説委員にも社説は読まれない、という諦めがあるのではないか。丸谷氏も「女ざかり」で「世界と日本の大問題を論じようという積極的な気構えはまったくなく」とした上で、主人公に「誰も読まないから、どうでもいいか」と吐露させている。
 深みを欠き、当たり障りのない社説は読者の期待を裏切るばかりか、読まれなければ限られた大切な紙面を浪費する結果にもなりかねない。魅力を欠く商品が衰退するのは新聞とて例外ではない。加速する新聞離れも、この点にこそ一番の原因が求められるべきではないか。
 日本新聞協会は10月15日から始まる新聞週間の代表標語に「上を向く 力をくれた 記事がある」を選んだと聞く。国民を奮い立たせるのは百家争鳴、沸騰する言論であり、輿論である。「誰も読まない社説」から「誰もが読みたい社説」「力をくれる社説」に脱皮してほしいと切に願う。
カテゴリ:正論




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